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May Day.
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(Side U)
この人なんで海賊なんかやろうと思ったんだろう?若葉萌ゆる新緑の季節も、日が落ちればまだ肌寒く外飲みには少し辛い。広いカウンターのある飲み屋に腰を落ち着け早二時間。もう何度思ったか解らない思いを胸にわたしは空いたグラスに水を注いでやった。
「…何で水なんか入れたんだよい」
「飲み過ぎ。和らぎ水」
「…ヤワラギミズ…」
「酒の合間に飲む水の事。本に載ってた」
不思議そうに繰り返した言葉に答えてやると素直に飲んだ。
よし。まだまともな神経残っているな。
「マルコさあ。もう海賊やめたら。向いてないよ」
敵船と戦い海軍と刃を交え。その身に宿す『不死鳥』の能力を使いモビーディックの斬り込み隊長やってるけど。
「余計なお世話だよい」
普段と変わらぬ口調の隅に隠しきれない後悔が滲む。
「いちいち人が死ぬのに付き合ってたら身がもたない」
数時間ほど前。わたし達は敵船との交戦を終えた。奴さんは数多くの奴隷を従えていて、自分たちが不利になると彼らに武器を持たせ特攻させ始めた。日常的に行われる暴虐にわずかな食事。盾にもなれず散りゆく彼らの中でマルコが相手をしたのは年若い少女。
『武器を下ろせ、あんたの事はウチで保護してやるよい!』
死に物狂いで素人丸出しの刃を振るう細い腕。マルコが必死に叫ぶ声を喧騒の中で聞いた。人としての心も身体も陵辱され切った奴隷に、まともな思考は残ってない。主人の言葉を違えれば待っているのは強烈な折檻だ。
『…っくそ!』
マルコの言葉に耳を貸す事なく少女は散った。敵船のクルーが弾除けに使い、放り投げるように突き飛ばす。海へと落ち消える矮躯へ手を伸ばし掴めなかったマルコを遠く見た。
「……もっと俺が上手く言えたら死なずに済んだかもしれない」
「そうだったらとか、こうしていれば、なんて考えても無駄でしょ。忘れなよ」
返事はなく、水を飲み干したグラスに手酌で酒を注ぎ口を付ける。何と愚かな男だろう。踏み躙られる誰かを放って置けないなんて。そんなのアンタに関係ないじゃん。ほんの僅か話しただけの他人にどうしてそうも心を砕けるのか。
「枯れ木みたいに細かった。きっと飯もろくに食ってなかったろうな」
仮にも敵船の奴隷だ。大っぴらに悲しんでみせる事もできず、こうやって祝酒に隠れて弔い酒を飲む。
「わたしも結構、細身のつもりですけど?」
「お前さっき肉の山一人で消費しただろい」
わたしも鶏ガラと仲間に揶揄われてきた身だが、今となっては引き絞った筋肉と鍛えた骨は堅牢と自負している。マルコが相手した枯れ木のような少女は骨と皮とで作ったお人形みたいだった。
「今までだって何人も何十人も、数えきれない人に言ってきたでしょ。マルコはいちいち鬱陶しいよ」
呆れ返る。何という愚直か。辛辣な言葉で詰っても甘い言葉で慰めても、この男には届かない。
「お前は逞しいねい」
「強くないと大事なものが守れない」
人や物に当たって鬱屈を払えもせず、ただ一人後悔の海を行く。お酒を空にしてしまったマルコが店員に追加を頼もうとする気配を察知し、わたしは掌を叩いて止めた。
「もうおしまい。帰るよ」
「まだ足りねえ」
「これ以上飲む気ならオヤジの前でマルコにいじめられたって泣いてやる」
「…そりゃア困ったねい」
オヤジの名前が出ればマルコは大人しい。
勘定を済ませ月夜の街へ歩き出す。隣に並んで手を握ると小さな笑い声が聞こえた。
「何だよい、珍しいな」
「酔っ払いが溝に落ちないように」
振り解きはせずにマルコも軽く握り返し二人並んで海を目指す。港に停泊中のモビーディックには居残り見張り組が船を守って、人の出入りを確認しているのだ。
「心強いガイドさんだねい」
あれだけ飲んでも潰れられないなんて可哀想。酒に飲まれて混濁して忘れてしまえばいいのに。いつもより少しだけ血色のいい顔をしても足取りは確かだ。
「あ、チューしてる」
「阿呆!指差すな!!」
こんな星の夜には恋人たちも大胆になるのか、闇を味方に路地の隙間で口付け合う二人を発見、とマルコに言ったら小突かれた。
「痛い。骨が折れた」
「嘘つけ」
「痛い」
嘘だけど。足を止めて文句を重ねればマルコも足を止めてわたしの顔を覗き込む。力加減を誤っただろうか?と焦る表情のマルコに背伸びして唇を奪った。
「っ!」
「治った。帰ろう」
サッと離れて歩き出すと少し間を置いた距離から足音が続く。
「…なまえ。キスはやめろって言っただろい」
隣に並ぶ気はないんだろう。歩幅はマルコの方が大きいくせに、わたしに追いついてこないから。
「どうして」
「何度も言ってるだろう、子供の時とは違う。そういうモンは俺じゃなくて別なやつと…」
「誰と?」
振り返って睨むとわたしの目に耐えかねたよう視線を逸らす。
「男娼を買おうとしたら止めたくせに。ナンパしてきた男について行ったら後をつけてきたくせに。犯そうとした敵船の奴、殺しかけたくせに」
綺麗な男娼、逞しいナンパ男、野蛮な髭面の海賊。どの男もキスひとつする前にマルコが割って入ってきたくせに。
「…なまえ、には…もっとちゃんとした奴じゃねえとダメだよい」
絞り出された言い訳はくだらなすぎて鼻で笑ってやった。この世のどこに行ったってマルコより良い男なんてオヤジ以外にいないんだよ。
「じゃあサッチに」
「絶対にダメだよい!サッチだぞ?サッチ!絶対にダメだ本当に冗談でも止めろ」
食い気味に却下された。ほらみろ、誰が相手でも文句をつける。
「あれもダメこれもダメ、マルコは無責任」
「……」
離れた距離を詰めると、マルコは溜息を吐いて片手で顔を覆う。その手を引き剥がして下から顔を見上げる。
「五年前、わたしのことを敵船から奪ったのはマルコでしょ」
「奪ったつもりはねえ。乱暴に扱われて酷使されてるのを見れば誰だって」
「助けてなんてくれなかったよ」
今度はわたしがマルコの言葉を遮る。
あの船は自分が人間だと忘れてしまうような酷い扱いだった。意識がなくなるまで嬲られ終わらない雑用と腐った食事。毎日早く死ぬことばかりを祈って助けが来るなんて希望さえなかった。死神でもいいとマルコの手を掴んでいなかったら生きてないと未だに思う。
「わたしが要らなくてもう嫌になったなら放り出せば良い。何で構うの」
塞がっても深い跡の残る傷は身体中にあるし、バサバサの不揃い髪の毛はイゾウが切り揃え根気強く手入れしてくれたおかげで見れるようになった。身体に合った汚れのない服もまともな食事も、清潔な寝床もある場所へ連れて行ってくれたのはマルコだ。
「要らなくならねえし嫌にもならねえ、家族だろい。恩義と恋慕は似てる。なまえは間違えているんだよい」
文字を言葉を、この気持ちを教えてくれたのもマルコじゃないか。
「間違ってても良い。マルコがいい」
「間違ってたら後で困るのはなまえだ。聞き分けろよい」
もう子供じゃないと言ったその口で、なまえはまだ子供だと矛盾する言葉を吐く。丸め込もうったってそうはいかない。
「何それ酔ってんの」
「弱ってんだよい」
こういう顔をするのはわたしの前だけだったらいいのに。きっとマルコはわたしを嫌いじゃない。わがままを聞いてくれる程度には甘やかされてる自負がある。
「マルコからキスして。そうしたら今日はもうわがまま言わない」
「……」
「…わたしが要らない子じゃないって、教えて」
一呼吸分の迷いの後で屈んだマルコの顔が近付き、そっと唇が触れた。
「何で口じゃないの」
額を抑えて口を尖らせるとマルコがわたしの手を取って引く。
「場所の指定はなかったからねい。ほら帰るぞ」
ちくしょう、見てろよ。遠くない未来にマルコの方からわたしを欲しがるくらい成長してやる。
救いの手救われた手。
(結局、俺の手を掴んでくれたのはなまえだけだったねい)
(わたし一人居ればいいでしょ)
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