.
同じ地獄に落ちればいい。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
(Side U)
ヒールを履いても身長差があり、何かしらの記念日に必ず花束と特別なプレゼントを用意する。きちんとしたエスコートが出来て常日頃から感謝の気持ちを持って接し、金と力のある、健康的に焼けた肌と笑顔の爽やかな人。
「何の話しだ」
「雑誌に載っていたモテる男の条件です」
「そんな奴この世に存在するのかい?」
机には珈琲とチョコレートの乗った小皿。仕事の合間の小休憩にめくった雑誌はナースが置いている冊子の一部。
「そう思うでしょう。見てくださいこの写真」
わたしは次に着く島の情報誌の見開きを示す。
誌面では少しはにかんだ青年が花束を手に花屋の前で佇んでいる。フラワーショップの広告で、記事自体は小さいものの写りは鮮明。
「…この青年の笑顔は条件にピッタリだと思いませんか?」
「こんな小さい写真じゃ解らないよい」
興味なさそうにマルコ隊長の視線は手元の新聞に戻る。珈琲を一口、メガネの位置を微調整。
「隊長は好みってあるんですか」
「…ああ?」
こっちを見た。もしや興味を引く話題だったかな?と期待したものの、その目は呆れをたっぷりと含んでいた。早々に白旗を上げ溜息を吐く。
「お姉様たちは出払ってるし暇なんです」
「暇なら飲み終わったカップ片付けて仕事再開するかい」
「流行っているんですよ、恋バナ。隊長もいかがですか」
「お断りだよい」
残ったチョコレートを器用にわたしの口に放り込み黙らせると、机の上を片付ける。雑誌も閉じられ元の場所へ。
「暇なら書庫に付き合えよい。サッチがレシピ本を一冊、どこに片付けたか忘れたらしい」
「もしかしてこのチョコレートは」
「賄賂だねい」
にっこりと笑うマルコ隊長。食っただろ同罪だぞと声が聞こえた気がした。ナッツがゴロッゴロ入ったビターチョコは甘いものをあまり食べないマルコ隊長も好んで食べる程に美味であり、時に争奪戦を起こす代物である。
「仕方ないですね。わたしの方がたくさん食べさせてもらったので、お手伝いいたします」
七割わたしが食べましたからね!しかも最後の一つをマルコ隊長に口に押し込まれたし。断れずに書庫へ行きタイトルを流し見つつレシピ本を探す。
昔読んだ懐かしの本、強請って買ってもらった資料全集、擦り切れるまで読んだ医療書。ついつい手に取って中を開いてしまうと読み込んでしまう。懐かしい。これ確かマルコ隊長が勧めてくれたやつだ。
「こっちの棚にはないみたいだよい、なまえはどこまで確認した?」
「アッハイ、サボってません!」
背後から掛かった声は場所を考慮してから低く小さく、やけに近いところで聞こえて肩が跳ねた。
「サボってんじゃねえかよい」
「気配消して近寄るのやめてくださいっていつもお願いしてるじゃないですか」
本を閉じて棚に戻し触れそうな距離から逃れようとしたけれど、マルコ隊長の手が伸びて行く手を遮る。
「へえ、この本はなまえの部屋にあるもんだとばかり思っていたが。書庫にあったのかい」
書棚とマルコ隊長の腕に挟まれた。
壁ドン…いや棚ドン?少女漫画ならときめくところだけれどわたしの心臓は竦み上がり瀕死へ爆走を始めた。 何せ相手が『マルコ隊長』である。
真顔で繰り出される冗談は笑ったらいいのか突っ込んだらいいのか判断に困り、痛い沈黙に苦しむ羽目になったのは数え切れない。多分、隊長は凍りつく場の空気や仲間を見て面白がっているんだと思う。そしてターゲットにされるのは大概わたしである。どおして。
「わ、わたし一人で使うには勿体ないので。他の人も見られるようにと思いまして」
振り向くと死ぬ。目の前に並ぶ小説のタイトルを内心で連呼しつつ、言葉を捻り出す。下手に反応するほど弄られるのは体験済みだ。落ち着けわたし。
「そうか」
背から気配が遠ざかりほっとしたのも束の間。やれやれと身体を反転させると目の前に、鼻先が触れそうなほどの距離にマルコ隊長のドアップがあった。
「ヒョェ…ッ」
「ぶはっ」
大袈裟に肩を跳ねさせるとマルコ隊長が顔を背けて肩を振るわせる。書庫じゃなければ大笑いしていたはずだ。いや絶対してた。
「…おま、お前…ひょえってなんだよい…!」
「…笑いすぎじゃないですかね」
長々と笑いの余韻を引きずり、ようやく治った隊長が目尻を指で拭う。泣くほど面白かったですかそうですか。
「立ち読みしてすみません。レシピ本探します」
踵を返したわたしの頭に軽い衝撃。何か乗せられたと頭上に手をやると、探していたレシピ本だった。
「そこにあったよい」
「…左様で」
嘘つけよ。喉元まで迫り上がった言葉を飲み込むくらいの耐性は付いている。してやられたと悔しがるのも隊長を楽しませるようで癪で、にっこり笑ってやった。
「なまえが可愛いから構いたくなるんだ、怒るなよい」
自分の白衣のポケットからキャンディを取り出してわたしの白衣のポケットに入れる。その手でわたしの頭を撫で書庫から出て行くのを見送り、ようやく息を吐き出した。
「よく言うよ、絶対嘘でしょ」
飴玉一つで許されるとでも?あの人わたしを幼児か何かと勘違いしてませんか。
「…サッチ隊長。お探しの品です」
足取り重く食堂へ行き、カウンター越しにサッチ隊長を呼ぶ。わたしの呼びかけに作業の手を止めてくれたが、冊子を見て首を傾げた。
「えっ何これ?」
「え?サッチ隊長が探していたと聞きましたけど…」
嫌な予感がデジャヴする。まさか頼まれたのも嘘かよあの野郎。
「あっ、そうそう!見つけてくれてありがと~!なまえはいい子だねえ、うんうん。お兄ちゃんがスペシャルドリンク作ってあげるね」
お疲れ様。抱擁され背を軽く叩かれ、ぐったりと広い胸に身体を預けた。もうこの船の船医やめたい。やめないけど。
「ごちそうさまでした。じゃあ戻りますので」
「うん。いつでもおいで」
サッチ隊長の冗談はわかりやすいんだよね。抱きつかれても平気だし。笑ってお礼を言って食堂を後にする。
途中だった仕事に取り掛かり、船内の見回りして怪我や体調不良の船員に処方したり搬送したり。そして今日も一日が終わる。
夕食を済ませてお風呂に入り、読みかけの小説の続きを読んで。
「…寝よ。明日は夜勤当番だし」
欠伸をして早めに寝床に潜り込んだ。島に着いたら小説の続きを買おうと考えているうちに意識は夢の中へ。
「……ぅえ、お、お疲れ様です、今夜の当番わたしでしたよね?」
医務室のドアを開けて電気をつけたら先客が居た。何故灯りをつけない。お化けかと思ったびっくりした怖かった。
完全に腰が引けて扉にしがみ付く姿勢で伺うと、席から立ち上がったマルコ隊長が肩を竦めた。
「忘れモンがあってな」
「…でんきつけてくださいよ」
「暗いのは慣れている」
「…左様で」
お布団に帰りたい。何も見なかった事にしてドアを閉めたい。でも逃げたら絶対追いかけてくるでしょ知ってる。
「手伝います。夜勤は暇なので」
早く見つけて出て行ってくれ。その一心で手伝いを自ら申し出て探し物は何ですかと尋ねると、私室の棚の鍵だと言う。ポケットに入れていたが見つからないのだと。
「他の場所じゃないですか」
「いや…ここであってる」
棚の隙間や椅子の下、壁際。引き出しや書類の隙間も念のため確認していく。
「あ」
「ありましたか?!」
「いや。指輪が一つ落ちていた。なまえか?」
「お姉さんじゃないですか?わたし指輪持ってないので」
華奢なデザインの青い宝石の一つついたリングは素敵だけれど趣味じゃない。ポツポツと雑談しつつ進める捜索は、もはやゴミ掃除と化してきた。
ガーゼの切れ端、使いかけのテープ、ペンに何かのキャップ。薬棚の下を箒で探ると先月紛失した愛用のクリップが見つかった。ラッキー!
「…ちょ、隊長!ここでタバコ吸うと怒られますよ」
「窓開けた。お前が黙ってりゃバレねえよい」
早く探せあんたの鍵だろ。優雅にタバコ吸う余裕があるなら急ぎじゃないでしょ夜中に来るな。床に這いつくばってるこっちの身にもなれ。
「恋バナ」
ふ、と白い煙が夜風に攫われる。
は?と顔を上げ聞き返すと、タバコを挟んだ手で眼鏡の位置を直した隊長が繰り返す。
「流行ってんだろい、恋バナってやつ。どんな話してんだい」
「そのままですよ、恋の話。好きな人の話とか誰が格好いいとか。ガールズトークってやつです」
先日見せた雑誌はまだ棚にあったので、取り出して窓際に立つマルコ隊長に渡した。
読書に対して雑食なマルコ隊長の事だ。新たなジャンルの扉を開けたいのかもしれない。女性雑誌でも読んで女心とか学んで欲しい。
「…『男性の好きな仕草』、『男ウケナチュラルメイク講座』…『好きなタイプランキング』…凄えなこれ。下着の好みで夜のタイプ別チャートが載ってるよい」
口を歪めて雑誌を閉じて机に放る。ばさ、と乱暴な音が深夜に響いた。
「いちいちビビるな、傷つくだろい」
わずかに揺れたわたしの肩を揶揄して笑う。目が笑ってないんですよ、それが怖いんですよ。
「…ゲホ、やめてください」
ふぅ、と白煙を吹きかけられて噎せ、手のひらで煙を追いやる。払った手を掴まれ逃げ道を断ち、また白煙が顔にかかる。振り解こうと腕に込めた力はそれ以上の力で握られ痛みが走った。
「逃げるから追っかけられるんだってまだ解らねえのか。覚えが悪ィ奴だねい」
抵抗を止めると力は緩んだが離してはくれなかった。タバコ臭い。話の意図が読めないんですけど。またいつものブラックジョークタイムだろうか。ノリについていけないわたしが悪いのかな。助けてサッチ隊長。
「この間。夜勤の時にここで新入りに言い寄られていただろ」
「…?あー、はい。いつものやつですよ。ナースが高嶺の花すぎて、なまえならまあ行けるだろ的な」
男所帯だから新入りに『女』ってだけで好意を寄せられたりもするけれど、過ごすうちに対象外になる確率の方が高い。
「わたしはウチの中で恋愛沙汰とかめんどくさ過ぎて無理ですね」
「じゃあ、今後も一生恋人を作るな」
「え、無茶言わないでください」
何言ってんだこの人?酔ってる?酒の匂いしないけど酔っ払いなのかな?わたしだって人並みに恋人は欲しいですけど?
「俺は作らないよい」
「…はあ、左様で」
ストイックだなあ。サッチ隊長なんて上陸のたびにハーレムみたいになってんのに。
まあわたしも時々はワンナイトくらいしますけど、海賊やってて恋人ってどうやって作るんだろう。遠距離とか続かねえだろって思う。
「なまえは恋人になりたい相手がいるのかい」
「これから出来る予定です」
そりゃ憧れがある。一応は乙女心ってやつもあるつもりだし、恋バナ楽しいし。まあ上陸の長期滞在でもあれば割り切った恋人くらいならできるだろう。そこに期待しているというか、それしか望みがない。
「俺はこの先、もう恋はしない。いい女は山ほど居るが替えの効かない女は一人と決めているんでな」
「!」
真摯な瞳に射抜かれて心臓が大きく跳ねた。マルコ隊長って素っ気ない態度ばかりなのに、好きな人に対しては情が深いなんて。意外だ。
「解るだろい、惚れ込んでいるんだ。これ以上、他に誰かを好きになれる気がしない」
「へえ。存外、情熱的なんですね」
手首を捉えていた手がずれて、指を絡めるように繋ぎ直す。大きな手のひらはわたしより体温が高くて、かさついた指の腹が手の甲を擦る動きが擽ったい。
「……、あの、何か?」
離れるどころか絡みつく手に視線を彷徨わす。目の端でマルコ隊長の指の間から長くなったタバコの灰がほろりと落ちた。長く続く無言が痛い。
「………」
「…マルコ隊長、無言やめてください怖いんですけど」
「なまえの声が好きだ。お前と話すと、明日も頑張ろうと思えるよい」
「は?」
「俺たちは多分、一生海の上で生きて、まともな死に方なんてできないだろう」
「はい、まあその覚悟はしています、けど…?」
何て言った?わたしと話すと何だって?聞いたばかりの言葉が飲み込めず、上滑りする。処理中の文字が脳内で停滞マークを点灯した。
「思いを遂げようなんざ期待してない、お前は呆れるくらい鈍いからねい。それでも…」
繋いでいた手が離れ、わたしの頬に触れ、親指が唇をなぞった。呆然としているうちにマルコ隊長の顔が傾いて、わたしの唇に触れる。タバコの匂いと他人の皮膚の感触。
「俺のものにならないなら、なまえは一生一人でいろ。他の誰かと幸せになんかさせてやらねえよい」
硬直して言葉もないわたしを残してマルコ隊長は医務室を出て行く。扉の閉まる音がしても長いこと動けず、脳内処理が追いつくと同時に顔が発火したみたいに熱くなった。
「えっ、どういうこと…」
鍵は?見つけてないんだけど。なんでキスされたの。タバコの煙吹きかけたと思ったら告白されたの?は?意味がわからない。
そろりと指で触れた唇はいつもの自分のものなのに、一瞬の感触が焼き付いて心臓が速い。どうしよう。
…わたしはきっと、遠くない未来、食い殺されてしまう気がする。あの獰猛な生き物に。
「…嘘でしょ、こんなの地獄行きじゃん…」
夜の中に一人残され、明けるまでの長い時間をひたすらにあの男の事ばかり考えて過ごした。
緑の目の
怪物。
(サッチ隊長、わたしをしばらく匿ってください。後生です)
(待って嫌な予感しかしない)
←