元人間だけど魔王軍で働いてます。
「そんなことじゃないだろう。きみにとっては大事なことだ」
いつだったか……。砦を離れて、戦地の別部隊への補給任務のときだったと思う。僕たち応援部隊は各地の戦場を走り回っていて、体力も気力も限界だった。補給品を背負って夜の森を進むなか、誰かが酒を飲もうと言い出した。誰も反対しなかったし、誰も補給品をくすねることを咎めなかった。トフィリスは酒を好まなかったが、僕が杯を持っていってやると、一杯だけならと口に運んだ。
自分事をほとんど語らない彼がそのとき語ったのが、妹のことだった。病床の妹がいること。両親を殺した病と同じ病に罹っていること。特別な治療が必要で、今も医療施設にいること。寝台に伏せながらも妹は気丈に振る舞って、元気だった頃と変わらず冗談を言ったりして、笑わせようとしてくること。
妹について語る彼は、幸せそうで、悲しげだった。
あのときの彼の様子を、僕は忘れることができない。同情ではない。ただ羨ましかった。
「僕にはもう家族はいない。帰る場所もない。だから、トフィリス、きみには……きみの妹には、そうなってほしくない。本部でもし別の部隊に配属されても、なにかあったらなんでも言ってくれ。きみを助けたい」
彼はしばらく僕を見つめていた。そして、破顔する。
「ああ。じゃあ、俺が出世するのを手伝ってくれ」
「おいおい。貪欲だな」
「なんでもって言ったのはヒューイじゃないか」
そんなことを言い合って、二人で笑っていると。
荷台に差し込んでいた弱い光が揺れた。どうやら幌が中途半端に開いていたのは、誰かが外を覗いていたからだったらしい。
薄っぺらい頭蓋、全身がひと続きの鱗に覆われた、二手二足の魔物――リザードマンだった。幌を捲ったままこちらを振り返った彼が、緑色の瞳で僕を見る。瞳孔がキュウッと収縮し、首まで裂けたような口をぱっくり開く。細い舌がまるで溢れるように、だらりと垂れた。
「ウルサイと思ったら起きてたのカ、ヒューイ! 見てミロヨ。死地だゾォ!」
ひと口でなんでも飲み込んでしまいそうな獰猛な見た目とは裏腹に、リザードマンは流暢に言葉を話し、陽気に手招きした。
彼の名前はドラン。彼も僕と同じ砦にいた軍人だ。
あんなに楽しそうに呼ばれてしまっては、断るのも気が引ける。僕は揺れに足を取られないよう、低姿勢を保ったまま荷台の端へ向かった。ドランの隣に膝をつき、荷台の木枠を掴む。すると彼が細長いヒョロリとした腕で幌を大きく捲って、外を見せてくれた。
広大な砂漠だった。
なだらかに波打つ曲線が、空と大地を綺麗に二分している。空は分厚い黒雲に覆われ、太陽も月もない。なんとか地平線が見える程度の明るさだった。しかし、断続的、不規則的に、赤い光が世界を照らした。
不気味な黒雲の下、砂漠の大地はひたすら遠くまで続いていた。植物も生き物もいない。ただ唯一この馬車だけが、黒い砂をわずかに巻き上げて騒々しく走っていた。
僕は荷台から身を乗り出して、空を見上げる。
黒雲の一部がときおり赤く染まっている。雷だろうか。赤い光はあの雷光によるもののようだ。しかし、雷が落ちてくる様子はない。
「オッ。ドウダ? 初めて来た"死地"の感想ハッ!」
ドランに問われ、僕はそっと荷台の中へ上体を戻す。しかしまだ外の景色から目を離せない。
「不気味だ。魔王の住む土地って感じだな」
「ヒャヒャ! 死地は何もないケドォ、でも魔都は賑やかで楽しいゾォ! 魔王城はデッカくてスゴイし、ウマイご飯のお店もいっぱいだ! とくに、サンドワームの炭焼きがウマイんダァ!」
隣を見れば、ドランは開いたままの口から舌と一緒に涎を垂らしていた。よほどその炭焼きとやらが美味かったのだろうか。
「ドランは魔都に行ったことがあるのか?」
「ちっちゃい頃にカアチャンに連れてってもらったナ! タシカァ……勇者の処刑セレモニーの時ダ! スンゲェお祭りだったんだゾォ!」
いつだったか……。砦を離れて、戦地の別部隊への補給任務のときだったと思う。僕たち応援部隊は各地の戦場を走り回っていて、体力も気力も限界だった。補給品を背負って夜の森を進むなか、誰かが酒を飲もうと言い出した。誰も反対しなかったし、誰も補給品をくすねることを咎めなかった。トフィリスは酒を好まなかったが、僕が杯を持っていってやると、一杯だけならと口に運んだ。
自分事をほとんど語らない彼がそのとき語ったのが、妹のことだった。病床の妹がいること。両親を殺した病と同じ病に罹っていること。特別な治療が必要で、今も医療施設にいること。寝台に伏せながらも妹は気丈に振る舞って、元気だった頃と変わらず冗談を言ったりして、笑わせようとしてくること。
妹について語る彼は、幸せそうで、悲しげだった。
あのときの彼の様子を、僕は忘れることができない。同情ではない。ただ羨ましかった。
「僕にはもう家族はいない。帰る場所もない。だから、トフィリス、きみには……きみの妹には、そうなってほしくない。本部でもし別の部隊に配属されても、なにかあったらなんでも言ってくれ。きみを助けたい」
彼はしばらく僕を見つめていた。そして、破顔する。
「ああ。じゃあ、俺が出世するのを手伝ってくれ」
「おいおい。貪欲だな」
「なんでもって言ったのはヒューイじゃないか」
そんなことを言い合って、二人で笑っていると。
荷台に差し込んでいた弱い光が揺れた。どうやら幌が中途半端に開いていたのは、誰かが外を覗いていたからだったらしい。
薄っぺらい頭蓋、全身がひと続きの鱗に覆われた、二手二足の魔物――リザードマンだった。幌を捲ったままこちらを振り返った彼が、緑色の瞳で僕を見る。瞳孔がキュウッと収縮し、首まで裂けたような口をぱっくり開く。細い舌がまるで溢れるように、だらりと垂れた。
「ウルサイと思ったら起きてたのカ、ヒューイ! 見てミロヨ。死地だゾォ!」
ひと口でなんでも飲み込んでしまいそうな獰猛な見た目とは裏腹に、リザードマンは流暢に言葉を話し、陽気に手招きした。
彼の名前はドラン。彼も僕と同じ砦にいた軍人だ。
あんなに楽しそうに呼ばれてしまっては、断るのも気が引ける。僕は揺れに足を取られないよう、低姿勢を保ったまま荷台の端へ向かった。ドランの隣に膝をつき、荷台の木枠を掴む。すると彼が細長いヒョロリとした腕で幌を大きく捲って、外を見せてくれた。
広大な砂漠だった。
なだらかに波打つ曲線が、空と大地を綺麗に二分している。空は分厚い黒雲に覆われ、太陽も月もない。なんとか地平線が見える程度の明るさだった。しかし、断続的、不規則的に、赤い光が世界を照らした。
不気味な黒雲の下、砂漠の大地はひたすら遠くまで続いていた。植物も生き物もいない。ただ唯一この馬車だけが、黒い砂をわずかに巻き上げて騒々しく走っていた。
僕は荷台から身を乗り出して、空を見上げる。
黒雲の一部がときおり赤く染まっている。雷だろうか。赤い光はあの雷光によるもののようだ。しかし、雷が落ちてくる様子はない。
「オッ。ドウダ? 初めて来た"死地"の感想ハッ!」
ドランに問われ、僕はそっと荷台の中へ上体を戻す。しかしまだ外の景色から目を離せない。
「不気味だ。魔王の住む土地って感じだな」
「ヒャヒャ! 死地は何もないケドォ、でも魔都は賑やかで楽しいゾォ! 魔王城はデッカくてスゴイし、ウマイご飯のお店もいっぱいだ! とくに、サンドワームの炭焼きがウマイんダァ!」
隣を見れば、ドランは開いたままの口から舌と一緒に涎を垂らしていた。よほどその炭焼きとやらが美味かったのだろうか。
「ドランは魔都に行ったことがあるのか?」
「ちっちゃい頃にカアチャンに連れてってもらったナ! タシカァ……勇者の処刑セレモニーの時ダ! スンゲェお祭りだったんだゾォ!」
