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極彩色のサーカス。
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(Side U)
学生時代からの付き合いで入籍したのは三年前。
旦那さんへと変わったマルコとの会話が減ったのに気が付いたのが二年前。
家で同じ食卓につくのが土日も含めて週に二度だと気付いたのが一年前。
玄関に花を飾るのを止めた半年前。
あなたは何も言わなかった。私は数種類あった花瓶を全てしまい込んだ。生活に花で癒しをと用意していたのが全くの空振りであったのを知った。
晩御飯のおかずを全部スーパーで買った出来合いのお惣菜にしてみた三ヶ月前。
あなたは何も言わなかった。私は二年半通ったお料理教室を辞めた。メモを取りノートに記帳して覚えたレシピの数々、栄養の組み合わせは全くの徒労だったと知った。
度重なるストレスのせいか体調に異変を感じ、医者に行ったのが一週間前。
帰宅したマルコに医者に行ったことは黙っていた。案の定、あなたは私の体の事に気が付かなかった。痛む訳ではないけどお腹をおさえる癖がついた。
「…私って、マルコの生活に、人生に必要なのかしら」
結婚してからずっと付けていた指輪を外したのは二日前。あなたは何も言わなかった。
…ねぇマルコ。コレで最後にします。どうかお願い。私はもうあなたの気持ちが解らなくなっちゃったの。
玄関の開く音に、見ていた携帯端末から顔を上げた。リビングで時計を見上げると十時まであと十五分と知らせている。
「ただいま」
「お帰り、マルコ。お疲れ様です」
ネクタイを緩めながらマルコがリビングに入ってきた。鞄をソファに置いてスーツの上と靴下を脱ぐ。
「ご飯食べる?お風呂も沸いてるよ」
「…飯頼む。腹減ったよい。遅い時は待ってなくて良い」
待っているのもダメだったら会話もろくにできないじゃない。胸の中をチクチクと痛みが動く。
曖昧に返事して作っておいた晩御飯を温め直す。その間マルコは新聞を取り出して読んでいた。
「…ねえ外、雪降ってる?」
天気予報は見てるから夜から雨が雪に変わるのは知っていたけど何か話したくてマルコに尋ねた。
「ああ、ちらつき出したよい。積もらなきゃいいけどな」
レンジが任命完了、と音を立てる。コンロの火を止めて汁物を茶碗に入れて食卓へと並べた。
「お待たせ、出来たよ」
「ああ、うん」
カサカサと新聞を畳んで席につき、私はお茶を淹れてマルコの前の椅子に座る。
今夜のご飯も美味い、とも、不味い、とも言わずに今夜もモソモソと口に詰め込む様を眺め、沈黙にいたたまれずにTVを付けた。
バカみたいに明るい笑い声がリビングに流れ出して少しホッとした。
「…ねえ、マルコ。今度の土曜の事なんだけど」
「ああ、弁当要らねえよい。土曜だしな。適当に会社の近くで食う」
湯呑みを持つ手が震えそう。やっぱり。解っていた事じゃない。きっとこうなるって。
向かいあって話しをしてるのにマルコは私が指輪をしてないとまだ気がつかない。
約束したの、すっかり忘れてるんだね。一緒に映画に行ってからサッチの店にご飯を食べに行こうって、前の前の、その前の約束の埋め合わせなのに。
「……そっか、仕事なんだね」
「言ってなかったか?今一人辞めちまって忙しくてな。休日出勤だよい。…食った食器は片しとくからなまえ先に風呂入れよい」
「そうする。…後お願いね」
シンクで湯呑みを洗いながら必死で唇を噛み締めた。部屋から着替えを持ってお風呂に入ってから私はすぐにシャワーを浴びた。
流れていく温水が涙をなかった事にしていくみたいに落ちていく。
「…うぅ、ぐすッ…」
土曜は久しぶりのお出かけになるはずだった。最後に一緒にお出かけしたのがいつか覚えてる?近所の買い物にだって二人で行ってない。
デートになるはずだった。お洒落して、綺麗にお化粧して、好きだった映画の続編を見て。その後サッチの経営するお店に行こうって予約も取ってあるのに。
ずっとずっと、話したい事がたくさんあった。寂しかった。だから土曜日こそはって思ってたの。
「私のこと、グスっ…もう、どうでも良くなっちゃったの?」
マルコが仕事を理由に約束を反故にした回数は両手じゃ足りない。
前から仕事人間なところもあったし『立て込んでいるんだ、悪いなまえ』と言われては文句を言うことが出来なかった。疲れた顔をしていたから。寂しいなんて言ってマルコを困らせたくなくて、私が言えるのは『大丈夫だよ』って嘘ばっかりで。
…だけど、今回マルコはついに約束した事自体を忘れてしまったみたい。こんな日がくる気がしていたわ。結婚後、三年も経てば恋人気分はなくなるよね。慣れたり、嫌だけど飽きたりもするんだろう。
「…好きなのって、もう私だけなのかな…」
だからせめてマルコにとっていい奥さんになりたかった。居心地が良い場所になってあげたかった。
掃除も洗濯もやったし、特に苦手だった料理は教室にだって通って基礎からたくさん学んで、失敗したのは自分で食べて証拠隠滅もして。美味しいって言われたくて、朝晩のメニューに頭を悩ませながらお弁当も作っている。
「…ひっく、ぐす、…い、いつから…」
いつから。
いつからマルコは私を見てくれなくなったの。いつからマルコは美味しいって言ってくれなくなったの。いつから私と居たくなくなったの。
…たくさんの『いつから』が頭を巡って涙が止まらなくなる。シャワーの音で嗚咽を消して、深く息を吐く。目を冷水で冷やせば鏡の中から目と鼻を赤くした不細工な顔が見返す。
「……きらわれたくない…」
いつも通りに頭と顔を洗い、湯に浸かり、寝間着に着替えて寝室へ。
「お先に上がりました」
「おう」
声をかけると、読んでいた文庫本から目を上げてマルコがお風呂に向かう。私はダブルベッドにマルコと入れ違いに座り、髪を乾かして化粧水を付けたりボディークリームを塗る。
「…遅い時間だけど、メッセージだけなら大丈夫かな」
ひと段落して携帯端末を取り出す。少し考えてから時計を見る。マルコはまだ出てこないよね。
連絡先を出してメッセージを送る。最近の状態を相談しているサッチにだ。
マルコとサッチと私は学生時代からの付き合いで、私の通ったお料理教室はなんとサッチが講師を務めていた。知り合いに頼まれ、経営するお店が休みの時に講師をしていたそうだ。
会った時はお互い驚いたなぁ。料理習ってるなんて下手丸出しで恥ずかしかったけど、サッチは笑ったりしないで応援してくれたんだよね。
「……何て送ろうかな」
結果報告、とタイトルを決め今日の事を掻い摘んで本文とした。
『お疲れ様。マルコはやっぱりダメだったから、サッチと土曜日に会えるのを楽しみにしてるね。よろしく』と書いてしめる。これで良し。
メッセージを送ってもすぐには返事は来ない。
きっと今頃サッチは厨房で後始末とかメニューとか、まだ働いているんだろう。
サッチみたいにお店レベルのご飯が作れたらマルコは『美味しい』と私に言ってくれたのかな?
「はあ、もっと私が魅力的だったら違ったのかしら。ダイエット…今は無理だけどせめてメイク動画もっと見て勉強しようかな。流行りの服とか…」
携帯端末を充電器に繋いでベッドに倒れ込む。
ベッドに投げてあるマルコの読みかけの小説をチラ見してみた。真剣に何を読んでいるんだろうか?とページを繰と小難しい漢字の羅列が目に飛び込む。何の話かも解らぬまま本を元通りに閉じた。
携帯端末でレシピや通販サイトを眺めて過ごしていると、お風呂上がりのマルコが寝室へ戻ってきた。
「…電気消すよい」
「うん。…おやすみ」
「ああ。おやすみ、なまえ」
部屋の電気が消え、隣にマルコが寝転ぶとベッドが揺れる。ほのかに石鹸の香りがして胸が苦しくなった。
土曜日にこっそりと計画していた事を思い、マルコの寝息を聞きながら私の頭は冴えたまま。今夜もすぐには眠れず、ひたすら目を閉じ睡魔を追った。
翌朝、サッチからの返信を見て小さく笑った。
可愛らしい装飾とともに綴られる文章。だけど内容は真摯な言葉が並んでいる。
サッチから度々持ち掛けられていた『お誘い』についに私は乗ると返事をしたのだ。マルコとの事を相談し始めた頃から受けていた。
それは時々どうしようもなく私の胸を揺さぶったけど、マルコに悪いからと断り続けた『誘い』で。
冗談なのか本気なのか解らないジョークを飛ばしてくるのは昔からだったけど、サッチが何度も繰り返す誘いは、疲れきった私の心を動かすには充分すぎた。優しい言葉と慰めに天秤はどうしても傾く。
「…ふう。始まったら後戻りはできない。私も覚悟を決めなきゃ」
実行は土曜日。途中でマルコにばれたりしませんように、と考えて、まさか気付く訳ないかと苦笑いが口元に浮かぶ。
そして決行の日。少し緊張しながら朝ごはんを作り、起きてきたマルコにコーヒーを淹れて出す。
「おはようさん」
「おはよう、寝癖ついてるよ」
「あー、…眠ぃよい」
コーヒーを飲みながら呻くマルコはヒョコヒョコと髪が跳ねている。普段のスーツも格好いいけど緩いマルコが見られるのは私の…奥さんの特権だと思ってて良いのかな。
「えっと、あの、今日は何時に仕事が終わるの?」
「今日も先に食っててくれよい。何時になるか解らねえから」
約束はやっぱり思い出さないのね、でも好都合だと考えよう。私は顔の筋肉を総動員させて笑った。笑いたくなくても笑うのにすっかり慣れてしまった顔は、不自然じゃなく形になっているだろう。
「仕事大変だね、いつも忙しいなんて」
「働かなきゃ食ってけねぇからな」
…私の節約の仕方が悪いのかな。貯金は少しずつ貯まってきているし、買い物でも安いところを探して行くように気をつけてるんだけど。まだ足りなかった?どうすればよかった?
「…そ、…そうだよね。あの、あんまり無理しないでね」
「解ってるよい、大丈夫だ」
今日の事ちっとも思い出さない?映画に行くの楽しみだって言ってくれたじゃない。あれは嘘?適当に言ってみただけ?一つ綻ぶと崩れる縫い目のように私の中身が解けて無くなっていくみたいだ。
「なまえ?どうかしたのかい。晩飯は別に買って帰ってくるから無くても構わないが」
不審そうなマルコの声に私は顔を逸らした。
ご飯も要らないんだ。そっか。じゃあ私もマルコにとってもう要らないのかな。
「…あ、のね。今日、私、ちょっと出掛けてくる」
「まぁ休みだしな。ゆっくり行ってこいよい」
「…うん、ありがと」
マルコを送り出した後、私は鞄に荷物を詰め始めた。財布に多めのお金と携帯端末。外したままの指輪をリビングの机の上に置く。その指輪の下に書き置きを残して部屋を出た。
心の中で詫びる。ごめんねマルコ。もう私のは決めたの。怒るかな。どうでも良いって言われるかな。呆れたりするかな。正直どんな反応をされるのか予想ができない。
「寒い…雪が降りそうね」
街に出て商店街を歩くともうXmas一色だ。
イルミネーションやデコレーションされたモミの樹、流れるXmasソング。寄り添い合う恋人。写真を撮る学生たち。はしゃぐ子供を連れた夫婦と何組もすれ違い、俯きそうになる。寒いねなんて言いながら並んで歩いたのっていつだったかな。
「なんで私一人なんだろう。マルコと歩きたかったな」
浮かんだ思いを飲み込んで曇り空の下、待ち合わせ場所に向かう。そこにはすでに私を待つ男の姿があって、こちらに気がつき手を振った。
「待たせてごめんね、サッチ」
「よう、なまえ!今日は楽しもうぜ!」
にっこり、と満面の笑みに気分が救われる。
私はサッチと並び歩き出した。寒さを誤魔化すようにくっついて。
→(Side MARCO)