このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

飼われる話

飼われる話



 気を失う前に手足を拘束していた鉄かせは、消えていた。代わりと言わんばかりに、首に違和感がある。
 触ってみると、犬猫がつけるような、硬くて厚いベルトの首輪がついていた。

 外そうと試みるも、外れない。金具がカチャカチャと音を立てる。鍵が必要なのかもしれなかった。
 精神的な不快感を除けば、特別、困るわけではない。外すのは後回しにした。

 他におかしなところはないか、自身を見下ろす。

 清潔な服を着せられていた。オークション会場で着せられたような布きれではない。しわも毛玉もない、半袖のシャツとゆったりしたボトムスだ。新品だろうか。

 シャツの肌触りを確かめるように胸元に触れて、俺はハッとした。


「ロザリオ……」


 オークション会場ですべての所持品を取り上げられたが、あれだけは死守したはずだ。注射を打たれて気絶させられる直前まで、ちゃんと首に下げていたはずだ。

 慌てて探すと、幸いすぐに見つかる。
 枕元の細長い台座にロザリオはあった。長いチェーンが本体に巻き付けられ、ひとまとめにされている。

 木製のロザリオ。
 女神が十字架にはりつけにされているような、もしくは女神が十字架を背負っているような、すこし凝った造形だった。使い古されて、細かい部分は欠けたり凹んだりしている。たしかに自分の物だ。
 これは、赤ん坊の頃に孤児院の前に捨てられた俺にとって、親との唯一のつながりだった。このロザリオが親代わりと言い換えてもいいかもしれない。どれだけ苦しい瞬間でも、これを握り締めれば、不思議と心が軽くなった。大切なお守りだ。

 ホッとしながら首に掛けて、ロザリオを握る。
 なめらかな木製の女神をなでながら、すこし落ち着いてきた頭で、ゆっくりと周囲を見渡した。

 広い部屋だった。
 壁紙には細かい模様が施され、床は光沢のある組み木で仕上げられている。メンテナンスが行き届いていないのか、一部はワックスが剥がれている。
 家具はアンティーク調のものが多かった。いま俺がへたり込んでいるベッドも同じで、分厚くも軽い布団には、蔦や鳥が複雑に絡み合ったような刺繍がされている。

 まるで異国の貴族の宮殿かのようだ。テレビドラマか映画にでも出てくるセットか、もしくは外国の観光地にありそうだ。

 しかし、妙に生活感もあった。
 ベッドからすこし離れたところにあるテーブルが散らかっている。ごついガラスの灰皿に、細い煙管。手に乗るぐらいの膨らんだ布袋。そして、ハードカバーの本が数冊。一冊は開いた状態でテーブルに伏せられている。
 他にもいろいろあるように見えたが、部屋が暗く、それ以上はわからなかった。

 部屋の光源は、たった一つの窓だけだった。そこから差し込む白い光は眩しかったが、それ以外は、より暗い闇に沈んでいる。

 一体、ここはどこなのか。

 窓の景色を見れば少しは分かるだろうかと、窓に近いほうのベッド端へと、這って移動しようとしたとき。


「あら。もう目が覚めましたか」


 男の声に、俺はびくりと跳ねた。
 次いで、ドアの閉じる音がする。

 いつのまに部屋にやってきたのだろう。音の聞こえた薄闇へと目を向ければ、男がゆっくり近づいてきていた。組み木細工の床をコツコツと鳴らしながら、男が陽光の中に出てくる。

 銀色の長髪に、濃い麦色の肌の男だった。体格も、平均的な人よりずっと大きい。
 この国の人間ではない。けれども、よく見る西の異国人とも違う。異国人と言えば金髪碧眼だ。
 この男はどこの国の人間なのだろうか。銀色の髪など、見たことも聞いたこともない。ただ、顔立ちはどことなく華人に近い気がした。

 図体に見合わず、男の表情は柔らかかった。目元のしわがより男の威圧感を打ち消している。
 こんな状況でなけりゃ、品と金払いが良さそうな外国人だな、ぐらいにしか思わなかっただろう。

 男がベッドのそばまでやってきて、足を止めた。

 見下ろされる形になると、やはりその図体の大きさに気圧されかける。
 俺は口を引き結んで、眉間に力を入れて睨みつけた。

 男は、俺の威嚇なんてまったく気にならないようだった。目が細められる。
1/4ページ
スキ