■再び公園より
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こんな朝早くの甲州街道は、前も後ろも右も左も、働く大きな車達で寂しく構成されており、普段滅多に車に乗る機会のないまのでさえ、眼前を過ぎゆく景色達が無機質で味気のないものであることを感じ取っていた。
態々割った排気管で凄まじい音を轟かせるトレーラーや、段差の度に崩れるのではないかと不安になるほどの砂利を積んだダンプカー、夥しい数の擦り傷が所々錆びて浮浪者よろしくみすぼらしいトラック。窓の外の色彩は乏しい。
まのはその乏しさが、周りを取り囲む泥臭い車達故と理解していた。それでいて、排ガスと埃で肺が軋まずに済んでいるのは、運転手の男が内気循環に変えてくれたためだとは気が付かなかった。
会話無く、ラジオが流れることもない沈黙の車内。
寂し気な道路と重なってか、まのはこの静寂に息の詰まるような思いがする、が、隣の男は毫も気にならないらしい。その証拠に、あえてラジオをつけることもなければ、無闇に話題を探してくることもなかった。かといって何か思案に耽っている様子もなく、ただ真っ直ぐ前を見つめて運転をしている白髪の男の態度はあまりに泰然 としているために、そういえばこの人はこういった事柄に対していっこう頓着しない人だったと、まのは心の中で一人呟き一人頷いてしまう。それはまるで昔のことをふと思い出したかのような、もっと綿密に形容すれば、昔仄聞 したことの記憶がふと蘇ったかのような、極々自然な調子であった。しかし、その考えがあたかも当たり前のごとくすっと心に入り込んできたものだったために、"こういう人だった"と断言できるほど、まの自身がこの男と会話を交えてきたわけでも逢瀬を重ねてきたわけでもないことに、まの本人は気付いていない。
まの達の前には大型のトラックが走っている。
法定速度を守ります・お先にどうぞ、と書かれたプレートの下に運転手の苗字が貼り付けてあり、その宣言通り、早朝の道を走る速度としては遅すぎるほどであったが、白髪の男は決して追い越したり車間を詰めたりはしなかった。
この時間帯の静けさとは相反して、トラックの鉄板に照り付ける朝日は随分な尖りかたをしている。
まのがそ、と隣を盗み見ると、淡く透き通った色の瞳を持つ運転席の男は、折角のサングラスを頭に引っ掛けたままに運転をしていた。真っ黒な瞳を持つまのでさえ、この鮮烈な朝日には何度か目を細める必要があったというのに。
物影だとか、角度だとか、段差だとか、そういったもののタイミングや組み合わせによって生まれる朝日の反射光は強烈である。
フロントガラスの上部には、品の良い色のみを組み合わせて描いたかのような澄んだ朝の空が広がっているというのに、定期的に水を差してくる反射光はあまりに無粋で、雅俗混交 などという普段滅多に使う機会のない言葉をまのに連想させた。
沈黙に気まずさを感じる狭間で、足が地につかないことをぼうと考えるまの。
また、ぎらっと強烈な照り返しがまのの瞳を刺激する。目を細めたあと、雅を求めるかのようにその瞳をフロントガラスの上部に擲つ、と、そこにはトラックのリアドアが迫っており、「ごめん、止まる 」の声と共にまのの前へ遮るように横から伸ばされるは男の長い腕。
詮ずるところ、五条は赤信号へ急ブレーキ───などと表すにはあまりに大袈裟であるが───を踏んだために謝り、そして腕を添えてくれたのだった。
大型の車は視界を遮る上、止まる直前までエンジンブレーキを効かせているためにブレーキランプを頼りにくく、すなわち後続の車は大変運転し辛いのだが、まのにそんなことは分からない。横から伸ばされた腕に煽られたその心は、ただただ昨夜見た夢に囚われており、またこの男に話さずにはいられないような気がして、それは多少の強迫観念にも近かったのかもしれない。
『…ゆうべ、夢に五条さんが出てきました 』
急ブレーキに対して何を言うわけでもなく、手を添えて支えてくれたことに対してお礼を言うわけでもない。
ほとんどの時間を噤ませているまのの唇がようやっと開いたかと思えば、そこから飛び出たのは何の前触れもない昨夜の夢の話。
それなのに、首だけを横に捻って言葉を紡いだまのの暗い瞳は不気味なほどにじっと落ち着きはらって、ただ男のみを映している。
その黒い沈静の底で一種の苦悶が塒 を巻いていることに、五条は横目でしかと捉えていた。
純白の睫毛を一度伏せたあと、鎌首をもたげるようにしてまのの方を向いた男の様子は、何らかの過ちを犯しかねないほどの不穏さをはらませていたというのに、「"こんな夢を見た"で始めるわけじゃないのね 」と、ジョークを交えながらさらさらと笑ったその声音は、ただ清いという感じすら帯びていて、まのは深い懐かしさの色に塗りこめられてしまった。
なぜだろう、こういった類の気の利いたジョークで話の糸を繋げてもらったのは、どうも今回が初めてではないような気がして、それを認めた瞬刻、
『あなたはそのようなご冗談も、… 』
無意識のままに継いでしまった言葉だった。しかしその先に詰まって、柔らかな唇はまた静かに結ばれてしまう。
「僕これでも教師ですから 」
『 ……… 、そうですか… 』
詰まってしまった会話をまたもこの男は掬い上げてくれたというのに、紡ぐべき適切な言葉を持ち得ないまのは、手持ち無沙汰と分かっていながらも淡白な言葉しか返せなかった。
あなたはそのようなご冗談も、
──言われるのですね。
──言われるのですか?
一体自分はなんと言葉を繋げたかったのだろう。
どんな冗談を言うのか口を挟めるほど、まのはこの男のことを知らないはずであるのに、それなのに。
空っぽな胸の原因と毎度妙な気分にさせてくるこの男とを、無理にでもこじつけさせたくて、五条が誰かにきっと似ていると信じたかったあの夕闇の日。まのは今同じ心持ちである。
態々割った排気管で凄まじい音を轟かせるトレーラーや、段差の度に崩れるのではないかと不安になるほどの砂利を積んだダンプカー、夥しい数の擦り傷が所々錆びて浮浪者よろしくみすぼらしいトラック。窓の外の色彩は乏しい。
まのはその乏しさが、周りを取り囲む泥臭い車達故と理解していた。それでいて、排ガスと埃で肺が軋まずに済んでいるのは、運転手の男が内気循環に変えてくれたためだとは気が付かなかった。
会話無く、ラジオが流れることもない沈黙の車内。
寂し気な道路と重なってか、まのはこの静寂に息の詰まるような思いがする、が、隣の男は毫も気にならないらしい。その証拠に、あえてラジオをつけることもなければ、無闇に話題を探してくることもなかった。かといって何か思案に耽っている様子もなく、ただ真っ直ぐ前を見つめて運転をしている白髪の男の態度はあまりに
まの達の前には大型のトラックが走っている。
法定速度を守ります・お先にどうぞ、と書かれたプレートの下に運転手の苗字が貼り付けてあり、その宣言通り、早朝の道を走る速度としては遅すぎるほどであったが、白髪の男は決して追い越したり車間を詰めたりはしなかった。
この時間帯の静けさとは相反して、トラックの鉄板に照り付ける朝日は随分な尖りかたをしている。
まのがそ、と隣を盗み見ると、淡く透き通った色の瞳を持つ運転席の男は、折角のサングラスを頭に引っ掛けたままに運転をしていた。真っ黒な瞳を持つまのでさえ、この鮮烈な朝日には何度か目を細める必要があったというのに。
物影だとか、角度だとか、段差だとか、そういったもののタイミングや組み合わせによって生まれる朝日の反射光は強烈である。
フロントガラスの上部には、品の良い色のみを組み合わせて描いたかのような澄んだ朝の空が広がっているというのに、定期的に水を差してくる反射光はあまりに無粋で、
沈黙に気まずさを感じる狭間で、足が地につかないことをぼうと考えるまの。
また、ぎらっと強烈な照り返しがまのの瞳を刺激する。目を細めたあと、雅を求めるかのようにその瞳をフロントガラスの上部に擲つ、と、そこにはトラックのリアドアが迫っており、「ごめん、止まる 」の声と共にまのの前へ遮るように横から伸ばされるは男の長い腕。
詮ずるところ、五条は赤信号へ急ブレーキ───などと表すにはあまりに大袈裟であるが───を踏んだために謝り、そして腕を添えてくれたのだった。
大型の車は視界を遮る上、止まる直前までエンジンブレーキを効かせているためにブレーキランプを頼りにくく、すなわち後続の車は大変運転し辛いのだが、まのにそんなことは分からない。横から伸ばされた腕に煽られたその心は、ただただ昨夜見た夢に囚われており、またこの男に話さずにはいられないような気がして、それは多少の強迫観念にも近かったのかもしれない。
『…ゆうべ、夢に五条さんが出てきました 』
急ブレーキに対して何を言うわけでもなく、手を添えて支えてくれたことに対してお礼を言うわけでもない。
ほとんどの時間を噤ませているまのの唇がようやっと開いたかと思えば、そこから飛び出たのは何の前触れもない昨夜の夢の話。
それなのに、首だけを横に捻って言葉を紡いだまのの暗い瞳は不気味なほどにじっと落ち着きはらって、ただ男のみを映している。
その黒い沈静の底で一種の苦悶が
純白の睫毛を一度伏せたあと、鎌首をもたげるようにしてまのの方を向いた男の様子は、何らかの過ちを犯しかねないほどの不穏さをはらませていたというのに、「"こんな夢を見た"で始めるわけじゃないのね 」と、ジョークを交えながらさらさらと笑ったその声音は、ただ清いという感じすら帯びていて、まのは深い懐かしさの色に塗りこめられてしまった。
なぜだろう、こういった類の気の利いたジョークで話の糸を繋げてもらったのは、どうも今回が初めてではないような気がして、それを認めた瞬刻、
『あなたはそのようなご冗談も、… 』
無意識のままに継いでしまった言葉だった。しかしその先に詰まって、柔らかな唇はまた静かに結ばれてしまう。
「僕これでも教師ですから 」
『 ……… 、そうですか… 』
詰まってしまった会話をまたもこの男は掬い上げてくれたというのに、紡ぐべき適切な言葉を持ち得ないまのは、手持ち無沙汰と分かっていながらも淡白な言葉しか返せなかった。
あなたはそのようなご冗談も、
──言われるのですね。
──言われるのですか?
一体自分はなんと言葉を繋げたかったのだろう。
どんな冗談を言うのか口を挟めるほど、まのはこの男のことを知らないはずであるのに、それなのに。
空っぽな胸の原因と毎度妙な気分にさせてくるこの男とを、無理にでもこじつけさせたくて、五条が誰かにきっと似ていると信じたかったあの夕闇の日。まのは今同じ心持ちである。
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