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彼岸まで。
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(Side THATCH)
あの頃に恋だった思いは、今となっては惨めな残骸みたいなもんで。
「…はぁー、良い天気だなァ」
晴れ渡る青い空を見て俺は息を吐いた。
続いていた雨が上がり、からりと晴れた空は夏の色をしている。
「オーナー。店前の掃除まだやってんすか、サボってねーでさっさと中に戻って店内清掃手伝ってくれませんかね」
チリン、とドアベルが鳴り、店内からシーザーが眉間にしわ寄せて顔を出す。
「サボってねーし。梅雨明けっぽいから夏メニューそろそろ解禁かなァって考えてたんだよ」
嘘だ。
考えたのは仕事とはおよそ関係のない事だったけれど、ご自慢の笑顔を浮かべると話は見事に逸れた。
「はーい、ちょっと集合!メニュー会議しようぜ、おい!ツェペリも布巾干したらこっち来い」
店内に入ってツェペリも呼んでメニュー会議を開催した。
「…で、去年やって好評だったスムージーのフレーバーを増やすか否かなんだけど」
「種類増えると手間も増えますよ。オーナー」
「じゃあ期間別にして種類出すっつーのはどうっすか。一週目はスイカ、二週目は桃とか。売り切りでなくなったら次ってやり方ならいいと思います」
身長が180越えの大男が三人、キッチンでツラを合わせるってのはなんとも色気のねえ時間だよな。
「決定。柚子ゼリーは今日のうちに材料発注しとくから届き次第作って出すわ」
「…オーナー、あんたもう少し考えろよ。即決かよ」
「良い案なんだから採用でいいだろ。他にも夏野菜メインの…あー、あれどこやったかなァ…」
置いてある数冊のレシピ集に手を伸ばすと、先にシーザーが一冊を抜き取った。まさしく俺が探していたレシピの書かれているものだった。
「去年の初夏のメニューはこれっすよ。わざわざノートの色変えてんのに覚えてねえんすか。早速頭が茹だってるみたいすね」
話すときは嫌味を忘れない。
うん。お前の嫌味なんかきかねーからな!!学生時代からもっと酷い言われようには慣れてんだよ!
「ふん。言ってろシーザー!」
ノートを開いて中身を流し見しつつ、俺は二人に言う。
「とりあえず、今日のうちに店内と表の壁にバイト募集の張り紙しとくから」
「「は?」」
綺麗にテノールがハモる。仲良いよなこいつら。
「は?って…お前らそろそろ本業の方が大詰めもいいところだろ?夏休みに入れば学生のバイトでも雇おうかなと。ホラ!念願の女の子とか?」
「キモ…なんで俺らの私生活を把握してんすか…見ろツェペリ。鳥肌立ったぜ」
「俺らのシフト削って資金源を奪おうとか、長年勤めてきた従業員に対してどんだけ冷遇したいんすか。アパートの家賃払えなくなったらここに泊まり込むからな」
……、いやお前ら今年の夏とか勝負の夏じゃねえのかよ。年齢的に。
「キモいってなんだよおい!お前らここで働いてる暇があるなら他にやる事なんか山程…」
揃って睨め付けてくるので口を閉じた。
「あんたの為に店に出る訳じゃねえ、あんたの味や技術を盗む為に通ってんだよこっちは。バイトだからって舐めた考えでこんなクソオーナーの下で何年も働けるかよ」
「そうっすよ。この店はいずれ俺たちが乗っとる予定なんすから。それまではオーナーは余計な事に気ィ回してないでアホヅラして料理作ってりゃいいんすよ」
…辛辣さに磨きがかかってきたな、遠慮なしどころか遠慮された事ないよな?!俺の優しさを返せ。
「ふん!あっそーかよ、じゃあ例年通りにシフト入れてやるからな!後で泣きっ面晒しても知らねーからな!」
夏のボーナス上乗せしとこう。給料明細を見て俺に感謝しろ!!ばーか!ばーーか!!
「解ったらさっさとメインメニュー決めて仕入れの数決めて発注してくださいよ」
「去年はトマトが高騰してましたけど、今年は豊作の見込みっすよ。デザートにもどうすか」
「美容効果に期待とか、メニューに書いとけば注文してくれる女の子増えるかもしれねえしな!今年はまたドルチェメニューも新作作りてえな~」
今年のノートに予定を書き込んでいく。余白空けといて良かった。てか新しいノート用意しないとそろそろなくなる気がする。
「……またダヴィンチコードか。文字じゃねえだろこれ、絶対おかしい…」
「数字すら読み取れないのに、無駄にイラストが上手くてなんとなくなら読み取れるのが癪だぜ」
この二人は俺の文字が読みにくいと文句ばかり言う。レシピノートは好きに見て良いと言ってんのに、開くたびに顰めっ面で無言で閉じる場面を幾度となく見かける。解せぬ。
「はっはっはー、修行が足りん!なんてなァ~いでででで!なんで足踏むんだよ!!」
両足を踏まれて呻いた俺を捨て置き、開店準備を整える為にホールへと二人は出て行った。
「…休憩時間に本業の資料読んだり書いたりしてんの、知らねえとでも思ってんのかよ。俺の店なんだから俺一人と慣れてなかろうが短期バイトが数人居れば回せない訳じゃねえのによ」
携帯端末を使って青果と精肉、魚介類の手配の電話をかけてメモを取る。
本日の予約を確認してからコンロと水回りのチェック、アルコール類と氷、ソフトドリンクの残りを調べ、足りなくなりそうなものはストックルームから足しておく。
「さぁてと。今日も一日、無駄なく美味しく行こうぜ」
開店前に気合を入れてドアを開けて看板を出す。
昼時のお姉さん方のランチ。予約のお客様。看板を見て興味本位のご新規さん。さあさあ、どちら様もいらっしゃいませ!
「…十八時に三名様ご家族で予約、十九時半に…って聞いてんすかオーナー」
「ぶっ!」
昼の部が終わってひと休み。夜の部に向けての確認と食い忘れてた飯を食ってたら布巾が飛んできて当たった。
「携帯端末でエロサイト見てんじゃねえってんすよ」
「はあ?!俺が見てんのはレシピのブログサイトだっつーの!」
「料理の写真じゃなくて本人の顔の写真見てたじゃねえか」
……うるせえ。この間、寝た女の子がわたし料理が趣味なのって言ってURL教えてくれたからサイト見てたんだ。料理っつーか、うん。メインは自分系のアレだな。写真映えする皿の品々は、食べる用というより見せるようなんだってのはすぐ解った。皿のデザインが良いのでそれは参考になる。
「日々ネタ集めしてんだよ。なんでサボってるって決めつけるんだ信用ねえなあ」
「そうっすね。午前中に来店した女性二人組のランチ客に、ヘラヘラ話しかけてショップカード渡してポイントカード作らせて次回の予約まで取ってましたね」
「流石オーナー!営業上手!最高ッ…て褒めるところだろ」
「シーザー。その人のソレはもう病気だから放っとけ」
皿の残りを胃に収め席を立つ。流しで皿を洗いつつ生意気なバイトに釘をさす。
「じゃあオーナー様からの質問だ。本日ご予約のトマトご一家、奥様の苦手な食材、および旦那さんの好きな酒の銘柄を答えよ」
「「!!」」
スポンジを滑らせ油を落として水で流す。
乾いた清潔な布巾で水分を拭い、二人に向かってにっこり笑って見せる。
「………、ブッブー!時間切れ。正解は魚卵とキアリ・ランブルスコでしたァ~」
皿とカトラリーを片して布巾をかける。ペリエを一つ拝借。
「そんじゃァ、俺は時間まで表で日光浴してるわ」
「…オーナー!タバコはダメですからね」
「一分でも遅れたら次からあんたの賄い減らします」
文句は言ったがペリエを持ち出したことも表で日光浴する事も咎めたりしなかった。
ふっふっふ、一矢報いてやったぜ。オーナー舐めんなよ。顧客情報なら頭に入ってんだよ。
「…あ"ー…、あ、女の子だ。可愛い…」
癒される。女の子って良いよなマジで。なんなんだろうな神の作った傑作品だよね。
授業が終わったのだろう。この辺りの中学の制服を着た女の子が四人、鳥みたいに高い声で笑ってる。四人組と逆方向からは就活生らしきダークスーツに髪を一つにまとめたローヒールのお姉さん。
「…ん。はいよ、何?…今夜かー、二時過ぎになるけど。それでもよければ」
携帯端末にかかってきた着信相手は身体のお友達の一人。
「…はは、熱烈だねェ!……うん、喜んで伺わせて頂きマス。君の好きなロゼ持って行くから待ってて」
ペリエを飲むと喉に炭酸の刺激を感じて、酒飲みてえなと思った。夜のご予約、誠にありがとうございます。内心でふざけた言葉を呟いて重い腰を上げた。
「ありがとうございました、またのご来店心よりお待ちしております!」
最後の客を見送って頭を下げる。
姿が見えなくなってから看板を回収して表のライトを消した。バイト二人は先に帰したので店仕舞いは俺の一日の最後の仕事。
火の元水回り冷蔵庫の確認、よし。ロゼワインを一本ケースに詰めて店の鍵を閉めた。
「!」
車のクラクションにそちらを向けばヘッドライトが点灯。運転席から女が顔を見せて手を振る。
「…驚いたな!迎えにきてくれたのか、ありがとな」
「だって久し振りにサッチと会えると思ったら待ちきれなくて。ね、早く乗ってよ!」
シートベルトを締めてキスを一つ。俺は今夜のお相手の部屋へとお持ち帰りされた。ロゼワインと共に。
美味を味わって睡眠とって、起こさねえように朝ごはん作って部屋を出た。タクシー拾って店舗の二階、居住空間へと戻る。
「はー、定休日になったら掃除しねえとな…」
汚れ物をまとめて洗濯機に放り込んで乾燥機から乾いたのを出して着る。時短目当てで買った家電は優秀で俺の不規則な生活を支えてくれた。
「便利な世の中だ、家電様々だぜ」
音の鳴った携帯端末を見ると美味しくいただいた彼女からのメッセージと、マルコからのメッセージも届いていた。
「うへッ、天国と地獄が同時に来たわ」
内容を読むと業務連絡並に端的な言葉が並んでる。
「…『梅雨明けだな。近々店に行く』…?予約じゃなくてか?なんだこの怪文書」
端末を放り投げ、アラームをセットして目を閉じた。
ジリジリと真夏の光が俺を焼く。
日当たり最高のベンチに寝転んだ身体から汗が滲み流れていく感触は気持ち悪い。弱火で焼かれる素材ってこういう感じなのかもしれない。
「…サッチ、こんなところで寝てると熱中症になっちゃうよ」
熱いくらいの光が、ふ、と遮られた。
太陽を見ないように目を開けるとなまえが心配そうに覗き込んでいる。
いつも俺を見上げてるから俺が君を見上げるのは滅多にねえ構図だ。見下ろしてくる顔も可愛いなあ。写真に撮っておきたい。
「大丈夫?具合悪かったのなら日陰で寝たほうがいいよ。何か飲む?買ってくるよ」
自分の身体で俺の日よけになるようにしつつ、差し出される畳まれたハンカチ。その手ごと掴む。
女の子は可愛いし綺麗だし柔らかくて好きだけど、その中でも特別。好きで好きで好きで頭が変になる時がある。
「起きられる?まずは日陰に行こうよ」
君の名前を口にすると、反応があったことに安堵する表情で俺の手を握り返す。
ああ、今日も君が好きだ。その笑顔が、その気遣いが、その真っ直ぐで凛とした心が。
「……っ!」
身体が痙攣して目が覚めた。見慣れた天井と自分の部屋。鳴り響くアラームが時間だと喚いてる。
「…ゆ、めか…くそ!」
汗びっしょりで身体が重くて、おまけに不整脈さながらの心臓。さっきまで掴んでいた彼女の手首の感触が生々しく手に残ってる。
「…………」
呻くように君の名を絞り出して呼ぶ。勿論、返事なんかない。ある訳がない。君はもういないのだから。
「……シャワー浴びて、店に降りないと。今日からスムージーの新フレーバーだし。飲みに行くからって女の子が言ってくれてるし」
口に出して確認する。あれは夢。ここが現実。
一日の流れに則って髪を整え下の店に降りてから仕事着に着替えて、配達の青果を受け取って…。
「いらっしゃませ~」
張り切って、いつも通りに。今日初のお客様を笑顔でお出迎え。
「約束通りスムージー飲みにきたわよ」
「今日のオススメはなんだい?」
「へえ!これは美味しい!」
入れ替わり立ち替わり、俺の店で食事を楽しんでいく人を見るのはやる気に繋がる。
「さて次は何味にしようかなァ」
昼の混雑が落ち着いて、ひと休みしているとドアベルが鳴ってまた一人。
「いらっしゃいま…」
条件反射で顔に浮かぶ笑顔が、目に映った人物を見て止まった。
「なんだよい、お前一人かい」
入って来たのは浮かれ跳ねた金髪にスーツ姿という、珍妙な男。
「…マルコかよ。笑って損した。俺の愛想がもったいねえじゃん」
「サッチの愛想なんか道で配ってるティッシュと同じようなもんだろうが」
……、相変わらず嫌味がすげえな。バイトに何か言われても腹立たねえのって絶対マルコのせいだよな。鍛えられてるわ俺。
「外に出たついでに来たんだ。冷たいもんあるかい」
案内する前に店を歩いてカウンター席に座った。そこは三つある椅子のうち、マルコがいつも座る席だ。
「仕事中に来るなんて珍しいな」
ドリンクメニューと水を出す。マルコはデザートメニューのページで目を留めた。
「…電話じゃ話しにくい要件があってな。不本意だが休憩兼ねてサッチの店に寄ったんだ」
眉間にマルコ渓谷作ってるけど、不機嫌ではなく悩み事の方だって解るのは付き合いの長さからだ。不器用な親友を宥めるために、俺はカウンターでドリンクの用意を始めた。
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