氷姫は残照に熔く
連れ戻しに?
それとも婚約破棄の復讐に?
収監、折檻、拷問―――
思いつく限り最悪のものが頭に浮かんだとき、カガリの震える指をアスランの手がそっとなだめた。
「…ただ、聞きたかったんだ。きみがなぜあんなことをしたのか」
「……え」
「婚約破棄の理由が、知りたくて来た」
アスランの、切実な瞳。
生真面目さを物語るような声。
そこで初めて、カガリは彼の人柄に触れたような気がした。
体のこわばりが解けていく・・。
「それだけ……?」
「それだけだよ」
カガリは小さく息を吐いて、しばらく俯いた。
彼の本心を飲み込んだとき、少なからずショックを受け、罪悪感に苛まれたのだ。
「……」
私はなぜ、こんなことにも思い至らなかったのか……。
「…すまなかった」
「……なにが?」
神妙に謝罪するカガリの顔を、アスランが覗き込んだ。
「私は、二国間の関係や、自分の国のことしか考えてなかったんだって、今気づいた…」
公女という立場でしか物事を見れていなかった…。
公女である前に、人として向き合わなければならなかった。
“婚約”とは相手あってこそのものなのに。
「お前の気持ちを考えず、一方的にあんなことをして…本当にすまなかった…」
私は一人の人間として、この人を傷つけたんだ・・・。
――しばらくの沈黙。
アスランはなにも言わず、カガリは顔を上げられなかった。
「…ここには一人で住んでるの?」
「え…、ああ」
「逃亡も、一人で?」
カガリが顔を上げて頷くと、アスランは安堵したような笑みを向けていた。
「…あの…?」
「俺はきみに命を助けてもらって、手当までしてもらったよ。それでチャラにしよう」
「……」
カガリは目の前の人物を正面から見つめた。
その翡翠の瞳は、王宮で見たどの宝石より美しい気がした。
この人が・・・私が結婚するはずだった人。
「それにしても…。きみは乗馬だけじゃなく、骨折や脱臼の処置までできるのか…すごいな」
「あっ…」
乗馬という言葉に、カガリは強く反応した。
「ごめん、まだお前に言ってなかったことが―――」