■再び公園より
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「…もうそろそろ気付いて欲しいんですけどー 」
『 … 、』
「この無視のくだり何回目よー 傷つくなあホント 」
みしりと音がしそうなほど軋んだ首でゆっくりと顔を持ち上げたまの。それは、何年も前から窓辺へ置かれたままの球体関節人形をおもわせるような、あまりに古ぼけた仕草だった。
座らせられた人形の首だけが不意に持ち上がったような、不自然さと薄気味悪さを兼ねた、そんな動きである。
白髪の男は、惚けたまのの前へ立って呆れたように両手を仰いではいるものの、その顔つきは平生と変わらずわざと緩く崩されている。
小さな公園の小さな東屋の中。
結局答えの纏まらなかった本のことをジトリと考えて、忘れ去られた人形のように俯きながらベンチへ腰掛け男を待っているつもりでいたまの。
しかし実際のところ、男は随分前から既に現れており、ずっとまのの目前に立ったまま、今気付くか今気付くかと、寧ろまのは彼に待たれていたようである。
まのが鈍いのか、男の気配を消すのがうまいのか、将又その両方か。
なににせよ、一週間ぶりに会った男女の間に流れるべきものとは到底思えないほど、二人を取り巻く空気は白けていた。
もっとまのが社交的で、もっとまのが男性なれしていたのならば、「そんな意地悪なことをしないで声をかけてくれればよかったのに」と微笑むことが出来た、のかもしれない。そうすれば、二人の間に流れる空気も今より少しは甘いものになっていた、のかもしれない。
しかし、窓辺の人形のまのはただただ黙って五条を見上げている。
『 、おはようございます… 』
じ、と男を見上げ続けるまのの真っ黒な瞳。
対面する者の気持ちを悪く乱してしまいそうなほどどろりと黒く溶けたその瞳は、しっかり五条を映している。
「おはよう、珍しいね 君が目を逸らさないなんて 」
座ったまま見上げるまのへ目線を合わせるかのようにして深く腰を折った男が、普段通りの冗談めかした調子で挨拶を返すと、言われて初めて気付いたかの如くパッとその視線は外されてしまった。男はそんなまのを見て、また、わざとらしく顔を崩してクスクス笑っている。
まのは男の顔をただ見上げていたのではない。男を見た瞬間、立ち込めていた 靄 が突風によってさっぱり吹き払われたかのように、今朝掴めずして遠ざかってしまった夢の一部が明らかになって現れたのである。それで、気を取られてしまい、顔を上げ放していたのだ。
河を渡ることが出来なかったのは、この男が遮ったためであった。自分はこの男と並んで立って、向こう岸を眺めていた。そして、遠くを眺めるその瞳はとても冷めた色をしていた。ことを思い出した。
『… 』
「〜〜… 」
『 、』
「ま いいけど 」
逸らされた黒い瞳は、気まずそうに伏せたままきょときょとと動く。が、かといって何か返答があるわけでもない。
そんなまのに対し、男は暫く腰を折って観察していたものの、いい加減に痺れを切らして姿勢を戻すと同時、紡がれた言葉は極々軽い。例えるならば、何か一つの方法が行き詰まってしまったが選択肢はまだまだ他に沢山あるのだから一向かまわない、といった調子である。
一体何が"いい"のかちっとも分からないまま、まのの意識は膝の上でお行儀良くしている鞄に移る、厳密には鞄の中に移る、更に厳密には鞄の中の芥子色の本に移る。
結局答えは出ませんでした、と口にしたら、目の前の男はガッカリしてしまうだろうか。それとも呆れるだろうか。どんな反応をされるかまるで検討がつかないくらい、まのはこの男のことを殆ど何も知らない。
「そうだ 腹減ってない?朝飯行こうよ 」
白けた沈黙を切り開いたのは、白髪の男だった。
この公園で落ちあうはめになった"宿題"には指一本触れられぬまま、頓珍漢な誘いがまのの上に降ってきた。
特別懇意にしているわけでもない男性と朝食を共に取る理由はない、かといって折角のお誘いを突っぱねて断る勇気もない、どうすれば良いのか分からないまのは黙って俯いている。
「もしや食べてきちゃった?」そんなら仕方ないかあ、と呟く少し残念そうな男の声に、ゆるゆると首を振るまの。
なんとなく、意思と視界と声帯と心がばらばらになっていくかのような、妙に遠くて物憂い心持ちがする。
「じゃ 行こーよ 」
『私は構いませんけど… 』
「うん、けど? 」
『あなた方は お忙しいでしょうから、』
「確かに忙しいけど、こんな朝早くからは流石に働いてないよ 」
一体今何時だと思ってんの、とケタケタ笑っている男の前で、まのは今しがた自分が口走ったことを思い出そうと努めていた。言動と認識に時差がうまれてしまったかのような、または自分ではない何者かに声帯を勝手に使われてしまったかような、今何を言ったのかちっとも思い出せないでいるまの。
ただ、きっと、自分は承諾したのだろう。
これから店行きたいんだけど、うん、二人、ていうことだから、まあそう言わず、よろしくね。と誰かへ一方的に五条が電話を掛けている様子から、まのは自分の発言の大凡を汲み取った。
店取れたよー、とこちらを振り返りながら手をあげている男の顔は、やっぱり緩く崩されている。
まのはベンチに手をつきながら立ち上がり歩き出す。手招く男の元へ、黒い車の元へ。
『 … 、』
「この無視のくだり何回目よー 傷つくなあホント 」
みしりと音がしそうなほど軋んだ首でゆっくりと顔を持ち上げたまの。それは、何年も前から窓辺へ置かれたままの球体関節人形をおもわせるような、あまりに古ぼけた仕草だった。
座らせられた人形の首だけが不意に持ち上がったような、不自然さと薄気味悪さを兼ねた、そんな動きである。
白髪の男は、惚けたまのの前へ立って呆れたように両手を仰いではいるものの、その顔つきは平生と変わらずわざと緩く崩されている。
小さな公園の小さな東屋の中。
結局答えの纏まらなかった本のことをジトリと考えて、忘れ去られた人形のように俯きながらベンチへ腰掛け男を待っているつもりでいたまの。
しかし実際のところ、男は随分前から既に現れており、ずっとまのの目前に立ったまま、今気付くか今気付くかと、寧ろまのは彼に待たれていたようである。
まのが鈍いのか、男の気配を消すのがうまいのか、将又その両方か。
なににせよ、一週間ぶりに会った男女の間に流れるべきものとは到底思えないほど、二人を取り巻く空気は白けていた。
もっとまのが社交的で、もっとまのが男性なれしていたのならば、「そんな意地悪なことをしないで声をかけてくれればよかったのに」と微笑むことが出来た、のかもしれない。そうすれば、二人の間に流れる空気も今より少しは甘いものになっていた、のかもしれない。
しかし、窓辺の人形のまのはただただ黙って五条を見上げている。
『 、おはようございます… 』
じ、と男を見上げ続けるまのの真っ黒な瞳。
対面する者の気持ちを悪く乱してしまいそうなほどどろりと黒く溶けたその瞳は、しっかり五条を映している。
「おはよう、珍しいね 君が目を逸らさないなんて 」
座ったまま見上げるまのへ目線を合わせるかのようにして深く腰を折った男が、普段通りの冗談めかした調子で挨拶を返すと、言われて初めて気付いたかの如くパッとその視線は外されてしまった。男はそんなまのを見て、また、わざとらしく顔を崩してクスクス笑っている。
まのは男の顔をただ見上げていたのではない。男を見た瞬間、立ち込めていた
河を渡ることが出来なかったのは、この男が遮ったためであった。自分はこの男と並んで立って、向こう岸を眺めていた。そして、遠くを眺めるその瞳はとても冷めた色をしていた。ことを思い出した。
『… 』
「〜〜… 」
『 、』
「ま いいけど 」
逸らされた黒い瞳は、気まずそうに伏せたままきょときょとと動く。が、かといって何か返答があるわけでもない。
そんなまのに対し、男は暫く腰を折って観察していたものの、いい加減に痺れを切らして姿勢を戻すと同時、紡がれた言葉は極々軽い。例えるならば、何か一つの方法が行き詰まってしまったが選択肢はまだまだ他に沢山あるのだから一向かまわない、といった調子である。
一体何が"いい"のかちっとも分からないまま、まのの意識は膝の上でお行儀良くしている鞄に移る、厳密には鞄の中に移る、更に厳密には鞄の中の芥子色の本に移る。
結局答えは出ませんでした、と口にしたら、目の前の男はガッカリしてしまうだろうか。それとも呆れるだろうか。どんな反応をされるかまるで検討がつかないくらい、まのはこの男のことを殆ど何も知らない。
「そうだ 腹減ってない?朝飯行こうよ 」
白けた沈黙を切り開いたのは、白髪の男だった。
この公園で落ちあうはめになった"宿題"には指一本触れられぬまま、頓珍漢な誘いがまのの上に降ってきた。
特別懇意にしているわけでもない男性と朝食を共に取る理由はない、かといって折角のお誘いを突っぱねて断る勇気もない、どうすれば良いのか分からないまのは黙って俯いている。
「もしや食べてきちゃった?」そんなら仕方ないかあ、と呟く少し残念そうな男の声に、ゆるゆると首を振るまの。
なんとなく、意思と視界と声帯と心がばらばらになっていくかのような、妙に遠くて物憂い心持ちがする。
「じゃ 行こーよ 」
『私は構いませんけど… 』
「うん、けど? 」
『あなた方は お忙しいでしょうから、』
「確かに忙しいけど、こんな朝早くからは流石に働いてないよ 」
一体今何時だと思ってんの、とケタケタ笑っている男の前で、まのは今しがた自分が口走ったことを思い出そうと努めていた。言動と認識に時差がうまれてしまったかのような、または自分ではない何者かに声帯を勝手に使われてしまったかような、今何を言ったのかちっとも思い出せないでいるまの。
ただ、きっと、自分は承諾したのだろう。
これから店行きたいんだけど、うん、二人、ていうことだから、まあそう言わず、よろしくね。と誰かへ一方的に五条が電話を掛けている様子から、まのは自分の発言の大凡を汲み取った。
店取れたよー、とこちらを振り返りながら手をあげている男の顔は、やっぱり緩く崩されている。
まのはベンチに手をつきながら立ち上がり歩き出す。手招く男の元へ、黒い車の元へ。