■車内にて
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電光掲示板もラジオも、嘘はついていなかった。
本線に合流してすぐ、ピタリと止まって動かなくなった車の流れ。
こんなことなら下道を使うべきだったと謝る伊地知に対し、時間はあるし構わない、と答えた五条の声色は、さも興味のなさそうな調子で縫われ車内に融けた。
日本人は、人種としてきっと、大凡が大人しく造られているのだろう。
一台一台、暗黙の了解の如し譲り合って合流するところもそうだし、この進まない状況に痺れを切らしクラクションで喚く車が一台たりともいないところだってそうだ。
灰色にくぐもった見通しの中、サンキューハザードを焚く前の車を眺めながら運転手は考えた。
渋滞なんて普段からよくあることなのに、こんなことを敢えて考えてしまうのは、居ても居なくてもさして変わらないほど静かなまのが先まで乗っていたせいかもしれない。
二人は恋人だったんだよ。
じりじりとしか進まない退屈な道路の先を見据えながら、先ほどの言葉が浮かんだ伊地知。
呪詛師の元から救う必要があった人間ということは、かねてから聞いていたとおりまのは一般人の非術師ということなのか。
なぜ五条が二人の関係性を知っているのか。
昨年末その呪詛師が始末されたとはいえ、当時何故まのを一般社会にやすやすと戻したのか。
そもそも、今日なぜ五条は彼女と共に居たのか。
渋滞の退屈故か、約束破りの背徳感故か、散り散りの疑問が次々とわいてくる。
案外にも、聞いたらさらりと隣の男は答えそうな気もするが、元々その呪詛師と親しかったということも風の便りでなんとなくは知っているために、中々踏み込んで聞く気にはなれなかった。
「気になってるんでしょ さっきのこと 」
「えっ 」
顔に書かれてるよと揶揄うように笑う男は、得意にも失意にも思われない至極普段通りの様子であり、何年共に仕事をしてもこの人の本意は捉えきれないな、という変に隔たれた気持ちを伊地知に抱かせる。
「やっぱり私 何か試されてます?」
「…なんでいっつもそーなんの 」
呆れた、とでも言いたげに肩を軽く竦めたあと、少しの休符を挟み、
「伊地知が思ってるほど大袈裟な話じゃない。簡単にいうと もう後の祭りだしね 」
そう呟く五条の声には、意識していなければ見逃してしまう程に僅かな失意が練り込まれていた。
男の発言はぼんやりとしていながら、明らかに伊地知の神経を震わせると同時に、場に不相応な好奇心までをも揺さぶった。
「と、おっしゃいますと… 」
「非術師であるにも関わらず あの子だけは殺さず手元に置いていたのを僕達は把握していたんだ 」
「はあ 」
マジで動かんね、と助手席の男が窓の外を眺めながらぼやいたあとは、それきり、会話は途切れてしまった。
それでだからどうしたというのだ。
進まない道路に募る焦りが感情へ逸りとして移ったのか、逸る感情が進まない道路へ焦りとして移ったのか。
卵が先か鶏が先かの如く、眼前に永遠と続くテールランプの列如く、先が見えないことへ対する不平とも焦燥感ともとれるような感情が運転手の身をじくじくと蝕んでいく。
大袈裟な話ではない、と断られておきながらも、尋常ではないと全神経が警告を発しているのは何故だろう。
人間が理性とは別のところで感じることには、本当は何か理由があるはずである。そしてその理由は無意識のなかにちゃんと眠っている。ただ無意識こそ、先が見えないほどの複雑さを絡ませた、迷宮にも近い存在のために、そこから直ちに理由を探り出すのは到底簡単なことではない。
「……すみません、不得要領なのですが… 」
「焦らない焦らない。この様子だとまだ当分着かなさそうだ 順を追って話そう 」
10年近くにおよぶ記憶のページを一気に捲ろうとする男の瞳は、遠く遠く真っ直ぐを見つめたまま動かない。
順を追って分かりやすく説明する気など端からないくせに、明晰な男の頭は、驚くべき精密さで時計の針を逆さに回していく。
忘れるに任せておくことが、結局最も美しく思い出すということだ。しだいに崩れていく記憶に追い縋ってはいけない。曖昧のまま放っておくことが、なにより美しく思い出すためのきまりごとである。
そのきまりごとを、男は頭の良さのためから守ることができない。悲しい長所だった。
人為的に消されてしまったために崩れる記憶さえない女と、切れる頭を持つが故に美しいだけでは思い出すことが出来ない男の話を、伊地知は果たして理解することができるのだろうか。
本線に合流してすぐ、ピタリと止まって動かなくなった車の流れ。
こんなことなら下道を使うべきだったと謝る伊地知に対し、時間はあるし構わない、と答えた五条の声色は、さも興味のなさそうな調子で縫われ車内に融けた。
日本人は、人種としてきっと、大凡が大人しく造られているのだろう。
一台一台、暗黙の了解の如し譲り合って合流するところもそうだし、この進まない状況に痺れを切らしクラクションで喚く車が一台たりともいないところだってそうだ。
灰色にくぐもった見通しの中、サンキューハザードを焚く前の車を眺めながら運転手は考えた。
渋滞なんて普段からよくあることなのに、こんなことを敢えて考えてしまうのは、居ても居なくてもさして変わらないほど静かなまのが先まで乗っていたせいかもしれない。
二人は恋人だったんだよ。
じりじりとしか進まない退屈な道路の先を見据えながら、先ほどの言葉が浮かんだ伊地知。
呪詛師の元から救う必要があった人間ということは、かねてから聞いていたとおりまのは一般人の非術師ということなのか。
なぜ五条が二人の関係性を知っているのか。
昨年末その呪詛師が始末されたとはいえ、当時何故まのを一般社会にやすやすと戻したのか。
そもそも、今日なぜ五条は彼女と共に居たのか。
渋滞の退屈故か、約束破りの背徳感故か、散り散りの疑問が次々とわいてくる。
案外にも、聞いたらさらりと隣の男は答えそうな気もするが、元々その呪詛師と親しかったということも風の便りでなんとなくは知っているために、中々踏み込んで聞く気にはなれなかった。
「気になってるんでしょ さっきのこと 」
「えっ 」
顔に書かれてるよと揶揄うように笑う男は、得意にも失意にも思われない至極普段通りの様子であり、何年共に仕事をしてもこの人の本意は捉えきれないな、という変に隔たれた気持ちを伊地知に抱かせる。
「やっぱり私 何か試されてます?」
「…なんでいっつもそーなんの 」
呆れた、とでも言いたげに肩を軽く竦めたあと、少しの休符を挟み、
「伊地知が思ってるほど大袈裟な話じゃない。簡単にいうと もう後の祭りだしね 」
そう呟く五条の声には、意識していなければ見逃してしまう程に僅かな失意が練り込まれていた。
男の発言はぼんやりとしていながら、明らかに伊地知の神経を震わせると同時に、場に不相応な好奇心までをも揺さぶった。
「と、おっしゃいますと… 」
「非術師であるにも関わらず あの子だけは殺さず手元に置いていたのを僕達は把握していたんだ 」
「はあ 」
マジで動かんね、と助手席の男が窓の外を眺めながらぼやいたあとは、それきり、会話は途切れてしまった。
それでだからどうしたというのだ。
進まない道路に募る焦りが感情へ逸りとして移ったのか、逸る感情が進まない道路へ焦りとして移ったのか。
卵が先か鶏が先かの如く、眼前に永遠と続くテールランプの列如く、先が見えないことへ対する不平とも焦燥感ともとれるような感情が運転手の身をじくじくと蝕んでいく。
大袈裟な話ではない、と断られておきながらも、尋常ではないと全神経が警告を発しているのは何故だろう。
人間が理性とは別のところで感じることには、本当は何か理由があるはずである。そしてその理由は無意識のなかにちゃんと眠っている。ただ無意識こそ、先が見えないほどの複雑さを絡ませた、迷宮にも近い存在のために、そこから直ちに理由を探り出すのは到底簡単なことではない。
「……すみません、不得要領なのですが… 」
「焦らない焦らない。この様子だとまだ当分着かなさそうだ 順を追って話そう 」
10年近くにおよぶ記憶のページを一気に捲ろうとする男の瞳は、遠く遠く真っ直ぐを見つめたまま動かない。
順を追って分かりやすく説明する気など端からないくせに、明晰な男の頭は、驚くべき精密さで時計の針を逆さに回していく。
忘れるに任せておくことが、結局最も美しく思い出すということだ。しだいに崩れていく記憶に追い縋ってはいけない。曖昧のまま放っておくことが、なにより美しく思い出すためのきまりごとである。
そのきまりごとを、男は頭の良さのためから守ることができない。悲しい長所だった。
人為的に消されてしまったために崩れる記憶さえない女と、切れる頭を持つが故に美しいだけでは思い出すことが出来ない男の話を、伊地知は果たして理解することができるのだろうか。