■車内にて
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まのは---番地のドラッグストアで降りた。
それしかまのが言わなかったため、伊地知はそこまでしか車を動かせなかったのだ。
変わらず雨が降っていてくれさえすれば、まのは傘のことを言い出せたのに、お天道様は親切なのか不親切なのか、どういうわけか雨を上げてしまったために、手ぶらなまのはただ突っ立って黒い車が去っていくのを見送った。
じゃーねー。
とまのに手を振ったきり、助手席の男は腕を組んで一言たりとも話さなくなった。
無事まのを降ろし、素直に伊地知は一難去ったと思っていた矢先、五条のだんまりである。
聞かなければならないことは業務連絡含め山ほどあるが、男の閉口に静かな威圧を感じるために、伊地知はたまらなくなりラジオを捻ると、きれいな時はきっと短く 失くすものだけ多くなるから、と歌う女の声が流れてきた。
「古いね なんだっけこれ 」
「さあ…私は演歌はあまり… 」
それきり、また車内の会話は途絶えてしまう。
何故こんなにも威圧を感じるのか、伊地知は考えてすぐハッとした。この大柄な男が助手席に座っているからではなかろうか。
思えばこんなこと尋常ではなかった。上層部の人間と同乗した時だって何食わぬ顔でしれっと上座に腰掛けていたこの五条が。
美しいハーモニカの音で曲が締めくくられようとしているが、やはり只事ではないのだと察知した伊地知の耳にはけたたましい雑音として鳴り響く。
「予定は午後からに変更されましたけど、一度高専に戻ります?」
精一杯に平生の調子を装って放った言葉に対して、五条の回答は素っ気ないものだった。
このまま目的地に行け、という旨を呟いたきり、またもだんまりを決め込む五条。
これから乗ろうとしている首都高に事故渋滞が発生しているとラジオが伝えているが、余所のことであたまがいっぱいの運転手はそれどころではなかった。
「あの…五条さん 」
「なに? 」
「お言葉ですがあの方は、その…じゅそ 夏油さんの所にいらした…方なのでは。」
「そうだよ 」
白髪の男の返答にこれといった特徴はなく、いつも通りの調子でけろりと答えてきたものだから、責めるにせよ理由を聞くにせよ、運転手の男は大変やりづらい。ここで言い訳のひとつでもしてくれたのなら、そこから聞き出せたというのに。
「そうだよって…五条さんあなたお忘れですか、あの方には金輪際近寄らないって約束、… 」
タイミングよく赤信号に捕まったため助手席へ顔を向けると、退屈そうな顔をさせた男が「なに説教?」と口の端だけを上げたいい加減な笑みを浮かべて、これまたいい加減な返事を寄越してきた。
しかしその男の口調や顔つきには、隠すことは何もないとでも言いたげな、投げやりとも表せそうな一種の清々しさがあるようにも思える。
伊地知は取り決めがあった当時、同席はしたものの、ことの詳細などは聞かされていなかった。
高専から離反した呪詛師の元から五条が救いあげてきた一般人、程度の認識。
一週間ほど高専内で入院していたまのの処遇が決まり、社会へかえす最終日にひと目見たが、あまりに表情乏しくおとなしかったために、大した印象は持ち得なかった。
特筆すべきことといえば、ごく稀に、それこそ年にいっぺん程、親展の印が押された手紙がまのから家入硝子宛に届くため、他にバレないようこっそり彼女へ届けに行くこと。それを自分は密かに楽しみにしていること。そして、受け取る時にはいつも家入硝子が少し悲しそうな顔をすること。それだけ。
だが、考えてみると不可解なものだ。
何故、傷ひとつなかったまのを一週間も学校で預かっていたのか。
何故、我々は彼女に関わってはならないのか。
彼女は一体何者だったのか。
ラジオは、わたしの秋の思い出、というコーナーに変わったようだ。リスナーから寄せられた手紙を読み上げるMCの声は非常に落ち着いており、誰のことも苛立たせないような滑らかな調子であったが、伊地知には雑音同然として右から左に抜ける。
「五条さん… 」
「なに?」
「…あの方は 何者なのですか 」
さっき自分で言ったじゃん、けたけた笑う男の表情は、運転をしているために読み取れないが、きっとまた、あのいい加減な顔をしているに違いない。
わたしの秋の思い出は、大学受験に向けて勉強漬けだったことです、本当に辛かったですが、あの時があったからこそ、今は恋人にも友人にも恵まれた最高のキャンパスライフを送れています、とのことで、努力は必ず報われる、ということでしょうかね、辛い時があっ「それ説教の続き?それとも好奇心? 」
「えっ 」
また普段どおり、和紙のように軽くひらひらと逃げられてしまったのだと思っていた。
ラジオからの滑らかな声が、ざらりとした五条の声に遮られた瞬間、終わってしまったと思っていた話題が戻ってきたのだ、とはすぐには理解できなかった運転手。
もうすぐそこに首都高への入り口が見えている。手前に設置された電光掲示板が事故渋滞の文字を光らせているが、運転手の目には入らない。助手席の男は、さあ、どうだろう。
「正直…半々、といったところでしょうか 」
本当に正直なところだった。それに今、この男の前で嘘をつくのは得策ではないような気がした。ために発言したはいいものの、言ったそばからこれは誤りだったというような気持ちが湧いてきて、ハンドルから離せない手に汗が滲み始めているのがわかる。頭をかくなり、眼鏡をなおすなり、何かで気を紛らわせたかった。
「ははっ いいね正直で 」
「、すみません 出過ぎた真似をしました 」
「二人は恋人だったんだよ 」
真っ直ぐ前を見つめたまま、声の調子も変えずに、本当に普段と同じ様子で呟く白髪の男。
打つべき相槌がぱっと出てこない伊地知は、大いに驚いている。
勿論、回答の内容についても驚いた。
だが、寧ろ心底では、内容よりもその調子について改めて驚いていた。
この人は直立不動でどんな話だって出来るのだ、と。
自分なら、なにかつかめる物や飲むことが出来る物や、それこそ許されるのならば、ぶらぶらさせる脚が要る。それらに頼る必要がある。
しかし、この男にはそういった類のものが必要ないのだ。
羨ましいとは思えなかった。
それしかまのが言わなかったため、伊地知はそこまでしか車を動かせなかったのだ。
変わらず雨が降っていてくれさえすれば、まのは傘のことを言い出せたのに、お天道様は親切なのか不親切なのか、どういうわけか雨を上げてしまったために、手ぶらなまのはただ突っ立って黒い車が去っていくのを見送った。
じゃーねー。
とまのに手を振ったきり、助手席の男は腕を組んで一言たりとも話さなくなった。
無事まのを降ろし、素直に伊地知は一難去ったと思っていた矢先、五条のだんまりである。
聞かなければならないことは業務連絡含め山ほどあるが、男の閉口に静かな威圧を感じるために、伊地知はたまらなくなりラジオを捻ると、きれいな時はきっと短く 失くすものだけ多くなるから、と歌う女の声が流れてきた。
「古いね なんだっけこれ 」
「さあ…私は演歌はあまり… 」
それきり、また車内の会話は途絶えてしまう。
何故こんなにも威圧を感じるのか、伊地知は考えてすぐハッとした。この大柄な男が助手席に座っているからではなかろうか。
思えばこんなこと尋常ではなかった。上層部の人間と同乗した時だって何食わぬ顔でしれっと上座に腰掛けていたこの五条が。
美しいハーモニカの音で曲が締めくくられようとしているが、やはり只事ではないのだと察知した伊地知の耳にはけたたましい雑音として鳴り響く。
「予定は午後からに変更されましたけど、一度高専に戻ります?」
精一杯に平生の調子を装って放った言葉に対して、五条の回答は素っ気ないものだった。
このまま目的地に行け、という旨を呟いたきり、またもだんまりを決め込む五条。
これから乗ろうとしている首都高に事故渋滞が発生しているとラジオが伝えているが、余所のことであたまがいっぱいの運転手はそれどころではなかった。
「あの…五条さん 」
「なに? 」
「お言葉ですがあの方は、その…じゅそ 夏油さんの所にいらした…方なのでは。」
「そうだよ 」
白髪の男の返答にこれといった特徴はなく、いつも通りの調子でけろりと答えてきたものだから、責めるにせよ理由を聞くにせよ、運転手の男は大変やりづらい。ここで言い訳のひとつでもしてくれたのなら、そこから聞き出せたというのに。
「そうだよって…五条さんあなたお忘れですか、あの方には金輪際近寄らないって約束、… 」
タイミングよく赤信号に捕まったため助手席へ顔を向けると、退屈そうな顔をさせた男が「なに説教?」と口の端だけを上げたいい加減な笑みを浮かべて、これまたいい加減な返事を寄越してきた。
しかしその男の口調や顔つきには、隠すことは何もないとでも言いたげな、投げやりとも表せそうな一種の清々しさがあるようにも思える。
伊地知は取り決めがあった当時、同席はしたものの、ことの詳細などは聞かされていなかった。
高専から離反した呪詛師の元から五条が救いあげてきた一般人、程度の認識。
一週間ほど高専内で入院していたまのの処遇が決まり、社会へかえす最終日にひと目見たが、あまりに表情乏しくおとなしかったために、大した印象は持ち得なかった。
特筆すべきことといえば、ごく稀に、それこそ年にいっぺん程、親展の印が押された手紙がまのから家入硝子宛に届くため、他にバレないようこっそり彼女へ届けに行くこと。それを自分は密かに楽しみにしていること。そして、受け取る時にはいつも家入硝子が少し悲しそうな顔をすること。それだけ。
だが、考えてみると不可解なものだ。
何故、傷ひとつなかったまのを一週間も学校で預かっていたのか。
何故、我々は彼女に関わってはならないのか。
彼女は一体何者だったのか。
ラジオは、わたしの秋の思い出、というコーナーに変わったようだ。リスナーから寄せられた手紙を読み上げるMCの声は非常に落ち着いており、誰のことも苛立たせないような滑らかな調子であったが、伊地知には雑音同然として右から左に抜ける。
「五条さん… 」
「なに?」
「…あの方は 何者なのですか 」
さっき自分で言ったじゃん、けたけた笑う男の表情は、運転をしているために読み取れないが、きっとまた、あのいい加減な顔をしているに違いない。
わたしの秋の思い出は、大学受験に向けて勉強漬けだったことです、本当に辛かったですが、あの時があったからこそ、今は恋人にも友人にも恵まれた最高のキャンパスライフを送れています、とのことで、努力は必ず報われる、ということでしょうかね、辛い時があっ「それ説教の続き?それとも好奇心? 」
「えっ 」
また普段どおり、和紙のように軽くひらひらと逃げられてしまったのだと思っていた。
ラジオからの滑らかな声が、ざらりとした五条の声に遮られた瞬間、終わってしまったと思っていた話題が戻ってきたのだ、とはすぐには理解できなかった運転手。
もうすぐそこに首都高への入り口が見えている。手前に設置された電光掲示板が事故渋滞の文字を光らせているが、運転手の目には入らない。助手席の男は、さあ、どうだろう。
「正直…半々、といったところでしょうか 」
本当に正直なところだった。それに今、この男の前で嘘をつくのは得策ではないような気がした。ために発言したはいいものの、言ったそばからこれは誤りだったというような気持ちが湧いてきて、ハンドルから離せない手に汗が滲み始めているのがわかる。頭をかくなり、眼鏡をなおすなり、何かで気を紛らわせたかった。
「ははっ いいね正直で 」
「、すみません 出過ぎた真似をしました 」
「二人は恋人だったんだよ 」
真っ直ぐ前を見つめたまま、声の調子も変えずに、本当に普段と同じ様子で呟く白髪の男。
打つべき相槌がぱっと出てこない伊地知は、大いに驚いている。
勿論、回答の内容についても驚いた。
だが、寧ろ心底では、内容よりもその調子について改めて驚いていた。
この人は直立不動でどんな話だって出来るのだ、と。
自分なら、なにかつかめる物や飲むことが出来る物や、それこそ許されるのならば、ぶらぶらさせる脚が要る。それらに頼る必要がある。
しかし、この男にはそういった類のものが必要ないのだ。
羨ましいとは思えなかった。