■再び公園より
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「本日の特等席はこちらでーす」白い歯の覗く笑みをもって男が開けてくれたのは助手席側のドアであった。ひとつ 逡巡 の後、大人しく乗り込んだまの。
寒かったりしたら勝手に空調いじっちゃってね、車酔いはするタイプ?CDとかは置いてないからラジオくらいしかないけどすきにしていいよ、
車内が密閉されると男はエンジンをかけ、真っ直ぐ前を向いたままにぺらぺらと話し始めた。
その声色は普段通り至極軽かったけれども、仮眠用として常に置かれているというブランケットを手渡してくれたし、もしも酔ったらと指差した先には未開封のコーラがドリンクホルダーに入っていたし、TOKYO FMなら確か80Hzだったと思うよ、ともまのに教えてくれた。
『ありがとうございます…… 』
「いーえ 」
小さな、それこそ消えかけの蝋燭みたいな声でお礼を呟いたまのに対して、男の調子は変わらず砕けている。
不思議と、"何か"がまののことをどうしようもないほどに懐かしくさせるが、何がそうさせているのだろう、まのには分からない。
先週に引き続き、二度目の乗車である。
圧迫感を感じさせない車内設計に、本革張りのシート、始動直後のエンジンとは思えないほど静かなアイドリング。
不快な要素を限りなく排除したとみえる上等な車であることに間違いはないが、大の大人二人を置く空間として見るのならば、所詮車は車であった。
男から漂ってくるあの奥深くて簡単には紐解けないような沈香の香りが狭い空間に籠り、先程からまのの鼻を擽って擽って仕方ない。
ずっとこのまま肺に招いていたいと思うのに、いざ招けば鼓動が乱れて落ち着きを失ってしまう、そんな香りがこの男からはするのだ。
「あ 今更だけど 」
『…はい 』
「食べられないものある? 」
『いえ、』
「じゃ 嫌いなものは?」
『ありません…大丈夫です 』
あ、そう、ならいいけど。
男は口笛を吹くみたく愉快そうに呟く。その呟きの温度は、先程紡がれた「ま いいけど」となにひとつ変わりはなかった。
この男の言動、発露させることのできない"何か"が軽々しさに擬態している。
「さて 行くよ〜 」
『 … 』
ハンドブレーキをおろした五条が、ハンドルにもたれかかるようにしてまのの様子をうかがいながら問うているが、妙に懐かしい感覚に囚われたままのまのは、うんともすんとも答えずに助手席でただ固まっているだけである。この得体の知れない懐かしさは、甘く苦しい感覚にも似ていて、まのの心持ちは再び遠くへ誘われてしまった。
またされた"無視"を咎めることなく、五条はくつくつと笑っている。
その笑みは、全てが思った通りに進んで非常に愉快だというようにも感じられるし、一通り笑った後に舌打ちをするかのような冷たく苛立った様子にも感じられる、そんな二面性を含んだ笑みであった、が、まのには当然届かない。
寒いとも暑いとも車酔いしやすいともしないともラジオが聴きたいとも聴きたくないとも、何ともまのが言い出さなかったため、そのまま車は進み出す。
二人の男女を閉じ込めた車は、いつの間にか閑静な住宅街を抜け、甲州街道に滑り込む。ひとつ瞬く間に景色の吹き飛ぶ窓硝子を眺めていると、まのは希薄になっていた現実感が徐々に元に戻ってくるようだった。
『…五条さん 』
「はいはい 」
しかと意識が戻ってくると、まのの中にじんわりと滲み出てくる疑問と不安。
約束の時間が迫っている、と白髪の男にしどろもどろしながら伝えていた運転手の困ったような声が脳裏に甦る。
『今日は、… 』「?」『…運転手の方は、今日は、』「運転手?ああ 伊地知のこと?居ないよ 」『………そうですか… 』「先週はたまたま朝早くから仕事だったの 」『、はあ 』「なんで? 」『…… 』「傷つくねぇ 」
続かない、そして噛み合わない二人の会話。
まのの言葉はいつだって短くて、その上それで終わってしまうような返答しか紡げないから、どこかがズレていて噛み合わず、滑らかにお喋りが続くこともなかった。そんな不自然で少しの面白みもない会話なのに、この男は変わらずくつくつ笑っている。
おかしくってたまらないとでも言いたげに笑っているこの男は、一体何がそんなに愉快なのだろうか。
そしてこの様子でもって、一体どこがどう傷ついたというのだろうか。
まのには、この男のことが殆ど何もわからなかった。
寒かったりしたら勝手に空調いじっちゃってね、車酔いはするタイプ?CDとかは置いてないからラジオくらいしかないけどすきにしていいよ、
車内が密閉されると男はエンジンをかけ、真っ直ぐ前を向いたままにぺらぺらと話し始めた。
その声色は普段通り至極軽かったけれども、仮眠用として常に置かれているというブランケットを手渡してくれたし、もしも酔ったらと指差した先には未開封のコーラがドリンクホルダーに入っていたし、TOKYO FMなら確か80Hzだったと思うよ、ともまのに教えてくれた。
『ありがとうございます…… 』
「いーえ 」
小さな、それこそ消えかけの蝋燭みたいな声でお礼を呟いたまのに対して、男の調子は変わらず砕けている。
不思議と、"何か"がまののことをどうしようもないほどに懐かしくさせるが、何がそうさせているのだろう、まのには分からない。
先週に引き続き、二度目の乗車である。
圧迫感を感じさせない車内設計に、本革張りのシート、始動直後のエンジンとは思えないほど静かなアイドリング。
不快な要素を限りなく排除したとみえる上等な車であることに間違いはないが、大の大人二人を置く空間として見るのならば、所詮車は車であった。
男から漂ってくるあの奥深くて簡単には紐解けないような沈香の香りが狭い空間に籠り、先程からまのの鼻を擽って擽って仕方ない。
ずっとこのまま肺に招いていたいと思うのに、いざ招けば鼓動が乱れて落ち着きを失ってしまう、そんな香りがこの男からはするのだ。
「あ 今更だけど 」
『…はい 』
「食べられないものある? 」
『いえ、』
「じゃ 嫌いなものは?」
『ありません…大丈夫です 』
あ、そう、ならいいけど。
男は口笛を吹くみたく愉快そうに呟く。その呟きの温度は、先程紡がれた「ま いいけど」となにひとつ変わりはなかった。
この男の言動、発露させることのできない"何か"が軽々しさに擬態している。
「さて 行くよ〜 」
『 … 』
ハンドブレーキをおろした五条が、ハンドルにもたれかかるようにしてまのの様子をうかがいながら問うているが、妙に懐かしい感覚に囚われたままのまのは、うんともすんとも答えずに助手席でただ固まっているだけである。この得体の知れない懐かしさは、甘く苦しい感覚にも似ていて、まのの心持ちは再び遠くへ誘われてしまった。
またされた"無視"を咎めることなく、五条はくつくつと笑っている。
その笑みは、全てが思った通りに進んで非常に愉快だというようにも感じられるし、一通り笑った後に舌打ちをするかのような冷たく苛立った様子にも感じられる、そんな二面性を含んだ笑みであった、が、まのには当然届かない。
寒いとも暑いとも車酔いしやすいともしないともラジオが聴きたいとも聴きたくないとも、何ともまのが言い出さなかったため、そのまま車は進み出す。
二人の男女を閉じ込めた車は、いつの間にか閑静な住宅街を抜け、甲州街道に滑り込む。ひとつ瞬く間に景色の吹き飛ぶ窓硝子を眺めていると、まのは希薄になっていた現実感が徐々に元に戻ってくるようだった。
『…五条さん 』
「はいはい 」
しかと意識が戻ってくると、まのの中にじんわりと滲み出てくる疑問と不安。
約束の時間が迫っている、と白髪の男にしどろもどろしながら伝えていた運転手の困ったような声が脳裏に甦る。
『今日は、… 』「?」『…運転手の方は、今日は、』「運転手?ああ 伊地知のこと?居ないよ 」『………そうですか… 』「先週はたまたま朝早くから仕事だったの 」『、はあ 』「なんで? 」『…… 』「傷つくねぇ 」
続かない、そして噛み合わない二人の会話。
まのの言葉はいつだって短くて、その上それで終わってしまうような返答しか紡げないから、どこかがズレていて噛み合わず、滑らかにお喋りが続くこともなかった。そんな不自然で少しの面白みもない会話なのに、この男は変わらずくつくつ笑っている。
おかしくってたまらないとでも言いたげに笑っているこの男は、一体何がそんなに愉快なのだろうか。
そしてこの様子でもって、一体どこがどう傷ついたというのだろうか。
まのには、この男のことが殆ど何もわからなかった。