■喫茶店にて
おなまえ設定
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ごくり。と一つ音をさせて淑女たちは男に飲み下された。一瞬晒された喉笛は、その上に付いている女性味を帯びる繊細な顔つきとは正反対そのもので、襟ぐりの部分が随分大きく造られているところに納得せざるを得なかった。
なんとなく、自身の首元へ細い指を沿わす。
やさしいレースでくるまれた胡桃釦達がしっかり仕事をしていて、まのの首筋を隠してくれている。のに、なんだか心細いような頼りないような誰かに注意をうけているような気がして、自身の襟を少し上に引っ張りあげた。
引っ張りあげた後のその手は行き場を失い、そろりそろりと目的もなく膝まで落ち、ハの字の眉と横に伏せた瞳と相まってか、まのをより心許ない存在にみせていた。
続く沈黙の中、男は身体を少し横にずらして足を組み両腕を机につき身を乗り出す。するとどうだろう。奥の席で縮こまって俯くまのもあって、女を脅す男の図に見えるではないか。
先程五条のうしろの席に座り新聞を読んでいた男性が会計のためにまの達の横を通った時、案の定訝しげに二人を見下ろして行った。
白髪の男は、ずっとまのをみている。ただ、みているだけ。少し口の端を上げながら。
改めてみてみると、やはり当時から何も変わらないのだな、と思う。
柔らかな絹のように長く在る黒髪に、何の邪魔もしないような大人しいグレーの襟詰まりワンピース。
冷凍した花を粉々に砕いたような僅かな甘い香り。
しかつめらしく隣に座り持ち主を守ろうとしているみたくも見える、トランクのような斜めがけ鞄。
そして、誰かが代わりに答えてくれるのを哀しく待っているような、この、沈黙。
「で、何読んでたの 」
続く沈黙に平手打ちをされたまのは、横に伏せていた瞳を少し泳がせてから恐る恐る顔をあげた。
声色は軽薄さが滲むほどに軽やかで、先程のように何かが見えるようなことはもうなかった。
『 、』
「…?はよはよ 」
『文鳥…を、読んでいました、… 』
「へえ。夏目漱石の?」
ぐい、と一寸寄った男の真っ青な瞳と真面にかちあったまのは、最後の問いにYESも言えずまたも俯いてしまった。だから、渋いネ、と呟く男の顔をまのは見ていない。
なんとなく怖かったのだ、その男の瞳が。
淋しさとは、救済を受ける側と与える側の間に海のように広がっているのだという。男の瞳は、まさに淋しさの海を具現化したような色だった。
まのは、訳はわからずとも淋しかった。だからなんとなく怖かったのだ。
そんな掴みどころのない淋しさを堪えて俯くまのに対して湧いてくる男の感情に含まれるは幾ばくかの棘。
それから矛盾した庇護欲と救い上げたいというエゴに、強烈な後ろめたさ。
まのには、恋人の記憶はもう欠片も残っていない。
性悪男の親友はまののことをそれはそれは大切にしていたというのに。それこそ、壊れものを扱うかのように大切にしていたというのに。
別にガキじゃねぇんだから、オマエがそこまでしなくてもよくねぇ?
もう夜も遅い、駄目に決まってるだろ。
脳内で再生された過去の親友の声は、意地悪なちょっかいを出そうとする男を制止しようとする。
自身が描いた過去の記憶の所為ですっかり興醒めしてしまった男は、机に乗り出していた身をひき椅子の背もたれに寄りかかった。
もう何も知り得ないまのは変わらず俯いていた。
ねえ、そのうつくしくてかわいい文鳥はなんで死んだんだっけ?
結局、他所のことに忙しくなって煩わしくなったんじゃなかったっけ?
君はまるで、鳥篭の入り口を開けたまま飼い主が姿を消したのに、自らの意思で鉄柵の牢に留まり続けているかわいそうなかわいい文鳥のようだね。