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コペンハーゲン。
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(Side U)
「…なまえかい」
がっかりした顔を隠そうともせずにマルコはそう言った。
「あたしで悪かったわね」
悪態で返すが、こっちだって好き好んでこんな事をやってる訳じゃない。マルコの待ち人はあたしじゃないってのは重々承知してる。
「ぼんやりしていたら終わらないよ。早く行こ」
マルコは肩を竦めて歩き出す。仕事だよ、一言いえば真面目なこの男は条件反射で身体が動く。
「なまえは頼りになるねい」
「こんな時ばっかりそういう事を言う」
隣に並んで手を出すとマルコが紙切れを差し出した。書かれているのは買い出しリストと暗号混じりの情報収集リストだ。
「あとはリストにねえが酒屋に行く予定だよい」
「お土産用ね」
誰宛の物なのは聞かなくても解る。オヤジにだろう。照れた顔でマルコは笑って、一緒に飲むんだと言った。
分担して買い出しの野菜や果物を選び、酒屋で吟味して荷を降ろしにウチに帰る。
「俺は書庫の方へ片付けに行くよい。なまえは食料品をキッチンに頼む」
「ん。了解」
廊下で別れてそれぞれ片付けに行く。重い方をやってくれるのは助かる。書庫は棚が高いから上の方がきつい。台を使えば良いけど出すが面倒。キッチンは渡せば終わるので楽だ。
「サッチー。野菜と果物、あと調味料買って来たよ。確認して」
「お帰りなまえ。ありがとうな」
カウンターから明るい笑顔が出迎える。すぐに飛び出して来たサッチがあたしの手から荷物を受け取ってくれた。
「重かっただろう?座ってろなまえ。何か飲むか?」
素早く素材を確認してお茶の支度に取り掛かるサッチに苦笑いが浮かぶ。
「いいよ。忙しいでしょ」
「なまえとお茶も出来ねえような無能じゃねえよ」
パウンドケーキとあたしの好きな花茶がテーブルにセットされ、香りにつられて着席した。
「…美味しい。このパウンドケーキ新作?」
「おう!なまえに一番に食って貰おうと思ってたからさ、タイミング良かったぜ!」
しっとりとしたパウンドケーキ。サッチは食事もデザートもおやつも作るのが上手だ。
「あのさ。マルコ最近おかしくない?」
雑談に交えて尋ねると少し驚いた顔をした。
サッチもやっぱり知っているんだ。
「…おお、なまえに気付かれるまでとは!あいつも相当だな…」
「ふん!どうせあたしは鈍いよ」
宥めるように肩を抱いて芝居掛かった仕草でサッチは言う。
「そう言うなって。あいつなりに悩んでんだよ、何せ患ってる訳だしィ~」
「は?マルコ病気なの?!」
にひ、と頭悪そうな笑い方を浮かべて声を潜めた。内緒話みたいに手を添えて私の耳に囁く。
「…『恋煩い』ってやつだよ。なまえから見りゃ腑抜けて見えるだろうけどさ、もう少し待っててやってくれ」
腑抜けてるのに腹がたつってよりは…マルコが誰を想ってあんな顔してんのかと考えると辛い。元気になって欲しい。
いつものマルコに戻るまでどのくらい?いつになったら戻るの?
「…マルコって恋とかするの。マルがあんなになるの今まで見た事ないよ」
「ぶはっ、だろうなあ!何せマルコだからな。自分も騙してきたんだろうさ」
他の仲間も言っていた。
『ありゃ惚れてるな』と、マルコを見て口を揃えて。動きは鈍いしぼんやりしてる。面白がって揶揄う言葉も聞いた。
「自分も騙さなきゃいけない恋なんてしなきゃいいのに」
…一ヶ月くらい前に奴隷船から女の子を助け出した。
金の髪に空色の瞳。歌声が大層素晴らしく、宝石みたいに綺麗な子。拐かされて競売にかけられ、買い手の元へと搬送されている最中だった。
「これで全員かい」
鎖で繋がれていた奴隷、十数名。
近くの島まで送っていく次第となり、医務室で名前と容体の確認、および手当を受けさせた。
「マルコ隊長、もう一人!」
「連れてこい」
一番厳重な檻。幾重にも巻かれた鎖と堅牢な鍵。身形を飾り立てられた女性が担ぎ込まれた。それが彼女。
「何だよい、鍵と鎖付けたままじゃねえかよい」
「すんません、鍵は見つからねえうえにこの鎖も頑丈で…」
諦観と怯え。奴隷船から海賊に渡った彼女は、それでも毅然としてこちらを睨みつけた。
「…威勢がいいねい。とっ捕まるのは初めてかい」
「お生憎様。二度目でしてよ」
嫌な予感はきっとこの時にしたんだと思う。マルコ隊長が笑ったから。
「上等。動くなよい」
振り下された中鋏、青い炎の煌めき。目を瞑って痛みに耐えようとした女性が、ぽかんとした。
「…え?!血が…出てない…傷も…」
「何処か痛むところはある?」
手品みたいだけどタネがある。
鎖を切断するのに傷がつかないよう、治癒の炎を出してあげたんだろうな。金属が肌を傷めることなく彼女は自由の身になった。
「びっくりした?ごめんね。こっちにどうぞ」
あたしは女性に手を差し伸べて船医の前に座らせた。もう大丈夫、怖くないよ笑顔を添えて。
「あたしはなまえ。この船のナースです。貴女は?」
「ヒグラシよ、なまえ。ありがとう」
笑うと更に美しい。ヒグラシはあたしにお礼を言い、他の人の世話に移ったマルコ隊長の背を見つめる。
「あの人…」
「不死鳥のマルコって聞き覚えない?この船の医療班のボスみたいなもんかなぁ」
ヒグラシは顔色を変えて目を見開いた。表情の一つ一つ、睫毛の動きすら美と決められたみたいに整ってて凄いなこの人。
「刺青を見て『白ひげ一家』だって解ったけど…そう。あの人がマルコなの…」
そう言ってマルコ隊長をもう一度振り返ったヒグラシの目には、先程の敵意は消えていた。そして。
「マルコ!ねえ、それ私も手伝うわ」
「ありがとさん」
二人が仲良くなるのに時間はかからなかった。次の島に着くまでの一月余り、ヒグラシはマルコの側で笑い、歌い、酒を飲み食事を摂った。
「満更でもなさそうだなァマルコの奴!」
「そりゃそうさ!あれだけの上玉はそう見られねえ」
仲間が揶揄するのをよく耳にした。
咎めるでもなく言わせるままに、マルコ隊長はヒグラシと過ごしていた。
「骨抜きになってる隊長、初めて見た」
一つ前の島で囚われていた皆を降ろしヒグラシとも別れた。モビーディックに戻ってきたマルコ隊長は『ぼんやり』になっていたのだ。
「惚れるってのは自分じゃどうにも出来ねえもんさ」
サッチが空になったカップに花茶を注ぐ。芳しき香りはこの苛立ちを納めてくれそうもない。
「ご馳走さま。あたし島で買い物してくるよ、新しい服とか欲しくって」
カップとお皿を洗ってからお金を詰めて島へとまた降りた。
普段は仕事だからナース服着てるけど、あのナース服は…なんというか人を選ぶ服だ。お姉様たちはそりゃもうお似合いですけれど、スタイルに自信のないあたしじゃ苦痛に値する。着なくて良い時くらいは着たくない。
てか誰だよあのナース服のデザインした奴!!貧乳を殺す気か?!
「うーん、こっちも試着して良いですか」
いくつかの服屋を周り靴や鞄なんかの雑貨を眺めていたら、一つの店がもろ好みだった。店員さんの着てる服も可愛いしこのサンダルも好みだ。
「この服、他の色はありますか?」
「ピンク、キイロ、それから…新色の水色がございます」
店員さんが三色のトップスを持ってきてくれた。どれも色味が綺麗。
「水色でしたら、…こちらのゴールドのアクセサリーとよく合いますよ!一番人気です」
見せてくれたのは青い飾り付きのゴールドのアクセサリー。悩むけど、ここで新しく買ってもいいかな。ずっと大事にしていたものを無くしてしまって落ち込んでたんだよね。
「…黄色か水色か、ううん…これも気になるし…!」
試着はしたからサイズは解る。
後は色を決めれば良いのだけれど、それがまた悩む。買い物って楽しいけど悩むときりがなくなってしまう。
「…あ!」
鏡の前で黄色と水色を当てて悩んでいたらショーウィンドウの向こうを浮かれ頭が歩いてくるのが見えた。店員さんに詫びてから店のドアを抜け、隊長のシャツを掴んだ。
「マルコ隊長、丁度いい所にいた!」
「は?」
急に呼び止めた所為なのか隊長は物凄く狼狽えた顔をした。珍しく。
「…な、なんだよいなまえ」
「ねえマルコ隊長!迷っていて決まらなかったの、ちょっと助けて」
不思議そうにしつつも引かれるがままに服屋に足を踏み入れた。店員さんから先ほどの服を受け取りマルコ隊長に向き直る。
「どっちが似合う?」
水色と黄色。両方を当てて尋ねる。隊長は額に手を当てて溜息を吐いた。
「……何で俺に聞くんだよい」
「丁度通りかかったから」
「なまえの好きな方を選べば済む話だろい」
「人から見てどうかとか、そういうのも大事なの!」
早くして!と急かすと、観念したマルコ隊長があたしの方を見て、黄色と水色の服を視線が見比べる。
「…青い方」
「水色ね、じゃあこっちにします。さっきのアクセサリーも一緒にお願いします」
店員さんは服とアクセサリーを包んでくれて、値段を告げる。お財布の中身で充分足りる。よし。
「釣りはいい。この辺りに時計屋はねえかい?」
「?!」
あたしがお金を出す前に隊長がベリー紙幣を店員さんに渡した。店員さんは一瞬悩んだものの意を汲み取り隊長のお金で会計をする。
「ちょっと!これはあたしが…」
「お礼だよい。買い出しを手伝ってくれたろう」
お礼で買ってもらう金額より高い気がする。いや絶対高い。
「…後で返せって言っても返さないからね!」
買ってくれてありがとうございます!服とアクセサリー入りの袋を抱きしめて睨むと笑われた。
「ぶは、言わねえし取らねえよい!それより時計屋に付き合ってくれ。探しモンしててな」
ありがとうございました、と見送られ、教わった時計店に向けて隊長と連れ立って歩いた。
「また目覚まし時計壊したの」
「…朝起きると勝手に壊れてるんだよい」
「あのね?それ壊してるのはマルコ隊長だよ?壊すの何個目?」
早朝に一番隊隊長の個室から破壊音が聞こえるのはモビーディック七不思議の一つ。事情を知る仲間は上陸時にこぞって目覚まし時計をマルコ隊長に土産として買って帰る。
瞬殺される場合も多々あるので、いくつあっても無駄にはならない。
「持ってきてくれたらあたしが直すのに」
「今回のは文字盤が割れちまって残念ながら再起不能だよい」
あたしがモビーディックに乗った頃。
寝起きのクソ悪いマルコを起こすのはあたしの仕事だった。同室の仲間が起こそうとすると蹴り飛ばされる被害が多発していたが、無意識ながら『女』であるあたしの声は判断できているのか、蹴りを食らうことはなかった。
単に性別ゆえだとしても、特別扱いされているようであたしは嬉しかった。
…それは『隊長』になってからは人の手に頼っちゃいられねえとか言って終わりを告げたけれど。
「そうだ!さっきの服のお礼に、マルコ隊長に時計をプレゼントす…」
いい思いつきをした。
そう思っての提案は届かなかった。隊長はすれ違った女の人を顔ごと振り返り、その背を追って駆け出したから。
「すまねえ、ちょっといいかい?」
歩いていく女性を追いかけて引き止め何か話しかけている。髪の色、背格好がどこかヒグラシに似た女の人。綺麗な人が綺麗に着飾ってると最強だな。
急に呼び止められたことに驚いていたようだったけどマルコ隊長と話しているうちに表情が和らぎ笑顔を見せた。何を話しているんだろう。
唇の読み方をもっとしっかり習っておくんだった。
「………」
こっちに小走りに戻って来た隊長はそわそわしていた。ぼんやりしていた顔に生気が戻り、目が輝いてる。
「悪い、なまえ。急用ができたんで時計屋は…あー、明日にでも」
「…早く行けば。待たせてるんでしょ」
視線を動かせば歩みを止めた先ほどの彼女が少し先で待っているのが見える。好みだったのか…ヒグラシ似の女を見つけたから、これから口説こうってつもりかな。
ヒグラシの事がそんなに忘れられないの?ヒグラシはそんなに隊長の好みなの?ねえ。マルコ隊長。
あなたを追いかける女の人ならたくさん見たよ。あなたが娼婦や誘いをかけた女性の手を取って消えるところを何度も見たよ。
「こんな偶然に見つかるなんて思ってなくてよい。嬉しいよい」
今すぐに彼女の側に行きたい。
そう言ってるみたいに照れて笑う顔は久し振りに見る晴れやかさ。
「…あらそ、良かったね」
気にならないような声が出来てるかな。顔は引攣らなかったかな。上手くできていたらいい。
「ありがとさん、行ってくるよい」
ねえ。マルコ隊長。あなたの後ろを追いかけるのをやめたあたしをどう思った?
「お前は暗くなる前にウチに帰るか、遅くなるなら誰か呼べよい」
「はいはい、もー!妹扱いはうんざりだよ!!さっさと行けバーカ!!」
ねえ。マルコ。あなたが誰か一人の女に夢中になる姿なんか見たくなかったよ。
「…マルコの、バーカ」
いつも追いかけてた背中。不死鳥になり、青い炎と身体の境界が曖昧になるのを飽きもせず眺めてた。
彼女の元に駆けて行くのを見たくなくて、あたしは身体ごと背を向けた。
「………、はぁ。なんかもう消えて無くなりたいかも…」
買ってもらった服の袋に顔を埋め、無様な顔を見られないように隠した。
泣いたりしないよ。だってあたしは子供じゃないから。強くなったもん。
『なまえ、お前の泣き顔は見飽きたよい。そろそろ笑ってくれよい』
…マルコが好きだなんて言わない。振られて泣くなら妹でいい。家族ならずっとマルコと一緒にいられるもの。
「最近しかめ面ばっかりしてたな。もっと笑わないとダメだ」
あたしは荷物を大事に両手で持って、ウチに向かって足を踏み出した。マルコと…隊長と会ったら次はちゃんと笑えるように。笑顔の練習をまた始めよう。
→(Side MARCO)