草原の民の話
「教育」の話
広い、広い、草原。風が吹けば、波を打って輝く。
広い、広い、空。雲が音もなく、身を削りながら流れていく。
そして、その遥か果てに横たわる山脈。
こんなに広大で、何も無くて、道すらない世界なのに、私はいつも閉塞感に押し潰されそうだった。
「あの山の向こうにはきっと自由な世界がある。」
そう、私はひたすらに信じていた。
今日もまた、山へと、そして山向こうへ流れていく雲へと、手を伸ばす。
伸ばした腕は昨日よりも青痣が増えていた。鼻からはまだ血が滴り、口に入る。
はやく、あの山を越えて、自由を。自由を――――。
ひとところに留まらず、常に移動して、草原を旅する民族がいる。この民族の群れの単位は血族によるもので、この血族の単位をオボクと呼んだ。
私の生まれたオボクは「オリロフボフ」であった。私たちの言葉で「叫ぶ雄牛」の意だ。
草原の民は、羊を飼い、羊と共に草を食んで生きている。オリロフボフはそれに加えて、傭兵を生業として外貨を稼ぐオボクであった。オリロフボフに生まれた男には戦士の役割が与えられ、女にはオボクの繁殖と羊の世話が役割が与えられる。
私は男だ。戦士になるため、物心ついたときにはそのための「教育」を受けていた。
屈強な戦士に頭を掴まれて、私は顔を水桶に沈められた。抵抗できないよう、手足は前もって縛られていた。いいやそもそも、私に抵抗するだけの体力などなかった。寝る間も与えられていなかった。もう何十時間も、髪を掴んで頭を引き上げられたわずかな瞬間に必死に呼吸する、そんなことを続けていた。息の出来ない苦しみに私が喘いで咽せると、すぐさままた沈められた。気を失うことはできなかった。私の教育係の戦士は、加減が非常にうまかった。
酸欠の体は、何もしていないのに疲労し、手足は鉛のように重かった。その状態で、鍛錬や戦闘技術の学習を行う。当然、何も頭に入らず、体は動かない。
不出来な子供にはまた「教育」が行われた。
今度は水責めではなく、痛みによる教育だった。立った状態で、鞭、もしくは棍棒で全身を殴打される。痛みに叫ぶと、やはり殴打された。倒れることも膝をつくことも許されず、体がぐらりと傾けば、髪を掴まれ無理矢理立たされた。
耳元で、教育係が叫ぶ。
「強者は苦痛を感じない!」
腹を殴られる。吐けるものもなく、ただ汚い声で呻く。
「強者は悲鳴をあげない!」
大腿を殴られる。痛みと苦しみで涙がこぼれる。
「強者は泣かない!」
ふたたび腹を殴られる。空の胃から何かが込み上げてきて、足下に血を吐いた。死を直感して、泣きながら許しを乞う。
「強者は許しを乞わない! 強者は助けを求めない!」
肩、背、腰、膝を立て続けに殴られる。衝撃が骨まで揺らし、私は自分の体が壊れていくのを如実に感じた。
「貴様は強者でなければならない! 弱者は死ぬからだ!奪われるからだ! 強者は弱者から何を奪ってもよい!それがこの世の理だ! 力だけが生命の優劣を決める! 貴様は強者だ!貴様は強者だ! 弱者から全てを奪え! 他者を求めるな! 強者は己一人で完結する個体でなければならない! 助けを求めるな! 他者を求めるな! 理解したか! 理解したかと聞いている!」
「ぁ、ぎ、りかい、しました……、りか……げほっ……」
「理解していないだろう! 弱いことは罪だ! 強者であれ! 貴様は強者でなければならない! 貴様は強者だ! 復唱しろ!」
「ぼ、ぼくは、きょ……おえぇ」
ろくに話せる状態ではなかった。声を出そうとすると腹に力が入り、腹に力が入ると嘔吐感が込み上げた。血を吐く。喉から競り上がってきた血が勢いもなくだらだらと口から垂れていった。
復唱できなかったので、また瀕死の体を滅多打ちにされる。
「ごめ、なさっ、うぎゃ! ごっ」
「強者は謝罪などしない! 省みない! 悔いない!」
「ぎゃっ!」
この一連の流れは、ひたすら子どもの精神を鍛えるためのものだった。
私のオボクでは、肉体より精神が先に存在すると考えられていた。まず強い精神があって、あとから強い骨と肉が育まれるとしていた。
鉄の武器がひたすら槌で打って作られるように、戦士の精神もひたすら痛みで打って作られる。だから、たとえ私が戦士の言葉を一言一句復唱できたとしても、殴打がやむことはなかった。
そうして「教育」は一日中行われ続ける。朝から夜にかけて、もしくは夜から朝にかけて。
「教育」が終わると、私たち子どもには煙管を吸う許可が与えられる。多くの子どもにとってこれは厳しい試練を耐えたご褒美で、私にとっても例外ではなかった。
煙管で吸う草は、特別なものだった。一つまみ分を燃やして吸えば、自然と痛みも恐怖も薄まる。二つまみ分を吸えば、幸せな心地に。三つまみ分を吸えば、見たい夢が見られた。
ただ苦痛から逃れるために、私は他の子供たちと同様に、煙を吸った。
私の見る夢はいつも同じだった。草原を馬のように駆け抜ける夢だ。私の足はまったく疲れず、すこし強く地を蹴るだけで面白いほど体が前へ進む。世界の果てにそびえる山脈に辿り着くまで、ほんの一瞬だった。そのまま山を登る。あとすこしで頂上だ。世界の外はどうなっているのだろう。きっと別の、もっと広くて自由な世界が広がっているはずだ。そう胸を逸らせながら、私は山を駆け登り――私が山を登りきった試しはなかった。きっと私が山向こうの世界を知らないから、夢の中でも山向こうの世界を見れないのだろう。
広い、広い、草原。風が吹けば、波を打って輝く。
広い、広い、空。雲が音もなく、身を削りながら流れていく。
そして、その遥か果てに横たわる山脈。
こんなに広大で、何も無くて、道すらない世界なのに、私はいつも閉塞感に押し潰されそうだった。
「あの山の向こうにはきっと自由な世界がある。」
そう、私はひたすらに信じていた。
今日もまた、山へと、そして山向こうへ流れていく雲へと、手を伸ばす。
伸ばした腕は昨日よりも青痣が増えていた。鼻からはまだ血が滴り、口に入る。
はやく、あの山を越えて、自由を。自由を――――。
ひとところに留まらず、常に移動して、草原を旅する民族がいる。この民族の群れの単位は血族によるもので、この血族の単位をオボクと呼んだ。
私の生まれたオボクは「オリロフボフ」であった。私たちの言葉で「叫ぶ雄牛」の意だ。
草原の民は、羊を飼い、羊と共に草を食んで生きている。オリロフボフはそれに加えて、傭兵を生業として外貨を稼ぐオボクであった。オリロフボフに生まれた男には戦士の役割が与えられ、女にはオボクの繁殖と羊の世話が役割が与えられる。
私は男だ。戦士になるため、物心ついたときにはそのための「教育」を受けていた。
屈強な戦士に頭を掴まれて、私は顔を水桶に沈められた。抵抗できないよう、手足は前もって縛られていた。いいやそもそも、私に抵抗するだけの体力などなかった。寝る間も与えられていなかった。もう何十時間も、髪を掴んで頭を引き上げられたわずかな瞬間に必死に呼吸する、そんなことを続けていた。息の出来ない苦しみに私が喘いで咽せると、すぐさままた沈められた。気を失うことはできなかった。私の教育係の戦士は、加減が非常にうまかった。
酸欠の体は、何もしていないのに疲労し、手足は鉛のように重かった。その状態で、鍛錬や戦闘技術の学習を行う。当然、何も頭に入らず、体は動かない。
不出来な子供にはまた「教育」が行われた。
今度は水責めではなく、痛みによる教育だった。立った状態で、鞭、もしくは棍棒で全身を殴打される。痛みに叫ぶと、やはり殴打された。倒れることも膝をつくことも許されず、体がぐらりと傾けば、髪を掴まれ無理矢理立たされた。
耳元で、教育係が叫ぶ。
「強者は苦痛を感じない!」
腹を殴られる。吐けるものもなく、ただ汚い声で呻く。
「強者は悲鳴をあげない!」
大腿を殴られる。痛みと苦しみで涙がこぼれる。
「強者は泣かない!」
ふたたび腹を殴られる。空の胃から何かが込み上げてきて、足下に血を吐いた。死を直感して、泣きながら許しを乞う。
「強者は許しを乞わない! 強者は助けを求めない!」
肩、背、腰、膝を立て続けに殴られる。衝撃が骨まで揺らし、私は自分の体が壊れていくのを如実に感じた。
「貴様は強者でなければならない! 弱者は死ぬからだ!奪われるからだ! 強者は弱者から何を奪ってもよい!それがこの世の理だ! 力だけが生命の優劣を決める! 貴様は強者だ!貴様は強者だ! 弱者から全てを奪え! 他者を求めるな! 強者は己一人で完結する個体でなければならない! 助けを求めるな! 他者を求めるな! 理解したか! 理解したかと聞いている!」
「ぁ、ぎ、りかい、しました……、りか……げほっ……」
「理解していないだろう! 弱いことは罪だ! 強者であれ! 貴様は強者でなければならない! 貴様は強者だ! 復唱しろ!」
「ぼ、ぼくは、きょ……おえぇ」
ろくに話せる状態ではなかった。声を出そうとすると腹に力が入り、腹に力が入ると嘔吐感が込み上げた。血を吐く。喉から競り上がってきた血が勢いもなくだらだらと口から垂れていった。
復唱できなかったので、また瀕死の体を滅多打ちにされる。
「ごめ、なさっ、うぎゃ! ごっ」
「強者は謝罪などしない! 省みない! 悔いない!」
「ぎゃっ!」
この一連の流れは、ひたすら子どもの精神を鍛えるためのものだった。
私のオボクでは、肉体より精神が先に存在すると考えられていた。まず強い精神があって、あとから強い骨と肉が育まれるとしていた。
鉄の武器がひたすら槌で打って作られるように、戦士の精神もひたすら痛みで打って作られる。だから、たとえ私が戦士の言葉を一言一句復唱できたとしても、殴打がやむことはなかった。
そうして「教育」は一日中行われ続ける。朝から夜にかけて、もしくは夜から朝にかけて。
「教育」が終わると、私たち子どもには煙管を吸う許可が与えられる。多くの子どもにとってこれは厳しい試練を耐えたご褒美で、私にとっても例外ではなかった。
煙管で吸う草は、特別なものだった。一つまみ分を燃やして吸えば、自然と痛みも恐怖も薄まる。二つまみ分を吸えば、幸せな心地に。三つまみ分を吸えば、見たい夢が見られた。
ただ苦痛から逃れるために、私は他の子供たちと同様に、煙を吸った。
私の見る夢はいつも同じだった。草原を馬のように駆け抜ける夢だ。私の足はまったく疲れず、すこし強く地を蹴るだけで面白いほど体が前へ進む。世界の果てにそびえる山脈に辿り着くまで、ほんの一瞬だった。そのまま山を登る。あとすこしで頂上だ。世界の外はどうなっているのだろう。きっと別の、もっと広くて自由な世界が広がっているはずだ。そう胸を逸らせながら、私は山を駆け登り――私が山を登りきった試しはなかった。きっと私が山向こうの世界を知らないから、夢の中でも山向こうの世界を見れないのだろう。
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