.
ある日、森の中。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
(Side U)
一昨日、港に海賊船が着いた。
大きな船の旗印は『有名な大海賊』のもので、小さな島は大騒ぎ。
「ど、どうする?!」
「よりによってあの大海賊だぞ、海軍だって迂闊に手が出せない」
「もう港に着いてしまっているのに今から助けを呼んでも間に合わないだろう」
最悪の覚悟する私たちをよそに、船から降りて来た乗組員は予想外にまともだったらしい。
「一週間ほどの停泊と、買い物の許可を貰いたい。暴力行為はしないと約束する」
「…か、買い物といっても、この島には何も特別なものは、ご覧の通り寂れたもので…」
村長が震えながらも交渉役を務め、海賊の求める価値あるものなど無いと伝えると、海賊は穏やかに返したそうだ。
「欲しいのは食料と酒の調達、あとは島の観光散歩程度。夜は船に戻るから宿の心配は不要だ」
船の大きさから、一週間港を占拠してしまうお詫びにと大量の駐泊料金まで払い、海賊団は島の中を自由に歩いては買い物に勤しみ出歩き始めた。
「どうりで見ない顔が多いと思いました。旅人にしては人相が。ごほん!雰囲気が違うし」
頼まれていた山菜と木の実をカレンダーの喫茶店に納品して、代金を受け取る。
世間話はいつものおしゃべりの一環だけど内容が不穏で胸が騒ぐ。
「そう!なまえが見たことない人たちは皆、停泊中の海賊さんよ」
…海賊さん?
カレンダーの口調は親しげで不思議に思ったのが顔に出たのか、彼女は頬に手を当ててうっとりした。
「…うふ!結構な男前が多くってね、アタシの店にもよく食べに来てはお金落としていってくれるの。海賊ってあんな人たちも居るのねえ」
いつもより納品数が多かったのはその為か。こちらとしても懐が潤うのは助かります。海賊の汚い金だとしてもお金はお金。
「ねえなまえ!何か食べていくでしょ?何にする?」
「ううん。山に戻るよ、この間から来てる注文がまだ終わってなくて」
それならこれを持って行って、と渡されたのは彼女特製のお菓子。使われてるのは私が山で採った木の実で、こうして島の中で経済は回っている。
「ありがとう。カレンダーの作るものはいつも美味しいから、休憩の時におやつにする」
お礼を言って店を後にし、私の住む場所へ…山の奥深くにある小屋を目指す。
「…あ、そういえば新しい斧買わないと」
お金が入ったら新調する予定だったのを思い出した。工具店を覗いて行こう。
「こんにちは、おじいちゃん。斧が欲しいんだけど」
「おう!なまえか」
建て付けのわるい硝子戸は開けるのにコツがある。少し持ち上げて横にずらすとけたたましい音が鳴り、来店ベルがわりに店主に来客を告げた。
「ちっとも顔出さねえで、この薄情モンが」
「あは、ごめんね」
怒った口調だけど目が優しい。
おばあちゃんがいた頃からずっと付き合いがあるこの老人は私を孫の一人のように扱ってくれるのだ。
斧が欲しいともう一度告げると、老体とは思えぬ力強さで三本の斧を奥から持って来た。
「お前さんが振り回すのにゃァ、この辺りだな。軽いのはこっちで、頑丈だが重いのはこっち。切れ味はコレだ」
「…頑丈なヤツちょうだい」
重いのは我慢だ。私にとっては安い買い物じゃないし、前の斧も刃こぼれの度に自分で研いだがもう限界。壊れにくいに越したことはない。
「ケースはまけといてやる。落とすなよ」
「ありがとう」
私が選んだ斧の刃にケースをかぶせ片手で渡されたそれを両手で受け取る。…うん、重い。
「大事に使うね、じゃあまた…」
「なまえ。おれも歳だ、身体の持つ限り店は続けるが、お前はあの山から降りてくる気はねえのか」
「……」
「ばあさんが死んじまったあの小屋に一人じゃ不便だろう。ここで暮らしてもいいんだぞ」
不定期に、でも、忘れられることなく繰り返される優しいお誘いに心は揺れる。おじいちゃんは親も家族もない私を気にかけてくれて、店の手伝いしながら一緒に暮らさないかと言ってくれる。
「居心地がいいんだよ、あの小屋。山の恵みの食べ物も豊富だしなんたって森には温泉だってあるんだよ?」
私を拾ってくれたおばあちゃんの小屋。
例えば野生の獣に遭遇して怪我しても、毒虫の処理に泣かされても、私にはたったひとつの大事な場所。
「…おじいちゃんこそ、無理しないで息子さんと暮らせばいいのに」
「ふん!ワシはこの店の店主だ、息子にゃまだ譲らんぞ!」
お茶をご馳走になって別れた。次に会う時はケースのお礼に茶葉を持ってこよう。身体の温まるお茶はこれから来る冬に活躍間違いなしだ。
「…はぁ、重い…」
獣道の中に一筋、雑草の途切れた人が通る為の道がある。そこを通るのは殆ど私くらいなので、斧を担いで息を切らして歩き、途中で休憩。愛用の香煙草に火をつけて吸い込むと気分が落ち着く。
火をもみ消し消えたのを確認して吸い殻をケースに入れて森の深くへ。山火事ダメゼッタイ。
「!」
見慣れた小屋が見えほっと一息吐いたところ異変に気付いた。人がいる。しかも村の人じゃない。
もしかして海賊?こんな山奥まで入り込んでくるなんて。腰に付けたナイフカバーのボタンを外して柄に手をかけてから声をかけた。
「…どちら様でしょうか」
私の声に振り向いたその男は、手にしていた紙を落とした。風に舞って飛んでいくのも構わず私を凝視し、ぽかんと間抜けに口を開けた。
「……………………」
「……、あの、大丈夫ですか」
思わず心配してしまうほど微動だにせず、十数秒間も固まったまま見つめられれば不安にもなる。息してます?ていうかなんでそんなにガン見してくるんです??
「………あの、私の声が聞こえますか?」
二度目に掛けた声がやっと届いたようで、その人は油の切れた旧式の機械のようなぎこちない動きをしつつ、何故か顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「…………だ、いじょうぶ、だよい」
「いやダメですよね?!」
突っ込んでしまった。なんだこの人、どこのどなたか存じませんが完全に変な人だ。
「お水を持ってきますから、そこにいてください」
小屋には入れないと警戒心は残しつつ、重たい斧としばらくの生活費となる売り上げを片付けてからコップに水を入れ戻った。
その人は切り株の一つに腰を下ろしぼんやりと私を見ている。
「どうぞ」
「……ありがとさん」
受け取った水を一気に飲み干し息を吐く。お代わりとかいるのかしら。
「具合が悪いのなら村に…この山の下になりますけど、医者がいます。診てもらった方がいいですよ」
ここはそんなに高い山じゃないし酸欠になるとかはあり得ないけど、登って入れば息が切れる獣道ではある。見たところ普通体型っぽいけど慣れない運動でもしたのかな?
「いや、俺は医者だ。自分の状態は解ってるよい」
「お医者さんなんですか!…そのお医者さんがこんな山に何のご用で?」
医者に見えない。こんなふざけた髪型と話し方なのに?
…いや、そういえば本で子供が怖がらないようピエロの赤鼻付けた名医がいると読んだ覚えがあるわ。この人もそういう目的なのかもしれない。口から出かけた言葉を飲み込んで要件を伺うと、旅の途中で立ち寄ったついでの散策だと言う。
やはり港に着いた海賊の一人なのかと警戒レベルを引き上げつつ会話を続行。
「…薬に使える草木でもと思って山に来たは良いが迷ってしまって。丁度人の居るような小屋があったんで降りる道を聞こうかと考えていたんだよい」
「この道をまっすぐ行って、南東の方へ向かうと村に続く道に出ます。獣道だから目印みたいなのはないけど」
コンパスを頼りに進めば良いと教えると困った顔で黙って笑う。
「…コンパスは、というか、貴方すごく身軽な格好ですが。荷物は?」
「……木に足を引っ掛けた時に」
引っ掛けてどうなったのかまで口にしなかったものの結果は明白。落としたんだろう。拾えない場所へ。
何だこの人は間抜けか?荷物落としたら財布も地図もコンパスもないってことじゃない。そんなニコニコしながら水飲んでる場合じゃないでしょう。
慌てたそぶりもなく水が美味しかったと微笑んでいるのに毒気を抜かれ、私は肩の力が抜けた。
「日が落ちる前に麓まで送ります。私はこの小屋で暮らしているなまえと言います。あなたは…」
「マルコと呼んでくれ。山道は苦手でな、助かるよい。ありがとさん」
斧はさすがに重いので置いていくけど身につけたナイフ三本は服の下。私が先導して獣道を降り始める。
一ヶ月にそう何度も通らないせいで草は常に生い茂り、道は道の機能をあまり果たさなないから村の人も夕暮れ時には絶対に山には入らない。
「…この辺り滑りやすいので足元に」
「うわっ」
言ってるそばからマルコさんは私の後ろから滑り落ち、三メートルほど先まで落ちていった。話を聞け。
「…いてて」
「大丈夫ですか、足捻ってません?」
村の子供でさえ転ばないところで滑り込んで落ちないでほしい。
「大丈夫だよい」
怪我はないようだけれど服は土や葉っぱで盛大に汚れた。ポンコツか。頭の毛についた葉っぱの間抜けさに笑いが堪えきれず、吹き出しつつもマルコさんに手を出した。
「…ぶはっ!もう!言ったそばから転ばないでくださいよ」
ゲラゲラ笑う私に嫌な顔一つせず、ちょっと困った顔して差し出した手を取ると身を起こす。その後は世間話なんかしつつも極力ゆっくりと道を進み、所々で注意を促したにも関わらず。
「…いてっ」
「待ってくれ服がひっかかったよい」
「うぐ!」
蜘蛛の巣を避けた後で葉っぱに顔を当て、飛び出ていた枝に服を引っ掛け、やっと村の入り口に着いたと思ったら石に足を取られ転んだ。
「…マルコさんて本当にお医者さんなの?大丈夫?」
「…大丈夫だよい、送ってくれて助かった」
めちゃくちゃ心配になる。ちっとも大丈夫に見えないのですが。幾つなんだこの人、身分偽ってないかと思うくらいドジっ子過ぎないか。
「もしかしたら知ってるかもしれませんけど。港には海賊船が来てるんです。略奪とかはされてないけどここで過ごすなら気をつけてくださいね」
道を歩きながら旅をしてることを聞き、新薬や民間療法なんかを調べつつ島から島へと移る途中に立ち寄ったと言ってたけど。
「心配には及ばねえよい」
「……もし困ったら刃物屋さんのおじいちゃんと、あの道沿いにある喫茶店に頼ると良いですよ。親切にしてくれると思います」
いや心配しかない。私もよくお世話になっているのだと頼れる二人を紹介して別れた。
日が落ちる前に私も小屋へ戻らないといけないから、マルコさんを連れて歩いていた時の三倍速で近道を選んで駆け上り、夜の獣の活動前に小屋へとたどり着いた。
「はー、もう。薪割りは明日頑張らないと」
可笑しな人だったなあ。村の人以外に会って話すのはいつ振りだろうか?日に何度か吸う香煙草を口に挟んで笑う。火をつけて吸い込むと独特の少し甘い香りが部屋と肺を満たした。
金色の髪は頭頂で跳ねて鳥のよう。
人当たりのいいのんびりした話し方に変な語尾が付き、それが妙に似合ってる。あの破れたシャツ替えがあるのかしら。荷物落としたって言ってたけど無一文なんて事ないよね?
別れた後もマルコさんの印象は強烈に残ってて、晩御飯を作りながら明日にでも荷物を探してあげようと決めた。
私の朝は早い。と言っても年間を通して早いのは春から夏の終わりまで。
「…うう…」
起きて先ずするのは香煙草に火をつけての一服。太陽の光と訪れる鳥のうるさいくらいの声で目覚め、日が落ちて獣の動き出す時間になる前に火を焚いて眠る。つまり夜も早い。
自然とともに動くから冬だけはどうしても身体の機能が弱くなるのが難点。お日様出ないと起きられないよ。
「さて。いつもどおり野菜と木の実を収穫したら今日は新しい斧で薪の試し切りして…あ」
そうだ、あの人の落とした荷物を探しに行くんだった!ばあちゃん直伝の身体の筋や関節の動きを確かめる運動を終わらせてから腰にナイフを、背に矢筒を引っ掛けて小屋を出る。
どの道からマルコさんが登って来たのか予想しつつ足を向け私は固まった。
「おはようさん、早いな」
件のマルコさんがにこやかに朝の挨拶をしてきたからだ。
「………………何してるか聞いても良いですか」
結構な高さのある樹の、結構な高さの枝の上から降ってくる呑気な挨拶に咄嗟に声が出なかった。
どうしてそこに登ろうと思った?そして何故登れたのか。
「ああ、上から、ちょっとな」
マルコさんから目線をもう少し上に向けると斜面がある。
「……落ちたんですか」
「上手く降りられたと思うよい」
いや何で?!全く上手くないしそれは降りたんじゃなくて落ちたんですよね?!口から零れ出そうな突っ込みを根性で飲み込んで動かないようにと伝え小屋からロープを取って戻り、幹に手をかけ木登りを開始。
「マルコさん、そのままじっとしててくださいね」
窪みに手を掛け身体を持ち上げ、なるべく太そうな枝に足を掛けマルコさんの上の方を目指していく。
「へえ、上手いもんだねい」
私、動くなって言いましたよね?
登ってくる私をよく見ようとしたのか身を乗り出したマルコさんは当然、前のめりになるわけですよ。
あ、とか間抜けな声が私の横を通り落ちて行き、バキバキ、べちゃ、とかいう間抜けな落下音が下方から届く。予想を裏切らないポンコツ振りを発揮してくれてありがとうございます。
私も掴まっていた枝から手を離しバランスを取って着地。先に地面に到着していたマルコさんを抱き起す。
「もう!じっとしててって言ったじゃないですか!…怪我はありませんか?」
「いてて…大丈夫だよい。俺は医者だからねい」
誇らしげに言って、ちょいと白衣をつまんで見せるマルコさん。昨日は普通のシャツだったからわざわざ着てきたんだろうか。
あと医者でも怪我も病気もするし、大丈夫の理由になってないですよ。
「今日はどうしたんですか」
「昨日落とした荷物を探しに来たんだよい。あの鞄には財布が入ってる」
嫌な予感が再来。まさか違うよね?と願いを込めて投げた質問はまたしても予想通りのもの。
「そのお財布のお金が全財産とか言いませんよね?」
「…………」
眉を下げて無言で笑うのは肯定か。私は地面に両手をついてうな垂れた。旅人ならスリやカツアゲに配慮してお金は分散して持つのは常識なのに。
「無一文で、昨日はどこに泊まったのですか」
「ちゃんと寝たよい」
ダメだこの人。野宿か?野宿したのか?!海賊船が来てるって教えたのに?どんな神経してんだよ!!!
「……マルコさんて抜けてるって言われませんか」
「いや。どっちかと言えば抜け目ないと言われるが」
嘘つけ、と思ったけれど無自覚なのだと自分に言い聞かせ土汚れと樹の皮を叩いて落としてあげて、一緒に鞄を探す旨を伝えたところ、手放しで喜んでくれた。
危なっかしくて放って置けない人だなあ。一人旅とかしてて平気なのかな。
「いつこの島を出発するんですか」
「もう一週間くらい居たいと思ってるよい」
海賊船が滞在するのは一週間と聞いている。奴らが出港した三日後にこの人も発つのか。
「海路ですか」
「いいや…あ、穴が空いちまってるよい」
白衣のポケットに手を入れたマルコさんの指がニョキっとはみ出し、困った顔をした。海路じゃないなら陸路での旅か。
「…はぁ。もういいや」
「?」
「……中、入ってください。穴くらいなら縫えるんで直します。ついでにその擦りむけた手も消毒しましょう」
「良いのかい?」
私はマルコさんが転ばないように手を引いて小屋に入った。椅子に座らせ白衣を預かる。大人しく!待つように!!と言い聞かせると子供のように頷き、今度は何もせず座って居てくれた。
「なまえは一人でここに暮らしてるのかい。不便じゃないかい?」
「もともとおばあちゃんと二人暮らしだったんだけど、去年死んじゃったの」
手のひらに消毒液をつけてガーゼを当ててから白衣の修繕に取り掛かる。
使い込まれた跡のある白衣はマルコさんが常日頃から使ってるのだと解って、この人やっぱりお医者さんなのかと変に感心してしまう。
「…悪いことを聞いた。すまねえ」
「気にしないでください。生きてればお別れはいくつもあるもの」
寂しくない訳じゃないし夜中に泣いてしまう時もある。山や森、自然は豊かで厳しくて孤独を強く思い知らせてくる。
「…はい、おしまい。どうぞ」
「上手なもんだねい、なまえは凄いよい」
目の高さに翳して繁々と縫い跡を眺め、怪我の縫合も出来そうな腕前だと言う。
「あは、大袈裟ですよ!…お茶飲んだら鞄探しに行きましょう」
クセの少ない茶葉をポットに入れて香り付けの乾燥花を少し混ぜる。ついでに昨日貰ったお菓子を添えてテーブルに置き、私も椅子にかけた。
「熱いですから冷ましてから飲んでくださ…待っ、先にお菓子どうぞ!」
話を聞け。熱いって言ってんでしょうが。
まるで子供の相手だわ、なんて言ったらさすがに怒るかな。
「…ふー、美味しいお茶だねい。初めて飲む味だ」
「森で取れる葉っぱなんです。混ぜ方によっていろいろ効果が変わるので重宝してます」
「へえ!薬としても使えそうな効果もあるかい?」
眠そうな目に知的な色が混ざり、それは好奇心でキラキラと光って見える。どうせならと生えてる場所に連れて行って説明し、そのついでに鞄を落とした…というかマルコさんが昨日転げた場所を重点的に探索した。
その間、ちっとも話は途切れなくて。
「あは、ははは!…ああ可笑しい、こんなに笑うのは久し振りですよ」
「そんなに笑うような話だったかい?」
「…ぶはっ!やめてください、その動き!」
鞄は見つからないまま時間は過ぎ、マルコさんは鞄をあっさり諦めると言った。よくあることだと言わんばかりの態度にしょっ中落としてるのかと尋ねると、困った顔で笑った。
「…お昼、食べて行きます?お金ないなら食事も泊まるところもないでしょう。昨日あの後で何か食べました?」
「ああ、いや…」
誤魔化そうとしてるのか口ごもり目を泳がす仕草に、私の中でムクムクと世話欲が膨らむ。おばあちゃんが居た時は足の悪い彼女の代わりに外仕事と力仕事は私の役目だったし、薬草を煮るおばあちゃんの隣でご飯を作ってはお互いに味見をする楽しさを思い出してしまった。
「タダとは言いません。お代として私の仕事を手伝ってもらいますけど」
「助かるよい。ありがとうなまえ」
ホッとした顔してる。きっと同じ顔を私もした。
「何から手伝えばいい?」
一旦、小屋へと戻ってからお昼の支度を始める。その前に小屋の裏手に連れて行って納戸を漁る。
「薪割りってできますか?小屋の裏手に拾ってきて乾燥させた木材が入ってるので、この斧を使って…あっ!」
「どのくらい割ればいいんだい?」
片手で軽々と斧を持たれビックリした。ふらつきもせず持てると思わなくて、この人そういえば男の人だったんだと当たり前の事実に気がついた。
「…え、ええと。じゃあここからここまでの、束を」
任せてくれと請け負ったマルコさんを残し小走りで小屋に駆け込んだ。
「…あーもう!おばあちゃん助けて…!」
熱を持った顔を両手で挟んで悶え、落ち着くために香煙草を吸い込んだ。一息ついてから保存庫から野菜と肉を取り出しパンを用意。
作り置きとは違う誰かと自分の二人分。くすぐったい気持ちに胸が踊る。
「終わったよい。他は?」
「えっ早!!」
肉を焼いてる最中にマルコさんが声をかけてきて、振り向くと戸口の所で任務終了と告げる。あの量ですよ?もう??
「草刈りでもしておこうか。随分と伸びてるようだったし」
「野菜と花と雑草の区別つきますか?」
「俺は医者だよい。良性と悪性の区別はできる」
力強く頷いて任せてくれと言う。いや今、医者って関係ないですよね?!
「いい匂いだよい。焼き加減はそのくらいでやめておいた方が美味そうだ」
私の返事を待たずにひらりと手を振り姿を消した。嗚呼。私の畑よ、無事でいて!
野菜を鍋にぶちこんで香草と調味料を入れ弱火にしつつフライパンの火を止め特製ソースを流し入れ余熱に味の浸透を任せた。
狭いテーブルに目一杯並ぶお皿。
私はエプロンを外すのも惜しんで小屋の裏手に駆けると、目の前には拓けた景色が広がり息を飲む。
「…ああ、悪い。あっちはまだなんだよい」
白衣を泥だらけにしてマルコさんが振り返り笑う。その足元に積み上がるのは手が回らずのびのび育った雑草たちで、近寄って確かめても野菜の苗も花の苗も引き抜かれてはいない。
「……すごい。納屋の鎌使わなかったんですね」
根っこまで綺麗に抜かれている。横着して上の草だけ刈った私の雑さを綺麗に無かったことにして。
「疲れたでしょ。ありがとう。ご飯も出来たのでいっぱい食べてください」
無邪気にさっきからいい匂いがしていたと土まみれの手で垂れる汗を拭い顔に泥の筋を作るマルコさんの白衣をまず脱がせ、手を洗わせ、席についてもらう。
「裏手の畑、野菜以外は殆ど薬草だねい。この赤いスープ美味いよい」
「へえ!よくわかりましたね、私は薬草の調合が出来るので、よく村からの注文とか通販もしてるんです」
冷凍保存のトマト、塩漬けの肉と野菜を一緒に煮たスープは酸味を少し和らげる香草入りだと伝えると、赤いのはトマトかと感心していた。
「鞄を探してくれている時にも聞いたが、なまえはずっとここに居るつもりなのかい?柔らかい肉だねい、脂とソースの香りだけで食がすすむよい」
話しつつも止まらない食事の手が美味しいと言ってるようで嬉しくなる。
一人じゃない食卓はこんなに楽しいものだったんだ。思い出しちゃったじゃないの。
またこれから一人なのに。
「ご馳走さん。とても美味しかったよい、皿は俺が洗うからなまえは休んでいてくれ」
「ありがとう、お願いするわ。洗い終わったら横の水切りカゴに入れておいてくれたらいいわ」
手際よくお皿をまとめ洗い場で作業する広い背中をぼんやり眺める。
ばあちゃん以外の存在が小屋で動いてるのって変な感じなのに、落ち着くような不安なような…妙な既視感が湧く。
「この小屋での生活は気に入っているのかい」
「ええ。自然は厳しいけど豊かだし、土いじりとか香草、薬草で薬とか作るのも性に合ってる」
落ち着かなくなってきて香煙草に手を伸ばし、マルコさんに吸ってもいいかと聞いてから火をつけた。吸い込むと心が凪いできて落ち着く。
「小屋の中あっちこっちに干してあるし棚にもそれらしい瓶詰めが並んでる。全部把握してるのか?」
とん、と机の上にお茶が出され、マルコさんも椅子に座る。お礼を言ってから口を付けるとお湯か?と思うくらい薄いお茶が口内を満たした。
「どうかしたかい?」
自分の分を飲みつつ不思議そうな顔をするマルコさんは味の薄さに気づいてないのか?
「…もしかしてお茶、苦手ですか?」
「……茶葉の量が難しいとは思うよい」
良かった、お湯もどき茶だと自分でも解ってはいたようだ。味音痴なのかと疑ぐってしまったのを隠し先ほどの質問に答えた。
「ここの中ならほとんど全部把握はしています。仕事にしてるくらいだから中途半端は嫌だし、もっと勉強して新しい調合も試すつもりよ」
マルコさんは例のにっこり笑顔でそうかい、と頷く。
「この場所はなまえにとって過ごしやすくて、寛げて、居心地はいいって事だねい」
「あは、そうですね!…はい」
薄いお茶を飲んだ後マルコさんは畑の雑草処理の続きを、私は薬草の調合をする事にした。村へ降りたところでお金のない身元不明の旅人を泊めてくれる場所はないだろうが『泊まっていきますか?』と言い出せるほど私は楽観的ではない。
いくらボンヤリしてても男なのだと解ってるし深入りすると寂しさに首を締められるのは私なのだ。
「…マルコさん、そろそろ村に…」
小屋の裏手に草むしりはもう良いと声をかけに行くと、マルコさんがしゃがみ込んでいた。私の声に振り向いて困った顔をする。
「ああ、そうだねい。そろそろ山から降りねえと…」
「……いや、あの、それどうしたんですか?!」
左足のふくらはぎの辺りが真っ赤に染まり、抑えた手の隙間から滴る血が地面に染みている。
「このくらいの小さい動物がいて、猫みたいで可愛いから撫でようかと思ったら、驚かせたみたいで」
「…はぁ…歩けます?野生動物には迂闊に近寄らないでください!傷口から病気になったらどうするんですか!お医者さんなら感染症の怖さとか知ってるでしょ?」
つい声を荒げるとマルコさんは子供みたいにしょんぼりして、すまねえよい、と謝った。本当にお医者さんなの?肩を貸して小屋の入り口まで連れて行く。重い。
「消毒します。痛くても我慢してください」
「~うぐ!」
傷口の血を流し患部を見る。ぱっくりと裂けた肌は十センチ強で深さは五ミリほど。そこそこ深い傷だから…頭に浮かんだ薬を棚から取り出し塗りつけ包帯できつめに巻く。
「その足で山道降るのは難しいでしょう……今夜は小屋に泊まってください」
私がこの人を担いで歩くのは無理だ。
マルコさんは一人で歩けなくはないだろうけど、怪我をしてなくても転んでぶつかって滑り落ちる人が獣道を降りるなんて無理に決まってる。
見捨てておけるほど無情になれない自分の甘さに胸が騒ぐが、決死の覚悟で言葉を吐く。
「…有難いが、さすがになまえしか居ない小屋に泊まるような不用意なことは出来ねえよい。小屋の裏手を借りてもいいかい」
「怪我してるのに野宿なんて」
ふ、と柔らかい笑顔に胸が跳ねた。こんな顔して笑う人なの?
「なまえは、優しいねい。大丈夫だよい」
のほほんとしてるくせに頑として譲らない。私はせめてもと納戸の床を一部空けて干し草とシーツと毛布、獣避けの焚き火をいつもの場所に用意した。
「この笛も置いておきます。動物の嫌がる音が出るのが赤い紐の方。こっちのベルは鳴らせば大きな音が出ます。何かあったら駆けつけますから遠慮なく押してください」
心配することなどないとマルコさんは干し草の簡易ベッドに寝転んだ。柔らかくて草の匂いがして、よく眠れそうだと呑気なことを言って。
「おやすみ、なまえ」
「…おやすみなさいマルコさん」
夜の挨拶なんて懐かしいものまでくれて。小屋に帰って少し泣きそうになり香煙草を吸い込んだ。残りが少なくなってきたからまた作らなきゃ。
翌日。
まだ早い時間だけど小屋の裏の畑に向かい獣の痕跡の有無を確認。燃えカスの薪は後でまとめておくとして、納戸を覗く。マルコさんは熟睡していた。
痛みで眠れないのではと後から用意した痛み止めはそのままで脱力した。
あの傷は痛まなかったのだろうか?足には赤黒く変色した染まった包帯がしっかりと巻かれているのを見て後で巻き直してあげようと決めた。
肉の調達は明日にして朝の収穫を手早く済まし、薬用の材料と食用に分けて保管。小屋に引き返し朝ごはんを作り時間を見計らって納戸へ。
起きていたマルコさんの髪の毛に付いた干し草に笑う私に大欠伸しておはようと言った。
「…いいにおいがするよい」
「寝ぼけてますね、朝ごはん食べられます?傷はどうですか」
傷は大丈夫だ、なまえも一緒に食べようと誘われて、納戸の前にシートを引いてピクニックのような朝ごはんを食べる。
「いい天気だねい。あ、鳥がいるよい」
「餌あげちゃダメですよ。畑が狙われちゃう」
「なまえは今日は何をするんだい?手伝うことはあるかい?」
「マルコさんのすることは安静にして早く傷を治すことです。私は水やりとかいつもの仕事をします」
「…それなら鱗の実の殻割りをさせてくれ。台所のカゴに山ほどあったろい」
鱗の実は玉虫色の美しい実だが名前の通り硬い殻に覆われている。実は透明で薬に使い、外皮はすり潰して顔料になる。利便性が高く育ちのいい木の実の一つだ。
無理をしないようにと約束させ、気もそぞろにいつもの仕事をするが捗らない。何をするか解ったもんじゃないから何してるか気になって仕方ない。
…私は結局マルコさんに肩を貸して小屋の長椅子に座らせて、目の届くところで作業をしてもらった。
「お茶を入れてもいいかい?」
「それなら私が」
「動けねえ程の酷い傷じゃねえよい。俺は医者だよい」
私が洗って綺麗にした白衣を羽織ったマルコさんが席を立つ。泥汚れもなく清潔な色をしているそれが身体の動きに合わせ少し揺れた。僅かに足を庇いつつ台所で茶器の音とお湯の湧く音が昼過ぎの小屋に満ちる。
「リベンジだよい」
「はい、……うん。苦いですね」
机に乗ったのは泥水の如きどす黒い飲み物。あれ?もしかしてコーヒー?みたいな見た目だが香りはお茶である。口に入れると広がるのは濃縮した苦味の強いお茶の味。お茶って言って良いのか際どい味。
「すまねえ、変な味かい?」
「いえ、まあ、飲めなくはないですよ」
息を止めて喉の奥へとカップ一杯のお茶を流し込み、ポットの残りは薄めて飲もうと一人強く頷く。棚にある甘いお菓子を添え、お湯を足そう。そうすればティータイムの形にはなるだろうと私は席を立つ。
「…あ、れ?」
立ちくらみがして足に力が入らず身体が揺れる。崩れた身体はマルコさんの手に掴まれ無様に床に転倒するのは免れた。
「大丈夫かい」
「……はい、なん、か…急に…」
ぐわんぐわん、とマルコさんの声がこだまして視界は水中のように滲み、身体に力が入らない。
「……、……」
マルコさんが喋ってるのに聞こえなくて、返事もできないのに。身体に回る手の力強さとか固さだけは強く感じ取れた。
「……うぅ…」
靄のかかった頭が重い。なんだか目も霞んでる。
「…あれ、わたし…?」
横になっていると気がつき身体を起こそうとすると、ズキンと鋭い痛みが走り呻いて額を抑えた。
「起きたかい。なかなか起きないから心配したよい」
背中に優しい手が回る。随分と近い位置で聞こえたけど、この声はマルコさんだ。
「…寝て、たんですか…すみません。疲れてたのかしら」
私、何してたんだっけ?
…そうだ。マルコさんとお茶を飲んでたら眠くなって寝ちゃったんだ。やりっ放しだった調合途中の薬の続きをしなきゃ。その前に、と机の上の茶器に手を伸ばす。
「…ごめんなさい…片付けは、私がするからマルコさんは座ってて」
「…動いて大丈夫かい?」
心配ないわ。そう伝えてカップとポットをお盆に乗せて台所へ。
「…………」
じわり、と背に汗が浮かんだ。
壁や天井に吊るして乾燥待ちしている途中の薬草や薬花。右の壁には薬草瓶を入れている薬棚が二つ、左の壁際は本棚と作業台があって水場とお風呂に続くドアがある。
台の上のすり鉢も顕微鏡の横にあるばあちゃんの写真たても。
「どうしたんだい?やっぱり片付けは俺がやるよい」
手が震える。その振動がカップを揺らし陶器のぶつかる音がして、マルコさんが私の手からお盆を取り上げた。
「……ここ、どこですか」
にっこりと笑うマルコさんは、いつものあの笑顔なのに、底冷えする程に弧を描く口元が恐ろしかった。
「なまえの部屋だよい」
「…私の部屋じゃないわ。匂いが違う」
どのくらい寝ていたのか解らないけど、ポットは温かかった。なかなか起きないからと言ったマルコさんの言葉は矛盾する。入れ直した訳でなければ当然冷えているはずだ。
「同じだろう?干してある薬草も棚も椅子も机も、クッションも全部なまえの部屋と同じじゃねえかい?」
「っ!」
深まる笑み、その口元から出る声は変わらない。優しくのんびりとしてさえいる。
数歩歩いて台所にお盆を置いたマルコさんはくるりと私を振り返り、何かを口に咥えた。私の香煙草だと解ったのは火をつけて漂った煙の匂いを嗅いだから。
「…三年と七ヶ月」
「え?」
ぐしゃりと煙草を握りつぶしマルコさんが私との距離を詰めた。思わず後退りしてしまったが、それは眼前の男を逆なでする行為だったらしい。強く腕を掴まれ引き寄せられた。
「…あっ!」
「よくも逃げてくれたな。お前を探し出すのにかかった年月の間、俺がどれだけ苛まれたか」
「は?何言って…」
「蛍火花、雪降樹の葉に牢虫茸の粉末を五、二、三の割合で混ぜて燃やした香り」
私の香煙草の調合をスラスラと言い当て、あってるだろい、と軽く首をかしげる。小屋の裏の畑で見た時と同じなのに薄ら寒くて鳥肌が立つ。
「これを吸い続ければ記憶は閉じ込めておけるよなァ、毎日吸ってれば全部帳消しに出来るとでも思ってたかい?」
島で見た笑顔とは程遠い、煮えたぎる腹の内を無理やり押し込めた歪さが声に混ざる。
「…何故逃げた?」
「痛いっ!離してください!」
腕を掴む力が増し締め付けられる。
痛い痛い、折れる!
「何が不満だった?家具は使い勝手とデザイン性の高いものを作らせて揃えた。食事も嗜好品も海から山のものまでなんでも用意したし、ケーキだのチョコだの甘いもんもサッチに頼んでいくらでも作って出した。南の島の珍しい彩の宝石もアクセサリーも冬の島で見つけた溶けない結晶のピアスも動きに合わせて色を変える春色のドレスも一度も一度たりとも身につけなかったが別に構わねえよい。なまえが気にしていた薬草も取り寄せたしなんなら俺が取りにいった。薬草辞典も古今東西集めて揃えて俺の本棚と書庫にあっただろい。お前がいない間に新しく出た器具もチェックはしてあるから後でなまえも目を通せばいい。わかりやすくまとめておいた。言えば欲しいもん全部用意してやるよい言ってみろ」
えっ何、怖…っ!早口であんまり聞き取れないんだけど瞳孔開いてない?息継ぎしてないみたいですが大丈夫なの?
「あの、あのですね?誰かと間違ってませんか…ヒェッ」
めちゃくちゃ睨まれた。何で??怖いよぉ…!マルコさんキャラ変わってませんか?同一人物じゃないだろこれ!
「悪かったねい、こっちが素だよい」
考えてることがバレている、と息を飲むと顔に出てるんだよいと鼻で笑われた。本当にマルコさんなんだろうか?そっくりさんか双子説を推したい。
「どう見えてるか知らねえが、俺は愛に生きて恋で死ねる男でな」
「…へえ、そうなんですか」
話の筋が読めないものの下手に喋るとまたマルコさんの逆鱗に触れそうで、適当な相槌でごまかす。
「どっかの年中無休で営業中の下半身を持つ阿呆と違って生涯一人と決めているんだよい」
喉の奥で笑ってみせるその仕草。
悪役にしか見えないんですが、あと本当に手が痛い。痺れてきた。頭が現実逃避を始めたのに、それすら逃げるなとマルコさんがねじ伏せて来る。
「…のんびりした悪意も悪事もなさそうな朴訥とした奴」
「?」
小馬鹿にした色が混ざる目で見下ろして、ニンマリと口は歪む。
「そういうのが好きなんだろい、あっさり引っかかってくれて嬉しいよい」
「っ!」
全部茶番だ。
パズルのように場面がハマる。
鞄を落とした?本当に?じゃああの白衣はどこから出てきたのか。怪我をした?今何事もなく歩いている足元を見れば半端丈のズボンから見える肌に傷跡も何もない。
そもそも旅をしていると言ったけど一人だとも陸路だとも明言などしていない。
高い樹の枝に腰掛けていたのは崖から落ちたんじゃない。あれは空高くから、あの場所へ降り立ったのだ。
「…『不死鳥のマルコ』…」
ガンガンと頭が痛む。
不整脈の如く嫌な音を立てる心臓。決して思い出さないよう日常的に吸っていた記憶を消す香り草。
あの甘い香りは潮の香りに掻き消され、忘れたかった記憶が波のように押し寄せた。
陸の女と
海の男。
(…思い出しても出さなくても、なまえはただここで過ごせばいい)
(あなたの、そういうところが…)
←