氷姫は残照に熔く
『婚約破棄の理由が、知りたくて来た』
『…すまなかった』
アスランは気づいていた。
結局、婚約破棄の理由を話してもらえていないことに。
単に王宮が嫌で、自由に暮らしたかっただけなのか・・・・?
一生、ここで・・・?
「畑や料理は、乳母夫婦に教わったの?」
アスランが聞けることといえばこれくらいだった。
この隠れ家は乳母夫婦によって作られたものだと、すでに彼女は認めている。
「ああ。うちの一族は、12歳まで市井で育てられることが慣例なんだ。民の生活をじかに知るようにって」
「あ、そうか…生活…。俺の食費とか迷惑かけるだろう、このお金を使ってくれないか」
アスランは自分の荷物からジャラリと音がする皮袋を取り出した。
するとカガリはふっと笑ってそれを遮った。
「こんな山奥で金貨や銀貨なんて使ったら、大騒ぎになってすぐ見つかっちゃうよ。このあたりでは物々交換が主だ」
「そ、そうか…。すまない」
「食料は余裕があるから気にしなくていい。でも……それなら、物々交換しようか」
「えっ」
「代わりに私に剣を教えてほしい!もちろん、ベッドから口頭で指導してくれるだけでいいから」
「け、剣!?」
剣だけは、さすがにカガリも乳母夫婦から教えてもらえなかった。
城で書物から学んだり、騎士団の訓練を見て回ったり、自室で素振りなどはしていたが。
ここのベッドの横に立てかけてあるアスランの剣を見るたび、カガリはこっそり借りようかと思っていたほどだった。
「護衛も連れず単独行動が許されてるくらいだから、相当な腕前なんだろう?」
「う…、まあ…」
事実、アスランの剣の腕は一国の騎士団長レベルだった。
過去に王族の護衛にスパイが紛れ込んでいたこともあったため、護衛をつけないことは許されている。
「でも…、本当にそんなお返しでいいのか。女性が剣術なんて身につける必要はないだろう?」
「……私には、必要なんだ」
カガリはなにか意味を含んだまなざしを窓の外に向けた。
一瞬だけ戻った、“公女”としての顔。
それは、カガリがここで一生を終えるわけではないということを意味していた。
しかしアスランは、山で身を守るためだろうか…とぼんやり思うくらいだった。