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強く賢く美しく。
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(※Hate.)
(※溜め息と涙でできたもの。)
(Side U)
「頼むなまえッ!この通り!」
「嫌」
両手を合わせ拝んでくる男を前にあたしはそっぽ向いて断固拒否を示す。当然それだけでこの男が諦めるはずはなく、しゃがみこんだまま哀れっぽく見上げてくる。
…いつも見上げるばかりの顔を見下ろすアングル。悪くないわ。
「なあ、頼むよ。なまえにしかできないんだって」
「そんなの知らないわよ」
「食事でもおやつでも好きなもん作ってやるからさー」
「ふん。ご飯で釣ろうったって乗らないから」
脳内を大好物が飛び交ったものの耐え切って嫌だって繰り返す。
「いい加減にしてよサッチ!仮にも四番隊の隊長なんだよ?ぺこぺこ頭下げてて恥ずかしくないの」
「いや全然」
全く気にしてない顔で言ってのけるのに腹が立つ。ああそう。そうですか。
「…マルコの誕生日だからって二人で出かけてきて欲しいなんて、よくもあたしに頼めるね」
あたしに頭を下げるだけの価値があるって?マルコの誕生日が。単純に生まれた日ってだけじゃん。それに自分の誕生日を知らない奴って結構いるからウチじゃ大々的に祝ったりしないことになってるのに。
せいぜい仲のいい仲間同士で軽く奢ったりとかちょっといい酒あげたりとか、そんなもん。
「滅多にねえだろ、上陸とタイミング合うなんて。金なら必要経費って事で俺が出すしなまえは服でもアクセサリーでも好きに買って良いから。悪い話じゃねえだろ?」
「悪い話でしかない!」
あたしはサッチが好きなのに。
嫌になる程伝えた言葉は同じ数だけ振られた回数なので数えるのはやめた。惨めだから。
振られ続けても諦め悪く今も目で追ってると知ってる癖に。他の男と出掛けてこいって頼むとかどんな神経してんの。
「あいつに今年は良い誕生日だなって思ってもらいたいんだよ。マルコはなまえが好きだから喜ぶに決まってる」
マルコが良ければいい。あたしがサッチに頼まれて傷つくとか悲しいとか全部無視。ふざけんな。
「…条件付きなら行ってあげてもいいよ」
「え?マジで?!何でも言ってくれ!」
「サッチも来て」
「は?」
しかめっ面を作り笑いに変えてあたしはサッチに条件を教えてあげた。
「二人きりじゃないなら、サッチも来て三人なら上陸予定の島でマルコと買い物でも食事でもしてあげる」
「了解!それなら良いんだな?」
「途中でばっくれて二人きりにしようとかわざとらしく迷子装うとかやらないでよね」
おいなぜ黙る?睨みつけて返事を促すと、諦めたのか『りょーかい』と投げやりに言われた。
「あと何でも買ってくれる約束も忘れないでよ」
「おうよドンとこいや。娼館二回も我慢したから金ならある」
「うっわ最悪」
毎回いくらつぎ込んでるんだか。
島につくたび取っ替え引っ替え何日も通ってますからねえ、ええ知ってますとも。あんたのその姿を何度見た事か。
「そんじゃァ作戦会議だ。三時になったらお茶飲みに来る振りしてキッチンな」
「…はいはい」
やる気なさそうに言っておきながら心は弾む。だってサッチと二人で内緒話ってやつでしょ。
三日に及ぶ攻防戦は一時休戦、のち、友好条約の締結。時間になるまで部屋で待ちキッチンへ向かい『サッチ、お茶淹れて』と厨房に顔を出した。
「…で、俺が誕生日祝いやろうって言ってマルコを島の市場か広場辺りに誘う」
「コールが二回なら広場、一回なら市場の方に行けば良いのね」
「おう。俺が偶然なまえ見つけて声かける~みたいな体で合流してくれるか?」
コソコソと声のボリュームは落として、でもお茶とおやつを貰ってます、という外からの見た目は崩さずに会話は続く。内緒話っていいな、なんかドキドキする。あたしとサッチだけの情報共有。
「…あー、なまえは大根だから演技しようとかしなくていいからな」
「何、大根って」
「イゾウに教えてもらえ」
「解った悪口でしょ」
「はっはっは」
否定くらいしろ。頬杖ついて笑ってる顔に免じたりしないからね。別に見惚れてる訳じゃなくて呆れて睨んでるだけなんだから。
「マルコの誕生日なのに、あたしの方がご飯とか物買ってもらうのおかしくない?」
「おかしくないだろ」
「…いつも上陸したら娼館行くからってあたしの誘いを断るのに?」
事実を嫌味ったらしく突きつけても悪びれずにサッチは言う。
「今回は俺、有り金を注ぎ込む予定の娼婦にフラれた設定だから。その分をちょうど見つけた『妹』のなまえに使うわ~って言えば済む。俺ら家族大好きっ子だから怪しくねえ、問題なし」
「マルコはそれで納得するの。サッチなら街の女の子誰でも口説いて連れ込むじゃん」
その場面に出くわすこと数しれず。妹扱いはしてくれるのに絶対に欲を向ける女扱いはしてくれない。
絶ッ対に無理だろって思うくらい清楚そうな女の子引っ掛けてる場面を見たときは腹立つを通り越して逆に感心した。変な薬でも使ってんのかと不思議に思う。かく言うあたしもこの男に誑かされている一人だが。
「俺は主演男優賞授与されてもいいくらい演技派だから、その場で適当に誤魔化せる」
「あっそーですか」
お皿のクッキーを口の中に放り込むとたっぷりと使われたであろうバターの風味が広がり、ほろほろと溶ける。砕いたアーモンドの粒々も食感良くて美味しい。
「これ美味しい」
「だろ?!アーモンドを焦げるか焦げないかまで炒るのが難しいんだけど、今回スッゲー上手くいったんだよ!」
ああ、この顔。なんて顔で笑うの。好き。
下がった目尻とかクッキーよりずっと好き。ちくしょう。
「マルコの誕生日がうまくいったら、なまえには好きなケーキでも何でも作ってやるから考えといて」
サッチは優しい。
私が妹だから甘やかしてくれる。妹という立場は胸が躍った分、深い地獄に落ちるのだ。今みたいに。
「…いちごの山ほど乗ったタルト」
「了解。島の果物屋で一番良いいちご買って作るわ」
わずか数分の内緒話は幕を閉じ、あたしはキッチンに飲み終わったカップを残し自室へ向かった。
数日後、上陸の日。
恙無く島へと錨を下ろしモビーディック号は停泊し、乗組員の面々は居残りの船番を残し散り散りに上陸していく。
「……困った…あたしの服って何でこう暗い色ばっかりなんだろう…」
答えは汚れが解りにくいからです。
野郎どもが賑やかに降りて行くのを聞きつつあたしは部屋で唸ってた。
クロゼットの中身をひっくり返しても数日前から決まらず、上陸時間を過ぎても部屋の中は洋服と靴と数少ないアクセサリーが散らばり放題。
「今からでもお姉さんにスカートを借り…だめだあんな短いの無理!さも張り切って選びましたって思われそう。そもそもこの雑誌に載ってる情報って信じていいのかなあ…モテる綺麗めカラーって何なの?!わけわからない…!」
鏡の前で服を取っ替え引っ替え、鞄と靴を投げては拾いしていると電伝虫がワンコール。
「うっそ、もうそんな時間?!服決まってないのに!」
ワンコールは市場。
時計を見るとお昼に差し掛かる時間。部屋は汚部屋状態でヒステリー起こしそうになる。
「…~もう!このスカート履く、履いてやるわよ!靴は島でサッチに買って貰って、お財布!お金!…ええっと…そうだお化粧!!」
後ろにスリットの深く入ったロングスカートに透け感のあるシャツを合わせ、アクセントに細身の白ベルトを。
念入りのお化粧。爪に乗せた色が剥がれてないか確認してから黄色い花のピアスを耳につける。
仕上げにナースのお姉さんに似合う色を聞いて買った口紅を塗って馴染ませた。
「…はぁ。もっと可愛い服とか買っとけば良かったなあ。似合わないから無理か」
海の上じゃ早く乾いて丈夫な服が重宝されるし足元だって華奢なものなんてもってのほか。一度爪を剥がしてからサンダルから通気性のいい靴に変えた。
サッチとデートできたら着たいな~なんてトチ狂った頭で買ってしまって、クロゼットの奥深くにしまい込んでいたスカート。陽の目を見ることはなかろうと思っていたのにまさかこんな日が来るなんて。
…足元のごつい防水ブーツはいつものやつだから島に着いたら服に合う靴を探そう。絶対履き替える。
頭の中は言い訳で忙しく、賑やかに大勢が行き交う市場の中でサッチの姿を探す。見つかるのかしら?と不安になるくらいの人の中に足を踏み入れて周囲を気にしつつ歩く。
「!」
居た。
人混みの中で頭一つ飛び抜ける頭が見え胸が大きく跳ねる。軽く深呼吸、店の商品を見てるふりをしながらそっちに足を向けるとサッチの声が届いた。
「…あ、なまえ!おーい、こっち!」
食べ物や市場の品を見るふりをしながらあたしを探してくれてたんだろうかと思うとたまらなくって、目が合ったのに思わず無視してしまった。
だって!目が合った瞬間サッチがホッとしたみたいに笑うんだもん!!心臓に悪いんですけど?!口の中を噛んでにやけそうなのを抑え込むのに苦労してるのに追い討ちがかかる。
「おい!無視してんじゃねえよなまえ!なまえ~、なまえちゃ~ん、お兄ちゃんですよーー!」
「…やめろ阿呆!」
手を振り回して、我ここにあり!と主張して大声で呼ぶサッチ。マルコの声まで聞こえてきて、あたしは素で仏頂面してそっちに合流する。
「~やめてよ!恥ずかしいじゃない!」
「なまえがシカトぶっこくからだろ?無視するなよお兄ちゃん泣くぜ!!?」
あたしが無視したから約束を反故にされると焦ったのかも。信用ないな。
「何か用事なの、何?」
大声で呼ばれて不機嫌を装って突き放すように睨んで腕を組むと、サッチは笑って言う。
「もう飯食った?一緒に食わねえ?奢るぞ」
「嫌」
マルコと目が合い、さりげなく合流するはずが断固拒否の即答をしてしまう。いつもの癖でつい。
「暇そうに歩いてたじゃん、急ぎの用事なんかないだろ?」
「…サッチ。なまえにも予定も都合もあるだろい」
サッチがあたしの腕を掴み、マルコが咎めるようにサッチの腕を取る。ゴツくて硬い手の感触が服越しに伝わって顔が熱くなりそう。
ちょっと焦った感じのサッチに引き止められるのってとんでもなく優越感だわ。
「女の子が不足してんだよ!俺には!…待った行くな!欲しいもん買ってやるからお兄ちゃんとご飯でも食べようぜ本当に奢るから!な?」
無視して歩き出そうとすると必死に繋ぎとめられ頬まで緩む。サッチに口説かれた女の人たちは皆、こんな風に言い募って貰えるのか。
どうか自分と、と熱烈に求められるのはこんなにも胸が痛いなんて初めて知った。
「…奢りってサッチの?」
「そう!」
「……欲しい靴があるんだけど買ってくれるなら奢られてあげる」
演技なんてできないし、やったところでマルコに見破られるだろう。
弾んだ声を出さないように口に出した言葉は傲慢さを含み、それでもサッチの笑顔が崩れなくって、あたしの勘違いが加速しそうだ。
「おう任せとけ、今日は俺が財政大臣だ!腹ごしらえしたら買い物な。マルコもそれで良いか?」
サッチは自分の懐を叩き、マルコは話に乗ったあたしを不審そうにせず食べたいものはあるかと尋ねた。
あんたの誕生日でしよ、マルコが決めたら…なんて言う気はない。さり気ないお祝いをしたいらしいサッチの気持ちを汲んであげなきゃね。
「陸の食べ物がいい。野菜と果物、それか島の料理」
いくら料理の腕が良かろうと食べ物を腐らせずに置くのは難しい。加熱、冷凍、保存処理を施されたものが多く生野菜や果物は頻繁に食べられないのだ。
長い航海の最中、乗組員大人数ともなれば当然何度か食料調達には行くけど鮮度抜群に持ち帰って来るのは不可能。
「郷土料理かー、俺も地元の料理って興味あるわ」
「それなら観光案内所で聞くより現地のやつに聞いた方がいいよい…失礼。こちらにお住まいの方ですか」
行動が早い。
マルコは通行人に声をかけ店を聞き出し始めた。
いつもの羽織っただけのシャツにサンダルではなく、皺のない濃い紫のシャツと黒のパンツ。色味は大差ないのに身体に合ったサイズのシャツのボタンをきっちりと上まで締め、細身のパンツ姿のマルコはスタイルがよく見える。足元は同色の紳士然とした革靴。
頭はいつものパイナップルだけど海賊とは見えず、声をかけられた女性は笑顔で答えているのが解った。
「あいつ外面いいよなあ、腹黒のくせに」
対してサッチ。
こっちもいつものコック服…白い上下ではない。ストライプシャツにネイビーのパンツ、ピカピカの革靴との隙間から自己主張の激しい黄色の靴下が見えている。
控えめに言ってめちゃくちゃ格好良かったが、ガタイの良さは有り余って一般人枠からはみ出しまくり。
「今日は何でそんな服着てんの。いつも変な柄シャツとかゆるいの着てるくせに」
「ん?ああ、これ?オヤジの刺青見てはしゃいだおバカさんに絡まれないよう一応変装」
「……」
いや、めちゃくちゃ目立ってますが。
この人混みの中ですぐにサッチを見つけられたのはその服のせいもあるんですけど?
「とりあえず三件店を聞いたよい。近いところから行ってみるか」
「おう!楽しみだなー、美味かったら作り方聞いて帰ろ」
戻ってきたマルコの案内について歩き出すとチラチラと寄越される女性たちの視線の多いこと多いこと…!
一日中人目がついて回るのだと思うと憂鬱になったけど、それでサッチが喜ぶなら我慢しよう。ぐっと背を伸ばしてあたしも二人と一緒に石畳を踏みしめた。
「…はー、さすがに食い過ぎた。ちょっとゆっくり歩いて…」
ありがとうございましたー、という店員の声に見送られ店を出てサッチが呻いた。
頼んだメニューの味は確かに美味しかったが量は食べ盛りの男子学生か?という山盛りでテーブルへと届いた。
残すなんて選択肢がない我々一同は分け合って皿を空にしたが胃袋は白旗を上げている。
「えーと…なんだっけぇ次、昼寝?」
「買い物だ。なまえの靴を買うんだろう」
お腹いっぱい眠いみたいな顔したサッチにマルコが言い、目線を下げた。私の方をあまり見ないように勤めているらしいが不自然で腹立つ。ていうか、私はマルコのやる事も言う事も逐一カンに触るのだ。
「靴屋なら大通りでいくつか見たが…決まったブランドとかメーカーがあるなら調べるよい」
「今食べたカロリー消費したいから大通り見て歩いて、気になった店巡りして買いたいんだけど…」
あたしはマルコじゃなくてサッチを見る。食べ過ぎてキツイなら少し休んでからでもいい。提案する前にサッチは敬礼の真似事をして『了解』と言った。
大丈夫なのかな、胃薬とか持ってくれば良かった。あたしって気が利かないな…ナースのお姉さんなら常備薬とか持ってたかもしれないのに。
「行こうぜ、地図ならマルコの頭ん中に入ってんだろ。ご案内よろしく~」
「…その通りなんだが、なんか腹立つねい」
肩を組んで寄りかかったサッチを邪魔そうにマルコが押しのける。
いつもと変わらなすぎて誕生日を祝ってるのかなんなのか解らなくなってくるんだけど。
「なまえ。人が多いから気をつけてくれ」
「は?迷子になんてならないわよ」
あたしだってサッチと肩組みたい。
八つ当たりでマルコの言葉に言い返してしまい、またやってしまったと自己嫌悪。
マルコは気を悪くした風もなく、そうかとだけ口にして、靴屋まで迷う事なく案内してくれた。
一軒目、二軒目と眺めてから通りかかった雑貨屋さんのショーウィンドウに飾られている靴に惹かれて店内へ。
「あ、ここにも靴がある。見ていい?」
「ん?おう、入ろうぜ~」
「…女しか居ねえよい」
サッチは慣れたように店内を見回り女の子に声をかけてヘラヘラし、マルコは居辛そうにしつつもディスプレイにぶつからないようぎこちなく歩いて見て回っていた。
男二人に店内の視線が鬱陶しいほど絡むのが解って辟易しつつ、サッチの背中に張り手食らわせてナンパしてんじゃねーよと睨む。
「いって!何、欲しいのあった?」
「ない。別の店見たい」
「はいはい。マルコ、次行くって」
じゃあね可愛い子ちゃん、とか口説いてた女の子にウインクしてからマルコを呼んで店を出て、やっと胃の中消化してきたわ~とか呑気に言う。
「今の子可愛かったなァ、ふわっふわの柔らかそうな長い髪!いい匂いしたぜ」
「へえ、そう。良かったね」
あたしの髪はまっすぐで短い。
可愛い雑貨屋さんとか服屋さんとか…お菓子屋さんとか。本当に鬼門だ。マルコが浮いてたのはザマアミロだけど絶対あたしも浮いてた。入らなきゃ良かった。
「次の店はこっちだよい」
マルコに促されたどり着いた四軒目は、小洒落た店構えのお高価そうなお店。オーダー賜りますとの看板が傾きかけた陽に照らされている。
落ち着いたドアベルの扉を開け店内へ入れば棚に並ぶ靴たちは一目で良質と解る品々ばかり。
「あっち見てくるよい」
今度はマルコが慣れた感じで店内を歩き靴を眺め、サッチは俺のサイズあるかなとこぼす。規格外と呟いてやれば『オーダーメイドの男と呼んでくれ』とふざけた台詞を胸に手を置いて言ってのけた。
「マルコに靴買ってあげれば。プレゼントとかしなくていいの?」
店の高級感漂う雰囲気もあるが、マルコに聞こえないようにと小声で尋ねるとサッチも声を落として答える。
「あいつ形あるもん貰うの嫌がるからこうやってイイ思い出を作ってんだよ」
甘いものが嫌いだからケーキはダメだろ。一日バカ騒ぎして飲み食いすりゃそれで充分さ。仕方ねえ奴って顔してサッチが靴を物色してるマルコを見て言う。
…ああそうですか。それはそれは、お二人とも大変仲がよろしいようで。湧き上がる嫌な気持ちを落ち付けようとあたしも店内の靴を物色して見て回った。
…うん、どう考えてみてもマルコが嫌いだ。あの男がサッチと仲がいいからあたしがどんなにサッチに好きだと言っても断られる。
お前は好みじゃない、妹としてしか扱えない。何度も繰り返される言葉に懲りもせず傷ついて、それでもサッチを嫌いになれない。
「…あ」
「ご試着されますか、サイズは取り揃えてございますので是非お試しください」
マルコへの不満が消えるような一足に目を奪われると、タイミングよく店員が声をかけた。丈夫さと通気性抜群の、しかも服に合わない防水ブーツのあたしにも嫌な顔せず試着せてくれる店員さんはすごいな。
白いピンヒールに勧められるまま、恐る恐る足を入れ鏡の前へ。
「今日のお召し物にもよくお似合いですよ、バランスも素晴らしい!少し歩いて足に馴染ませてみてください」
フロントはシンプルなのに、細いピンヒールには金色の花と葉が絡み合うように施され、ラインストーンでの装飾もすごく綺麗。歩くとスカートのスリットの切れ目からヒール部分と足が見え隠れして…ちょっとだけ、良い女になれたように錯覚しそうな靴だ。
柔らかい絨毯の上を歩いてみても肌が擦れたり圧迫感がない。きっと素材がいいんだろうな。
「…あの、でも、あたし普段あんまりヒールって履かないんです」
褒めてくれた店員さんには申し訳ないが、女にしては高い部類の身長を所持する身としてはプラス七センチは大きい。
「あ、すいませ~ん!袋貰えます?今履いてるの履いて帰るんで、こっちのブーツ袋に入れて欲しいんですが」
「は?」
謝って脱ごうとしたらサッチが店に不釣り合いな声で店員さんを呼び、あたしの靴を持っていく。
「会計はこれで頼むよい」
「かしこまりました」
待ってかしこまらないで。なんで?ねえ何で?!払うのサッチじゃないの何でマルコ当たり前みたいな顔してカード出してんの?値札見た?あたしが普段買う靴よりゼロ一つ多かったんですけど!?
数千ベリーの愛用のブーツは店の名前入りの袋に入れられサッチの手に渡り、マルコの手には恐らく自分で選んだ靴のお買い上げ袋が。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
丁寧にお見送りされ、すっかり陽の落ちた店外。呆然と立ち尽くす。
「じゃイイ時間だし、腹もこなれたし。晩飯行くか。店は俺が見つけてあるから期待してていいぜ」
「酒はあるんだろうな」
「勿論!マルコの好きな銘柄バッチリ置いてあるから好きなだけ飲めよ」
あれだけ食ったくせにすっかり消化したらしく二人とも腹減ったなとか言いながら歩き出す。
「待ってよ、何でマルコがあたしの靴まで…!」
説明しろと二人の背に声を投げつけるとマルコが顔だけ振り返り、また前を向いて言った。
「ついでだよい」
このハイヒールの金額見た?ついでって額じゃない!とサッチのシャツを引いて注意を引く。
「…サッチが買ってくれるんじゃないの?!」
まるでマルコからプレゼントされたみたいじゃないか。あたしは高い靴じゃなくてもサッチに買って欲しかったのに。
「欲しい靴手に入った…足に入った?ならいいじゃん」
「良くない!」
面倒臭そうにサッチが頭の後ろで腕を組みマルコに視線をやる。
「えー、じゃあマルコ金要る?払おうか?」
「何でお前から金貰わなきゃならねえんだよい、要らねえ」
マルコは心底嫌そうに顔を顰めた。約束した通りマルコと二人きりにされたりはしなかったけど、この流れは仕向けられたと思っていいだろう。あたしにはこの靴代を払えそうにないし、かと言って返しに行くなんてできない。完全にしてやられた。酷い、最悪、もういい帰る。そう言ってやろうと口を開く。
「はは、なまえちょっと一回転してみろよ!」
「っ!」
サッチに手を取られくるりと回され、石畳をヒールが鳴らした。
「うん、街灯の光でキラキラしてて綺麗じゃん。欲しいもん見つかって良かったな!」
褒められたのは靴だ。あたしじゃない。
…それなのに『綺麗』の一言が嬉しくて、悔しくて、口から出るはずの言葉は呆気なく引っ込んでしまって。
「乾杯~!いえーい!!」
結局、サッチの選んだ店へとのこのこ着いて行ってしまった。ぶつけられたグラスを煽って美味いと笑顔のサッチの顔を見てしまえば文句が言えなくて、あたしもグラスを干した。
「狭いけど賑やかな店ね。居やすくて落ち着く」
「そうだろ?気楽に飲めるのが一番だよなあ」
先ほどの靴屋とは違う気安く飲み食いできる大衆食堂の様な店内は既に大賑わいで、楽団が愉しげな曲を引き、フロアの中央はテーブルと椅子が無く酔っ払いや踊り好きによるダンスフロアと化している。
笑い声、どこかのテーブルで上がる乾杯の音頭、軽快なステップで床板を鳴らす靴の踵とバイオリン。まばらな手拍子と歓声。
煙草と食事の混ざった独特の匂い。
肩の力が抜けるホーム感に怒りも解けお腹すいてきた。
「とりあえず酒だけは頼んだけど何食う?」
メニューに並ぶ定番のつまみ、軽食に混ざり島独特のお品書きを三人で眺めあれこれと決めていく。混んでいるから頼んでも食事が届くのは遅いだろう。
漂う匂いを肴にお酒を飲みつつ待つ。
「ちょっと台拭きを貰ってくるね」
冷えたグラスというのは結露して水滴がたまる。飲んだ拍子に服や新しい(高い)靴を汚したくないわ。
「おい見ろよ、あの女デケエぞ」
近くのテーブルからそんな声が聞こえた。
どうやら席を立ったあたしの姿が座ってる男の目に留まったらしい。
「…あ?…ぎゃははは!何だ胸かと思ったら身長か!たしかにデケエな!」
…はいはいドーモ。でかいなんて言われ慣れてます。ハエが飛んでる様な不快音だと思い無視して横を通り過ぎたのに、わざわざ立ち上がって隣に並んできた。
「背伸びでもしねえとあんたと並べねえな、どうせデカイなら胸と尻の方がいいのになあァ、大変だなあ姉ちゃん!」
うっざ。酒くさい寄ってくんな。
辟易しつつ視界に入れないようにしてカウンターで調理してるお姉さんに『テーブルを拭くものありますか』と尋ねると、すぐに濡らした台拭きを差し出してくれた。
「手が回らなくてごめんなさい!これ使ってください!」
「ありがとう」
台拭きを受け取り踵を返す。歩くたびに床板を踵が叩く音が賑わいに混ざって耳に届いた。
「無視するなよデケエ姉ちゃん、口がきけねえのか」
「…………」
かつん、こつん。
綺麗なキラキラのサッチが褒めてくれたピンヒール。支払いはマルコだとしてもこの靴に罪はない。今くらい女の子のように振舞ってもいいよね。うん。
「ここらで見ない顔だが一人か?まあこんなデカイ女を連れて歩きたい男なんて居ねえだろうな」
「………」
しつこい男だな。ニヤニヤしながら寄ってきて挙句に腕まで掴まれた。
「顔はそこそこだし、そのチラチラ見える足も…悪くねえ。一杯奢ってやるからこっちのテーブルに来いよ。座ってりゃそのデケエのも気にならねえからな」
「…お断りよ、離して」
「は、背がデカイと態度もデカイのか?可愛げのねえ女だなァ。お前みたいな女はこっちからお断りだぜ」
「わっ!」
あたしにしては丁寧に腕を解いてお断りしたのに、どん、と突き飛ばされてよろける。ヒールのバランスは難しいが転ばずに済んだ。
「ぶベッ!」
このクソと短気なあたしが拳を握る前に、カエルの潰れたような声がしてナンパ野郎が転がっていた。
「~おい手前ェ!今オレを蹴ったのはお前だろう!」
すっ転んだ男が顔を怒りに染めて喚く先にいたのはマルコで。
「…何か足に当たった気はしたんだが、小さくて見えなかったよい。すまねえな」
マルコは男を見下ろして悪かったと謝る。
せっかくの謝罪の言葉も含み笑いのせいで小馬鹿にしてるとしか思えず、案の定、男は声を荒げた。
「~~上等だ、この野郎!」
逆上した男が殴りかかるが当たる訳がない、パイナップルに似た浮かれ頭でもウチの一番隊の隊長だ。
「ぐえっ!」
この場を言葉巧みに収められるはずなのに何故か男の足を引っ掛け二度目の転倒をお見舞いしていた。
「…何やってんの?!放っておきなよそんなの!」
「台拭きはもう貰ったんだろい、先に席に戻っててくれ」
「え?」
バカに絡まれないために変装して来たんじゃないの、何で率先してバカの相手しようとしてんの?
「調子に乗ってんじゃねえぞ、おい!お前ら来てくれ!!」
再び床とハグをキメた男は大声で周囲の仲間を呼び、ガラの悪そうな島の小悪党みたいな奴らがわらわら集まってきた。
「喧嘩だ!」
「きゃあ!」
「いいぞやれ!おい、真ん中空けろ!」
外見で僕たちゴロツキです。と自己紹介してる奴ら五人に囲まれたマルコの周囲はクレーターのように人が引く。
飲み屋での喧嘩は日常茶飯事。面白がって賭けが始まる流れも滞りなく、硬貨と紙幣を集める店員も手馴れたもの。
「ロウソクに五百ベリー!」
「おれは金髪のにいちゃんに三百だ!」
あたしに絡んだバカ男、ロウソク率いるゴロツキどもの名前と掛け金の額がそこかしこで上がる。転んだ男はあたしより背の低い男だったけど、残りの四人は巨漢揃い。
ぱっと見ならマルコに勝ち目はない。あくまで見た目だけならば、である。
「っぐ!」
スキンヘッドの男が狙ったボディを難なく避けたマルコの膝が横っ腹に入り、男は呻く。どっと歓声が上がった。楽しいショーの始まりと言わんばかりの、割れるような声に指笛が重なる。
いっそあたしがぶっ飛ばして静かにしてやろう。と勇んで踏み出した足は、肩に乗った大きな掌に止められた。
「あっは、騒いでんなァと思ったらやっぱマルコか」
「サッチ!笑ってないで止めてきてよ」
飲み屋のマナーです、って仕草で瓶に口つけて直飲みしたサッチは不思議そうな顔して首を傾げた。
「いくらマルコでも喧嘩のお約束くらい守るさ。ぶち殺したりしねえよ」
そういうことじゃない!飲み屋でバカから喧嘩の誕生日プレゼント?貰って嬉しいなら正気を疑うわ。苛立ちつつ視線を戻せば、ちょうど腕に刺青のある男が椅子を投げつけた瞬間だった。
他の二人の相手をしていたマルコの背中に見事命中。椅子が床に落ちる大きな音と共にマルコが飛ばされて来て、あたしの近くの観客は波のように分かれて避けた。
「…っうぐ」
足元近くでマルコは苦しそうに呻いて背に手を当てるものの、青い治癒の炎は浮かばない。周囲の野次馬は嬉しそうに笑ったり叫び声を上げ、マルコに賭けてるらしい奴らからはブーイングが起きる。
「ぶっは、やべえウケる!カメラ持ってくりゃ良かった!」
サッチはヒーヒー笑って酒瓶を放り投げて、避難している楽団からヴァイオリンを奪い奏で始めた。Paganiniのcaprice.no24だった。
楽団の代わりに音を添える役目を勝手に担うつもりのようで、楽器の演奏に無縁そうな大男が奏でる狂いない旋律にどよめきが上がる。
生き物みたいに動く無骨な指から紡がれる繊細で美しい音色。ウチでも滅多に弾いてくれないその演奏は本日のお召し物と相俟って悔しいくらい格好良くてマルコの喧嘩を一瞬忘れた。
「いいぞ、ぶっ殺せネイビィー!」
「何やってんだ、あんたに賭けたんだぜ?!早く立てよ!」
汚い濁声に吹っ飛ばされたマルコの事を思い出したけど、心配なんていらないだろう。現にマルコは床を転がり追撃の蹴りを避け、その反動を使って相手の鳩尾に一撃を決めた。まっすぐに伸びた足が吸い込まれるように決まり、今度は男が膝を折り胃の中身を吐きだす。
その隙にマルコは立ち上がり血混じりの唾を吐くと、きっちり締めていたシャツのボタンを鬱陶しそうに二つ外して腕のボタンも外し肘あたりまで捲った。
「ガッ!」
そして躊躇なく吐いてもんどりうってる男の顔を蹴っ飛ばし撃沈させる。
「このヘンテコ頭野郎!調子に乗りやがって!」
「うるせえ頭は自前だよい」
マルコは飛んできた酒瓶を避けようとして何故か不自然に止まり、右肩に赤ワインと割れた破片を引っ被った。
「…悪い、かからなかったかい?」
安否を尋ねられた声は野蛮に殴り合ってる男のものとは思えぬ優しい響きで、その目は焦りと心配を滲ませてこちらを伺う。
投げつけられた瓶の軌道上の終着点はあたしの現在地。 この程度ぶつかるなんてヘマしないのに何で庇ってんの。おかげさまで靴にも雫一つ飛び散りませんでしたがマルコのその真っ赤に染まったシャツ多分もう着られないと思うわよ。
「…………」
黙り込んだあたしの隣にいた女の子が『…はい、大丈夫です』と答えた声は震えていて、恐怖ではなく明らかなときめきが滲み出ていた。そうかあたしじゃなくてこの子庇ったんだねそうだよね。そうだって言え頼むから。
「どこ見てやがる!お前の相手はこっちだろうが!」
髪を掴まれて引き摺られ、離れたマルコに隣の女子が悲痛な声を上げている。恋でもしたかのような表情を横目で確認し、サッチを見てる自分を見てるようだと思った。
飛び交う声、そこかしこで手を叩く音。囃し立てる男と女たち。あたしはその中でノリの悪い観客として無言でマルコを眺めてた。能力使えば体格差なんて物ともせず巨体だろうが大人数だろうが軽く吹き飛ばせるくせに。
ドボ、とか、ごきん、とか、骨と肉のぶつかる音が聞こえる。互いに殴られた瞬間のカウンターを打ち合う。一番の巨体の拳は物凄く重いようで、マルコは拳が入るたびに濁った呻き声をあげて吹っ飛んだり床に転がったりした。
「ぶっ潰せぇ!」
「ギャハハハハ、ほら頑張れよ金髪~!」
辺りからブーイングと罵声の雨あられ。
あたしとサッチ以外で気付いている人はいるんだろうか?狭い店内の更に人に囲まれた輪の中。どの程度の力で蹴りを入れれば、どのくらい飛ぶのか。それぞれ男たちの体重と筋肉量を予測して攻撃の力の加減をしている事を。
飛ばし過ぎれば辺りの人に当たるし店の備品は壊れる。海賊同士の戦闘だったらこんな奴らお湯が沸くより早く始末できる力があるのに、怪我を負うことない治癒の能力があるのに、相手の土俵で不利を勝手に背負いこんで五人の男を相手にしている事を。
「…ゲホ、は…っ!」
男たちは割れた酒瓶を振り回したり椅子や持参のナイフなんかを振り回し、マルコは素手。身一つで応戦する。食器もグラスもほとんど被害なく壊れたのは椅子一脚だ。そうなるように適度に攻撃を食らって引きつけている。
「……ほんと嫌い」
そのマルコが攻撃を食らうのは決まってあたしの近くにいる時だ。あたしが飛来物に当たるような間抜けだと思ってるんじゃなくて、あたしの思い込みじゃなければ、きっと…。
「うわ、すげー音したぞ!?」
「よく動けるなあの金髪!」
曲は情熱大陸に代わり、ナイト・オブ・ナイツを高速で弾き、調子に乗ったサッチが大声で歌いながらAviciiのThe nightsを奏でる。女性の黄色い悲鳴が大きくなり手拍子と足踏みも添えられた。
バイオリンを弾くサッチにつられて楽団が演奏を再開させ、店員さんはアルコール売って歩くし聞いてると値段さっきより百ベリー値上げして売ってる。商魂たくましい。
「金髪、しぶといんだよお前ェ!」
「さっさと潰せよ大損させる気かよ!」
「なあニイちゃん!次はQueenを弾いてくれ!」
地下闘技場さながらの盛り上がりと熱気。
サッチは自分の真横にマルコが吹っ飛んで来ようと、びびった観客が落としたグラスが足元で割れようと、寧ろ愉しくて堪らないとのびのび弾き続けていた。
「…早く勝って!」
いろんな音が溢れる中、吐き捨てるように口にした言葉が聞こえたのかどうか解らない。次の瞬間マルコの飛び蹴りが一番の巨漢の横っ面に決まり、空中で身を捻り刺青男の肩にかかと落としを。白目を向いて倒れた男の振動で床が揺れた。
着地と同時に酒瓶持った男の手首を叩きつけ掌底を顎に入れ撃沈させ、流れる仕草で背後に寄っていた男のナイフを回し蹴りで高く飛ばす。
一瞬の出来事に辺りが息を飲む。飛ばしたナイフを曲芸のように受け止めたマルコは武器を振りかざしていた男へと距離を詰めた。刺されると思った男が情けない悲鳴を上げるが、マルコはナイフを使わずに利き手を男の額に寄せ、そして。
「…ひぐッ…!」
ばちん、とありえない音のするデコピンでとどめを刺した。ウチの乗組員の間でも恐れられるめちゃくちゃ痛いと太鼓判を押される一撃は見た目の軽さと痛みが反比例する、らしい。どうと音を立てて倒れたのはあたしに絡んだ最初のバカ男。
最後の一人が倒れ、しん、と辺りの音が消えた。誰も起き上がらないのを確認してからマルコは手で鼻血と口元を拭い。
「…今日買った靴を早速履けそうだよい」
血と繰り返した蹴りの為に汚れた靴をポイと脱いで、にっと笑った。鬼神の如き乱闘なんて知りませんって茶目っ気のある仕草で。
「すげえ勝っちまったぞ!あの金髪!」
「クソがふざけんな金返せェ!!」
大歓声と賭けに負けた男たちの悲痛な絶叫。紙吹雪のように飛び交うベリー紙幣を集める店員。
バイオリンを置いたサッチとハイタッチして喝采とブーイングを一身に浴び、二人してあたしのところに戻って来る。
「お前、腕落ちたねい。一曲目の音飛んでたよい」
「うっわ!聞いたかなまえ?!マルコ地獄耳なんじゃねえの」
マルコの顔は痣と擦れた血の跡が散らばり、シャツはしわが寄りワインのシミで妙な模様を作ってる。昼のきっちりした姿の面影もない惨めな格好で、それでも気分良さそうに笑う。
何もなかったみたいに席について、店員さんに注文の品の催促をして、初対面の面々から祝福の酒とベリーを貰ってようやく晩御飯にありついた。
「はぁ。さすがに腹減ったよい」
「いい運動になっただろ?酒の肴にちょうどいいネタもできたしな」
サッチの注いだ酒に口をつけたマルコは傷に染みたのか手で口を抑える。
「…っ」
能力で治さないのは身バレ防止だろう。シャツも脱がず刺青を隠し通したのにバレてたまるかとでも思っているのかしら。あれだけ派手に暴れておいて何を今更って思うんだけど。
「口開けて見せて」
「大丈夫だよい。冷める前に早く食…」
「口、開けて」
食事に伸ばされた手は繰り返されたあたしの声にピタリと止まる。見つめて待てば困った顔をして、観念して開かれた口の中は真っ赤。出血量からして歯が折れたのかもしれない。
「味わかるの、それで」
「……」
口を閉じて視線を彷徨わせたマルコの考えはどんな言葉で言い訳しようか?ってところかしら。
「口の中だけって治せないの」
「…やってやれなくはねえ、と、思うよい。やってみる」
手のひらで口元を抑えたマルコの指の隙間から僅か青い光がキラキラと漏れた。
「…できたよい」
酒を飲んで口の中を濯ぎ、あ、と口を開けて見せた。歯の欠けも傷も綺麗に無くなっていた。顔に痣は残っているけどこれで食事はしやすくなっただろう。
「…あたしマルコの事嫌いよ」
「なまえ」
グラスの酒を飲み干してからマルコに言ってやれば、サッチが咎める声音であたしの名前を呼ぶ。
「知ってるよい。何度も言われてるからな」
照り焼きチキンをフォークで刺してマルコは淡々と言う。好きだと言われたことがあるけど迫られたり口説かれたりはしていない。あたしが『聞きたくないから言わないで』と言ったから口にはしないのだろう。だけど目は口ほどに物を言う。
いつもマルコの視線を嫌ってくらい感じるし、何か起きると常に側にいてフォローが入る。今日だけじゃなくほとんど毎日。
「マルコってサッチと違って格好悪いのよ」
止めろと目で示すサッチを見ないふり。あたしの口は止まらなかった。
「今日だってそうだ。あんなバカな奴らいつもなら相手にしないのに安い喧嘩買って、しなくていい怪我までしちゃってさ」
海軍に引けを取らない知識があって、オヤジとまではいかないけど、他の海賊を自分の名前一つで牽制できる力を持ってるのに。
「サッチや他の仲間といる時は変な気遣いもしないし口悪く嫌味も言うし、任務でも戦闘でも頼りにされて、望まれた結果を出せるくらいの力もあるくせに。あたしの前だとマルコは言葉に詰まって遠慮して情けなくなる。それが心底、腹立たしい」
白ひげ海賊団の一番隊の隊長、不死鳥のマルコ。皆からの信頼を背負っても重さも感じさせずに颯爽と胸張ってる姿を知っている。そんな男があたしとの距離一つ、言葉一つにいちいち気を使ってくるのだ。恋心というあたしも良く知る病のせいで。
「…何かしてもらってもお礼も言えないし、子供みたいな八つ当たりするし、マルコと居ると自分が嫌いになるの」
騒がしい店内でこのテーブルだけが静かに思える。サッチも居るのに誕生日のマルコを嫌いだと罵って。きっとまたどうしようもない子供だと思われた。
俯いたあたしの頭に大きな手が乗り、わしわしとかき回されて呆れた声が降ってくる。
「わあっ!や、やめてよサッチ!」
「…全くよー、ウチの妹ちゃんはどうしてこうなんだかねェ?ほらお前からも言ってやれよマルコ」
乱れた髪を手櫛で必死に整えるあたしは見てしまった。特別に美しいものを前にしたような、揺り籠で眠る赤ん坊を眺める母親のような形容し難い表情を。
溶けた砂糖菓子みたいに甘ったるい眼差しが一直線に自分へ向かっているのを。
「…表す言葉が見つからねえよい」
熱に浮かされ蕩けた声が吐息交じりに耳に届く。眼前の男は隠すつもりもなく、口説き文句ひとつなく荒れ狂う胸の内を吐露してみせた。
愛は強くして死の如く。
(あーもう嫌ほんと嫌もう無理帰る)
(帰るな帰るな!ホラこれ食えなまえ。美味いぞ)
(こっちのサラダに入ってる野菜もなまえの好きそうな味だよい)
(うるさい!こっちみないで!)
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