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橙の巫女

 少女はそうして、また巫女へと視線を戻す。その目はほんの少し寂しそうだった。

 芸人が口を開く。


「……お前は、もしや、」

「やっと見つけましたよ」


 芸人の言葉を遮って、芸人に声をかける男がいた。
 蛙の面をつけた二人目の旅芸人だった。

 蛙面の芸人は、獣面の芸人に詰め寄る。あまりの勢いで近寄ったものだから、面の鼻先同士がガコンとぶつかった。


「お一人で歩かれるのはおやめくださいと、何度言えばお分かりいただけるのですか」

「近い」

「何度言えばお分かりいただけるのですか」

「わかった。わかったから……」


――――ドン!


 大きく鳴り響いた太鼓の音を最後に、楽が止まる。
 訪れた静寂に、面の芸人らも、少女も、再び巫女を注目した。

 巫女・玖紅利もまた、ぴたりと動きを止めていた。それまでたえず揺れ動いていた黒髪や衣装の袖も、力を失って垂れ下がる。
 すべてが完全に静止した頃、巫女はくるりと背を向けて、舞台奥に作られた八足台へと向かう。台には今朝狩られたばかりの獣が横たえられていた。

 あたりはすっかり静まっていた。あれだけ声をあげて賑やかだった人々から浮ついた様子は消えて、巫女の背姿を見守る。

 巫女が祝詞をうたう。
 古い時代の言葉は現代人にとって意味をなさない。
 人々には、巫女がただ独特な旋律を歌っているように聞こえていた。

 やがて祝詞が終わると、巫女が人々へと向き直る。


「我らをお守りくださる尊き麒麟と、山の恵みを分け与えてくださる精霊より、次の巡りも豊穣をもたらすとお言葉を賜りました。来たる玄冬を堪え忍び、御霊とともに晴春を迎えましょう」


 ほほ笑んだ巫女がそう言い終えると、人々から拍手と歓声があがった。


「ああっ、玖紅利さまが精霊からご加護を取り付けてくださった」

「これで冬を越せる……!」

「今年は飢えて死ぬ人もいなくなるわ!」


 隣の人と抱き合う者や、目に涙を浮かべる者。巫女へ感謝を叫び、手を振る者。
 巫女が人々へもたらしたのは、喜びよりも、安堵のほうが大きいようだった。

 歓声の中、巫女が舞台端へと向かう。舞台下に控えていた護衛の男に手を差し出され、巫女はその手を借りて舞台を降りた。

 すると、観衆の中から小さな影が巫女へと走り寄る。村の子どもだ。
 舞台下に控えていた護衛の巫術士たちが素早く出てきて、子どもを阻む。
 だが、巫女がそれを制止した。
 護衛が渋々と子どもを解放すれば、子どもは巫女のそばへ駆け寄り、巫女は子どもの目線に合わせるようにしゃがんだ。


「玖紅利さま、これ! よかったら食べて!」


 子どもが差し出したのは一抱えあるカゴだった。
 巫女はカゴを受け取り、被せられている布をめくる。小麦粉と花果を混ぜて蒸した、お菓子だ。


「あら美味しそう。あなたが作ってくれたの?」

「うんっ。玖紅利さまが、村に来るって聞いて、がんばって作ったの! 山で採れた加密露もたくさん入れたの! 選妾祀せんしょうしの応援したくて……」


 子どもの言葉に、巫女は目を見開いた。けれどもすぐにおかしそうに笑う。


「嬉しい。こんなにかわいい応援、初めてよ」

「え、えへへ! 玖紅利さまが高狼こうろうさまと結婚するの、すっごく楽しみにしてるから!」

「ふふ、ありがとう。でも、高狼さまと結婚できるかはまだ分からないのよ。選妾祀で高狼さまに選んでいただかないと」

「じゃあ選妾祀がたのしみ! だって、高狼さまがお選びになるのは、ぜったい玖紅利さまだもん!」

「ええ。そうなれるように頑張るわね」


 巫女はカゴを胸の前で抱えて、子どもに手を振りながら歩いていく。護衛の巫術士に連れられて、広場を離れていった。


「橙の巫女はお優しい心根の方のようですね。あのような方こそ、高狼女貴こうろうにょきに相応しい。……若?」


 蛙面の芸人が、妙に静かな獣面を不思議に思って、獣面の振り返る。

 獣面の芸人は、先までそこにいたはずの少女の姿を探して、辺りを見回していた。
 しかし、少女の姿はどこにもなかった。
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