■車内にて
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黄色い声を横目に、伊地知は置物よろしく五条の隣にただ付属していた。
自販機の前で飲み物を選ぶ長身の男から少し離れた場所で、お互いの腕を組んで小突きあっている二人の若い女の子の姿が、先ほどから運転手の視界に入っている。
携帯やらペンやらを持ち、「えっ 一人で聞きに行くのはムリ!」などと小さく騒ぎながらこちらを見ている様子から、さぞ、自分はあの子達にとって邪魔であろう、と伊地知は肩身の狭くなる思いで男の隣に立っていた。
なにか飲みたいからどこか寄れるところあったら停めて。
せっかく道が流れてすぐ、助手席の男から出た要求だった。
自販機の飲み物で構わないと態々付け足すところから、よほど喉が渇いているのだろうと 掬 した運転手は、すぐ次のサービスエリアへ寄ることに決め、そうして今に至るわけだが、良くも悪くも目立つ五条を世間はどうしても隅に置いてはおかないらしい。
先ほどの渋滞のためか、入ったサービスエリアは平日にしては随分と人が多かった。
ありきたりな物に囲まれた逸品が普段よりもすこぶる上等に見えてくるのと同じで、人混みの中で立派な白髪は際立って人目をひいて仕方がない。
目立つ男本人は気付いているのか、気付いていないのか、それともそういった状況に慣れ抜いてもう何も感じ得ないのか。コーラは車酔いの強い味方万能薬、と妙な台詞を妙なリズムにのせ、一人歌いながらベンチへ向かってしまった。
自販機前に寂しく残された伊地知は手持ち無沙汰になってしまい、仕方なしに欲しくもない缶珈琲のボタンを押した、と同時、
「僕は本ッ当にグッドガイだから 知らないほうが幸せだよん 」
レディの人生を狂わせるわけにはいかんからね〜。へらへら戯ける男の声が伊地知の耳に届いた。
聞き慣れた調子の声である。
振り返らずとも、何が起きたのか伊地知はすぐ理解した。
きっと、光のよく入る目を親しげに細め、口元には人懐っこい笑みを湛えて戯けているのだろう。
それでいて次の瞬間には、今までの全てを忘れた、といった風にあの男はなるのだ。
伊地知がこういった場面に出くわすのは一度や二度ではなかったが、目立つ男の連絡先を聞くために女性たちがどれだけの勇気を振り絞ったかを考えると、毎度、酷な気持ちに陥ってしまう。
それなのに、今日は何故だか安堵も一緒に添えられている、この妙な心持ち。
珈琲を両手に持ったまま締まりない足取りで五条の元へやってくる伊地知に気付いた二人の女の子は、苦い顔をしてその場から離れていった。
「ごめんね〜 」男は薄情にも手をふっている。
自分が振ったわけでもないのに、真面に彼女達を直視できない伊地知は、おじおじ俯き加減にベンチへ腰掛けた。
隣の男は、すでに飲み干したコーラの空き缶を目の高さまで持ち上げてぶらぶらと揺らしている。
「冗談抜きに コーラってマジで万能薬なんだよ 」
「…コーラが、ですか……」
車酔いにも効くし、頭痛にも効く、それは恐らく香料とカフェインのためだろうーーー
一通りコーラについて語り終えると、男は満足したのか、思いついたように立ち上がり車へ足を向かわせた。
運転手は慌てて残りの珈琲を飲み干し、駆け足で五条を追いかける。
長身の男の一歩は非常に大きい。共に並ぼうとするならば、男が普通に歩こうとも伊地知は小走りをする必要があった。
先程の女の子二人が未だに遠目からこちらを見ていることに途中で伊地知は気付いたものの、先を歩く男に追いつくためには立ち止まるわけにいかなかった。
五条が他人のことを 毫 も気に留めないということを、伊地知はこれから先も常に頭に刻んでおかなければならない。
車に戻った男は普段通り後部座席に腰掛けた。伊地知も普段通り運転席へ乗り込み、シートベルトを締めたその時。
「あ、そこに置いてある傘取って 」
「え? 」
シートベルトへ落としていた目をそのままの方向に持ち上げた所に、男の言う傘はあった。
グレイハウンドの頭部を模した柄は見事な金色の首輪をはめており、アンティークの杖にも思えるほど上等そうに見える。
「随分と凝った傘ですね 」
「よね〜 …さすがに借りパクはまずいかあ 」
「…五条さんの傘ではないのですか? 」
「僕のじゃないよ さっき返し忘れた 」
「さっき…? 」
座席の間から手渡された傘。グレイハウンドの首根っこを掴んだ男が「…ま 来週会った時に返してあげよう 」と極々軽く呟いた言葉で、運転手は自身の中で少しずつ募っていた安堵が容易に砕け散ってしまったのがわかった。
借りパクをまずいと思っている、この男が。
物事を忘れるわけがない、この男が。
そして、誰かと"また"会う"約束"をしている、この男が。
傘が必要な時間帯に会っていた人物は一人しかいなかった。
伊地知は五条をもっと軽い人と信じていた、そしてその軽さの最も冷たいところに、この男の女性へ対する態度の常を置いていた。
きっとそれは間違っていない。間違っていないけれども、一人含まれない特別があることに今気付いてしまったのだ。
かつての懐かしい友人の影を見出せるために特別なのか、異性として特別なのか、そこまでは紐解けないとしても、運転手はこれ以上もう何も聞く気にはなれなかった。
聞いたところで、男から返ってくる答えが例えどんなにふざけたものだとしても、きっとさみしくなってしまう気がしたために。
どんな理由にせよ、折り合いがつく見込みは薄く、幸せとは対極に位置する出口しか伊地知には見えなかったために。
運転手がエンジンをかけた途端、愉快そうに笑うMCの声が静かな車内に突然響いた。
自販機の前で飲み物を選ぶ長身の男から少し離れた場所で、お互いの腕を組んで小突きあっている二人の若い女の子の姿が、先ほどから運転手の視界に入っている。
携帯やらペンやらを持ち、「えっ 一人で聞きに行くのはムリ!」などと小さく騒ぎながらこちらを見ている様子から、さぞ、自分はあの子達にとって邪魔であろう、と伊地知は肩身の狭くなる思いで男の隣に立っていた。
なにか飲みたいからどこか寄れるところあったら停めて。
せっかく道が流れてすぐ、助手席の男から出た要求だった。
自販機の飲み物で構わないと態々付け足すところから、よほど喉が渇いているのだろうと
先ほどの渋滞のためか、入ったサービスエリアは平日にしては随分と人が多かった。
ありきたりな物に囲まれた逸品が普段よりもすこぶる上等に見えてくるのと同じで、人混みの中で立派な白髪は際立って人目をひいて仕方がない。
目立つ男本人は気付いているのか、気付いていないのか、それともそういった状況に慣れ抜いてもう何も感じ得ないのか。コーラは車酔いの強い味方万能薬、と妙な台詞を妙なリズムにのせ、一人歌いながらベンチへ向かってしまった。
自販機前に寂しく残された伊地知は手持ち無沙汰になってしまい、仕方なしに欲しくもない缶珈琲のボタンを押した、と同時、
「僕は本ッ当にグッドガイだから 知らないほうが幸せだよん 」
レディの人生を狂わせるわけにはいかんからね〜。へらへら戯ける男の声が伊地知の耳に届いた。
聞き慣れた調子の声である。
振り返らずとも、何が起きたのか伊地知はすぐ理解した。
きっと、光のよく入る目を親しげに細め、口元には人懐っこい笑みを湛えて戯けているのだろう。
それでいて次の瞬間には、今までの全てを忘れた、といった風にあの男はなるのだ。
伊地知がこういった場面に出くわすのは一度や二度ではなかったが、目立つ男の連絡先を聞くために女性たちがどれだけの勇気を振り絞ったかを考えると、毎度、酷な気持ちに陥ってしまう。
それなのに、今日は何故だか安堵も一緒に添えられている、この妙な心持ち。
珈琲を両手に持ったまま締まりない足取りで五条の元へやってくる伊地知に気付いた二人の女の子は、苦い顔をしてその場から離れていった。
「ごめんね〜 」男は薄情にも手をふっている。
自分が振ったわけでもないのに、真面に彼女達を直視できない伊地知は、おじおじ俯き加減にベンチへ腰掛けた。
隣の男は、すでに飲み干したコーラの空き缶を目の高さまで持ち上げてぶらぶらと揺らしている。
「冗談抜きに コーラってマジで万能薬なんだよ 」
「…コーラが、ですか……」
車酔いにも効くし、頭痛にも効く、それは恐らく香料とカフェインのためだろうーーー
一通りコーラについて語り終えると、男は満足したのか、思いついたように立ち上がり車へ足を向かわせた。
運転手は慌てて残りの珈琲を飲み干し、駆け足で五条を追いかける。
長身の男の一歩は非常に大きい。共に並ぼうとするならば、男が普通に歩こうとも伊地知は小走りをする必要があった。
先程の女の子二人が未だに遠目からこちらを見ていることに途中で伊地知は気付いたものの、先を歩く男に追いつくためには立ち止まるわけにいかなかった。
五条が他人のことを
車に戻った男は普段通り後部座席に腰掛けた。伊地知も普段通り運転席へ乗り込み、シートベルトを締めたその時。
「あ、そこに置いてある傘取って 」
「え? 」
シートベルトへ落としていた目をそのままの方向に持ち上げた所に、男の言う傘はあった。
グレイハウンドの頭部を模した柄は見事な金色の首輪をはめており、アンティークの杖にも思えるほど上等そうに見える。
「随分と凝った傘ですね 」
「よね〜 …さすがに借りパクはまずいかあ 」
「…五条さんの傘ではないのですか? 」
「僕のじゃないよ さっき返し忘れた 」
「さっき…? 」
座席の間から手渡された傘。グレイハウンドの首根っこを掴んだ男が「…ま 来週会った時に返してあげよう 」と極々軽く呟いた言葉で、運転手は自身の中で少しずつ募っていた安堵が容易に砕け散ってしまったのがわかった。
借りパクをまずいと思っている、この男が。
物事を忘れるわけがない、この男が。
そして、誰かと"また"会う"約束"をしている、この男が。
傘が必要な時間帯に会っていた人物は一人しかいなかった。
伊地知は五条をもっと軽い人と信じていた、そしてその軽さの最も冷たいところに、この男の女性へ対する態度の常を置いていた。
きっとそれは間違っていない。間違っていないけれども、一人含まれない特別があることに今気付いてしまったのだ。
かつての懐かしい友人の影を見出せるために特別なのか、異性として特別なのか、そこまでは紐解けないとしても、運転手はこれ以上もう何も聞く気にはなれなかった。
聞いたところで、男から返ってくる答えが例えどんなにふざけたものだとしても、きっとさみしくなってしまう気がしたために。
どんな理由にせよ、折り合いがつく見込みは薄く、幸せとは対極に位置する出口しか伊地知には見えなかったために。
運転手がエンジンをかけた途端、愉快そうに笑うMCの声が静かな車内に突然響いた。