橙の巫女
雲一つない快晴の下。
緩やかな山々が大地にひろがる。山を覆う木々はすっかり枯れ色に染まって、実りの季節を知らせていた。
この穏やかな山中に、集落があった。規模は家屋が二十ほど。木板を打ちつけただけの簡素な家々が、人々の暮らしぶりを語る。
狩猟を生業とする人々の生活は穏やかでゆったりとしたものだが、今日は特別な活気に溢れていた。
村人たちが広場に集まり、笛や鼓の音に合わせてわあわあと声をあげている。
人々の注目を集める中心では、一人の女が舞っていた。
音に合わせて、彼女の黒髪と袖が宙で揺れ動く。
彼女が地を蹴れば、風の精霊に導かれるように、その体は軽やかに跳ねる。腕を振るえば、光の精霊が微笑んだように、衣装や髪に施された金箔がきらめいた。
太鼓の音に合わせて、女が腕を大きく振るった。力強く振ったその瞬間、手に握られていた扇子が開き、花びらが舞いあがる。
観衆の最前列にいた子どもが手を伸ばし、舞い降る花びらを受け止める。そっとつまみあげた花びらは、まるで摘んだばかりのようにひんやりと湿っていた。
人々の歓声がひときわ大きくなった。
「ああっ、奇跡だ!」
「きれい……」
「クコリさまー!」
女が舞うたび、中空に現れた花びらが、観衆の頭上へ降り注ぐ。
気づけば、どこからともなくやってきた蝶たちが、女と一緒に舞っていた。暖かな季節にしか現れないはずの蝶の群れに、またもや人々は歓声をあげた。
観衆の後ろからでも、女の舞を見ることができた。少し離れたところで、別な一人の女が呆然とその舞を見つめている。
まだ若い、少女と呼んでもいい歳頃だろう。やわらかく波打つ栗色の毛髪、同色の大きな瞳が、彼女をより幼く見せた。染みひとつない絹の着物は、彼女がこの村の外から来た人間であることを示す。
少女はただひたすら、女の舞を見つめていた。目が離せない、とはきっと彼女の様子を言うのだろう。
「あれが橙家の巫女か」
いきなり横から聞こえた男の低い声に、彼女はびっくと跳ねてそちらを見た。
彼女より幾分も背の高い男が横にいた。薄汚れた法衣を身にまとい、面で顔を隠している。面はいかつい。牛とも馬とも似つかぬ獣が歯列を剥き出しにしていた。獣の額から、大小四つの角が並んで生えている。
不気味な男の姿に少女はぎょっとしたが、面の目元に五重の円が刻まれていることに気づいて、ほっとする。
五重円の印は、旅芸人の象徴だ。家も寄る辺もない彼らにとって、この印が刻まれた面は身分を証明する唯一のものでもある。
すると観衆の中心へと向いていた面が、ゆっくりと少女を見下ろす。
「あれが、橙家の巫女か?」
さきとまったく同じ問いかけに、少女はひとつ瞬きをすると、みるみるうちに目を輝かせた。
「ええ、そうよ。すごいでしょっ?! 花を降らせるだけじゃないの。水を操ったり、火の中で舞ってみせたりだってできるんだからっ! それに、それにね、水の上に立って舞ったり、」
少女はすっかり興奮した様子で、まるで自分事のように得意げに語った。
芸人はというと、すっかり彼女の勢いに気圧されていた。相槌も挟めず、ただ聞くだけに徹している。
「あっ! ご、ごめんなさいっ。つい話し過ぎちゃって」
「いや……」
恥じて目を逸らす少女を見ながら、芸人は面の下でくすりと笑う。そして再び観衆の奥の巫女を見やった。巫女は力強く踊り続けている。
「おまえは、あの巫女の舞が好きなのだな」
芸人の言葉に、少女はまた顔を上げて嬉しそうに口を開く。
「そう、そうなの! だってあの子が舞うだけで、みんなが笑顔になる……。あんなに華やかに力強く舞える巫女は、玖紅利 だけだよ」
「玖紅利?」
少女が口にした名前に何を思ったか、芸人が首を傾げた。
芸人は再び少女を見下ろす。
「俺の記憶違いでなければ……。橙家の長子は、たしか、玖黄利 という名ではなかったか?」
芸人の問いに、少女の表情からハッとしたように笑みが消えた。けれど彼女はすぐに笑顔を作って、問いに答える。
「橙家の巫女は、玖紅利です。玖紅利のほうが才能もあって、きれいに舞えるから」
緩やかな山々が大地にひろがる。山を覆う木々はすっかり枯れ色に染まって、実りの季節を知らせていた。
この穏やかな山中に、集落があった。規模は家屋が二十ほど。木板を打ちつけただけの簡素な家々が、人々の暮らしぶりを語る。
狩猟を生業とする人々の生活は穏やかでゆったりとしたものだが、今日は特別な活気に溢れていた。
村人たちが広場に集まり、笛や鼓の音に合わせてわあわあと声をあげている。
人々の注目を集める中心では、一人の女が舞っていた。
音に合わせて、彼女の黒髪と袖が宙で揺れ動く。
彼女が地を蹴れば、風の精霊に導かれるように、その体は軽やかに跳ねる。腕を振るえば、光の精霊が微笑んだように、衣装や髪に施された金箔がきらめいた。
太鼓の音に合わせて、女が腕を大きく振るった。力強く振ったその瞬間、手に握られていた扇子が開き、花びらが舞いあがる。
観衆の最前列にいた子どもが手を伸ばし、舞い降る花びらを受け止める。そっとつまみあげた花びらは、まるで摘んだばかりのようにひんやりと湿っていた。
人々の歓声がひときわ大きくなった。
「ああっ、奇跡だ!」
「きれい……」
「クコリさまー!」
女が舞うたび、中空に現れた花びらが、観衆の頭上へ降り注ぐ。
気づけば、どこからともなくやってきた蝶たちが、女と一緒に舞っていた。暖かな季節にしか現れないはずの蝶の群れに、またもや人々は歓声をあげた。
観衆の後ろからでも、女の舞を見ることができた。少し離れたところで、別な一人の女が呆然とその舞を見つめている。
まだ若い、少女と呼んでもいい歳頃だろう。やわらかく波打つ栗色の毛髪、同色の大きな瞳が、彼女をより幼く見せた。染みひとつない絹の着物は、彼女がこの村の外から来た人間であることを示す。
少女はただひたすら、女の舞を見つめていた。目が離せない、とはきっと彼女の様子を言うのだろう。
「あれが橙家の巫女か」
いきなり横から聞こえた男の低い声に、彼女はびっくと跳ねてそちらを見た。
彼女より幾分も背の高い男が横にいた。薄汚れた法衣を身にまとい、面で顔を隠している。面はいかつい。牛とも馬とも似つかぬ獣が歯列を剥き出しにしていた。獣の額から、大小四つの角が並んで生えている。
不気味な男の姿に少女はぎょっとしたが、面の目元に五重の円が刻まれていることに気づいて、ほっとする。
五重円の印は、旅芸人の象徴だ。家も寄る辺もない彼らにとって、この印が刻まれた面は身分を証明する唯一のものでもある。
すると観衆の中心へと向いていた面が、ゆっくりと少女を見下ろす。
「あれが、橙家の巫女か?」
さきとまったく同じ問いかけに、少女はひとつ瞬きをすると、みるみるうちに目を輝かせた。
「ええ、そうよ。すごいでしょっ?! 花を降らせるだけじゃないの。水を操ったり、火の中で舞ってみせたりだってできるんだからっ! それに、それにね、水の上に立って舞ったり、」
少女はすっかり興奮した様子で、まるで自分事のように得意げに語った。
芸人はというと、すっかり彼女の勢いに気圧されていた。相槌も挟めず、ただ聞くだけに徹している。
「あっ! ご、ごめんなさいっ。つい話し過ぎちゃって」
「いや……」
恥じて目を逸らす少女を見ながら、芸人は面の下でくすりと笑う。そして再び観衆の奥の巫女を見やった。巫女は力強く踊り続けている。
「おまえは、あの巫女の舞が好きなのだな」
芸人の言葉に、少女はまた顔を上げて嬉しそうに口を開く。
「そう、そうなの! だってあの子が舞うだけで、みんなが笑顔になる……。あんなに華やかに力強く舞える巫女は、
「玖紅利?」
少女が口にした名前に何を思ったか、芸人が首を傾げた。
芸人は再び少女を見下ろす。
「俺の記憶違いでなければ……。橙家の長子は、たしか、
芸人の問いに、少女の表情からハッとしたように笑みが消えた。けれど彼女はすぐに笑顔を作って、問いに答える。
「橙家の巫女は、玖紅利です。玖紅利のほうが才能もあって、きれいに舞えるから」
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