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二つの祖国。
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(Side if)
ぼくたちがお母さんのお腹に宿ってから産まれ出るまで、それはそれは大騒ぎだったらしい。
父が人外種で母がニンゲンという初めての受胎に出産は、毎日記録を取るほどの偉業だとジンガイの誰もが言う。
『ねー、フーゴ。どうしてかーさんと一緒にくらせねーのかな。オレたちのかーさんなのに』
『お母さんはニンゲンだからニンゲンの土地でくらすんだってマルコさんは言ってましたよ、ナランチャも一緒に聞いていたでしょう』
一つの卵の中に二人のぼくら。
お母さんは子供を宿すのも卵を温めるのも初めてだったそうです。初めての子供がぼくたちだなんて嬉しいと思います。
生まれて初めて見たお母さんは卵の殻の向こうで満面に微笑んで、優しく手を伸ばしてくたのを朧げに覚えています。
『…オレ、ニンゲンきらい。いつもかーさん取るし』
『それマルコさんに言うと怒られますよ。ナイショにしておいた方がいいです』
マルコさんはニンゲンを贔屓し過ぎだとサッチさんが言っていましたけれど、ぼくもそう思います。
二人も子供が増えたとジンガイの仲間たちはたくさんの知識と愛をくれます。食事の仕方、食べ物の集め方、身体の動かし方。孵化してまだ三ヶ月のぼくたちにはたくさんありすぎるジンガイとニンゲンの違いを全部はまだ覚えていませんけれど。ぼくたちの種は『マルコさん』のものだけど、この土地の人外種は全てぼくらの家族だし親なのだと言います。
『いっぱいかぞくがいるのって楽しいけど、オレたちのかーさんはかーさんひとりじゃん!一緒がいい!』
『はい。お母さんはとくべつです。もっと一緒にいる方法はないのでしょうか』
ぼくたちは枕を寄せ合い考え込み、だけど答えが出る前にいつも眠ってしまう。
「やーーーだーー!!ヤダヤダヤダ!行かないでぇーー!」
手足を使ってお母さんの足に絡みつく兄弟。顔を真っ赤にして泣き喚き、ギャン泣きを披露している。双子だというのに…全くぼくと同じ顔であんまりみっともない事をしないでほしいものです。
「…ナランチャ。そんなに泣かないでください」
引き剥がそうとはせず頭を撫で宥めようと試みるものの効果は感じられず、周囲に泣き声を響かせ続けています。
「…お母さん。ぼくも寂しいです、もう少しでもいいからいてほしいです」
片割れであるナランチャの泣き落としに乗じて、ぼくは上目遣いで服の裾を少し引いてお願いを。泣き出しそうに潤んだ目はお母さんに効果的であるって知ってますよ。
「…うぅッ…あ、あと十分だけですよ」
足元からよじ登ったナランチャを抱き上げ、屈んでからぼくも抱きしめてくれる優しくて細い腕。ぼくたちは安心しきってお母さんにくっつきました。柔らかくって優しくて大好きなお母さん。
「かーさん、あのね、オレあたらしい文字がかけるようになったんだよ!」
「ぼくはお母さんのにがおえをかきました!」
次はいつ会えるか解らないお母さんの気を引くために、ぼくたちはたくさんの事を伝えます。にこにこと笑って聞いたあと、凄いのねと褒めてもらいたくて。
「ナランチャもフーゴも、とっても上手ですよ。これは私のお部屋に飾りますね」
「えへへぇ、ほんと?オレの字、上手?」
「お母さんのおへやにかざってくれるのですか、うれしいです!」
ぼくたちはお母さんの笑顔が大好きです。にっこりされるとぼくたちもにっこりしてしまいます。
「…はいはーい。そこまでだ、ちびっ子ギャングども」
「「あっ!?」」
「ほらー君も毎回足止め食らうなって。参謀長の引き伸ばしも結構ギリだから少し急ぐよ」
お母さんの足元の影から人影が立ち上がり、驚いた顔のお母さんを抱きしめるとそのまま影の中に沈んだ。
「…あー!またサッチのやつ!」
「…いってらっしゃいも言えませんでした…」
影の人外であるサッチさんはいつもお母さんを『お城』のあるニンゲンの土地へと連れ去ってしまいます。お母さんとの時間を邪魔する悪いヤツ。ひどいです。いじわるです。
頬を膨らますナランチャは地団駄を踏んで悔しがる。ぼくは口を尖らせるだけで我慢しました。ナランチャより大人なので。
「おいでナランチャ、フーゴ。今日のお勉強しよっか」
フォルテシモさんがぼくたちを促すので後について今日の勉強場所へ向かいます。いっぱい勉強をして早く大人になってぼくがお母さんを守るんだから頑張らないといけません。
「…行きましょう、ナランチャ」
「えーオレ、べんきょうキライ…あれ?」
ナランチャが何かを拾ってポケットに入れました。先に歩き始めていたフォルテシモさんは気がついていないみたい。
「どうしたんですか、ナランチャ」
「…フーゴ。これ、かーさんのだよな?落ちてた」
ぼくだけにナランチャが拾ったものをこっそり見せてくれました。
それはお母さんがいつも身につけている青い石のついた髪飾り。
「サッチがかげに入れるときに落としたのかな」
かーさんがこっちに来たら渡そう。
ナランチャはそう言ってポケットに大事にしまいました。
フォルテシモさんの歴史の勉強が終わりビスタさんの手合わせを終えて、ぼくたちはお昼ご飯を食べる為マルコさんの家に戻ります。
「おかえりナランチャ、フーゴ。今日は何を教えてもらったんだい?」
「ニンゲンは弱いからさわるときに気をつけろって!ねー、マルコおなかすいた!」
フォルテシモさんの話はもっとたくさんあったけれどナランチャはニンゲンを好きじゃないので、真面目に勉強をしません。ぼくはナランチャの言葉を捕捉するためマルコさんに今日の内容を伝えました。
「ニンゲンと人外の身体のちがいについて教わりました。お母さんにさわるときギュッとしすぎるとケガをしてしまうので、力かげんを覚えなさいと」
マルコさんはいつもにこにことお母さんをニンゲンの土地に送り出してしまいます。お母さんを好きなのにどうして離れても平気なのでしょうか?そんなの変です。
「お前たちは産まれて三ヶ月の子供で、半分はニンゲンの血が入っている。だけど身体の力はニンゲンよりずっと強いんだ。そうだねい…卵に触るように触ると良いよい」
ぼくたちの前に鶏の卵を置いて、これをお母さんだと思うように言います。きっとお昼ご飯に使った残りの卵でしょう。
「…あのねマルコ。かーさんは卵じゃないんだよ。知らないの?」
「知ってるよい。俺のとても大事なツガイだ。泣かせたらお前たちでも許さねえから、泣かせないでくれよい」
マルコさんは僕らの頭を撫でてにこにこと笑いました。お母さんに触る時は特別な手袋を付けないと触れないという癖に。
だからきっとぼくたちの方がお母さんを大事にできます。だってぼくたちは手袋なんてなくたってお母さんに触れるのですから。
「お前たちももう少し勉強して成長すると解る。ニンゲンの技術も歴史も学ぶ程に興味深い。いろんな話をよく聞いて考えるのが大事だよい」
マルコさんは青く燃える鳥の人外種だけれどニンゲンを真似て人型で居ることが多い。ぼくたちはマルコさんの種から出来ているから、同じような鳥の能力を継いでいますが人型で過ごす方が楽です。
「ねえマルコ。かーさん次はいつ帰ってくるの?」
ナランチャが自分の髪の一房、金髪の中の黒髪を指で弄りながら尋ねました。金色はマルコさんの、黒はお母さんから貰った色。この一房と黒い目はお母さんとぼくたちがお揃いなので自慢の一つです。
「早ければ来週だねい。遅かったら…いつだろうねい」
マルコさんは窓の外に目をやり、遠くに見えるニンゲンの土地の方を眺めて答えました。ぼくたちもつられるように窓を見て、そしてがっかりしながらナランチャと顔を見合わせます。
「「「ごちそうさまでした」」」
三人で手を合わせご飯を食べ終わり、食器の片付けはぼくたちの仕事。踏み台を使って三人分の後片付けをします。
「ねえナランチャ。お母さんの落とし物、ぼくたちでとどけに行きませんか?」
ぼくは乾燥機に入れた食器が乾くのを見ながらナランチャに提案をしました。
「え?!…で、でも!ニンゲンの土地に行くのにはキョカショーがいるんだよ」
「大丈夫です。ぼくマルコさんの許可証が片付けてあるばしょを知っているんです。それを使ってきょうかい線をこえましょう」
時折、マルコさんがニンゲンの土地にお母さんを送り届けます。身体にお母さんを乗せ空を駆けるのを何度も見ました。前に何処へお母さんを運ぶのかと尋ねたら、ニンゲンの土地にある一番高い建物を目指して運ぶんだと教えてくれました。
「あっちはニンゲンがたくさんいるんでしょ?それにかってに行ったら怒られるよ…」
「じゃあぼくだけでお母さんにとどけに行きます。かみかざりを貸してください」
手のひらを突き出すとナランチャは髪飾りを取られまいと両手で握りしめました。渡さないと言うように。
「……オレも行く!フーゴひとりで行くなんてダメなんだからな」
「はい。じゃあナランチャも一緒に行きましょう。飛べばすぐですよ」
ぼくは棚にしまってあるマルコさんの許可証を取り出して、斜めがけのカバンに入れました。ナランチャはお母さんの髪飾りを色違いの斜めがけの鞄に入れ、準備は完了。
ぼくたちは手を繋ぎ他の人外に見つからないよう二番地の境界を目指しました。境界線。そう聞いていた場所には僅かな目印しかなく、見張りもいません。許可証の意味はあるのでしょうか。
「ここからは飛んで行きましょう」
「うん」
身体を変幻させるとぼくたちは人から鳥へ。マルコさんと同じ色の青い羽毛に包まれます。
…お母さんを乗せられるような大きさにはまだまだ足りませんが、鞄を持って飛ぶくらいは簡単です。落ちた服はまとめて草むらに隠し、羽ばたいて高い樹よりももっと上へ。
「オレ空とぶの好き!きもちいいよねぇ」
人型で居るのも楽しくはありますが、本能と言うのでしょうか。鳥の姿で空をかけナランチャと戯れ合うのはぼくも大好きです。
「ナランチャ。あまり派手にとぶと目立ちます、かぜを利用してあのたて物を目指しましょう」
遠く遠くに見える、ニンゲンの土地で一番高い建物。ぼくらの目でも見つけられるそこまでどのくらいかかるか解りません。
「あっ!待ってよフーゴ!おいていかないでよー!」
飛んで飛んで、こんなにたくさん飛んだのは初めてです。羽根が重く感じてきました。
見下ろす先には畑が広がり、ぽつぽつと工場のような建物が見えます。
「…ねーフーゴ、オレもうつかれたあ。あの川で休もうよ」
「…そうですね、下におりましょう」
湧水で喉を潤し、人型になって川端で身体を伸ばして休めます。
「さっき見えたのってニンゲンの畑とこうじょうだよね。マルコの本で見たのと同じだったね」
「そうですね。ニンゲンはあそこで何を作っているのでしょうか」
人型になり足で水を蹴るナランチャは半分こした果物を齧ってから顔を歪めました。
「…これ、おいしくない」
「…味がうすい、気がしますね」
ぼくも口に含んでからナランチャの言葉に頷き返し、ニンゲンの土地だと美味しくないのかな?と不思議に思いました。
「早くかーさんに会いたいね」
「はい。行きましょうか」
髪飾りを落としていないか取り出して二人で眺めて、お母さんの優しい手で撫でられる想像をして。ぼくたちはまた変幻して高い建物を目指し飛び立ちました。
「…おなかすいた。とぶのつかれた、ねえフーゴ!まだつかねえの?」
かなりの距離を飛びましたが、あの大きな建物は随分と遠いようですね。近付いてはいますが辿り着く前に夜になってしまいそう…いいえ。先に疲れて動けなくなりそうです。
「あと少しで畑をぬけます。その先はニンゲンの巣…住処だと思いますから、そこまでがんばってください」
ニンゲンの居住区、近くに人気のないのを確認して、ぼくらはこっそりと降り立ちました。壁から顔を出してナランチャがあたりを見渡します。
「…どーしよフーゴ。ニンゲンたくさんいるよ」
「…オスもメスも弱そうですね。それに大人にしては小さいです」
お母さんが特別に小さい訳では無いのですね。だって大人の雄が人外の雄に比べてあんなに頼りなく小型だなんて。本で見ていましたけれど実際に見ると余計変なものに見えます。
「み、見つかったらどおしよ?」
攻撃される前に攻撃すれば良いのでは?あんな弱そうなのを前に、どうしてナランチャは怖がるのでしょうか。
「ナランチャ。ぼくたちは人型になれば、きっと人外だとバレません」
お母さんのニンゲンの血が入っているおかげでしょう。他の人外と比べてぼくたちの人型は見た目でニンゲンと違う部分はありませんから。
「ちょうど良く着るものが干してあります。サイズもぼくらと同じくらいだし、あれをもらいましょう」
「もらうって…対価はどうするの?」
「イゾウさんから前にもらった石があります。ニンゲンはこの石が好きだって本にかいてありました。これを対価にしましょう」
鞄から加工できないクズ石と言われたかけらを入れた小瓶を取り出して、服の干してあった所に置きました。子供の服ならこのくらいで充分な対価…だと思います。価値はよくわかりませんが。
「へへ。このふくフーゴとおそろいだ。オレこっちの色がいい!」
この住処にはぼくらの同じくらいのニンゲンの男の子がいるのでしょう。白いシャツに黒の短パン。靴下の色がオレンジと水色で、ナランチャはオレンジを選んでぼくに水色を渡します。黒い靴を履いて鞄をかけたぼくらはどこから見てもニンゲンの子供でしょう。完璧です。
「フーゴ。手ぇつなご」
「はい」
ぼくたちはドキドキしながらニンゲンたちの居る道へ出て歩き始めました。ちらり、ちらりと寄せられる目が少しだけ怖かったけれど。誰も話しかけたり攻撃を仕掛けてはきません。
「んー?そこのおチビ!見ない顔だね、二人だけかい?」
「「ピッ?!」」
建物や通り過ぎていくニンゲンの雄や雌、化石みたいな皺の年寄りが珍しくて辺りを見ながら歩いていると、自動車が一台止まり運転席からニンゲンが話しかけてきました。
「…ぼくたちはお母さんに会いに行くんです。あの大きなたてもののところで待っているんです」
繋いだ手にどちらからともなく力が入ります。ニンゲンと話している、今、お母さん以外の知らないニンゲンと。
「二人でかい?」
「「…………」」
黙り込んだぼくらをどう思ったのか、運転席のニンゲンの大人の雌は立てた親指をくいっと後ろに振って笑いました。
「乗りな!アタシも今からお城の方に行くんだ、連れてってやるよ」
大人の雌が指し示したのは車の荷台。大量のみかんがカゴに入って乗っている狭苦しい隙間。
「あ、みかんだ!オレみかん好き!」
キラキラとナランチャが目を輝かし、蜜柑をよく見ようと飛び跳ねます。
「へえ!あんた蜜柑好きなの?良い子だねえ、特別に三つまでなら食べても良いよ」
「ほんと?!フーゴ早くのろう!」
「ナランチャ!知らないニンゲンですよ!」
よじ登ろうとするナランチャの服をひっぱり止めると、ぼくとナランチャの身体が浮き上がり、荷台に乗せられてしまいました。
「子供の足でチマチマ歩いてたら日が暮れちまっても着かないよ。大丈夫、このベルメールさんに任せなさいッ」
超特急で行くから落ちるんじゃないよ!との言葉通りにニンゲンの大人の雌はものすごい音とスピードで車を発進させました。
「すっげー!早い!マルコがとんでる時みたいだ!」
「ナランチャ!身をのりだすとおちますよ!…あとこんなのよりマルコさんの方が早いです」
全くナランチャは泣き虫のくせに好奇心だけは強いんですから。ぼくはこんなニンゲンに惑わされたりしませんよ。蜜柑だって食べませんよ。呑気な顔で蜜柑を食べるナランチャには呆れてしまいます。
「ひゃっほー!」
ニンゲンの大人の雌の歓声にナランチャの笑い声が混ざりました。
ガタガタと揺れて不快な車の荷台、落ちそうになる蜜柑を抑えて曲がり角の度に転げ落ちそうになり、ぼくの気分が悪くなってきたところでようやく車は止まりました。
「さてと、なんとか日暮れに間に合ったね!」
荷台から降ろされたぼくは揺れに揺れた乗り物のせいで吐きそうです。ご飯は食べてないのにお腹がグルグルする。
「この先は車が入れないんだよねぇ。いいかい?ずっと真っ直ぐに歩くんだよ、余所見しないで行くんだよ」
うるさいです。頭に響くので話さないでください。口もきけないぼくと違って元気いっぱいのナランチャが答えました。
「あのね。みかんおいしかった!ありがと。ニンゲンの…えっと…」
ベルメールだよ。ニンゲンの大人の雌が笑ってナランチャの頭を撫でると、ナランチャはくすぐったそうに笑いもう一度お礼を言ってぼくの手を握りました。
「じゃーね、ベルメール!ばいばい!」
行こ、フーゴ。
ナランチャは真っ直ぐに歩き始め、ぼくの手を引く。
「よかったね、フーゴ。オシロまであと少しだよ」
いつもそうですよね。ぼくよりもナランチャの方が好かれるんです。泣き虫で勉強もサボるしすぐに文句を言うのに。
「かーさんいるかな、びっくりするかな?オレたのしみー」
…お母さんだって、いつも、ナランチャの方を先に抱っこするしナランチャが泣くから帰るのを遅らせてくれるんだ。
ぼくが歩くのをやめると繋いだ手が引っ張られ、ナランチャも立ち止まってぼくの方を見ました。
「…フーゴどーしたの?おなかすいた?ベルメールのみかんたべる?」
口元を押さえて俯いたぼくにナランチャは一生懸命話しかけて、鞄から蜜柑を出しました。
要らない。要りません、そんなの。ぼくは、ぼくが欲しいのは。
「…あっ、それはかーさんの…!」
「これはぼくが一人で届けます!ナランチャなんて…ナランチャなんてきらいです!」
ナランチャの鞄からお母さんの髪飾りを取り上げて、ぼくは走りました。驚いた声を上げたナランチャはぼくの後を追いかけて走ってきます。
「フーゴ!まっすぐ行かないとダメだって、ベルメールが」
「うるさい!あっちに行ってください!」
「やだ!行かない!」
どこをどう走ったのか解りません。気持ちが悪くて吐きそうで、ぼくは路地の一つに身をかがめて胃の中のものを戻しました。
「…ウ、ぐえ、ゲホ!ごぼ…っ」
「フーゴ!」
胃の中に物がないせいか苦い液がせり上がり、僅かな液体が道路を汚します。吐くものがないのに内臓が震えて何度も喉が嫌な動きをしました。
「フーゴ!どーしたの、おなかいてーの?ねえ、フーゴ…」
泣き虫ナランチャ。また泣くんですか。ぼくだって泣きたい。喉が痛い。気持ち悪いし、口の中も変な味がします。お母さんに会いたい。
「…お、お母さん…う、グスッ…」
髪飾りを握りしめてツンと鼻が痛んで、目から涙が溢れました。会いたい。お母さん。どこ。
「…あれェ、こんなところで身形の良いガキが何してんだァ?」
「「!!」」
ガラガラした声。ぼくたちに向けられた言葉はさっきのニンゲンの大人の雌と同じ内容なのに、なんだか嫌な感じに聞こえました。
「どこぞの貴族のガキか?とっ捕まえて売り飛ばすか、それともバラバラにしてしまおうか…」
辺りはいつの間にか真っ暗で、人間の土地の照明は薄暗くて、こっちに向かってくる雄の姿は闇に溶けて良く見えません。
「…ナランチャ、にげてください」
ぼくは今、走れない。飛ぶのはぼくより下手でも走るのはナランチャの方が上手いんですから、一人なら逃げられます。
「…や、やだ…」
「二人でつかまるより、一人でもにげたほうがいいでしょう」
「やだ!フーゴはオレの兄弟でしょ、おいてかない!」
…ああそうです。ナランチャは泣き虫のくせに、弱虫じゃありませんでしたね。涙で顔をぐちゃぐちゃにしたナランチャが雄からぼくを守るように手を広げて通せんぼしました。
「へー、逃げないんだ」
黒い影は大きくてこっちに近付いて来るほど恐ろしく見えます。ニンゲンなんてと思うのに身が竦んで身体が上手く動きません。
「…お、おまえなんかこわくねーもん!オレの方がつよいもん!」
ぎゃん、と吠えるようにナランチャが声を上げますが、完全に涙声ですし震えていました。
「じゃあ頭から齧って食っちまおうかなァ」
「ぎゃーー!!」
子猫でもつまみあげるように軽々と影がナランチャを掴み上げてしまいました。
「ナランチャをはなしてくださ…わああ!ぼくにさわるな、はなせ!」
ナランチャを取り戻そうと飛びかかりましたが、ぼくまで捕まってしまいました。二人で暴れてもびくともしない。これはまずいです、ニンゲンを見くびっていた。このままじゃ食べられてしまいます!
「がぶー、…なんてな。ちょっとは懲りたか?チビども」
暗い路地から持ち出され、ぼくらを抱える大男の正体が明るい照明の下に現れました。
「……サッチさん?」
「……サッチ?」
ぼくらの涙声がハモるとサッチさんは鼻で笑いました。
「お前らが二人だけで東地区に向かったと知って、ハルちゃんがどんな思いでいたかこれから良く見とけ」
「…かーさんおこってた?」
ナランチャが恐る恐る聞くとサッチさんは一拍置いて、爽やかに微笑みました。
「泣いてた」
「「!!?」」
目を見開いて絶句する僕たちに爽やかな笑みのままサッチさんはお城の方に足を進め、話します。
「怪我してないか、困ってないか、泣いてないか、見つからなかったらどうしましょうサッチさん、って泣いてるあの子をマルコが必死で宥めてる」
「…マルコさんもこっちに来ているんですか?!」
「当たり前だろ。本当はあいつが後つけるって言ったんだけど俺の方がこういうの得意だから、マルコは大事な大事なツガイの慰め役やってるよ。ちなみにお前らが着てるその服も用意したの俺だぜ」
恥ずかしさと悔しさで顔が熱くなる。お母さんを笑わせたかったのに泣かせてしまったなんて。
「しかしまァ。目的地のこんな近くまで来ておいて、仲間割れして迷子とか救えねーな」
「…サッチさんいつから見てたんです?」
ケンカして泣きながら走って喚いて迷子になったところを見られたなんて。隣にいるナランチャを見たら、きっとぼくがどんな顔をしているのか解るでしょう。同じ顔をしてるに決まってるから。
「は?お前らがマルコの薬屋出る前からに決まってんだろ」
…それ一番初めの計画段階からじゃないですか!?全く気が付きませんでした。影の中に居たと種明かしされても、僅かな気配も何も感じられないなんてありえない。
「ウソでしょ、そんなの!」
「たかが産まれて三ヶ月のガキどもが、この土地で俺の目を掻い潜って好き勝手できるって本気で思ってた?ぶははは!…笑わせんな」
低くなった声。ぼくらを見据える目と身体から発せられる威圧感。
ぼくとナランチャは口を閉じ、ただ動けずにいました。とっても怖くって。
人外の雄は雌に気に入られるため能力を磨く。強さであったり器用さであったり、個々の種としての魅力を示すための力。この人はとても強い。逆らっちゃいけない人だと本能が警告を鳴らす。
「で?お母さん泣かせた気分は?」
「……」
「情け無ェよなあ。雄が二人も揃って俺たちの大事なだーいじなハルちゃんをあんなに困らせて心配させて苦しめてさあ」
「……」
「ニンゲンから物凄い反対されて詰られて、罵られて止められて。それでも命懸けでお前らを産んでくれたのに、何やってんの?ねえ?」
「……グスッ…ごめんなさい…」
「…ひっく、ごめ、なさ…うえーん!」
サッチさんの言うことはぼくたちの心を滅多刺しにしていきます。ついにメソメソと泣き出したぼくらを、サッチさんはお城にいるお母さんとマルコさんの前に突き出し、ぼくたちはマルコさんから特大のお説教と拳骨をもらいました。
「マルコさん。そんなに怒らなくても、二人とも無事に帰ってきてくれましたから」
「駄目だよい。ハルを泣かせた」
目を赤くしたお母さんに止められてもマルコさんは止まりません。いつもの笑みはどこへやら、酷いしかめつらで制裁が続きます。
「ああ…!そんなにフーゴの頬っぺたを引っ張ったら伸びてしまいます…!」
泣きながら謝るぼくをお母さんが庇い、マルコさんを止めるため腕に抱きつきました。
「…っハル!急に俺にくっ付いたら危ねえよい、いや、その、俺はハルとくっ付くのは好きだよい。大好きだよい。ハルがいつも笑顔でいられるために何ができるか毎日考えてる。ツガイになってくれて家族になってくれてナランチャとフーゴを産んでくれた事は感謝してもしきれねえ。すごく大好きだよい」
「あの、はい、…もう!子供達の前ではそういうの押さえてください!」
握る手、握り返す手。
(…マルコ、かーさん大好きじゃん)
(ぼく知ってます。デレデレって言うんですよ)
(当たり前だろい。俺はお前らの事も大好きだよい)
←リクエストありがとうございました!
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