飼われる話
飼われる話
気を失う前に手足を拘束していた鉄かせは、消えていた。代わりと言わんばかりに、首に違和感がある。
触ってみると、犬猫がつけるような、硬くて厚いベルトの首輪がついていた。
外そうと試みるも、外れない。金具がカチャカチャと音を立てる。鍵が必要なのかもしれなかった。
精神的な不快感を除けば、特別、困るわけではない。外すのは後回しにした。
他におかしなところはないか、自身を見下ろす。
清潔な服を着せられていた。オークション会場で着せられたような布きれではない。しわも毛玉もない、半袖のシャツとゆったりしたボトムスだ。新品だろうか。
シャツの肌触りを確かめるように胸元に触れて、俺はハッとした。
「ロザリオ……」
オークション会場ですべての所持品を取り上げられたが、あれだけは死守したはずだ。注射を打たれて気絶させられる直前まで、ちゃんと首に下げていたはずだ。
慌てて探すと、幸いすぐに見つかる。
枕元の細長い台座にロザリオはあった。長いチェーンが本体に巻き付けられ、ひとまとめにされている。
木製のロザリオ。
女神が十字架にはりつけにされているような、もしくは女神が十字架を背負っているような、すこし凝った造形だった。使い古されて、細かい部分は欠けたり凹んだりしている。たしかに自分の物だ。
これは、赤ん坊の頃に孤児院の前に捨てられた俺にとって、親との唯一のつながりだった。このロザリオが親代わりと言い換えてもいいかもしれない。どれだけ苦しい瞬間でも、これを握り締めれば、不思議と心が軽くなった。大切なお守りだ。
ホッとしながら首に掛けて、ロザリオを握る。
なめらかな木製の女神をなでながら、すこし落ち着いてきた頭で、ゆっくりと周囲を見渡した。
広い部屋だった。
壁紙には細かい模様が施され、床は光沢のある組み木で仕上げられている。メンテナンスが行き届いていないのか、一部はワックスが剥がれている。
家具はアンティーク調のものが多かった。いま俺がへたり込んでいるベッドも同じで、分厚くも軽い布団には、蔦や鳥が複雑に絡み合ったような刺繍がされている。
まるで異国の貴族の宮殿かのようだ。テレビドラマか映画にでも出てくるセットか、もしくは外国の観光地にありそうだ。
しかし、妙に生活感もあった。
ベッドからすこし離れたところにあるテーブルが散らかっている。ごついガラスの灰皿に、細い煙管。手に乗るぐらいの膨らんだ布袋。そして、ハードカバーの本が数冊。一冊は開いた状態でテーブルに伏せられている。
他にもいろいろあるように見えたが、部屋が暗く、それ以上はわからなかった。
部屋の光源は、たった一つの窓だけだった。そこから差し込む白い光は眩しかったが、それ以外は、より暗い闇に沈んでいる。
一体、ここはどこなのか。
窓の景色を見れば少しは分かるだろうかと、窓に近いほうのベッド端へと、這って移動しようとしたとき。
「あら。もう目が覚めましたか」
男の声に、俺はびくりと跳ねた。
次いで、ドアの閉じる音がする。
いつのまに部屋にやってきたのだろう。音の聞こえた薄闇へと目を向ければ、男がゆっくり近づいてきていた。組み木細工の床をコツコツと鳴らしながら、男が陽光の中に出てくる。
銀色の長髪に、濃い麦色の肌の男だった。体格も、平均的な華 人よりずっと大きい。
この国の人間ではない。けれども、よく見る西の異国人とも違う。異国人と言えば金髪碧眼だ。
この男はどこの国の人間なのだろうか。銀色の髪など、見たことも聞いたこともない。ただ、顔立ちはどことなく華人に近い気がした。
図体に見合わず、男の表情は柔らかかった。目元のしわがより男の威圧感を打ち消している。
こんな状況でなけりゃ、品と金払いが良さそうな外国人だな、ぐらいにしか思わなかっただろう。
男がベッドのそばまでやってきて、足を止めた。
見下ろされる形になると、やはりその図体の大きさに気圧されかける。
俺は口を引き結んで、眉間に力を入れて睨みつけた。
男は、俺の威嚇なんてまったく気にならないようだった。目が細められる。
気を失う前に手足を拘束していた鉄かせは、消えていた。代わりと言わんばかりに、首に違和感がある。
触ってみると、犬猫がつけるような、硬くて厚いベルトの首輪がついていた。
外そうと試みるも、外れない。金具がカチャカチャと音を立てる。鍵が必要なのかもしれなかった。
精神的な不快感を除けば、特別、困るわけではない。外すのは後回しにした。
他におかしなところはないか、自身を見下ろす。
清潔な服を着せられていた。オークション会場で着せられたような布きれではない。しわも毛玉もない、半袖のシャツとゆったりしたボトムスだ。新品だろうか。
シャツの肌触りを確かめるように胸元に触れて、俺はハッとした。
「ロザリオ……」
オークション会場ですべての所持品を取り上げられたが、あれだけは死守したはずだ。注射を打たれて気絶させられる直前まで、ちゃんと首に下げていたはずだ。
慌てて探すと、幸いすぐに見つかる。
枕元の細長い台座にロザリオはあった。長いチェーンが本体に巻き付けられ、ひとまとめにされている。
木製のロザリオ。
女神が十字架にはりつけにされているような、もしくは女神が十字架を背負っているような、すこし凝った造形だった。使い古されて、細かい部分は欠けたり凹んだりしている。たしかに自分の物だ。
これは、赤ん坊の頃に孤児院の前に捨てられた俺にとって、親との唯一のつながりだった。このロザリオが親代わりと言い換えてもいいかもしれない。どれだけ苦しい瞬間でも、これを握り締めれば、不思議と心が軽くなった。大切なお守りだ。
ホッとしながら首に掛けて、ロザリオを握る。
なめらかな木製の女神をなでながら、すこし落ち着いてきた頭で、ゆっくりと周囲を見渡した。
広い部屋だった。
壁紙には細かい模様が施され、床は光沢のある組み木で仕上げられている。メンテナンスが行き届いていないのか、一部はワックスが剥がれている。
家具はアンティーク調のものが多かった。いま俺がへたり込んでいるベッドも同じで、分厚くも軽い布団には、蔦や鳥が複雑に絡み合ったような刺繍がされている。
まるで異国の貴族の宮殿かのようだ。テレビドラマか映画にでも出てくるセットか、もしくは外国の観光地にありそうだ。
しかし、妙に生活感もあった。
ベッドからすこし離れたところにあるテーブルが散らかっている。ごついガラスの灰皿に、細い煙管。手に乗るぐらいの膨らんだ布袋。そして、ハードカバーの本が数冊。一冊は開いた状態でテーブルに伏せられている。
他にもいろいろあるように見えたが、部屋が暗く、それ以上はわからなかった。
部屋の光源は、たった一つの窓だけだった。そこから差し込む白い光は眩しかったが、それ以外は、より暗い闇に沈んでいる。
一体、ここはどこなのか。
窓の景色を見れば少しは分かるだろうかと、窓に近いほうのベッド端へと、這って移動しようとしたとき。
「あら。もう目が覚めましたか」
男の声に、俺はびくりと跳ねた。
次いで、ドアの閉じる音がする。
いつのまに部屋にやってきたのだろう。音の聞こえた薄闇へと目を向ければ、男がゆっくり近づいてきていた。組み木細工の床をコツコツと鳴らしながら、男が陽光の中に出てくる。
銀色の長髪に、濃い麦色の肌の男だった。体格も、平均的な
この国の人間ではない。けれども、よく見る西の異国人とも違う。異国人と言えば金髪碧眼だ。
この男はどこの国の人間なのだろうか。銀色の髪など、見たことも聞いたこともない。ただ、顔立ちはどことなく華人に近い気がした。
図体に見合わず、男の表情は柔らかかった。目元のしわがより男の威圧感を打ち消している。
こんな状況でなけりゃ、品と金払いが良さそうな外国人だな、ぐらいにしか思わなかっただろう。
男がベッドのそばまでやってきて、足を止めた。
見下ろされる形になると、やはりその図体の大きさに気圧されかける。
俺は口を引き結んで、眉間に力を入れて睨みつけた。
男は、俺の威嚇なんてまったく気にならないようだった。目が細められる。
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