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HIRAETH.
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(Side U)
私がオヤジに救われモビーディック号に乗った頃。サッチは若年ながらもすでに台所を預かる立場だった。
「…オヤジ、その汚い子供は?まさかまた拾って来たんですか?犬猫じゃァあるまいし、珍しいからと何でも拾ってくるのは控えてくださいよ」
髪はまだリーゼントになる前で、上下ともに真っ白な服にエプロン。包丁を両手に持って顰めっ面していた。
「どうせ『好きにさせとけ』って言うんでしょう、世話して育てるのは誰だと…」
「グラララ!お前ェがそれを言うのか?マルコもサッチ俺が拾ったハナッタレだろうが。ああ?」
「うぐ!…俺もマルコも育ちが悪いんで『荒事』には慣れてますけど、こんな痩せた子供じゃ…ん?」
サッチは私を見てから何か言いたげにオヤジを見上げた。ニヤリと口元を歪めてサッチの方に私を放り投げた。
「…うわ!危ッねえ、…オヤジ!」
「こいつは『好きにさせておけ』…お前らが自分で生きる道を見つけ、俺の息子になったように。こいつもここで身の振り方を考えりゃァいい」
ボールのようにオヤジに投げられた私をサッチが受け止める。両手の包丁が腰の鞘に収まるのが見えなかった。
「…はぁ。了解です船長」
「おう」
その瞬間から私はここモビーディック号でお世話になる事が決まった。エドワード・ニューゲートをオヤジと仰ぎ仲間を家族として。
「サッチー、ボタン飛んだ。付けて」
「ええ?…うへえ、何だよその格好!!あーあー、なまえ待って動かないでくれ!そのまま船に入るなよ!」
敵船との戦闘後。よし勝った!と思ったのに潰しそびれたバカが撃ってきやがった。
血溜まりで足を滑らせてバランスを崩してしまい避けるには避けたけど、弾はシャツの胸元を掠めた。弾は生地を破きボタンが飛び、変に身を捻ったせいで私は血の上に派手に転倒したのだ。無様!!!
「…うっぷ!何するんだよ!」
「先に水洗いだよい」
甲板でタオルを取りに走って行ったサッチを待っていたら頭から水をかけられた。犯人は一足先に飛んで戻っていたマルコだ。不死鳥の異名を持つ通りマルコは怪我もなく服も綺麗。むかつく。
「…ぶは!汚ねえな、酷え惨めな格好だねい」
「今マルコの所為で惨めな事になったんだけど?」
睨むと笑われた。他の兄たちも私とマルコを囲んでゲラゲラと笑う。何か言ってやろうと口を開く前に静止の声が響く。
「はい、そこまで!なまえは回収してくからな、ぶち撒けた水は掃除よろしく」
暴言で応戦しようと思ったのに。大きなタオルが降ってきて身体が浮きあがる。
「遅いよサッチ、マルコに水かけられたじゃん」
「へいへい、すみませんね!…マルコには後で言っといてやるから、なまえちゃんはその立派になりつつある胸を少し隠しなさい」
荷物みたいに肩に担いで廊下を歩いてくサッチ。今の私はタオルで簀巻きのように包まれてるので顔しか出ていない。
「なまえも年頃の女の子でしょうが、もっとこう恥じらいってやつをだな…」
「ナースは服からはみ出しそうなくらい大きいのに、サッチは注意しないじゃん」
「あれは俺たちの眼福だから…じゃなくて!ほら風呂着いたぜ、綺麗にしておいで。シャツは今度新しいの買ってやるから処分しろ」
女湯の前で私を下ろすとドアを開け中に押し込んだ。無慈悲な音で扉は閉まる。
「…ふん、サッチの馬鹿。成長期舐めんなよ!」
服を脱いで籠に入れ鏡の前に立つ。
傷跡と刺青の散る褐色の肌。白髪と間違えられる銀糸の髪に、赤みを帯びた眼球。溜息を飲み込んで胸を揉んでみる。
「…ナースぐらいになるまでどの位なんだろう」
自分で言うのも何だけど身長の割には胸の辺りの肉が少ないような気がする。戦闘では邪魔になるから要らないって思っていた。数年前までは。
「………あなたが目で追うような女になれる日なんて、来るのかな」
お湯を被って歯を食いしばる。こんな悩みなんか汚れと一緒に流れてしまえばいいのに。
「っはー、スッキリさっぱり…お風呂最高…!」
着替えて部屋で少し休んでから食堂に行くと、オヤジの周りにはいつも通りに隊長たちとナースが陣取っている。
「なまえ、こっち来いよい」
こっそりと食事だけ持って食堂から出ようと思っていたのに目敏いマルコに見つかった。無視して出ようと思ったらオヤジまで私を呼ぶ。
「何処で食う気だ。こっちに座れ」
オヤジに言われたら逃げようがない。渋々とトレーを持ってテーブルの方に向かい、せめてもの抵抗としてオヤジの膝の上に座ってやった。
「…やっぱりだよい。お前サッチに言って人参を抜いてきたねい」
「マルコうるさいよ…あ!何で私のお皿に人参入れるの?!」
「いつも言ってんだろい、野菜は貴重だって。人参が食えねえだなんていつまでもガキ臭え事やってんな。せっかくの成長期なのに大きくなれねえぞ」
いつもマルコの子供扱いに腹が立つけど今日は格別にイライラする。
「身長は去年より5センチも伸びたし、胸だってCカップになったけど?脱いで見せようか?」
「「「ぶほぉ!」」」
タンクトップを捲って見せたら周りの数人が口の中のものを噴いた。
「なまえ!やめねえかアホンダラ!」
「マルコが先にけしかけたんだよ!…本当に脱いだりしないって」
くそ、オヤジに怒られた。マルコのせいだ!バーカバーカ!パイナップル!!
「おいおい、賑やかだな!…空いてるなら俺も座らせてくれますか?オヤジ!」
一仕事終えたサッチがトレーを持って合流。サッチはオヤジに話す時だけ敬語を使う。サッチにとってオヤジは格別に特別だから。
「おうサッチ、座れ。今日のシンジュウオは美味えな。酒によく合う」
「ありがとうございます!今回は塩で締めてから炙ったんですよ」
オヤジに褒められたサッチが嬉しそうに笑ってマルコの隣に座る。
「サッチ、お前あまりなまえを甘やかすなよい。俺の言う事聞かねえわ生意気だわ、ちっとも可愛くねえよい」
「は?なまえは存在自体が可愛いんだよ!俺の妹の良さが解らねえなんてマルコは兄貴失格だぜ」
悪態に似たやり取りはいつもの事で二人は仲良しだ。年齢や乗船時期、性別。二人の共通点は多い。
「オヤジ。そろそろ野菜果物の補給に出たいと思ってますが…食べたいもののリクエストはありますか」
食事の席と言っても周りを固めるのは隊長たち。雑談の中にも仕事や任務の話が混ざる事はよくある。
「サッチの作るもんなら何でも美味え。任せる…ああ、酒がねえから酒も…」
「船長。今月分はもうおしまいですわ。ね?サッチ隊長!」
でれ、と顔をだらしなく緩ませてサッチはナースの言葉に頷く。
「ナースの言う通りです。薬が増えるのが嫌なら酒も調整してもらわないと」
口々に隊長たちも身を案じる言葉をオヤジに言うもんだからオヤジも閉口した。
「じゃあ残りは私が」
「おい!…はぁ、全く手癖の悪ィ娘だ」
オヤジの大盃を取り上げて飲み干すとオヤジが呻いて睨んだ。
「サッチの食料調達、私も行く。いつ発つの?」
喉から胃にかけて焼けそうな熱さが通り抜ける。オヤジの好む酒は美味しいけど強い。
「明日の朝に発てば、目当ての島に着くのは三日後かな。積荷次第だけどウチに戻れるのは…一週間後くらいだと」
サッチがオヤジに目で問う。オヤジは軽く頷くと私を摘み上げて膝から下ろした。
「グラララ!…俺の酒を横取りするようなバカ娘にはお仕置きが必要なようだな」
「っ!」
にっこりと笑ったマルコが人参のたくさん乗った皿を突き出す。
「…………オヤジ、一個くらい食べてよ」
「駄目だ」
私は大嫌いな人参を食べる事と引き換えにサッチの食料調達の手伝いを勝ち取った。…おえっ。
「それじゃあ一週間ウチの台所を頼んだぜ」
「「「了解サッチ隊長!」」」
サッチが小船の上から手を振る。
乗組員は五人で全員が四番の隊員だ。私は小船が降ろされるのを甲板から見下ろしていた。
「…人参食べたのに。マルコの嘘つきバナナ頭野郎」
「食ったら行ってもいいとは言ってねえだろ。なまえは仏頂面してると余計に可愛くねえよい」
…本当に腹立つ。くそパイナップル。人参を食べさせておいて『なまえが付いていくと余計な出費がかかるよい』とかほざいて、食料調達へ出る許可をくれなかったのだ。
「…サッチ、早く帰ってきてね!私サッチのホットケーキが食べたい!!」
「おう!すぐに帰るよ、タワーみたいなホットケーキ食わせてやるから待ってろよなまえ!」
甲板から叫ぶとサッチは笑った。船が見えなくなるまで見送って私はマルコの小言を聞きながら日々を過ごす羽目になった。
「書庫の三番の棚にある海図を一通りと、最近の気象情報持ってきたよ」
「その書類の横に置いてくれ。分けてんだから山を崩すなよい」
「少しは掃除したら?マルコ隊長」
「…お前が俺を隊長って呼ぶ時はロクな事がねえ。止めろよい!」
昔からサッチの四番に入りたいと何度申請してもその都度却下。私は何故かマルコの下につけられ一番隊に引き取られた。それからマルコの指示に従い今日まで過ごしてきている。
「!」
ぽい、と何かをマルコが投げてよこすのを片手で受け止める。クッキーだった。
「何これ、マルコってクッキーとか食べるの?いつ買ったの?毒入り?」
「サッチが居なくて悄気ている阿呆に効く薬だよい」
こっちを見ないで机に向かったままマルコが言う。
「悄気てない」
「…なまえは昔っからあいつ追い回して付いて回って引っ付いてるだろい。姿が見えねえと泣くくせに」
「~~幾つの頃の話だよ!!クッキーありがとうございます!!」
ウチに乗ったばかりの頃の事をいつまでも覚えてて事あるごとに穿り返すクソ兄貴め。私は乱暴にドアを閉めてマルコの部屋を後にした。
四番隊の食事はサッチのレシピと皆の腕で相変わらず美味しい。ただ、あの陽気な声と人相の悪い笑顔、それにふざけた物言いを聞けないのは物足りない。何かに熱中してないとサッチの事ばかり考えてしまう。
他の仲間が今でも揶揄うくらいに私はサッチの側で過ごしてきたのだから。
「なまえ、暇なら洗濯を取り込んでリネン室に片付けてから二階奥のトイレのペーパーを補充して火薬庫の在庫を調べて纏めてから書庫の…」
「…暇じゃない!トイレットペーパーはさっき補充しておいたし火薬は二の棚と十五の棚が減ってる!それから書庫の羊皮紙はあと十枚くらいしか無いよ!」
イゾウとビスタに頼んで立ち回りの上達に勤しんでるのに、マルコの目は節穴過ぎる。
「無駄に体力有り余ってんなら隊の仕事を手伝え。しごかれてえなら後で俺が稽古でもつけてやるよい」
「サッチが居ないとなまえは大人しいからな。だからマルコも構いたいんだろうさ」
「それに昔からサッチには特別懐いてるから悔しいんだろう」
イゾウとビスタが『行って来い』と武器を収める。息を荒げる私と違いまだ余裕そうだ。
「…世話がやけるねい、疲れなきゃ寝れねえならそう言えば良いんだよい」
私の腕を掴んだマルコが呟く。いつまで私を子供だって思ってるんだろうか。ふざけてる。
「うるっさいよ、約束通り後で相手してもらうからね!ぶん殴ってやる」
「はいはい、そりゃァ楽しみだねい」
甲板で騒ぐと周りに笑われる。くそ、もっと強くならなきゃ。
「…嫌だけどマルコから教わりたい事も身につけたい事も山程ある。ナースにも教えを受けてる最中だし」
手柄を上げてオヤジに褒められたい。役に立ってマルコの鼻をあかしたい。
「………」
「何?マルコの変な顔がさらに変だよ」
「いつもそのくらい素直なら可愛いんだがな」
「余計なお世話だ!」
…ここに帰ってきたら癒されると、サッチが思えるような女になりたいんだもの。胸中で呟いた言葉は誰にも聞かれず私の中で燻り続けている。
「大変だ!!サッチ隊長たちが…!」
穏やかだった甲板に切羽詰まった声が響く。電伝虫を片手に仲間の一人が駆け込んできた。
「何だよい、落ち着いて話せ!」
「は、はい!…食料調達に出た奴らから連絡があって…」
話を聞くとサッチたちは目的の島で無事に食料調達を終えた後、帰りの航路で予測外の嵐にあったらしい。
「どこからかウチの情報が漏れていて、サッチ隊長たちは『ホログラム海賊団』に待ち伏せされていて襲われた…と…!」
「それでサッチたちは?」
私もマルコも他の仲間も詰め寄って続きを促す。
「……四番の隊員を逃す為に、サッチ隊長はホログラムの奴等の船に移って、…そのまま行方知れずに!!」
「最近シマの辺りでちょろちょろと目障りだと思ってたよい。手ェ出してくるとは随分と舐められたもんだねい」
マルコの雰囲気が変わった。隊長の顔になる。
イゾウもビスタも肌がヒリヒリするような殺気を隠そうとしない。
「ホログラム海賊団か。あそこは天候を操る能力者がいると情報があったな」
「すぐに出るか?俺が行ってもいいぞ」
電伝虫を持つ仲間にマルコは指示を出し駆け出す。
「…オヤジには俺から報告する、どの辺りで嵐に遭ったのか海図に書いておけ!」
私もマルコの後を追って船内へとオヤジの部屋へと駆けた。 サッチの身を案じ、自分が捜索へと申し出たのは私だけじゃない。誰が行くのか相談する間も惜しくてオヤジを囲んだ。
「サッチたちが食料調達に向かった島へはマルコが行け。周辺の島に当たりをつけて数人で捜索に当たれ、手分けして船を出して近隣の海を探って必ず見つけ出せ」
一度言葉を切り、オヤジは身の毛のよだつ覇気を出す。
「…ホログラムを全員捕らえろ。俺の愛する家族に手を出すって事がどういう事か、確りと教えてやろうじゃねェか」
「「「了解オヤジ」」」
私もサッチ探索のメンバーとして近隣の島の探索へと出立した。
サッチは強いし泳ぎも得意だ。簡単にやられたりしない。自分に言い聞かせて鞄に荷を詰め、色の濃いサングラスをかけ島に降りた。
「目元に傷のある大男を知りませんか?」
着いた島で聞き込みを開始。私が任されたのは小さな島の一つだ。ここは特に目立つところもないけど泳いでギリギリ辿り着けるくらいの場所。
「…大男?知らないねえ…お前さんは何処からきたんだ?」
「最近、港に船なんか着いてないね」
「調べてどうするんだい?」
一目でよそ者と解る私に島民の反応は厳しい。
この島じゃなくてもいい。どこかで無事にいて、ひょっこり顔出してくれたらそれでいい。
「茶髪で人相の悪い男です。どんな情報でも構いません、ご存知の方はいませんか」
念の為市場や店の聞き込みもしていく。電伝虫で他の島に散った仲間と連絡を取っても『情報がなく見つからない』ままで一夜が明けた。
「…?」
焦りを感じながら迎えた翌日。聞き込みを続ける私を見ている女の人に気付いた。その人と目が合うと途端に逃げられた。
「…待って!貴女は何か知ってるの?!」
「離してよッ…あたしは知らないわよ!!」
怪しい。何かを絶対に知っている。
私の手を振り解いて逃走した女の後をつけた。
女は警戒しながらも気配を消している私に気が付かず、彼女の家と思われる所へと入って行った。しばらく様子を伺っていたら女の人が出てくる。
ドアの前で部屋の中に向かい何事か話しかけてから島の繁華街へと歩いて行った。
「……」
その隙に私は彼女の部屋へと侵入。ドアの鍵は閉まっているのでノックをしてみる。
「…何だよミスト、忘れもんか?」
「……サッチっ!!」
ドアの向こうから顔を出したのはリーゼント頭では無いものの間違いなくサッチだった。
「サッチ、良かった無事で!早く帰ろうよ、みんなが待ってる」
真っ黒い長袖のシャツに黒いパンツスタイル。
モビーディックの白い上下に黄色のスカーフとは大違いの服にたじろぐ。
「…俺は帰らない。お前一人で帰れ」
「え?」
ニコリともせずに冷たく言い放ちドアを閉めるサッチ。私は閉じられたドアを叩いてサッチを呼んだ。
「サッチ…どうして?!なんで、開けてよ!」
「帰れ!二度と顔を見せるな!!」
…びっくりした。サッチに怒鳴られたのも辛辣な言葉を吐かれたのも初めてだったから。鉛のように重く胸に残った。
「…この位で諦めるなんて思って無いでしょ!?開けろクソ野郎ッ!」
私はドアを蹴り開けた。中に居たサッチは飛び込んで来た私を掴み床に投げた。
「…っぐ!」
「…帰って皆に伝えろ。この島とここの女、ミストの事が気に入ったんだ。俺はもう帰らない」
受け身をとったけど強かに背を打ち、呻く私を生ゴミを見るような無機質な目で見てそう言った。
「…じ、ぶんで、言え!バカサッチ!絶対連れて帰…うわっ!!」
胸倉を掴まれて、私は窓から捨てられた。身を捻って着地した頃には家の窓は閉められ、ご丁寧にカーテンまで閉められた。
「…何の悪夢だよ!こんなの!」
あり得ない。オヤジにご飯を作る事を生き甲斐にしてるあの男が?オヤジの船を降りるだって?例え冗談だとしても絶対に言わない言葉だ。
「サッチ!帰れない理由があるなら話して!」
私に見つかりもう隠れてる必要が無くなったのか。サッチはその後、女の人…ミストという名の彼女と島を歩くようになった。仲睦まじく腕を組んで。
「…また貴女なの?あっちへ行って!サッチはあたしと暮らしてんのよ」
私がいくら話しかけてもサッチは綺麗に無視で、ミストは私を邪険に追い払う。
「…サッチ、…わっ!」
海賊や海軍ならまだしも、女の人に乱暴は出来ない。私は彼女にされるがまま水をかけられたり突き飛ばされたりした。
私が何をされてもサッチは知らん振り…というかまともに私を視界に入れようとさえしない。
「ふん、しつこい事!いくら来たって無駄よ。…気持ちの悪い赤い目ね!」
「っ!」
白髪に似た銀髪と赤い目。故郷では鬼の子扱いされて売り飛ばされた、今でも劣等感を刺激する一番嫌いなものだ。
「おいミスト。そいつは放っておけよ、帰ろうぜ」
「うふ!そうね、サッチ!今日は何を食べたい?あたし作るわ」
サッチはミストの腰を抱いて額に口付けた。
彼女は嬉しそうに微笑んで身を寄せ合って歩いてく。その後ろ姿を私は立ち尽くして見送った。甲板でマルコに掛けられた水を拭いてくれた優しい手を思い出して苦しい。
「…女にだらしないのは昔からだけど、あんな暗い目をしてリーゼントもしてないサッチは明らかにおかしい」
私はマルコの電伝虫を呼び出し助けを求めた。
『何だ、情報かい?』
「…サッチが帰らなかったら、どうしよう。私はサッチが居ないと無理」
『そんなもんお前だけじゃねえ。弱音と不安なら今全部出せ、俺が聞くよい』
鼻の奥がツンと傷んだ。マルコはこういう時に限って私を子供扱いしないし茶化さない。
「……マルコってホットケーキ作れる?」
『…それっぽい物ならな。ただし期待はするなよい』
それっぽいホットケーキってどんなものだろうか。マルコなりの慰めで冗談のつもりなのか?
「…ありがとマルコ隊長。任務に戻ります」
お礼を言うとマルコは少し黙って、何かあったらすぐ連絡を、と言い通信を切った。私は鞄に電伝虫をしまってからサッチ説得に戻る。
「…居た!」
市場の辺りを流し見て行くとすぐにサッチは見つかった。リーゼント頭じゃなくても頭一つ以上大きな背丈だから飛び出してるし。
「サッチ、皆が心配してるよ」
「やだ…気持ち悪いわね!またつけて来たの?」
「申し訳ありませんけど、この男と二人で話したいので外してもらえませんか」
ミストに告げると煩わしそうな顔をしてどこかに目配せをする。周りから大柄で悪そうな男が数人、私を取り囲む。
「その子供を追い払って!」
この人は美しく色気のある女性だ。彼女を助けようとする男はきっと多い。こいつらみたいに。
「何だこのガキ…ぐえ!」
「油断するな取り囲め!」
取り囲んでも無駄。お前らみたいなのにやられる程弱くない。私は男たちをぶっ飛ばしてサッチのシャツを掴んだ。
「納得いく理由を聞くまで帰らないからね。私はオヤジの任を受けて…うわ!」
シャツを掴んだ途端にサッチは殺気を出して私の手を振り解いた。
「…離せッ、触るんじゃねえ!!」
私は負けじとサッチにタックルをした。体格差のせいで抱き着いたくらいにしかならなかったけど。
「~~くっそ、この…」
引き剥がそうとされるのに必死で抵抗する。絶対に離すもんか!
「ぶっ飛ばしたければやりなよ、サッチの力なら私をぶちのめすのは簡単でしょ?!」
「帰らねえって言ってんだろ、解れよ!」
「嫌だ!!」
力じゃ敵わない。だけどここで手を離したら絶対に駄目なことくらい解るよ。
「…なんで?、ねえ、いっしょに帰ろうよ、私サッチが居ないと寂しいよ…!」
「っ!」
声が震えた。何処にも行ってしまわないで、私を置いて行かないで。ひとりはいや。いっしょにいて。昔みたいに素直に言えないけど。
「…サッチが居ないと、私なにもできないよ」
市場で騒ぎを起こしたせいで私たち三人を囲むような人集りが出来ていた。
「~~もう!何なのよ!見世物じゃないわよ!…来なさいよ」
ミストは失神した男たちを叩き起こし人集りを散らさせて、私とサッチを促して人集りを抜けた。そのまま家へと連れて行ってくれた。
「………」
「………」
ミストの部屋の中に入ったものの三人揃って沈黙。
「話すんでしょ、サッチも話すならさっさと話しなさいよ。あたし隣の部屋に居るから」
タバコを出して咥え出て行く。沈黙がさらに重く感じた。ミストとサッチの関係も気になるけど、それよりも先にハッキリさせないといけない事がある。
「…………」
私がサッチを見ると目を逸らされる。いったいどうしちゃったんだろう。怒ってる?違う。なんだろう…ああもしかして。
「…何が怖いの」
「は?怖い?何が」
サッチは苛立った仕草で机の上のお酒を掴んで瓶に口をつけて飲む。
「まだマルコにも皆にも連絡をしてない。言い訳があるなら言いなよ、今聞く」
サッチがやっと私を見た。お酒を飲む手さえ止まり目を見開く。
「…言ってねえ?マルコにもかよ?!なまえが俺を見つけてもう三日も経つのにか?!」
「そうだよ。三日も経つのに言ってない」
情報は正しく伝達は即刻。
一番のルールは身に染みているし、破った時のマルコの罰も嫌ってほど身に染みている。それでもサッチ発見の報告をしてはいなかった。
「嘘つけ」
「どっちが」
サッチは呻いて頭を掻き毟る。私の言葉が本当だと理解したから。手から離れた酒瓶が床に落ちて割れた。
「……頼むから、このまま帰ってくれ。俺は戻れねえんだ」
「だったら私を納得させて…『戻りたくない』理由は?」
私は割れた酒瓶の欠片を掴んだ。尖った先端は皮膚を容易く切り裂くだろう。
「…どうせなら腰の剣を抜けよ」
私は可笑しくなって口元を緩めた。サッチを刺すとでも思ったのかな?
「剣だと狙いにくいからコレでいい」
「…〜ッなまえ!止めろ!」
その小さな破片を自分の目元に当てる。サッチがどれだけ早く動いても私の手が目玉を抉る方が早い。迂闊に動けず目も逸らせずにサッチは身構えた。
「傷も痛みも怖くない。私はオヤジにも仲間にもサッチを頼まれた。それに」
こんな気味の悪い赤目など失くしても構わない。
「サッチが本気でオヤジの盃を突き返すって言うのなら、その前に私に対してオトシマエつけるのが先だ」
「っ!」
オヤジに拾われた頃、この赤い目は忌目でしか無かった。鏡を見られなかったし、水やガラスに映る自分の姿さえ疎ましくて。いつも死ぬことばかり考えていた。
「何度も目を潰そうとして、その度にオヤジとサッチが止めた。だから一つはオヤジの為に…もう一つはサッチの為に潰すのを止めたのよ」
船を降りるなら私のこの目を潰して。それからにして。
「…お前の目は潰せねえし、戻る事も無理だ」
サッチはノロノロと割れた酒瓶を掴んだのに、何も出来ず立ち尽くした。それからシャツのボタンを外して服を脱ぎだす。
「…っ!」
露わになった肌を覆い尽くすほど大小の傷、傷、傷。海賊なのだ、傷くらい当たり前。そう言ってしまうには多過ぎる傷は、仲間を庇ったものや拷問に耐えた時のものだと聞いた事がある。
「これじゃあ仲間に…何よりオヤジに顔向けが出来ねえだろ」
上を脱いだサッチが後ろを向く。
敬愛して止まない『誇り』に裂傷が走っていた。見られたくない。私も刺青に傷を付けられたら消えてしまいたいと思うだろうな。だからこそ何でもないって声で単調に言ってあげる。
「で?」
「……で?って…見りゃ解るだろう?オヤジの刺青に泥を塗っ…」
「オヤジがそれを見て、誇りを傷付けたって怒るとでも?」
私の声の不機嫌さにサッチが狼狽えた声で答える。
「そんな訳あるか!!…オヤジは怒らねえに決まってるが、それでも…俺の気持ちが…」
「いつも怖いものなんか一つもないって顔してる癖に、サッチってこういう時はどうしようもなく本当に馬鹿!!」
売り言葉に買い言葉。ようやくサッチの本音が出た。
「悪かったな!昔っから俺はお前らとオヤジ以上に怖いモンなんかねえんだよ!!」
「知ってるよ、初めからそう言って」
手にしていた破片を使って私は自分の顔を斬りつけた。鮮血が飛んでちょっと深くし過ぎたかなと頭の隅で考える。これなら跡が残るだろう。
「…バカかなまえ、顔見せろ!すぐ手当を…っ!」
「ホラ、これでキズモノ同士よ。私とお揃いで嬉しい?」
「…くそ…とんでもねえ、マルコが泣くぞ」
垂れてきた血を拭うとサッチがハンカチで私の傷を抑えた。
「…うわ近い!ふ、服を着てからにしてよ!」
「え?早く手当てしねえとだろ、そりゃァこんな身体じゃ見苦しくて悪いけどさ」
「~~違うよもう!サッチは全然解ってない!女誑しの癖に鈍感過ぎじゃないの!?」
シャツを投げつけて叫ぶとサッチは笑った。
「いやー、褒めるなよ照れるじゃねえか!俺って女が放っておかねえんだよ。匿ってもらえるし飯も寝床も何とかなるし~」
いつもの阿呆な言動が戻ってきた。ウチの台所預かり二番隊隊長だ。安堵の息を溜息に隠して吐くとサッチが笑みを深めた。
「…なまえも素質あるぜ、男誑しの」
いつものあの私が見惚れてしまう顔。少し困ったような顔だった。
心を射抜くあなたの言葉。
(…おい皆、サッチとなまえが帰って来たぞー!)
(サッチ隊長!すみませんっした、俺たちのせいで!!)
(遅えぞサッチ。腹が減った、何か作ってくれ)
(遅れてすみませんでした、了解ですオヤジ!…よしお前ら飯の支度だ!)
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