■喫茶店にて
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「やっほ〜 今日も浮かない顔してるねえ、お嬢さん」
入口のドアに付けられた磨りガラスから、容赦なく差し込んでくる西日を背に立つ男を、まのは軋む首筋で見上げた。
『 … 、』
嫋 やかな紙にしどけなく転がり続ける文字だけを相手にしていたまのに、彼はあまりにまぶしかった。
続く沈黙。
男がひらひらと振り続ける大きな手だけが、今この瞬間動く唯一になり始め、寂しさを誘う。
「〜〜… 、おいおい…白けるなあ〜 、ここ、失礼〜 」
ど。と大袈裟に腰掛ける男の左頬に西陽があたり、まのはやはりまぶしい。
先程まで、紅茶一杯だけしか置かれていなかったこの2人掛けのテーブルは、大柄な男が追加されると非常に手狭に感じる。
ちら、と男を盗み見ると、綺麗とは言い難い使い古された手書きのメニューをつまんで見ていた。
当時から変わらんのね と男は頬杖をつきながら呟いている。
東京都。
名だけが付く場所は山ほどあって、ネオン煌めく大都会はその中のほんの一握りであり、大凡は近隣の県と大差なく、今二人がいるこの喫茶店も写真として切り取ってしまえば本当に東京都かどうかだなんて怪しいものだ。
変わらないな。と五条は思った。
運ばれてきた珈琲が深煎りであるところも、色褪せたアンリ・ルソーの「夢」の複製が飾られているのも、入口に近い2人掛け席のソファ側に腰掛けているところも、会話が続かないところも、言いつけをきちんと守り続けるところも、前から少しも変わらない。
とく、と音を立てて角砂糖が五個珈琲の海へ沈んだ。
その様子を、居心地の悪そうなまのが少し見てはまた目を伏せる。
"その飲み方はやめたほうがいい、悟“
「 君もいけないと思う?この飲み方」
『………。はあ…』
口の端を少し持ち上げて頬杖をついた男は、目の前のいかにも気の小さそうな女の子に突然問いかける。
案の定、急に話しかけられたまのは、困惑と多少の恐れを含んだ眼差しを向けたあと、また俯いて一言だけ答えた。
一瞬男に向けられた黒曜石の如く黒く湿った瞳と、それを隠そうと努める長いまつ毛、また、俯いた時にぱらと落ちた青みがさすほど真黒な髪の毛も、どれも掬い出せないかもしれないと思うほど黒が深かった。
挽きたての珈琲の海に溺れていった純白の角砂糖達は、瞬く間に黒を吸い取っていく。
視線の置き場が分からないまのは、汚れていく彼女等の事を見つめるしかなかった。
しまいに男がティースプーンを手に取りそれ等をかき混ぜ始めると、またまのは居心地が悪くなり不自然に眼を泳がせた。
挨拶もし損ねたまの。金属と陶器が擦れる音を聞いていると、何故だか急かされている気持ちになり不自然な目はより一層どこに落ち着ければいいのか分からなくなってしまい、なんだか泣き出しそうになる。
意を決して、しかし勢いはまるでなしに、そっと男を見上げてみる。と。
「ようやっと顔を上げたね〜 嫌われたのかと思ったよ 」
『いえ… 、…こんにちは、』
嫌われただなんて満更でもなさそうに大口を開けながら体を乗り出して笑った男に対して、肩を落としたくなるような細い間の抜けた挨拶を返したまの。
「ハハッ、一拍…いや、二拍遅れてるよね君は むかしっから!」
こりゃいいやと言わんばかりに椅子に深く腰掛け直し大袈裟に肩を上下させ笑う白髪の男。
まあ、そういうところも含めて好きだったんだろうね。
とは決して教えてあげない薄情の男。
夕方の喫茶店にはまのを含め鎮静剤を打たれたのかと疑いたくなるほど静かな客しかいないために、大柄な男が作り出すよく通る笑い声は非常に悪目立ちした。
五条の奥に腰かけて新聞を読んでいた男性が紙面から顔を外しこちらの様子を窺っている。また俯き始めるまの。
俯くと詰めた襟がより窮屈そうにも諦めが悪そうにも見える。
"私のカワイコチャンは首元の警戒が随分とお粗末なんじゃない?"
黒髪を一纏めにくくったボンタン男はそう言いながら、入口の二人掛け席の椅子に腰掛けたまのの首根っこを世にも優しく背後から捕まえた。
あんまり優しく捕まえたものだから、捕まった側はゆるりと後ろを見上げ、室内飼いの犬みたく従順に瞳を向けてきた。
丸見えだよ、その上の窓から君が座ってんの。長身の白髪男が自分の目線と同じくらいについている横長の窓を指差してニヤリと口角をあげる。悟、言い方。と一纏めの男が制す。
ただ、こんな首元が開いた服はいただけないな、あと、そっちの奥のソファに座りなさい、背後を迂闊にみせてはいけないよ。あれこれVネックワンピースを着たまのに注文をつけるとようやっとメニューを手にした一纏めの男。そんな様子を隣の椅子に腰掛けにやにや眺める青眼の青年。
「ねえ、何読んでたの 」
淑女達が沈められた珈琲には手をつけず、頬杖をついたままだと思っていた目の前の男に急に差し出された質問。
その瞬間、人が行き交う渋谷の雑踏に落とした栞が脳裏を照らした。
何を。読んでたの。
この質問は、と思った。が、この質問は、のその後はどうしても思い出せなかった。
『なにを… 』
ある小説家が、強い光を見るとそこに幻想が映ることがある、それはフィルムのように音なく再生されるのだが、それが自分にとって大切だけれども思い出さないように仕舞っている何かを呼び起こしそうな気がして叫び狂いそうになる。といったことをどこかに書いていたことをまのは思い出した。いつ読んだのか、将又誰が描いていたのかは忘れてしまった。
ただ、目の前の男の左頬に差し込む強い西日を見て、なぜか渋谷の雑踏と落とした栞がそこに、いや、脳内に映り込んだのだ。
読んでいた本をもたもた仕舞うと、溶かされていく大量の角砂糖を凝視し、そして突然の挨拶をしたかと思うと、何かを見出そうとするように目前の男を見つめ続けるまの。
キューがエーで返ってこない、会話とも呼べない会話。
日常が過度の厳しさと忙しなさで構築されている男とは、対極に位置しているものを象徴する時間がそこには流れていた。
入口のドアに付けられた磨りガラスから、容赦なく差し込んでくる西日を背に立つ男を、まのは軋む首筋で見上げた。
『 … 、』
続く沈黙。
男がひらひらと振り続ける大きな手だけが、今この瞬間動く唯一になり始め、寂しさを誘う。
「〜〜… 、おいおい…白けるなあ〜 、ここ、失礼〜 」
ど。と大袈裟に腰掛ける男の左頬に西陽があたり、まのはやはりまぶしい。
先程まで、紅茶一杯だけしか置かれていなかったこの2人掛けのテーブルは、大柄な男が追加されると非常に手狭に感じる。
ちら、と男を盗み見ると、綺麗とは言い難い使い古された手書きのメニューをつまんで見ていた。
当時から変わらんのね と男は頬杖をつきながら呟いている。
東京都。
名だけが付く場所は山ほどあって、ネオン煌めく大都会はその中のほんの一握りであり、大凡は近隣の県と大差なく、今二人がいるこの喫茶店も写真として切り取ってしまえば本当に東京都かどうかだなんて怪しいものだ。
変わらないな。と五条は思った。
運ばれてきた珈琲が深煎りであるところも、色褪せたアンリ・ルソーの「夢」の複製が飾られているのも、入口に近い2人掛け席のソファ側に腰掛けているところも、会話が続かないところも、言いつけをきちんと守り続けるところも、前から少しも変わらない。
とく、と音を立てて角砂糖が五個珈琲の海へ沈んだ。
その様子を、居心地の悪そうなまのが少し見てはまた目を伏せる。
"その飲み方はやめたほうがいい、悟“
「 君もいけないと思う?この飲み方」
『………。はあ…』
口の端を少し持ち上げて頬杖をついた男は、目の前のいかにも気の小さそうな女の子に突然問いかける。
案の定、急に話しかけられたまのは、困惑と多少の恐れを含んだ眼差しを向けたあと、また俯いて一言だけ答えた。
一瞬男に向けられた黒曜石の如く黒く湿った瞳と、それを隠そうと努める長いまつ毛、また、俯いた時にぱらと落ちた青みがさすほど真黒な髪の毛も、どれも掬い出せないかもしれないと思うほど黒が深かった。
挽きたての珈琲の海に溺れていった純白の角砂糖達は、瞬く間に黒を吸い取っていく。
視線の置き場が分からないまのは、汚れていく彼女等の事を見つめるしかなかった。
しまいに男がティースプーンを手に取りそれ等をかき混ぜ始めると、またまのは居心地が悪くなり不自然に眼を泳がせた。
挨拶もし損ねたまの。金属と陶器が擦れる音を聞いていると、何故だか急かされている気持ちになり不自然な目はより一層どこに落ち着ければいいのか分からなくなってしまい、なんだか泣き出しそうになる。
意を決して、しかし勢いはまるでなしに、そっと男を見上げてみる。と。
「ようやっと顔を上げたね〜 嫌われたのかと思ったよ 」
『いえ… 、…こんにちは、』
嫌われただなんて満更でもなさそうに大口を開けながら体を乗り出して笑った男に対して、肩を落としたくなるような細い間の抜けた挨拶を返したまの。
「ハハッ、一拍…いや、二拍遅れてるよね君は むかしっから!」
こりゃいいやと言わんばかりに椅子に深く腰掛け直し大袈裟に肩を上下させ笑う白髪の男。
まあ、そういうところも含めて好きだったんだろうね。
とは決して教えてあげない薄情の男。
夕方の喫茶店にはまのを含め鎮静剤を打たれたのかと疑いたくなるほど静かな客しかいないために、大柄な男が作り出すよく通る笑い声は非常に悪目立ちした。
五条の奥に腰かけて新聞を読んでいた男性が紙面から顔を外しこちらの様子を窺っている。また俯き始めるまの。
俯くと詰めた襟がより窮屈そうにも諦めが悪そうにも見える。
"私のカワイコチャンは首元の警戒が随分とお粗末なんじゃない?"
黒髪を一纏めにくくったボンタン男はそう言いながら、入口の二人掛け席の椅子に腰掛けたまのの首根っこを世にも優しく背後から捕まえた。
あんまり優しく捕まえたものだから、捕まった側はゆるりと後ろを見上げ、室内飼いの犬みたく従順に瞳を向けてきた。
丸見えだよ、その上の窓から君が座ってんの。長身の白髪男が自分の目線と同じくらいについている横長の窓を指差してニヤリと口角をあげる。悟、言い方。と一纏めの男が制す。
ただ、こんな首元が開いた服はいただけないな、あと、そっちの奥のソファに座りなさい、背後を迂闊にみせてはいけないよ。あれこれVネックワンピースを着たまのに注文をつけるとようやっとメニューを手にした一纏めの男。そんな様子を隣の椅子に腰掛けにやにや眺める青眼の青年。
「ねえ、何読んでたの 」
淑女達が沈められた珈琲には手をつけず、頬杖をついたままだと思っていた目の前の男に急に差し出された質問。
その瞬間、人が行き交う渋谷の雑踏に落とした栞が脳裏を照らした。
何を。読んでたの。
この質問は、と思った。が、この質問は、のその後はどうしても思い出せなかった。
『なにを… 』
ある小説家が、強い光を見るとそこに幻想が映ることがある、それはフィルムのように音なく再生されるのだが、それが自分にとって大切だけれども思い出さないように仕舞っている何かを呼び起こしそうな気がして叫び狂いそうになる。といったことをどこかに書いていたことをまのは思い出した。いつ読んだのか、将又誰が描いていたのかは忘れてしまった。
ただ、目の前の男の左頬に差し込む強い西日を見て、なぜか渋谷の雑踏と落とした栞がそこに、いや、脳内に映り込んだのだ。
読んでいた本をもたもた仕舞うと、溶かされていく大量の角砂糖を凝視し、そして突然の挨拶をしたかと思うと、何かを見出そうとするように目前の男を見つめ続けるまの。
キューがエーで返ってこない、会話とも呼べない会話。
日常が過度の厳しさと忙しなさで構築されている男とは、対極に位置しているものを象徴する時間がそこには流れていた。
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