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オセロ。
なまえ
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(Side ACE)
歩いてたら何故か絡まれて、十人くらい殴って潰した。一通り昏倒させたから追っては来ないだろう。
「…はー、今何時だよ…」
さすがに疲れて電柱を背もたれにし、俺は地面に座りこんだ。切れた口の端が地味に痛い。
「~~くそ、また壊れやがった!」
バイト代で買った携帯端末が壊れるのは何度目だ?ヒビが入って暗転した端末はウンともスンとも言いやしない。
召されたそいつをポケットに詰め込んでため息をついた。
「…はぁ、もううんざりだ」
勝手に因縁つけて絡んできて、俺に昏倒させられた腹いせに仲間連れて再チャレンジ。黙って殴られる趣味はなく、その都度撃退しては繰り返される悪循環に心底うんざりしていた。
真面目に大学行ってバイトして、ちゃんと生きてるつもりの俺になぜ絡むんだ。
「…?酔っ払いかよ、こんな暗い道に女一人で…」
どこかで聞いたことある旋律を鼻歌う声にそちらを向けば、スーツ姿の女が軽い足取りで歩いてきた。暗い路地、おまけに真夜中。俺は通報されないように少し身体を縮め、影に隠れた。
「…ん?あー、もうこんな所にいたら風邪ひくよ。お姉ちゃんが一緒に謝ってあげるから…ほら帰るよ!」
ぱち、と視線が噛み合った途端に酔っ払いは笑った。化粧した顔が子供みたいにくしゃくしゃな顔で笑うからびびった。
「え?…あ、おい!なんだよあんた!」
お姉ちゃんって何?誰?!怖っ!!
その人はしゃがみこんで俺の手を掴むと、引っ張り起こしてそのまま歩き出す。
「ふふ、またケンカしたの?泣かないで強いね」
「!」
引っ張られるままに着いて行ったのは掛けられた言葉に胸が痛んだからかもしれない。
時間帯のせいだろう、アパートの一室に着くまで誰にも会わずほっと息を吐いたのも束の間。
「……うえっ、吐く…」
「えっ、大丈夫かよ、トイレどこだ?!」
……女はアパートに着くなりトイレに駆け込んで二度ほど吐いた。見渡す部屋は散らかってタオルはあったけど洗濯済みかはっきりしない。台所は使ってないようで綺麗だった。
「…あー、本当なんなんだよ…厄日かよ」
出しっ放しのコップを軽く洗って水を入れ、トイレで撃沈してる女に飲ませて、床の荷物を適当に退けて女を転がした。
鍵を閉めずに出て行くのも心配で、俺は女の横に寝転がって一晩明かした。
翌朝。
覚えてねえかと思いきや、目覚めた途端に女は俺に謝罪した。
「ごめんなさい!…あの、君を誘拐しようとかそういうつもりはありませんでした。大変ご迷惑を…」
酔ってた時とは違って幼さの微塵もない、理性的な話し方に面食らう。昨日は子供みたいだったくせに、やっぱ大人なんだな。
胸に湧いたのは妙な落胆と意地の悪い思いつき。部屋の汚さと少し崩れた化粧を指摘すると、また子供みたいな顔に戻って、焦って洗面所の方に走って行った。
携帯端末は壊れるし、酔っ払いに絡まれるし…なんか女の部屋に連れ込まれるし。災厄の下に居る気分。おみくじ引いたら大凶が出るに違いない。
「あー、…もう全部、面倒くせえ。何も考えたくねえ」
いちいち絡んでくるバカとか、口煩いジジイとか、素行が悪いと決めてかかり嫌味言ってくる講師とか。なんなんだよ。うるさい。
一人になれる場所のない家も全部放り出して空っぽになって休みたい。
「ええと、いろいろすみません…」
化粧を落として部屋着に着替えた女は、スーツの時より幼く見える。酔ってた時の雰囲気に近い。女って凄えな。変なの。
「…俺はエースって言います。あんた…お姉さんは?」
「わ、わたしはなまえです怪しくないですちゃんと社会人で、あ!待って社員証…」
「こんなこと頼んで悪いんだけど、少しでいいからここに居させてくれねえか」
口からそんな言葉がついて出たのは頭の中がとっ散らかっていたせいだ。
変な男が部屋に居て、こんな事言い出したら速攻で追い出されるだろうと思ったのに。
「……いいですよ」
あっさりと返ってきた答えは予想外で、俺の方がこの人頭は大丈夫なのだろうか?と心配になるくらいだった。
「凄い、エース君は掃除の手際良いですねえ」
「美味しいー、炊飯器で炊いたお米食べるの久しぶり!」
「…えへへ、ただいま、です。家に人が待ってるって嬉しいものですね」
このなまえというお姉さんは、俺がやること成すことにいちいち喜んで笑う。
傷の手当てが慣れてるみたいに早かったし、どうして怪我したのか聞かないし。
パクられるなんて頭にないみたいに渡された金にもびっくりした。食い物も服とかの生活用品も当然みたいに買ってくれて。もしかして金持ちの人?だったら豪邸に住んでるよな。じゃあ違うのか。でもTVとオーディオ機器が異様にゴッツイんだよな。
「…今日の晩飯、なに作ろうかな」
レパートリーの中からあの人の喜びそうなものを考えると口が緩む。
会った時は酔っ払ってて酒臭くて、しかも吐いてて、また面倒な事に巻き込まれたと感じたのに。
「何かいい匂いするんだよな、あの人。同じシャンプーとか使ってんのに俺と違う匂いするし」
服の袖口の匂いを嗅いでみるけど、なまえさんの匂いはしない。
「………」
俺の周りにはない本や映画や、多分仕事のメモとか。部屋の中には大人の香りが散らばっている。俺みたいな怪しいガキを部屋に入れても平然としてるのも大人の余裕ってやつなんだろうか。
「でも絶ッ対、あの人は考え無しなだけだよな」
へら、と緩い顔で俺の名前呼んで笑ってる顔が浮かぶ。
「もうずっと、ここに住みてえかも…なんてな」
因縁つけてくるバカにも会わなくて済むし、なんか…俺が居ると助かるとか言ってくれるし。
いつまでも居られるわけないのなんて解ってる。昨日は一応、教室に顔だして仲間に根回しした。だからまだ、ここに居る時間はある。もう少しだけでも。
なまえさんが気に入ってると言った映画を観ているうちにウトウトしてきて、俺は眠ってしまった。遠のく意識の中でタンゴの曲が流れてた。
「っ!」
身体が跳ねて目が覚めた。
部屋の中は真っ暗でTVだけが映像ディスクのメニュー画面を煌々と映し出している。
「やべえ、晩飯…!」
スーパー行ってねえし洗濯物取り込まねえと、それに掃除もまだだ。時間までに終わるか?いや無理だろ。
「…うぐ…」
焦って急に立ったら目眩がした。
頭の中でさっき観ていた映画の曲が流れる。呻きつつ壁に手をついて電気のスイッチを手探りしていたらドアの開く音がした。
「ただいまー、って暗…、うわ!」
「いってえ!」
冗談みたいにタイミングよく帰ってきたなまえさんが俺にぶつかって、二人揃って床に転げた。
「いたた…エース君、大丈夫?」
ふわり、と、あのいい匂いが鼻を掠めた。化粧なのか汗なのか…それとも香水なのか。
暗い部屋の中で視覚以外の感覚が妙に冴える。咄嗟に抱えた身体の細くて柔らかいのとか、髪の毛の感触とか、息遣いまでが押し寄せてくる。
「ねえ!エース君、もしかして具合悪いの?」
起き上がろうとしたなまえさんの身体を抱き締めた。
「……なまえさんて香水とかつけてんの?」
「え?…何、あっ!」
後頭部に手を当てて身体をもっとくっつかせると気持ちが良くてクラクラする。首に鼻を押し付けて吸い込むと、ここ数日よく嗅いだ香りが鼻孔を満たす。
「あんたって、いつもいい匂いがする」
「そ、うかな…」
俺は身体を反転させてなまえさんの顔の横に手をつき、組み敷いた。息が触れるどころか睫毛さえ触りそうな距離で、驚いた瞳が揺れている。
「…………」
自分の心臓が凄い勢いで動いててる。沈黙が痛い。勢い余って飛び出すんじゃねえかと思ってきた。
それに無言で抱き合ってこの人の匂い嗅いでると…下半身が主張を始めてくる。落ち着け治れと念じたところで脳内にはなまえさんの事で満たされて膨れ上がっていく。
「……、欲望だったらしてもいいよ」
「は?」
なまえさんの腕が動いて俺を抱き締めた。してもいい、その言葉にいっそう心臓が痛む。
「でも、もし、わたしの事を好きだとか思ってるならダメだよ。それは勘違いだからね」
「……なんだよそれ」
頭に血がのぼり意味をすぐに飲み込めなかった。この人は狡い。子供みたいな顔して笑うのに大人の顔してあっさり手を離す。優しく手当てして匿ってくれるのに俺には甘えきってしまう事がない。
「言葉通りだよ。しないの?するの?」
「……っ!」
やりたい。触りたい。だけど今この人に触れれば『欲望』として受け取られて、俺の気持ちは届かない。
「…~~あんたは卑怯だ。俺が年下だからって揶揄ってんだろ」
「はは、こう見えて君よりは長く生きてるから。でも揶揄ってるつもりはないですよ」
悔しさと背中を叩く手の心地よさで気持ちが揺れる。
「…予防線を張ってるんだよ。怪我も病気も、歳を取るほど治りが遅いの。わたしは傷つくのが怖いんです」
本当に卑怯だ。なんて女だ。
乱暴に欲望だと言い切って犯ってしまいたいのに。傷つけたくないし大事にしたいし、なまえさんが俺に優しくしてくれたように…いや、それよりもっと、いっぱい優しくしたい。
「……俺、あんたが好きだ」
「!」
「だからこれ以上は我慢しとく。とりあえず今は」
最後に力を込めて体を抱き締めて、離した。部屋の電気をつけると眩しかったけど目眩はもうしなかった。
「映画観てたら寝ちまってて、飯作ってないんだ。洗濯物は今から取り込む。ごめん」
ベランダに向かおうとした俺のシャツが引っ張られる。ぎくりと身が固まってしまい、慌てて言い訳が口から飛び出した。
「うわ!何、飯作ってなかったのは悪かったって!怒るなよ」
「……本当に具合悪かったりしてないんだよね?」
「うん」
てっきり文句の一つも言われると覚悟したのに、なまえさんは『心配した、良かった』と少し泣きそうな顔をした。
「……、やっぱり、ちょっと具合悪いかも」
「えっ!どこが痛い…んっ!」
慌てて身体を寄せてきたのを良い事に、俺は顔を傾けてなまえさんの唇を奪った。
ふわり、と、あの匂いがまた香る。
「ぶっは、…くくく!ありがと、治ったよ」
「~~もう!」
俺たちはコンビニへ夕飯を買いに行った。なまえさんは新作のアイスを吟味して、俺は雑誌の立ち読みをした。
「食ってる時、映画を観ていいか?」
「もちろん!何を観る?」
タイトルを口にするとなまえさんは鼻歌を歌いつつディスクをセットする。
「…あのさ」
「うん」
画面の中で盲目の男が、杖を青年に預けて、女の手を取ってダンスフロアに誘う。
「俺、明日、出てく」
「…そっか」
最初は戸惑っていた女は、見えていないはずの男のリードに身を預けて、愉しげな笑みを浮かべた。楽団の奏でるタンゴの曲は情熱的で、だけどどこか寂しげだ。
「だからなまえさんの連絡先教えてくれよ」
「え?」
盲人となり自暴自棄になり、人を寄せ付けなかった孤独な男は、純朴な青年と会った。
違いすぎる二人が互いに会話や行動を共にしていくうちに、どんどん変わっていったように。
「俺の携帯端末、壊れたから新しいの買うまで連絡できねえんだけど。バイト代貯めてまた買うから」
「…………」
黙り込んだ隣の女に、俺は手を伸ばした。逃したくない。離したくない。恋でも良いってあんたの口から言わせてやる。
「白髭大学の学生、二十歳。兄弟が二人。居酒屋でバイトしてて、最近は卵焼きの味を褒められた」
今はまだ恋とか好きとかじゃなくてもいい。この人ともっと居たい。知りたい事が山ほどあるんだ。
「焼き色も綺麗だって店長からのお墨付きもある。だから、なまえさんにも食ってもらいたい」
なまえさんの事を知って、俺のことを知ってもらって…あわよくばこの人に頼られる奴になりたい。
「………卵、買っておくから。来る前に連絡して」
黙りっぱなしだった隣から、鼻をすする音に混ざって答えが返ってきた。
「次来るまで、部屋汚すなよ」
そっと握り返してくれた手が妙に熱くて、小さくて、俺まで泣きそうになった。
盤上のワルツ。
(エース、お前たまには合コン出ろよ!お前が来るっていうと女釣れるんだよ)
(そういうのもう行かねえよ、俺…なんつーか彼女いるし)
(は?!エースいつの間に女作ったんだよ!)
(悪い!もう行く、卵焼き作ってやる約束してんだ)
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