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オセロ。
なまえ
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(Side U)
昨日の真夜中。
わたしは飲み会の帰り道で男の子を拾った、……らしい。
らしいと言う不確かな言い方なのはわたしの記憶が曖昧だからである。
次の日は休みで予定はないし、どうせなら飲み会費分の元を取ってやるぜ!とめちゃくちゃ飲み食いしたせいで、細かいところまではっきりと覚えてないのだ。
『あー、こんな所にいたの?ほら帰るよ!』
彼が言うには、わたしがそう言ってナンパして無理やりアパートに連れ込んだそうだ。なんとなく誰かに声を掛けたのは覚えてるけど、ナンパをした覚えが全くない。そんなに人に飢えていただろうか?
アパートに戻るなりトイレで吐いて寝落ちした。そこだけはしっかりと記憶に残っている。
翌朝。
化粧を落としてないごわついた顔と変なシワのついたスーツで目を覚ますと、わたしは床に転がっていて、すぐ隣には顔に痣のある男の子が寝ていた。
「!!」
悪い予想が一通り頭を巡ったが、目を覚ました男の子は犬みたいな欠伸をして言った。
「…ふぁ…眠…。あんた昨日は吐いてたけど、もう平気なのか」
「ええ?…あ、大丈夫です…?」
「昨日のこと覚えてるか」
「……お、おぼろげにですが…どうもすみませんでした!」
とりあえず口をつくのが謝罪と言うのは情けない。どうしよう…覚えてない。
「あんたの部屋、汚ねえ。冷蔵庫はほとんど空っぽだし、洗濯物もそのままだ。ひでえな」
……、死にたい。
最近は仕事がかなり忙しかったし、一人暮らしの気楽さから放置したものは多くって。それを他人に見られるというのはかなり恥ずかしい。
「今日は日曜だし仕事はねえんだろ。手伝ってやるから、ここ片付ければ」
「え?あ!」
止める間もなく男の子は投げっぱなしの服を集めだした。
「あの、あの!結構です、自分でしますから…!」
「あんたは先に化粧を落とした方が良いんじゃねえの」
「!!!」
そうだ、わたしメイク落としてない!
化粧したまま寝るとか最悪だし、見なくても皮膚がドロドロになってる感触がある。肌への負担に加えて酷い顔を見られた衝撃は大きい。
わたしは洗面所に走り、優しく手早くメイクを落として洗い流して保湿を済ませた。
その間に男の子は散らかり放題の雑誌や服やゴミをまとめていた。
「あ、あのー…」
「これは洗っていいのか?スーツも着替えれば」
なんなんだろうか、この状況。頭が追いつかない。戸惑って困り果てるわたしを他所に男の子は片付けを進める。
「ゴホン!その前に、君の怪我を手当てさせてください」
「!」
わざとらしい咳払い一つして提案した。男の子の切れた唇や殴られたような跡が気になって仕方なかったのだ。
男の子は片付けの手を止め、視線を彷徨わせてから平気だとぎこちなく答えた。
「掃除はありがたいけど、見てられないので。先に消毒だけでもさせて欲しいです」
冷蔵庫の中は空っぽに近くとも救急箱の用意はある。どうしようかと迷っている男の子にわたしは説明を補足した。
「風邪薬に栄養剤、絆創膏と消毒液、湿布と鎮痛剤は常備してるんです。期限切れもないから大丈夫ですよ」
何せこのアパートの近所は医療機関が少なく、具合が悪いとなれば仕事に支障が出るし、自己管理が出来ないと困るのは自分なのだから。
仕事は風邪や肩こりなんかでは休めない。
「…………」
怪我を見せるよう促すと男の子はわたしのそばに来た。野良猫のような警戒心たっぷりにジリジリとゆっくりと。
改めて向き合うとそばかすの散る顔は少し幼さがあるのに目つきが鋭くて怖いな。
今更ながら見ず知らずの男が家に居るという恐怖が胸に沸いたところで、男の子が頭を下げた。
「…俺はエースって言います。あんた…お姉さんは?」
「わ、わたしはなまえです怪しくないですちゃんと社会人で、あ!待って社員証…」
「こんなこと頼んで悪いんだけど、少しでいいからここに居させてくれねえか」
言葉を遮って男の子…エースと名乗ったその子は言った。
「……いいですよ」
「は?」
わたしの返事を聞いた男の子は素っ頓狂な声をあげた。大人みたいに見えるのに子供っぽいところが見え隠れする。きっと頑張って隠してるんだろう。
わたしにも覚えのある年頃で苦い思いの残る感情が首を擡げる。
「…わたしは貯金も少ないし取られて困るものって命くらいだし。君は酔ったわたしの世話してくれたし…、あ!もしかして君って未成年?だったら困るけど」
見た感じ成人済みに見えるけど。
家出して来た未成年とかだったら話は複雑で困るが、深い話を聞かなければいい。わたしはこの子を利用して自分の孤独を埋めようと勝手に決めた。それが僅かなひと時だとしても。
「いや、酒は飲める年だけど…って、違う!いいのかよ?!」
ぐー、と大きなお腹の鳴る音がした。勿論わたしではなく目の前の男の子からだ。
「良いよー。とりあえず傷の消毒しよう。その後でカップ麺でも食べようか」
エース君は呻いて、無用心すぎるだろあんた、と呆れた顔をした。
「……なまえさんて、いつもそうなの」
「何が?」
「……いや、別に…ッイテ!」
手当てをして見ると顔の傷は少なかった。むしろ服には鋭利な刃物でで切れましたみたいな裂け目と返り血が付着していて、手の甲に痣と切り傷が多い。
喧嘩で出来る傷だとすぐに解ったのは学生の頃に弟がよく喧嘩をしていたのを診てたからだ。
……この子も何かと戦っているんだな、と思ったら、弟に重なって妙に可愛く見えた。
「何笑ってんだよ」
「あは、ごめん」
目つき悪いけどきっととても良い子なんだな、うん。わたしは自分のカンを信じることにしてエース君はわたしのアパートにいる次第となった。
「…あー、足痛い…アイス食べたい…」
夕方にもなるとむくんだ足をパンプスが締め付ける。疲れた身体に鞭打って、最後の試練であるアパートの階段を上った。鍵を差し込んで開くと見慣れた狭いアパートの一室に、青年が一人。
「…おかえり!もうちょっとで飯できるから。着替えたら座っててくれ」
「ありがとう、ただいま」
黒い上下の部屋着は、衣料品チェーン店で買ったばかりの新品。
腕まくりしてフライパンを振るう姿を横目で眺め、ベッドルームに入る。
「ふぃー、疲れたあ」
窮屈なスーツとストッキングを脱ぎ捨てると開放感に息が漏れた。
愛用の部屋着に着替え、洗濯物を洗濯機に入れ、キッチンスペースに戻るとテーブルの上には出来立ての夕食が温かな湯気を立てていた。
「うわ、美味しそうだね」
いそいそと座るとエース君が冷蔵庫から豆腐を取り出して置き、わたしの前に座って手を合わせた。
「いただきます」
「いただきます」
野菜炒め、冷奴、豚の生姜焼きとワカメの味噌汁。食材とタレの混ざった香りが鼻をくすぐる。
「お肉美味しい!ご飯美味しい!今日もありがとう。エース君」
「…そんな凝ったモン作ってねえだろ。大袈裟」
白米をモリモリと食べるエース君は言葉とは裏腹に少し目元を緩めた。美味しいご飯は世界を救うよね!
「大袈裟じゃないよ、本当に美味しいし嬉しい」
「……ふーん。早く食べれば」
タダで匿って貰う気はねえ。そう言ってわたしの汚部屋を掃除して、ご飯の用意までしてくれた律儀な男の子にわたしは心から感謝した。
アパートの管理人さんへは従兄弟がしばらく泊まるので…なんて適当な言い訳を素知らぬ顔で済ませておいたので、まあ多分、大丈夫でしょ。
「そうだ、これ。買い物のレシートと余った金…」
「んー、そこ置いといてください」
机の上に乗せられた明細とお金より、今はこの生姜焼きを味わう方が大事だ。わたしが箸を置かず食事を続行していると、エース君がしかめ面した。
「……はぁ。なまえさんさあ、そんな良い加減でいいのかよ。そんなんだから俺みたいな変なのに付け込まれるんだぞ」
「エース君はいい子だし、大丈夫」
「…っ良い子とか!ガキ扱いすんなよ!あと俺は良い子じゃない!」
褒めたのに怒られた。仕方ないので金額だけサッと確認して、とりあえず床に置いた。
「確認したらちゃんと片付けろ。置きっぱ禁止だ」
「食べたら片付けますよ、エース君も冷めないうちに食べましょう」
食べたら片付けてくれよ、と折れてくれ、わたし達は夕食を美味しく楽しくいただいた。
「…あんたの仕事って忙しいのか」
洗い物はわたしがするから、とエース君をTVの前に押しやってスポンジを躍らせていると声が聞こえる。
首をひねってそっちを向くとエース君は流れるバラエティを眺めていた。電源入れたらついた番組って感じで、とりわけ興味なさそうにぼんやりしてる。
「長年勤めていた人が別の県の支社に移動しちゃって。新人さんも頑張ってくれているんだけどね」
アパートでは何もしたくないくらいには疲れてストレスが溜まってる、とは口にしなかった。シンクに向き直って残りのお皿とお茶碗の泡を流す。
…一人分じゃなくて二人分の洗い物は面倒な気持ちより嬉しさが湧く。一人暮らしの独り身は楽だけれど、時々、堪え難いほどの孤独に飲まれるから。
「あっ、座ってて良いんだよ?」
「あんまり面白いのやってねえんだ。暇だし」
ダラダラしてればいいのにエース君は洗い終えた食器を布巾で拭き始めた。なんて真面目な子だろうか。わたしダラダラするの大好きなのに。
「ありがとう。そうだ、映画とか観る?たくさんあるよ」
アパートに来た日は片付けと最低限の買い物で終わり、二日目は不足分を買い足して布団を干してくれて、働かせっぱなしで申し訳ない。
少しでも座っててもらおうと出した映画ディスクコレクションを見せる。
「何あんの?…なまえさんが決めてくれ。俺、映画ってあんまり観た事ねえんだ」
二本だけ鉄板のアニメーション映画を持っていたけれど、わたしは台詞を覚えるほど観た映画の一つを選んで再生した。
つまらないかな?とチラチラ横目でエース君を見ていたけれど、イントロからエンドロールまでピクリともせず画面に釘付けだった。
「…面白かった」
「そう?良かった」
「目の見えねえ元軍人のおっさん、凄え格好良かった。主人公も初めはイライラしたんだけどさ、おっさんと居るうちに考えとか変わってくのもいいし」
「うん」
「目が見えねえと他の感覚が鍛えられんのかな?おっさんが香水の匂い当てるの凄えと思ったし、踊ってる時の曲が…」
饒舌に感想を述べるのに耳を傾ける。
キラキラした目で身振り手振りが加わってあの場面この台詞…と、エース君が話す。
「…何笑ってんの」
「わたしの好きな映画だから、気に入ってくれたみたいで嬉しいなーって思って」
馬鹿にしたわけではないと謝ると、そっぽ向かれた。照れ隠しかな、可愛いとか言ったら怒るんだろうな。
「なまえさん明日も仕事なんだろ、寝れば」
「うん。エース君は他にも観たいのあれば観てていいけど、寝る時はちゃんと毛布かけてね」
シャワーを使って髪を乾かして出ると、エース君はさっそく別の映画を夢中で観ていた。
「シャワーどうぞ、先に寝るね。おやすみ」
「んー、これ終わったら入る。おやすみ」
……うん。
なんていうか、めちゃくちゃ健全。女として見られてない感満載。ちょっとだけ襲われるかな、どうしましょう?なんて考えたけど全くない。顔の傷とか匿って欲しいとか訳ありなんだろうから突っ込んで聞かないけど。
「…いつまで居るかも解らないし、良いんだけどね」
居られるだけ居てくれたらいいな。作ってくれるご飯美味しいし、エース君は結構可愛い顔してるし。
「でもまあ、甘え過ぎないようにしないとね。後から辛いから」
ベットで布団に包まって目を閉じる。
しばらくしてシャワーを使う音がして、聞いてるうちに眠ってしまった。
うとうとして誰かの気配が心地よく、目覚ましのアラームが鳴るまで目は覚めなかった。
「なあ、朝メシ!もう出来てるんだけど!!」
部屋のドアをノックする音と起きろと急かす声がわたしを急き立てる。
「…うう…おはよう…いいにおい…」
「ほら顔洗って、早くよく噛んで食ってさっさと出ろよ!もう時間やべえんじゃねえの」
食事して着替えてメイク、鞄を掴んで玄関へ。この流れは計算し尽くして一分の無駄もなくしてある。遅刻厳禁。
「……そうやってると、なまえさんて別人だよな」
「え?」
「何にもねえよ。いってらっしゃい」
「??…イッテキマス」
ちゃんと聞き返そうと思ったけど時間がない。慌ただしく出て鍵閉めて、階段降りて駅に向かった。満員電車に揺られつつ今日の晩ご飯は何だろうと考えながら気を紛らせた。
息苦しい電車内も山積みの仕事も。エース君のあの一言で浄化されるのだ。
『おかえりなまえさん』
ああ情けないなあ。たった数日過ごした年下の男の子に、利用してやろうなんて目論みしたくせに。随分と生活を侵食されてしまった。
→(Side ACE)
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