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とある花屋の独白。
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(Side U)
真っ青な空に灰色の雲が混ざる。
よく冷えた店内からガラス越しにそれを眺め、一雨来るなと思った。
「なまえちゃん。盆花の注文表、まとまった?」
初老のオーナーが眼鏡の位置を直しながらかけた言葉に記憶を手繰って答えかけ、しっかり確認しようと屋内のデスクに戻りPCを操作。
「はい…、あ!そういえば午前中に三件追加で…」
端末を操作して追加注文分の花の種類と値段、名前を打ち込む。機械が苦手なオーナーに代わり事務仕事全般と接客の補佐。
それがこの花京院フラワーショップでのわたしの仕事だ。花の知識は普通の人よりちょっと詳しい程度のわたしが雇ってもらえたのは本当にラッキーだと思う。
「ああ、降ってきましたね…」
「外のバケツ入れちゃいますね」
出ようとするオーナーを制して外に出てバケツを持つ。水がたっぷり入ったバケツというのは重量もそれなりで、この間はオーナーがギックリ腰になりかけたのだ。
ゲリラ豪雨ってやつかな。すっごい降り方してるんですけど。足下やTシャツを濡らしつつ片付けていたら雷の音が聞こえた。
…だけどそれは雷ではなくて。
「い、らっしゃいませー…」
ドドド、と轟いたのは大型バイクのエンジン音。ドクロのついたヘルメットに真っ黒なサングラス、タンクトップにダメージデニムという装い。烟る様な大雨の中、花京院フラワーショップにずぶ濡れのターミネーターが訪れた。
「…今日は店、もう閉めるんですか」
「あっ、いえ、雨が降ってきたので…」
グラサン外して乱れた髪をかきあげるターミネーター。目元にある傷が強面を更に引き立てて、めちゃくちゃ怖い。
「…どうぞお入りください」
花京院オーナーに接客させるわけにはいかない。私が頑張らないと。そう腹を決めて拳を握る。
「あー、いや。俺が入ると店が汚れるからここで」
「え?」
デニムのポケットに手を入れてくしゃくしゃの紙を取り出す。雨に濡れてビッチャビチャのそれは。
「…『花京院フラワーショップ。花のお取り寄せ致します』…この店であってるかな」
「はい。当店です」
かなり前にわたしがお店のホームページに載せた謳い文句。読みやすくデザイン性のある字体とフリー素材くっつけて作ったやつ。
「お盆の繁盛期に申し訳ない。芍薬が欲しいんだけど、注文は可能でしょうか」
雨に打たれながら男は言う。
乱暴な話し方を想像したのは見た目のせいだけど、言葉遣いも口調も丁寧で驚いた。
「…お客様。中にお入り下さい。店内にてお伺い致します」
少し迷ったけれど男はバイクを端に停め直して店内に入ってきた。中からわたし達を見ていたオーナーがタオルを二枚、わたしとお客様に渡す。
「お客様、よければお使いください」
「ありがとうございます、お借りします」
タオルで髪を拭いて椅子にかける。
わたしも濡れたところを拭いてから急いで注文用紙を取り出して商談スペース用の机に乗せた。
「こちらにお名前とご住所、配達希望日、ご連絡先と…」
説明をしてからお茶の支度に向かう。
小さな給湯室ではすでにオーナーがお湯を沸かしていた。
「オーナー、わたしがしますよ」
「ありがとう。茶葉がどこにあるのか解らなくて困っていたんだ。では僕はお客様のお話を聞いてくるね」
大雨と共に訪れた強面。この人は冷やかしに来るような悪い客ではないと判断した。オーナーと居ても危害はないだろう。
お茶とクッキーをトレイに乗せて席に戻ると談笑する明るい声が届く。
「どうぞ。温まりますよ」
「ありがとう、なまえちゃん」
「いただきます」
注文用紙に書き込まれた内容に目を通して男の名前が『サッチ』だと判明。
「…サッチさん。お取り寄せご希望の品は芍薬の花が十二本ですね」
「はい」
必要な情報欄を質問しつつ埋める。
この紙を頼りにオーナーが取引先に連絡をつけ花の売買が行われるのだ。
「ラッピングのご希望はございますか」
「あー、えっと…そうだな。黄色のリボンを巻いてもらえますか。他は派手にならなければ助かります」
「っ!…かしこまりました」
誰に贈るんだろう。溶けるような微笑みに心臓が大きく跳ねる。この人笑うと強面が一気に柔らぐ。咳払いひとつして動揺を誤魔化し、複写の控えを渡し濡れたタオルと引き換えお見送り。
「タオルありがとうございました。花の注文も忙しい時に引き受けて下さって、助かりました」
外の雨はもう上がっていた。通り雨だったのだろう。自動ドアの向こうから湿度を孕んだ空気が流れてきて、サッチさんの背後には夏らしい空が広がっている。
「じゃあ、期日に取りに伺います。よろしくお願いします」
ヘルメット被って晴れ空の下、雷鳴轟かせバイクは去って行く。
「いや、好青年でしたね。なまえちゃん」
「好青年?!そうですか??…今の注文もまとめておきます」
変な男だったのは間違いない。
オーナーと二人で日々の仕事に明け暮れサッチさんの予約した花が届いた。
「うん。元気のいい芍薬だ」
オーナーが届いた花を確認すると惚れ惚れするような芍薬が収まっていた。
「…はい。凄く綺麗な芍薬です!」
きっと喜ぶだろう。あの人、早く取りに来たらいいな。そわそわと約束の日時を待ち、遂にその日が来た。
「…!」
「どうも、こんにちは。花を取りに伺いました」
わたしは無様にもぽかんと口を開けて固まった。現れたサッチさんはデニムでもバイクでもなくて、黄色のスポーカーに乗って白いコック服を着ていたのだ。その上、髪型はいつの時代だ?っていうリーゼントヘア。
「…お、お待ちしてました凄い格好ですね」
しまった。口からつい本音が。
「今日は特別な日だから気合い入れちゃって」
「はあ、その頭とか凄いですね。自分でセットされるんですか」
開店前、朝の4時半。
引き渡しのためだけに裏口を開けて待っていたけど…何時に起きたんだこの人。
落ち着けわたし。言い聞かせつつ花の用意をする。
「おうよ!毎日してるぜ、格好良くしておきたいからね!」
に、と夏の太陽みたいに笑った。
代金を払って鼻歌を歌いそうなくらい上機嫌で車に乗って、わざわざ窓開けてわたしに手を振って居なくなった。
「……誰に、渡すんだろ」
ポツリと呟いた言葉は霧吹きの音に紛れて消えた。
この年を始めとして全く決まった夏の日に、決まった花をサッチさんは注文して取りに来るようになった。
「こんにちはー」
「はー、店内涼しい~!ミニブーケを三つお願いします」
「黄色の包装紙で」
「どーもお邪魔します。花京院さん居ますか?」
「なまえさん、芍薬を頼みたいんですけど」
その日だけではなく、時折、店に寄ってはオーナーやわたしにお菓子を置いていくくらい。今やすっかりうちの店の常連客。
「おや!サッチくんはコックさんをしてるのですか」
普段のお使いの時は軽装で、変な柄シャツやジーンズが多い。芍薬の予約品を受け取りに来る時だけは決まって真っ白なコック服。謎の男の正体はお喋りでゆっくり紐解かれて。
「そうなんですよ、花京院さん。よければ今度食べに来てください。サービスしますよ」
ぱち、とわたしと視線が合うと、ふにゃりと笑う。子供みたいに無邪気に。料理の話とかしてる時によくそういう顔をして嬉しそうに笑う。
やめてほしい。思い違いをしそうだから。
「なまえさんもご来店お待ちしてます、ほい。ウチの店のショップカード」
差し出された大きな手に不似合いな可愛らしいデザイン。カードからの印象じゃ店主がこんなだなんて思わないだろう。詐欺なのでは。
「ありがとうございます」
花に無縁そう。ゴツくてガサツそう。乱暴で粗雑っぽい。サッチさんは第一印象を会うたびに綺麗に塗り替えていく。バイクが通り過ぎると目で追ったり、貰ったショップカードを手帳に挟んでみたり。日に日に思いは募っていくばかりで。
「…ああ、そうか」
わたし、あの人に恋をしたんだ。知らない誰かに花を贈る男に。なんということだろう。自覚した途端に破滅の恋なんて。
「…毎年毎年、ほんと律儀ですね。彼女さんへ贈り物ですか?」
何年目かの夏の日。とうとうわたしは境界線を踏み越えた。店員とお客様の会話じゃなくてサッチさんへわたし個人からの質問を投げてしまった。
「外れ。彼女じゃないよ」
顔色も変えずにサッチさんはあっさりと言ってのける。
「ああ、奥様でした?」
指輪してないからてっきり彼女かと思ってたけど既婚か。逃げ道がどんどん塞がれていくこの気持ちはどうしたらいいんだろう。いや。いっそ恋心なんて潰れた方が良いのかも。期待して待つのは辛い。
「んんー、残念ながらそれも違うんだよねぇ」
楽しそうに喉を鳴らして笑う。いたずらする子供みたいに。この顔に惚れるとかわたしも趣味悪くなったよな。自分の事面食いだと思ってたのに。
でも彼女でもなくて、奥さんでもないならいったい誰に花束を?聞けたら良いけど、その質問をできるほどわたしはこの人と親しくはない。残念ながら。店員と客以上のものはないのだ。
「知りたい?」
ニヤニヤと笑う顔が憎らしい。
この人、絶対女誑しだ。自分がモテるって知ってる顔してる。実際そうなんだろう。
「知りたいです。今後もご注文を貰えたら助かりますし」
素直な言葉が出ない。悔しいなあ、わたしと違って思い人は可愛い人なんだろう。
「あ、それは大丈夫。多分俺が死ぬか、この店がなくなるまではここで花を頼むよ」
「は?」
不穏な言葉に思わず声が裏返る。
サッチさんは目を細め、優しい声で言った。
「毎年、命日に贈ってるんだ。芍薬が好きだって言ってたからさ」
「!!」
その相手が好きだと全身が言ってた。
眼差しが、声音が。今までの笑顔とか表情とか比べ物にならない。
「…すみません」
謝罪を絞り出すとサッチさんは慌てたように手を振る。
「いやいや、違う!…俺の彼女とかじゃねえんだよ。友達の奥さんでさ…夫婦揃って学生時代からの友達なんだ」
違う?どこが。友達とか絶対に嘘じゃん。
友達の話をするのにあんな顔するとか、ありえないでしょ。どのツラ下げて『友達』とか言ってんですか。 あーあ、馬鹿みたい。ていうか他に男なんてたくさんいるのに何でこんな人に、こんな思いを。
サッチさんが店に飾ると買いに来た切り花を包みながら、わたしはこみ上げる気持ちを必死で押し込めた。
「あ、そうだ」
「え…」
カウンター越しに手を伸ばして、サッチさんが花を一輪、抜き取った。
何するんだと抗議する前に手早く茎を短くしてわたしの耳にかける。
「いつもありがとう、この色の花はなまえちゃんに似合うからプレゼント」
「っ!」
なんて男だ。諦めようとする心がまた騒ぐ。
勝手に好きになって勝手に振られて。なんて惨めだろう。目の前にいるのに、好きですの一言さえ伝えられない。
「…そうですか、こちらこそお買い上げありがとうございます」
「うん」
ニコニコしながらわたしを眺めて、可愛いねとか言ってくる。誰にでも言ってそうなのに嬉しくて辛い。
「…でもサッチさん、芍薬の人の事、大好きで仕方ないんでしょう」
「うん」
じくりと胸が抉れる。
彼女が愛おしいと、その一言さえ言ってないのに。彼岸へ渡った相手なんて敵いっこない。
「…大好きで気が狂いそう。死んだなんて、まだ信じられない。会いたくてたまらないよ」
ポツポツと独白は懺悔に似て。
そんなの他所でやってよね、わたしはあなたを好きなのに。
そしてまた、この日が来て。
あなたが『芍薬の君』に会うためにやって来る。真っ白なシミひとつないあのコック服で。
「…はいどうぞ。今年の分です」
オーナーは毎年、この日だけは時間外だけどサッチさんの為に裏口を開けて待つ。
わたしもこの人一人のために眠い目をこすって店に来る事に決めていた。
「うん、今年もすごく綺麗だね。ありがとう」
精一杯に美しく包んだ芍薬の花束をこの人に手渡したくて。決して届かない想いを込めて、ほんの僅かに触れ合う指先に焦がれて。
「……いいえ、仕事ですから」
他の誰かを思ってたとしても、この笑った顔がみたい。この人には笑って、生きて、幸せになってほしい。
「本当にありがとな、なまえちゃん」
花京院さん、いつもお世話様です。
オーナーへも挨拶をして、今年もまた彼は夏空の下に消えていく。白くて大きな背中は逞しく寂しげに陽炎と混ざった。
背徳を
覆う
白衣。
(…なまえちゃん。近いうちにサッチくんのお店に行ってみませんか。君はまだ行ったことがないのでしょう)
(…ええ。ありがとうございます、オーナー。ご一緒します)
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