青空の切先
「……魔神……か……?」
思わず、思ったままを口にしていた。
目の前の巨大な物体は、セフィーロの伝説の書に描かれていたその姿にあまりにも似ていたのだ。
人型をした鋼鉄の巨体。磨き上げられた滑らかな輪郭を光がなぞる。
「『マシン』だと?」
前を歩いていた案内役の男が、ランティスの呟きを聞きつけ肩越しに睨みつけてきた。
「俺たちの相棒をそこら辺のコーヒーメーカーみたいに呼ぶんじゃねぇ。
『ファイターメカ』だ。覚えとけ」
なぜか怒られた。
今しがたオートザムに着いたばかりのランティスには聞いたことのない単語が多く、何のことだかさっぱりだ。 恐らく勘違いが発端なのだが、上手く正す言葉も見つからない。
こういう時、困惑が表情に出ないランティスはさらなる誤解を招きやすい。それでもセフィーロでは特に支障なく暮らしてきたのだが……。
「虫の好かん奴だぜ。
オラ、コックピットは胸部だ。もたもたするな! ついて来い!」
また怒られた。
ほんの少し『ファイターメカ』の曲線美に見入る時間すら許されていないのか。
ジェオ・メトロと名乗った彼は、出会ってからこっち常にこんな調子だ。乱暴な言葉遣いで命令ばかりしてくる。
彼に限らず、オートザムに着いてから接触した人々の対応は、皆似たようなものだった。 常に張り詰めた空気をまとい、声を張り上げ、荒々しい言葉を投げる。わき目も振らず、何かに追い立てられるように忙しく歩く。
セフィーロでは、まず出会わない人種だ。
ジェオは、ランティスをファイターメカのコックピットに押し込むと、バンド状の「何か」を投げてよこした。
「汎用タイプのヘッドセットだ。着けろ」
「……どうやって」
いくら睨まれても、分からないものは分からない。
ジェオは大きくため息をつくと、コックピットへ通じる桟橋からこちらへ乗り移って、てきぱきとセッティングを始めた。 大きな体を窮屈そうに丸め、座席に固定されたランティスの周りでこまごまと動き回る。終始無言の彼には「ここはこうして……」などと丁寧に説明する気は一切なさそうだ。
……オートザムには「教える」「手ほどきする」という文化がないのか?
セフィーロでのやり方とは随分違う。ランティスは誤った発見に驚いた。
すっかり配線にがんじがらめにされ、さすがに不安になってきた頃、ジェオがやっと口を開いた。
「お前、まさかここがあいつの管轄だって知ってて侵犯したんじゃねぇだろうな」
逃がさん、とばかりに真正面から見据えられる。
煮詰めたような深い飴色の目。意志の強さと、意外にも「あたたかさ」が感じられる眼差しだった。これは、誰かを守る騎士の目だ。曇りのない瞳に、警戒心がいくぶんか和らいだ。
しかし、彼の言う「あいつ」とは誰のことか。シンパンとはどんな行為を指すのか。やはり説明が不十分だ。
ランティスはオートザムに下り立とうと手近な地表を目指しただけだった。そこを、攻撃され捕らえられ責められ命令され……事情を説明しようにも、彼らはちっとも聴き入れてくれない。今のところ命に関わるような仕打ちは受けていないので、とりあえず大人しくしているのだ。
「……俺はただの旅行者だ」
「ったく。お気楽な野郎だな。
普通だったら、裁判を開いてもらえたかどうかも怪しいってのに」
「……サイバン?」
「あー、もういい!
とにかく、寛大な措置をとって下さったコマンダーに感謝しろ!
領空侵犯に不法入国。本来は模擬戦程度で済むことじゃねぇんだ。
……これでまた上から目ぇつけられちまうなぁ……」
顔をそむけて呟かれた最後の一言は、小さすぎてランティスには聞き取れなかった。
ジェオはセッティングを終えると、簡単な操縦方法を説明し始めた。起動と、緊急離脱、そして……
「ファイターメカは思考で動かす。感覚は体で覚えろ」
肝心なところはあまりに簡単で、もはや説明ではなかった。しかし今回はランティスにも納得がいく。剣術もまた、体を動かしながら、時には痛い思いをして身につけていくものだ。「胸を借りる」という言葉はセフィーロにもある。
それに、ジェオはこれから行われることを先ほどから「模擬戦」と呼んでいる。「模擬」と言うからには、操縦方法を指南する稽古のようなものなのだろうとランティスは理解していた。
ファイターメカの正常起動を確認したジェオは、軽い身のこなしで桟橋に戻った。
そして、にわかに姿勢を正し腕を後ろで組むと、 「復唱ー!!」と、高い天井を突き抜けるような大声を張りあげた。
「精神エネルギーは無限ではない!! 命に直結するものである!!」
無機質な空間にわんわんと反響するジェオの声。
あんまり唐突だったもので、ランティスは驚いて目を丸くした。
「この基地のしきたりだ。よそ者にも従ってもらう」
そして再度、大声で繰り返される文言。ランティスは訳も分からず言われるままに復唱した。「声が小さい!」と指摘され、結局計三回唱える羽目になった。
「精神エネルギーの使い過ぎは体の酷使と同じだからな。
たんまり揉まれるだろうが、むきになって無理をするなよ」
そう言ってジェオはにやりと笑った。
ずっと渋い顔ばかりしていた男が、ここに来てなぜ笑顔を見せたのか。
オートザム人の感情表現についての考察は、待ち構えていた手厚い洗礼によって打ち切りを余儀なくされた。
* * *
控え室に戻るなり、ランティスは慣れないヘッドセットをむしり取った。
中央の長椅子に腰を下ろし大きく息をつく。
薄暗い室内。四方の壁面にはびっしりとロッカーが並んでいる。この窮屈な空間に、時にはロッカーの数と同じだけの人数が詰め込まれることになるのかと思うとぞっとする。
植物の粛々とした息吹や涼やかな水のせせらぎが恋しかった。生命から隔離された息苦しさに、疲労感がさらに増す。
……何なんだ、この国は。
ランティスはぐったりとうなだれて、溜息をついた。
模擬戦への参加が入国の条件だったとは言え、ファイターメカ初搭乗の人間にいきなり三連戦を仕掛けてくるとは想定外だった。
確かに「どんな条件でものむか」と聞かれ首を縦に振ったのは自分だ。その心構えに嘘偽りはなかった。
しかし、だからと言って実際にここまで勝手放題扱われるなんて……経験上、考えてもみなかったのだ。
相手も「戦士」。
どんな事情があろうと、気高き戦士どうしであればお互いを不当には扱わない。そんなセフィーロでの常識はここでは一切通用しなかった。
ランティスは入国わずか数時間にして、オートザムがよそ者に容赦のない国であることを体に叩き込まれてしまったのである。
「模擬戦」は初心者への配慮などまるでない本気の戦闘だった。
一応はランクの低い者から順にぶつけてきたようだが、こちらはずぶの素人なのだ。オートザムの軍人が相手である時点で圧倒的に不利である。
特に、最後に戦った白い機体。
それまでの相手とは明らかに格が違っていた。
スピード、機動力、多彩な攻撃。ファイターメカの特性を生かした、セフィーロにはない戦い方が特徴的だった。
先の二戦で操縦の基礎を身につけていなければボロ負けしていたことだろう。
かろうじて引き分けに持ち込むことが出来たが、おかげで全身がだるくて仕方ない。意識さえ朦朧とするひどい倦怠感。体が鉛のように重く、指一本動かすことすら億劫だ。
……これが「精神エネルギーの使いすぎ」か。
ランティスはジェオとの復唱合戦を思い出していた。
『精神エネルギーは無限ではない!! 命に直結するものである!!』
……だったら、細かい加減の仕方も教えるのが筋だ。
クレフの指導には一度も文句を言ったことがないランティスだが、この仕打ちには心の中で不服を唱えずにはいられなかった。
不服と言えば、この部屋までランティスを案内してきた若い軍人の対応もそうだ。
『今後については現在審議中だ。ここで大人しく待っていろ』
『……審議中? 言う通り模擬戦に参加したんだ。今度はこちらの希望を……』
『何が<希望>だ、この不法入国者が! ぶち込まれないだけ有り難く思え!
コマンダーのFTOをあんなにしやがって……クソッ!』
何やら私情も含まれているらしく、ジェオとは違いあからさまに攻撃的だった。
確かに「入国のためならば」どんな条件でものむ、と承諾したが……希望の確認すらとらないとは。やはり到底納得いかない。
これだけ骨を折ったのだ、何としてでも居住区に滞在してやろう。
今までにない、じりじりとこみ上げる闘志がランティスの中に芽生えていた。
オートザムの人々が悪人でないことは何となく分かる。
さきほどの軍人も、いささか八つ当たり気味ではあったが立派な戦士の目をしていた。模擬戦で戦った中に「コマンダー」という名の大切な相手がいたのだろう。ジェオもその人物の名を口にしていたから、この国の要人かもしれない。
大事なものが傷つけられて怒る気持ちには、ランティスだって共感できる。
しかし、彼らとはどこか根底が決定的にずれているのだ。疲労の原因は、精神エネルギーの使い過ぎだけでなく、きっと気疲れにもある。
それでも、ランティスにはこの国への滞在を諦められない理由があった。
セフィーロの柱制度は間違っている。ならば他国はどのような方法でどのような道を歩んでいるのか。
一つでも多くの異国文化を実際に見て学びたかった。
それが、例え外から見ただけで崩壊が窺える破滅の国であっても。
「……」
部屋の前に何者かが立ち止まった気配を感じて、ランティスは扉を睨みつけた。
今のところ、この国の人間に気を許せる見込みはない。これ以上つけ込まれたのでは、こちらの身がもたなかった。
コン、コン
少しして、丁寧なノックの音が二回、無機質な室内に響いた。
「入ってもよろしいでしょうか?」
続いて扉の向こうから聞こえてきたのは、若い男の声だ。言葉遣いに合った穏やかなテノール。気を探ってみても、負の波紋は愚か攻撃性の欠片も感じ取れない。
ランティスは拍子抜けして警戒心を解いた。椅子から浮かせてかけていた腰をもとの長椅子の上に落ち着ける。正直、立ち上がることすら辛いのだ。
「……かまわない」
返事を待ってか待たずか、間髪を入れずにスライドドアが開く。
廊下からの明るい光を背に現れたのは、これもまた声の通りの優男だった。
亜麻色の髪に日色の瞳。
身長はランティスほどではないものの、そこそこ高い。体格は細身……に見える。他の軍人たちの軍服姿とは違い、丈の長い羽織りもので肩から足首までをすっかり覆っているため、確実なところは分からなかった。
「こんにちは」
男はランティスと目が合った瞬間、にっこり微笑んだ。まるで緊張感のない呑気な声だった。
「……」
ランティスは無言で彼の要件を待った。相手の穏やかな態度に甘えて、座ったまま顔だけ彼に向けた体勢だ。
「あれ? セフィーロにはあいさつの習慣はありませんか?」
男はきょとんとして小首をかしげた。
本気で言っているのか、お見通しの上の白々しさなのか。
心理を測りかねている間に、コツコツと硬い床を叩く小気味よい靴音が響き、気付けばすぐそばまで接近されていた。
目の前で、ゆったりとした羽織りがふわりと揺れる。その背後でスライドドアが自動的に閉まり、室内に薄暗さと息苦しさが戻った。
この男の気配は、今のところ実に人畜無害だ。ランティスには、相手にほんの少しでも邪気があればこんなに簡単には近付かせない絶対の自信があった。
「こんにちは?」
変わらぬ笑顔で同じ言葉を繰り返した男を、ランティスは長椅子に座ったまま無言で見上げた。
散歩先で出会った動物にでも話しかけているかのような邪気のなさ。見下ろす目線も柔和そのものだ。
根負けしたランティスが軽く目礼すると、男はちょっと驚いた表情を見せた。そして、「真面目な方なんですね」と目を細める。
試されたのだと分かっても、不思議と悪い気はしなかった。
「イーグル・ビジョンです」
イーグルと呼んで下さい、と彼は微笑んだ。
姓と名を持つ文化を知らないランティスには、それが親愛の表現なのか、威圧の表現なのか分からなかった。しかし彼の佇まいから察するに、親しみを込めて呼んでほしいという意味だろうと見当をつける。
「……セフィーロの魔法剣士ランティス」
「ええ、知ってますよ。先ほどはどうも」
イーグルはランティスの隣に腰を下ろした。距離がやけに近く感じる。狭い空間に大人数が集うオートザム軍人の距離感は、ランティスにとって「密接」も同じだった。
「セフィーロの方にお会いするのは初めてです」
彼は感嘆の声を上げながら、肩が触れ合いそうな至近距離からランティスの体を興味深げに眺めまわした。
そしてふと視線を上げ目と目が合うと、今度は空色の瞳に心を奪われた様子で、更に顔を近付けしげしげと見つめる。
ほんの少し低い位置から見上げてくる琥珀色の双眼。チゼータで出会った野生の猛禽のような、美しく力強い不思議な瞳だった。
ランティスはイーグルの奔放で無頓着な行動に、相手を翻弄するオートザムらしさの片りんを見ていた。
しかし、他の軍人に対して抱くような警戒心は伴わない。
彼は「対話」を望んでいる。身にまとった柔らかい雰囲気が、友好のメッセージとして心に届いていた。
「……先ほど……?」
ランティスの疑問の声で我に返ったのか、イーグルははっとして顔を離した。
「ああ、すみません。最後にお相手いただいた機体のパイロットです」
「……!?」
先ほどはどうも、と重ねて言うイーグルに、ランティスは驚きを隠せなかった。
最後と言えばあの段違いに強かった白い機体だ。
どんな百戦錬磨の猛者が乗っていたものかと思っていたら、こんな緊張感のない優男がそうだと言うのか。
いかにも戦慣れした貫禄たっぷりの「アレ」と、今、目の前にいる「コレ」はどうにも結びつきがたい。
あの白い機体は、死や苦痛への恐怖が具現化した魔物の気配すら漂わせていた。目の色と同じ陽だまりのような気配を持つ彼が操っていただなんて、にわかには信じられなかった。
頭の中は動揺していても、ランティスの表情はいつものむっつり顔だ。
クレフや兄のザガートならまだしも、初対面のイーグルにそれを読み取れるはずはなかった。
「良い勉強をさせてもらいました」
「……ああ」
生返事を返すのがやっとであることにも、気付かれた様子はない。
「第一試合の彼だって、昨日今日パイロットになったわけじゃないんですよ?
それに全くの初心者のあなたが勝ってしまうなんて。本当に素晴らしい戦闘感覚です!
平和な国でも戦士は育つんですね」
饒舌さと興奮した様子から、彼が戦いを楽しめる種類の人間であることが分かる。あの白い機体のパイロットであるというのも嘘ではなさそうだ。純粋に技術を磨く目的もあったのだろう。しかし、獲物を討ち倒し自分の優位を示そうとする殺伐としたあの気配は、忘れようにも忘れられない。
草原に吹くそよ風のように穏やかなこの男が? それはつまり、本性を隠しているということだろうか。
セフィーロでは裏表があることは悪と見なされる。相手を騙すのと同じことだからだ。本心をありのままに伝える勇気こそ善。そしてセフィーロの民たちは皆、善なる人々である。
そもそも何不自由なく満たされたあの国では、隠すような本性を持った人間などほとんどいないのだ。
そう、「ほとんど」。
……エメロード姫……。
例外として咄嗟に浮かんでしまった彼女の姿に、ランティスはうろたえた。
彼女は柱としての務めとザガートを愛する本当の心の間で苦悩しながらも、人前では常に笑みを絶やさない。きっと、運命を呪う気持ちもあるだろうに、それでも手を握られれば伝わってくるのは愛情ばかりだった。
その心は悪か。
自分の中の矛盾に気付いてしまうと、イーグルの微笑みは、善悪のあり方を問いかけるもののように感じられた。
「……あの。……大丈夫、ですか?」
イーグルが不意に笑顔を引っ込めてしまったので、ランティスは心を読まれたのかと思いぎくりとした。
しかしそんな訳はなく、彼は心配そうにランティスの顔を覗き込んでいる。
真摯な眼差しに、心を掴まれる。これが「偽物」だなんて、到底考えられない。
「いえ、……ずいぶん無茶な精神エネルギーの使い方をしていたようなので。
かなり堪えてるんじゃないですか」
彼はランティスの頬にそっと手をかざした。触れそうで触れない掌から、労りが伝わってくる。
大丈夫な訳がないことは、彼も重々承知の上なのだ。
何せ件の試合は、イーグル機の破損とランティス機の精神エネルギー不足によって引き分け判定になったのだから。
基本は速攻。長期戦ならば、スピードで陽動・挑発を仕掛け、一瞬の隙を見て大胆に斬り込む。それがイーグルの戦法だ。ランティスは次々と襲い来る速攻を何とかかわしきり、後者のスタイルを引きずり出した。
セフィーロにも相手のミスを誘う戦い方はあるが、あくまで戦士の基本は正々堂々だ。状況を見て使う程度のもので、メインで用いることはない。近づいては遠ざかり、斬り込めば間合いを取られ……なんてねちっこくいやらしい戦い方なのかと、純粋な驚きさえ覚えたくらいである。
対するランティスはまだまだファイターメカの機能を使いこなしきれていない初心者だ。連戦の疲れもあり、戦闘が長引くほど状況が不利になるのは明らかだった。
考えている暇はない。
ランティスは直感で賭けに出た。
全精神力を注いで静止状態から一瞬で最大速度まで加速。一気に距離を詰め最大出力のビームサーベルで切りつけた。イーグル機も咄嗟に回避行動を取ったが、避けきれず片翼が大破。エネルギー伝達回路も30パーセント近くの損傷を負った。
一方のランティス機は、急激に膨大な精神エネルギーを消費した反動でパイロットの方がエンスト状態となってしまった。頭が霞みがかり、機体を動かすための思考が紡げなくなってしまったのだ。
イーグル機はまだかろうじて動ける状態だったが、模擬戦は殺し合いではない。
試合内容から、結果的には引き分けの判定が下された。
つまり大丈夫かどうかと聞かれれば、あまり大丈夫ではないのだが、
「……ほとんど回復した」
ランティスはちょっと強がってそう答えた。何となく、これ以上イーグルを心配させたくないと思ってしまったのだ。
「本当に?」
「……? ああ。少しだるい程度だ」
「眠気は?」
なおも詰め寄るイーグルの表情はとても不安げだ。今にもハの字を描きそうな眉。ついさっきまでにこにこしていた人間にそんな顔をされると、なんだかかわいそうなことをしたような気がしてくる。
どうやら自分で思っているよりもずっと危険な戦い方をしていたらしい。
もとを正せば、そんな無茶をさせたのは他でもないイーグルたちオートザム軍人なのだが……この国に来てから荒んだ国民性ばかりが目についていたランティスには、心から心配してくれる彼の気持ちが素直に嬉しかった。
眠気はある。しかし疲れに比例した健全な睡眠欲のレベルであって、今にも瞼が落ちて来そうなほどの酷いものではない。
それを伝えると、イーグルはやっと安心した様子だった。ランティスもまた、彼の不安を晴らせたことに無意識に安心していた。
「軍舎に個室を用意させますから、今日はゆっくり休んで下さいね」
とりあえず一泊は約束されたようだ。
……「用意させます」か。
口振りからも、外見の印象に反してかなり地位の高い人物らしいことが分かってきた。
だとすれば、このイーグル・ビジョンという軍人は、それなりの権力を持ち、しかも話の通じる貴重な存在だ。
ランティスは、この国で自分を助けてくれる人間は彼以外にいないだろうと判断した。
そして、それが甘い考えだとも知らず直球勝負をしかけたのだ。
「……居住区への滞在許可を貰いたい」
単刀直入な願いを聞いたイーグルは、ぽかんとして目をしばたいた。
まるでランティスの言葉そのものが理解できていないかのような反応だ。
「……色々な国を旅してまわっている。この国へも、戦士としてではなく旅行者として来た。
戦うからには本気を出させてもらったが、争うつもりは一切ない」
ランティスはどこがどう通じなかったのか分からず、とりあえず一生懸命に事情を説明した。イーグルなら分かってくれるだろうと信じていた。
しかし、いっこうに良い返事は返ってこない。それどころか雲行きはみるみるあやしくなっていく。
イーグルの表情は目に見えて硬くなり、ついには無言で目をそらされてしまった。彼は静かに拳一つ分体を離し、壁面に並んだロッカーを見つめた。
気まずい沈黙。
やがて、イーグルはランティスに向き直って口を開いた。
「そこに、我々の利益はありますか?」
問いかける彼の顔は笑っていなかった。
かと言って攻撃的な風もなく、瞳は純粋に答を模索する澄んだ光を宿していた。
「……利益?」
「素性も知れない異国の人間を市民に近づけるという、危険を犯すに値するだけの、利益です」
ランティスは自分の人間性が疑われているのだと気付き、少なからずショックを受けた。剣を交わし、言葉を交わした者と分かり合えないことなど、今までに一度としてなかったのだ。
いや、それ以前に「イーグルに疑われている」ということ自体が一番のショックだった。こんなに近くにいて、短い時間とは言え語り合い、さっきは熱心に体の心配までしてくれた彼が。信じてくれない。予期せぬ裏切りに遭ったような衝撃だった。
「……この国の文化を知りたいだけだ。問題は起こさないと誓う」
「確証は」
鋭い切り返しは、まぎれもないオートザム人のそれだった。
約束を違えたことも、戦士の道に背いたこともない。その自らの誇りにかけて誓うのだ。
まっすぐ目を見て心からそう伝えても、
「ただの口約束を……どう信じろと言うんです」
同じ言語を使っているのに、話が全く通じない。
イーグルもまた、会話が噛み合っていないことに苛立ちを感じているらしい。難しい魔道書に向き合うような苦い顔つきでランティスの出方をうかがっている。
……これ以上、どうしろと言うんだ。
ランティスはとうとう頭を抱えてしまった。
あんなに友好的だったイーグルが、急に否定的なことばかり言うようになった理由がどうしてもわからない。
セフィーロでは、強く思えば自ずと伝わるのが常だった。
全ての人が、一つの心によって支えられた、平穏な秩序の世界で生きているのだ。
例え初対面の相手でも、大きな存在に愛されている者同士の温かい絆が、言葉よりも先に心を繋いだ。
毎日を誠実に過ごしていれば、見つめ合うだけで後ろめたさのない澄んだ心が伝わり、信頼を得られる。
オートザムのコミュニケーションはまるで正反対だ。
言葉に頼った表面的な交流は、「ぶつかり合い」も同じだった。優先されるのは心の共鳴よりも、個人の感情。優しくするのも冷たくするのも本人のさじ加減ひとつ。
要は自分勝手なのだ。イーグルでさえ、こうして目まぐるしく態度と表情を変えてランティスを翻弄する。
それでいて、少なくとも今までに会った軍人には誰一人として悪意を持った者はいない。それがいっそう理解しがたいのだ。
ジェオ・メトロのあたたかい騎士の目を思い出す。「コマンダー」を慕っていた男の心地よい怒りを思い出す。
そして、イーグルの穏やかな笑顔と無邪気な仕草を思い出す。
しかし彼らは、こちらの偽りない言い分に耳を貸さない分からずやであり、不平等で一方的な戦いを仕掛けてきた卑怯者なのだ。
この国では、何か大きな「力」が、人々を複雑に屈折させている。ランティスにはそう思えてならなかった。
それこそセフィーロの柱制度のような、世界の理を担う「力」。
人間を追い立て、心を縛り、純粋な姿を失わせる。
きっとオートザムの人々は、その「力」に、心と心を通わせる能力を奪われてしまっているのだ。
だからこうして、言葉で手探りしなければならない。すれ違いや誤解の危険にさらされながら。
なぜ彼らはこんな状況に甘んじているのか。解放を求めて戦うつもりはないのか。
それとも……セフィーロの柱制度のように、犠牲から生まれる何かがあるのだろうか。
様々な疑問が頭を巡る。
しかし、ランティスにとって今一番不思議なのは、他でもない、そんなイーグルやオートザムの人々にますます魅力を感じている自分自身だった。
「セフィーロは……本当に平和で素晴らしい国なんですね」
気まずい静寂を破ったのは、イーグルの小さな呟きだった。視線は暗い床に落とされている。自らの傷を見つめるような弱々しい笑みに胸が痛んだ。
幾重にも屈折させられた「歪んだ心」がこんなに輝いて見える。何を思いどんな感情を抱いているのか、不確実であることが彼を彩っていた。
「……イーグル」
「はい」
イーグルは反射的に顔を上げ、哀しげな目をランティスに向けた。
咄嗟に名前を呼んだのは、彼の儚げな笑みに彼女を重ねて見てしまったからだった。
苦しさをそのまま伝える術を持たない人の、祈りのような表情。
ザガートと出会ってからの、エメロード姫の笑顔にそっくりだった。
「……居住区が無理なら、軍で使え」
「え?」
「……ファイターとしてでも、雑用でも……出来る限り働く」
ランティスは、生まれて初めて自らの願いを「妥協」した。
オートザムに留まるために、目の前の男にこうも心惹かれる理由を知るために、……ずっとひたすらに貫いてきた道を曲げた。
その国の文化を知るためには、居住区で市民に混ざって暮らすのが一番だ。しかし正面突破でそれを果たすには、イーグルを含め全ての軍人を片っ端から倒し強行するしかなさそうである。もし成功したとしても、長くは滞在できないだろう。
そんな短時間では、このオートザムを操る「力」の正体は掴めそうもない。
だったら、少しくらい折れたっていい。そうするだけの「価値」が、曲がった道の先にあるように思えた。
軍に身を置けばまたイーグルやジェオと話せる機会があるかもしれない、という打算も僅かに含まれている。
イーグルの目が、瞬きのたび、徐々に輝きを取り戻していくのが分かった。それだけでも自分の選んだ答えが正解であったと思えてくる。
「何でもする、じゃないんですか?」
揺らぎない瞳は、朝焼けを受ける「真実の泉」の水面を彷彿とさせる。もしも彼がセフィーロの人間であったら、恐ろしく強大な魔法を授かるのではないかとランティスは思った。
「……それでは……前に進めない」
曖昧な「契約」がろくな結果をもたらさないことは、すでに学習済みだった。そして、この国では「譲り過ぎ」も「欲張り過ぎ」と同じくらいに愚かなのだ。
……こちらも要求を譲ったんだ。下手に出過ぎることはない。
これから解明していくべき「力」の領域に片足を突っ込んでしまっていることに、ランティスはまだ気付いていない。
答えを聞いたイーグルは、目を閉じてゆっくりと考えを巡らせてから、ふわりと表情を和らげた。
ランティスの拙いながらも精一杯の「交渉」を感じとったらしい。
「本当は、ぼくもあなたからセフィーロの話を色々聞きたいと思っていたんですよ」
彼は種明かしでもするように、ランティスが見落としていた手札を指摘し悪戯っぽく笑った。
思い返せば、初めて見るセフィーロ人を観察する彼の目はきらきらと好奇心に輝いていた。それが取リ引きの材料になることに気付かなかった時点でランティスの負けだったのだ。やはり、まだまだオートザムの空気には馴染めそうもない。
とは言えイーグルに笑顔が戻ったのだから一先ず安心だ。
……認められた……のか。
ほっとすると同時に、どっと疲れが押し寄せてくる。ランティスはぐったりと脱力した。ファイターメカでの模擬戦以上に、精神のすり減るやり取りだった。
その様子を見てくすくすと可笑しそうに笑う隣人の温かさに癒される。
「お互いのために」
おもむろに、イーグルが右手を差し出した。
「……?」
「握手です。心の繋がりを確認する行為……かな? 特にこういう場合は。
セフィーロにはありませんか」
無言で頷くと、イーグルは腕を伸ばして膝の上にあったランティスの左手を取った。
そのままぎゅっと力強く握られる。
「よろしくお願いします、ランティス」
結ばれた手のひらは、ランティスのそれよりもちょっと小さく滑らかで、ひなたの大地のようにじんわりと温かかった。
* * *
結局、誰もかれもセフィーロからの旅人に興味津津なのだ。
ぐだぐだと身のない話し合いを続けていたところへイーグルが軽く口添えしただけで、ランティスの傭兵登録はあっさり決定された。
『責任はぼくがとります』
イーグルはこの切り札を出した時の周りの反応をいつも密かに楽しんでいた。
たった一言がこれほどの力を持つまでには長い時間がかかった。いざという時に、わがままを貫き通すための武器。乱用はしない。が、切れ味を見るのはそれなりに楽しい。
あとでジェオに怒られるのも、楽しみの一つだった。
「とりあえずこの部屋を使って下さい。
向こうの突き当たりがぼくの部屋ですから、分からないことがあったら遠慮なく訪ねて来て下さいね」
真っ直ぐに伸びた廊下の先を指すと、ランティスは黙ってこっくり頷いた。
ジェオだったら「しゃっきり返事をしろ!」と怒鳴っているところだろう。彼は新人教育には厳しい男なのだ。真剣に叱ってくれる彼のことを慕う人間は、他の基地にも沢山いる。
「これがルームキーです」
カードキーを手渡すと、ランティスは不思議そうにそれをつまみあげた。
「ああ、ごめんなさい。セフィーロにこんなものはないですね」
ドアの端に付いたパネルの溝へ、カードをスラッシュして見せる。
自動でスライドドアが開いたのを見て、彼は少しだけ目を大きくした。
「……魔法か」
ぽつりと呟いたのが耳に入り、思わずふき出してしまった。魔法だったらどんなにいいことか。
この男は、オートザムでは小さな子供でも知っているようなことを知らない。カードキーの使い方も、……交渉の仕方も。
ランティスに何の脈絡もなく居住区への滞在許可を求められた時、イーグルは大いに困惑した。
今のところ、この国での彼の評価はすこぶる悪い。
未知の生物で領空侵犯し、威嚇射撃を完全に無視した上、本射撃を謎のバリアーでことごとく防御。無許可で領土に下り立った不法入国者。
初めて乗るはずのファイターメカで三連戦負けなし。オートザム最強のイーグル専用機FTOを破損させた男。
そんな危険人物を市民に近付けられるわけがない。
模擬戦程度でそれまでの盛大な不作法を不問に付した礼を言われるならまだしも、さらにあり得ない要求をされるとは、さすがに予想外だった。
何もなければこちらから軍への滞在を提案するつもりだったのに、口数の少ない男が狙ったように余計なことを言ったものである。しかも、それは見事にイーグルの琴線に触れてしまったのだ。
はじめは馬鹿にされているのかと思ったが、そうでないことは目を見てすぐに分かった。そうではなく、彼はただ、人と人が分かり合うために言葉は不要だと本気で信じているのだ。強い想いは真っ直ぐ進み、ダイレクトに相手へと届く。そんな魔法のような芸当を、彼はイーグルに対して懸命に実践していた。
実際、セフィーロではそれが当たり前なのだろう。
そう思うと、ちくりと胸が痛んだ。
オートザムは、セフィーロ、フィーレン、チゼータのどれとも違う共和制の国だ。国民一人一人が自由と責任のもと、自分の人生を歩んでいる。
この国では、成功をきわめればどこまでも昇り詰めることが出来る。ただし、代償はあった。
貧富の差もあれば、階層の差もある。どこに属しても何かしらの軋轢は免れず、また、いつ転落するとも知れない不安が付きまとう。
そして、自己責任による契約関係によって大きな社会を築いてきたオートザムの文化から見れば、ランティスのやり方は「交渉」とも言えないただの「お願い」だった。
ランティスが馬鹿がつくほどの正直者であることくらい、ちょっと話しただけで分かる。しかし、個人の直感は誰しもを納得させる材料にはならない。何万もの市民や会議好きの上層部を説得するには、相対的なデータが必要なのだ。
ランティスにそれを説明するのは、機械に人間の心を教えるのと同じくらい困難なことに思えた。
少年のように純粋で真っ直ぐな心。セフィーロの空と同じ澄み渡った青色の瞳。
この国に無いものを、彼はたくさん持っている。向き合っていると、進展のない会議や国内紛争の鎮圧に追われて毎日を過ごす自らの愚かさを責められているようで辛かった。
一時はセフィーロの文化に触れられる、またとないチャンスをふいにしようかと考えたくらいだ。
だが、ランティスは歩み寄る努力をしてくれた。
オートザムの文化に合わせようと、頑張ってくれたことが何より嬉しかった。
彼がこの国の何にそこまで執着しているのかは分からない。しかしただの興味本位だったらとっくに痺れを切らして出て行っているだろう。
「何か」が彼を惹きつけている。
自国に憧れのセフィーロと並んで立てる「何か」があるらしい。そのことが、例えようもなく誇らしかった。
……オートザムを認めてくれたあなたと、もっと話をしてみたい。
それがイーグルの本心だった。
「中、入らないんですか?」
ランティスはドアの前から動こうとしない。
イーグルは何かおかしなところでもあるだろうかと、室内の設備をざっと見まわした。スタンダードな一人部屋で、豪華とは言えないが寝起きするには十分だ。それどころか、士官クラス専用のフロアにある部屋なのだから、普通よりもランクは高いはずである。
やはり快適さではセフィーロにかなわないか。
「あの、何か足りないものでも……」
「……お前の部屋に行く」
「え?」
また予想外の発言だった。ランティスの目は真剣そのものだ。セフィーロ人とは、皆こんな風に言葉少なに突っ走るのだろうか。
イーグルは、何と答えて良いものかしばし迷った。
あれだけ爆発的な精神エネルギーを使ったのだから、相当疲れているだろうに。精神疲労の蓄積は一番「良くない」のだ。今日は早く休んでもらいたいのだが……。
「……分からないことがある」
「さ、さっそくですか?」
ランティスは無言で頷き、イーグルの手を取った。さっき教えたばかりの握手の格好だ。
「……お前のことを知りたい」
「ぼくのことを……?」
光溢れる魔法の国からやって来た男が、たかが一軍人の何を知りたいと言うのだろう。
真意は読めないが、彼が「イーグル・ビジョン」と話すことを望んでくれているなら、これほどありがたいことはなかった。こちらがオートザムや自分について話すなら、セフィーロやランティス自身について質問しても全く不自然ではない。
「詮索」ではなく「会話」が出来るなんて、夢のようだった。
……すみません。純粋なあなたをいいように扱ってしまって。
小さな後ろめたさを覚えつつも、素晴らしいティータイムの予感に心が躍る。
美味しいお茶を煎れて、とっておきのお菓子を出さなければ。
「じゃあ、少しだけお話しましょうか」
イーグルが軽く微笑んで見せると、空色の目が優しげに細められた。
何もかもを突き抜け心へ直進してくるような柔らかい光。
眩しさに涙が出そうだった。
<了>
思わず、思ったままを口にしていた。
目の前の巨大な物体は、セフィーロの伝説の書に描かれていたその姿にあまりにも似ていたのだ。
人型をした鋼鉄の巨体。磨き上げられた滑らかな輪郭を光がなぞる。
「『マシン』だと?」
前を歩いていた案内役の男が、ランティスの呟きを聞きつけ肩越しに睨みつけてきた。
「俺たちの相棒をそこら辺のコーヒーメーカーみたいに呼ぶんじゃねぇ。
『ファイターメカ』だ。覚えとけ」
なぜか怒られた。
今しがたオートザムに着いたばかりのランティスには聞いたことのない単語が多く、何のことだかさっぱりだ。 恐らく勘違いが発端なのだが、上手く正す言葉も見つからない。
こういう時、困惑が表情に出ないランティスはさらなる誤解を招きやすい。それでもセフィーロでは特に支障なく暮らしてきたのだが……。
「虫の好かん奴だぜ。
オラ、コックピットは胸部だ。もたもたするな! ついて来い!」
また怒られた。
ほんの少し『ファイターメカ』の曲線美に見入る時間すら許されていないのか。
ジェオ・メトロと名乗った彼は、出会ってからこっち常にこんな調子だ。乱暴な言葉遣いで命令ばかりしてくる。
彼に限らず、オートザムに着いてから接触した人々の対応は、皆似たようなものだった。 常に張り詰めた空気をまとい、声を張り上げ、荒々しい言葉を投げる。わき目も振らず、何かに追い立てられるように忙しく歩く。
セフィーロでは、まず出会わない人種だ。
ジェオは、ランティスをファイターメカのコックピットに押し込むと、バンド状の「何か」を投げてよこした。
「汎用タイプのヘッドセットだ。着けろ」
「……どうやって」
いくら睨まれても、分からないものは分からない。
ジェオは大きくため息をつくと、コックピットへ通じる桟橋からこちらへ乗り移って、てきぱきとセッティングを始めた。 大きな体を窮屈そうに丸め、座席に固定されたランティスの周りでこまごまと動き回る。終始無言の彼には「ここはこうして……」などと丁寧に説明する気は一切なさそうだ。
……オートザムには「教える」「手ほどきする」という文化がないのか?
セフィーロでのやり方とは随分違う。ランティスは誤った発見に驚いた。
すっかり配線にがんじがらめにされ、さすがに不安になってきた頃、ジェオがやっと口を開いた。
「お前、まさかここがあいつの管轄だって知ってて侵犯したんじゃねぇだろうな」
逃がさん、とばかりに真正面から見据えられる。
煮詰めたような深い飴色の目。意志の強さと、意外にも「あたたかさ」が感じられる眼差しだった。これは、誰かを守る騎士の目だ。曇りのない瞳に、警戒心がいくぶんか和らいだ。
しかし、彼の言う「あいつ」とは誰のことか。シンパンとはどんな行為を指すのか。やはり説明が不十分だ。
ランティスはオートザムに下り立とうと手近な地表を目指しただけだった。そこを、攻撃され捕らえられ責められ命令され……事情を説明しようにも、彼らはちっとも聴き入れてくれない。今のところ命に関わるような仕打ちは受けていないので、とりあえず大人しくしているのだ。
「……俺はただの旅行者だ」
「ったく。お気楽な野郎だな。
普通だったら、裁判を開いてもらえたかどうかも怪しいってのに」
「……サイバン?」
「あー、もういい!
とにかく、寛大な措置をとって下さったコマンダーに感謝しろ!
領空侵犯に不法入国。本来は模擬戦程度で済むことじゃねぇんだ。
……これでまた上から目ぇつけられちまうなぁ……」
顔をそむけて呟かれた最後の一言は、小さすぎてランティスには聞き取れなかった。
ジェオはセッティングを終えると、簡単な操縦方法を説明し始めた。起動と、緊急離脱、そして……
「ファイターメカは思考で動かす。感覚は体で覚えろ」
肝心なところはあまりに簡単で、もはや説明ではなかった。しかし今回はランティスにも納得がいく。剣術もまた、体を動かしながら、時には痛い思いをして身につけていくものだ。「胸を借りる」という言葉はセフィーロにもある。
それに、ジェオはこれから行われることを先ほどから「模擬戦」と呼んでいる。「模擬」と言うからには、操縦方法を指南する稽古のようなものなのだろうとランティスは理解していた。
ファイターメカの正常起動を確認したジェオは、軽い身のこなしで桟橋に戻った。
そして、にわかに姿勢を正し腕を後ろで組むと、 「復唱ー!!」と、高い天井を突き抜けるような大声を張りあげた。
「精神エネルギーは無限ではない!! 命に直結するものである!!」
無機質な空間にわんわんと反響するジェオの声。
あんまり唐突だったもので、ランティスは驚いて目を丸くした。
「この基地のしきたりだ。よそ者にも従ってもらう」
そして再度、大声で繰り返される文言。ランティスは訳も分からず言われるままに復唱した。「声が小さい!」と指摘され、結局計三回唱える羽目になった。
「精神エネルギーの使い過ぎは体の酷使と同じだからな。
たんまり揉まれるだろうが、むきになって無理をするなよ」
そう言ってジェオはにやりと笑った。
ずっと渋い顔ばかりしていた男が、ここに来てなぜ笑顔を見せたのか。
オートザム人の感情表現についての考察は、待ち構えていた手厚い洗礼によって打ち切りを余儀なくされた。
* * *
控え室に戻るなり、ランティスは慣れないヘッドセットをむしり取った。
中央の長椅子に腰を下ろし大きく息をつく。
薄暗い室内。四方の壁面にはびっしりとロッカーが並んでいる。この窮屈な空間に、時にはロッカーの数と同じだけの人数が詰め込まれることになるのかと思うとぞっとする。
植物の粛々とした息吹や涼やかな水のせせらぎが恋しかった。生命から隔離された息苦しさに、疲労感がさらに増す。
……何なんだ、この国は。
ランティスはぐったりとうなだれて、溜息をついた。
模擬戦への参加が入国の条件だったとは言え、ファイターメカ初搭乗の人間にいきなり三連戦を仕掛けてくるとは想定外だった。
確かに「どんな条件でものむか」と聞かれ首を縦に振ったのは自分だ。その心構えに嘘偽りはなかった。
しかし、だからと言って実際にここまで勝手放題扱われるなんて……経験上、考えてもみなかったのだ。
相手も「戦士」。
どんな事情があろうと、気高き戦士どうしであればお互いを不当には扱わない。そんなセフィーロでの常識はここでは一切通用しなかった。
ランティスは入国わずか数時間にして、オートザムがよそ者に容赦のない国であることを体に叩き込まれてしまったのである。
「模擬戦」は初心者への配慮などまるでない本気の戦闘だった。
一応はランクの低い者から順にぶつけてきたようだが、こちらはずぶの素人なのだ。オートザムの軍人が相手である時点で圧倒的に不利である。
特に、最後に戦った白い機体。
それまでの相手とは明らかに格が違っていた。
スピード、機動力、多彩な攻撃。ファイターメカの特性を生かした、セフィーロにはない戦い方が特徴的だった。
先の二戦で操縦の基礎を身につけていなければボロ負けしていたことだろう。
かろうじて引き分けに持ち込むことが出来たが、おかげで全身がだるくて仕方ない。意識さえ朦朧とするひどい倦怠感。体が鉛のように重く、指一本動かすことすら億劫だ。
……これが「精神エネルギーの使いすぎ」か。
ランティスはジェオとの復唱合戦を思い出していた。
『精神エネルギーは無限ではない!! 命に直結するものである!!』
……だったら、細かい加減の仕方も教えるのが筋だ。
クレフの指導には一度も文句を言ったことがないランティスだが、この仕打ちには心の中で不服を唱えずにはいられなかった。
不服と言えば、この部屋までランティスを案内してきた若い軍人の対応もそうだ。
『今後については現在審議中だ。ここで大人しく待っていろ』
『……審議中? 言う通り模擬戦に参加したんだ。今度はこちらの希望を……』
『何が<希望>だ、この不法入国者が! ぶち込まれないだけ有り難く思え!
コマンダーのFTOをあんなにしやがって……クソッ!』
何やら私情も含まれているらしく、ジェオとは違いあからさまに攻撃的だった。
確かに「入国のためならば」どんな条件でものむ、と承諾したが……希望の確認すらとらないとは。やはり到底納得いかない。
これだけ骨を折ったのだ、何としてでも居住区に滞在してやろう。
今までにない、じりじりとこみ上げる闘志がランティスの中に芽生えていた。
オートザムの人々が悪人でないことは何となく分かる。
さきほどの軍人も、いささか八つ当たり気味ではあったが立派な戦士の目をしていた。模擬戦で戦った中に「コマンダー」という名の大切な相手がいたのだろう。ジェオもその人物の名を口にしていたから、この国の要人かもしれない。
大事なものが傷つけられて怒る気持ちには、ランティスだって共感できる。
しかし、彼らとはどこか根底が決定的にずれているのだ。疲労の原因は、精神エネルギーの使い過ぎだけでなく、きっと気疲れにもある。
それでも、ランティスにはこの国への滞在を諦められない理由があった。
セフィーロの柱制度は間違っている。ならば他国はどのような方法でどのような道を歩んでいるのか。
一つでも多くの異国文化を実際に見て学びたかった。
それが、例え外から見ただけで崩壊が窺える破滅の国であっても。
「……」
部屋の前に何者かが立ち止まった気配を感じて、ランティスは扉を睨みつけた。
今のところ、この国の人間に気を許せる見込みはない。これ以上つけ込まれたのでは、こちらの身がもたなかった。
コン、コン
少しして、丁寧なノックの音が二回、無機質な室内に響いた。
「入ってもよろしいでしょうか?」
続いて扉の向こうから聞こえてきたのは、若い男の声だ。言葉遣いに合った穏やかなテノール。気を探ってみても、負の波紋は愚か攻撃性の欠片も感じ取れない。
ランティスは拍子抜けして警戒心を解いた。椅子から浮かせてかけていた腰をもとの長椅子の上に落ち着ける。正直、立ち上がることすら辛いのだ。
「……かまわない」
返事を待ってか待たずか、間髪を入れずにスライドドアが開く。
廊下からの明るい光を背に現れたのは、これもまた声の通りの優男だった。
亜麻色の髪に日色の瞳。
身長はランティスほどではないものの、そこそこ高い。体格は細身……に見える。他の軍人たちの軍服姿とは違い、丈の長い羽織りもので肩から足首までをすっかり覆っているため、確実なところは分からなかった。
「こんにちは」
男はランティスと目が合った瞬間、にっこり微笑んだ。まるで緊張感のない呑気な声だった。
「……」
ランティスは無言で彼の要件を待った。相手の穏やかな態度に甘えて、座ったまま顔だけ彼に向けた体勢だ。
「あれ? セフィーロにはあいさつの習慣はありませんか?」
男はきょとんとして小首をかしげた。
本気で言っているのか、お見通しの上の白々しさなのか。
心理を測りかねている間に、コツコツと硬い床を叩く小気味よい靴音が響き、気付けばすぐそばまで接近されていた。
目の前で、ゆったりとした羽織りがふわりと揺れる。その背後でスライドドアが自動的に閉まり、室内に薄暗さと息苦しさが戻った。
この男の気配は、今のところ実に人畜無害だ。ランティスには、相手にほんの少しでも邪気があればこんなに簡単には近付かせない絶対の自信があった。
「こんにちは?」
変わらぬ笑顔で同じ言葉を繰り返した男を、ランティスは長椅子に座ったまま無言で見上げた。
散歩先で出会った動物にでも話しかけているかのような邪気のなさ。見下ろす目線も柔和そのものだ。
根負けしたランティスが軽く目礼すると、男はちょっと驚いた表情を見せた。そして、「真面目な方なんですね」と目を細める。
試されたのだと分かっても、不思議と悪い気はしなかった。
「イーグル・ビジョンです」
イーグルと呼んで下さい、と彼は微笑んだ。
姓と名を持つ文化を知らないランティスには、それが親愛の表現なのか、威圧の表現なのか分からなかった。しかし彼の佇まいから察するに、親しみを込めて呼んでほしいという意味だろうと見当をつける。
「……セフィーロの魔法剣士ランティス」
「ええ、知ってますよ。先ほどはどうも」
イーグルはランティスの隣に腰を下ろした。距離がやけに近く感じる。狭い空間に大人数が集うオートザム軍人の距離感は、ランティスにとって「密接」も同じだった。
「セフィーロの方にお会いするのは初めてです」
彼は感嘆の声を上げながら、肩が触れ合いそうな至近距離からランティスの体を興味深げに眺めまわした。
そしてふと視線を上げ目と目が合うと、今度は空色の瞳に心を奪われた様子で、更に顔を近付けしげしげと見つめる。
ほんの少し低い位置から見上げてくる琥珀色の双眼。チゼータで出会った野生の猛禽のような、美しく力強い不思議な瞳だった。
ランティスはイーグルの奔放で無頓着な行動に、相手を翻弄するオートザムらしさの片りんを見ていた。
しかし、他の軍人に対して抱くような警戒心は伴わない。
彼は「対話」を望んでいる。身にまとった柔らかい雰囲気が、友好のメッセージとして心に届いていた。
「……先ほど……?」
ランティスの疑問の声で我に返ったのか、イーグルははっとして顔を離した。
「ああ、すみません。最後にお相手いただいた機体のパイロットです」
「……!?」
先ほどはどうも、と重ねて言うイーグルに、ランティスは驚きを隠せなかった。
最後と言えばあの段違いに強かった白い機体だ。
どんな百戦錬磨の猛者が乗っていたものかと思っていたら、こんな緊張感のない優男がそうだと言うのか。
いかにも戦慣れした貫禄たっぷりの「アレ」と、今、目の前にいる「コレ」はどうにも結びつきがたい。
あの白い機体は、死や苦痛への恐怖が具現化した魔物の気配すら漂わせていた。目の色と同じ陽だまりのような気配を持つ彼が操っていただなんて、にわかには信じられなかった。
頭の中は動揺していても、ランティスの表情はいつものむっつり顔だ。
クレフや兄のザガートならまだしも、初対面のイーグルにそれを読み取れるはずはなかった。
「良い勉強をさせてもらいました」
「……ああ」
生返事を返すのがやっとであることにも、気付かれた様子はない。
「第一試合の彼だって、昨日今日パイロットになったわけじゃないんですよ?
それに全くの初心者のあなたが勝ってしまうなんて。本当に素晴らしい戦闘感覚です!
平和な国でも戦士は育つんですね」
饒舌さと興奮した様子から、彼が戦いを楽しめる種類の人間であることが分かる。あの白い機体のパイロットであるというのも嘘ではなさそうだ。純粋に技術を磨く目的もあったのだろう。しかし、獲物を討ち倒し自分の優位を示そうとする殺伐としたあの気配は、忘れようにも忘れられない。
草原に吹くそよ風のように穏やかなこの男が? それはつまり、本性を隠しているということだろうか。
セフィーロでは裏表があることは悪と見なされる。相手を騙すのと同じことだからだ。本心をありのままに伝える勇気こそ善。そしてセフィーロの民たちは皆、善なる人々である。
そもそも何不自由なく満たされたあの国では、隠すような本性を持った人間などほとんどいないのだ。
そう、「ほとんど」。
……エメロード姫……。
例外として咄嗟に浮かんでしまった彼女の姿に、ランティスはうろたえた。
彼女は柱としての務めとザガートを愛する本当の心の間で苦悩しながらも、人前では常に笑みを絶やさない。きっと、運命を呪う気持ちもあるだろうに、それでも手を握られれば伝わってくるのは愛情ばかりだった。
その心は悪か。
自分の中の矛盾に気付いてしまうと、イーグルの微笑みは、善悪のあり方を問いかけるもののように感じられた。
「……あの。……大丈夫、ですか?」
イーグルが不意に笑顔を引っ込めてしまったので、ランティスは心を読まれたのかと思いぎくりとした。
しかしそんな訳はなく、彼は心配そうにランティスの顔を覗き込んでいる。
真摯な眼差しに、心を掴まれる。これが「偽物」だなんて、到底考えられない。
「いえ、……ずいぶん無茶な精神エネルギーの使い方をしていたようなので。
かなり堪えてるんじゃないですか」
彼はランティスの頬にそっと手をかざした。触れそうで触れない掌から、労りが伝わってくる。
大丈夫な訳がないことは、彼も重々承知の上なのだ。
何せ件の試合は、イーグル機の破損とランティス機の精神エネルギー不足によって引き分け判定になったのだから。
基本は速攻。長期戦ならば、スピードで陽動・挑発を仕掛け、一瞬の隙を見て大胆に斬り込む。それがイーグルの戦法だ。ランティスは次々と襲い来る速攻を何とかかわしきり、後者のスタイルを引きずり出した。
セフィーロにも相手のミスを誘う戦い方はあるが、あくまで戦士の基本は正々堂々だ。状況を見て使う程度のもので、メインで用いることはない。近づいては遠ざかり、斬り込めば間合いを取られ……なんてねちっこくいやらしい戦い方なのかと、純粋な驚きさえ覚えたくらいである。
対するランティスはまだまだファイターメカの機能を使いこなしきれていない初心者だ。連戦の疲れもあり、戦闘が長引くほど状況が不利になるのは明らかだった。
考えている暇はない。
ランティスは直感で賭けに出た。
全精神力を注いで静止状態から一瞬で最大速度まで加速。一気に距離を詰め最大出力のビームサーベルで切りつけた。イーグル機も咄嗟に回避行動を取ったが、避けきれず片翼が大破。エネルギー伝達回路も30パーセント近くの損傷を負った。
一方のランティス機は、急激に膨大な精神エネルギーを消費した反動でパイロットの方がエンスト状態となってしまった。頭が霞みがかり、機体を動かすための思考が紡げなくなってしまったのだ。
イーグル機はまだかろうじて動ける状態だったが、模擬戦は殺し合いではない。
試合内容から、結果的には引き分けの判定が下された。
つまり大丈夫かどうかと聞かれれば、あまり大丈夫ではないのだが、
「……ほとんど回復した」
ランティスはちょっと強がってそう答えた。何となく、これ以上イーグルを心配させたくないと思ってしまったのだ。
「本当に?」
「……? ああ。少しだるい程度だ」
「眠気は?」
なおも詰め寄るイーグルの表情はとても不安げだ。今にもハの字を描きそうな眉。ついさっきまでにこにこしていた人間にそんな顔をされると、なんだかかわいそうなことをしたような気がしてくる。
どうやら自分で思っているよりもずっと危険な戦い方をしていたらしい。
もとを正せば、そんな無茶をさせたのは他でもないイーグルたちオートザム軍人なのだが……この国に来てから荒んだ国民性ばかりが目についていたランティスには、心から心配してくれる彼の気持ちが素直に嬉しかった。
眠気はある。しかし疲れに比例した健全な睡眠欲のレベルであって、今にも瞼が落ちて来そうなほどの酷いものではない。
それを伝えると、イーグルはやっと安心した様子だった。ランティスもまた、彼の不安を晴らせたことに無意識に安心していた。
「軍舎に個室を用意させますから、今日はゆっくり休んで下さいね」
とりあえず一泊は約束されたようだ。
……「用意させます」か。
口振りからも、外見の印象に反してかなり地位の高い人物らしいことが分かってきた。
だとすれば、このイーグル・ビジョンという軍人は、それなりの権力を持ち、しかも話の通じる貴重な存在だ。
ランティスは、この国で自分を助けてくれる人間は彼以外にいないだろうと判断した。
そして、それが甘い考えだとも知らず直球勝負をしかけたのだ。
「……居住区への滞在許可を貰いたい」
単刀直入な願いを聞いたイーグルは、ぽかんとして目をしばたいた。
まるでランティスの言葉そのものが理解できていないかのような反応だ。
「……色々な国を旅してまわっている。この国へも、戦士としてではなく旅行者として来た。
戦うからには本気を出させてもらったが、争うつもりは一切ない」
ランティスはどこがどう通じなかったのか分からず、とりあえず一生懸命に事情を説明した。イーグルなら分かってくれるだろうと信じていた。
しかし、いっこうに良い返事は返ってこない。それどころか雲行きはみるみるあやしくなっていく。
イーグルの表情は目に見えて硬くなり、ついには無言で目をそらされてしまった。彼は静かに拳一つ分体を離し、壁面に並んだロッカーを見つめた。
気まずい沈黙。
やがて、イーグルはランティスに向き直って口を開いた。
「そこに、我々の利益はありますか?」
問いかける彼の顔は笑っていなかった。
かと言って攻撃的な風もなく、瞳は純粋に答を模索する澄んだ光を宿していた。
「……利益?」
「素性も知れない異国の人間を市民に近づけるという、危険を犯すに値するだけの、利益です」
ランティスは自分の人間性が疑われているのだと気付き、少なからずショックを受けた。剣を交わし、言葉を交わした者と分かり合えないことなど、今までに一度としてなかったのだ。
いや、それ以前に「イーグルに疑われている」ということ自体が一番のショックだった。こんなに近くにいて、短い時間とは言え語り合い、さっきは熱心に体の心配までしてくれた彼が。信じてくれない。予期せぬ裏切りに遭ったような衝撃だった。
「……この国の文化を知りたいだけだ。問題は起こさないと誓う」
「確証は」
鋭い切り返しは、まぎれもないオートザム人のそれだった。
約束を違えたことも、戦士の道に背いたこともない。その自らの誇りにかけて誓うのだ。
まっすぐ目を見て心からそう伝えても、
「ただの口約束を……どう信じろと言うんです」
同じ言語を使っているのに、話が全く通じない。
イーグルもまた、会話が噛み合っていないことに苛立ちを感じているらしい。難しい魔道書に向き合うような苦い顔つきでランティスの出方をうかがっている。
……これ以上、どうしろと言うんだ。
ランティスはとうとう頭を抱えてしまった。
あんなに友好的だったイーグルが、急に否定的なことばかり言うようになった理由がどうしてもわからない。
セフィーロでは、強く思えば自ずと伝わるのが常だった。
全ての人が、一つの心によって支えられた、平穏な秩序の世界で生きているのだ。
例え初対面の相手でも、大きな存在に愛されている者同士の温かい絆が、言葉よりも先に心を繋いだ。
毎日を誠実に過ごしていれば、見つめ合うだけで後ろめたさのない澄んだ心が伝わり、信頼を得られる。
オートザムのコミュニケーションはまるで正反対だ。
言葉に頼った表面的な交流は、「ぶつかり合い」も同じだった。優先されるのは心の共鳴よりも、個人の感情。優しくするのも冷たくするのも本人のさじ加減ひとつ。
要は自分勝手なのだ。イーグルでさえ、こうして目まぐるしく態度と表情を変えてランティスを翻弄する。
それでいて、少なくとも今までに会った軍人には誰一人として悪意を持った者はいない。それがいっそう理解しがたいのだ。
ジェオ・メトロのあたたかい騎士の目を思い出す。「コマンダー」を慕っていた男の心地よい怒りを思い出す。
そして、イーグルの穏やかな笑顔と無邪気な仕草を思い出す。
しかし彼らは、こちらの偽りない言い分に耳を貸さない分からずやであり、不平等で一方的な戦いを仕掛けてきた卑怯者なのだ。
この国では、何か大きな「力」が、人々を複雑に屈折させている。ランティスにはそう思えてならなかった。
それこそセフィーロの柱制度のような、世界の理を担う「力」。
人間を追い立て、心を縛り、純粋な姿を失わせる。
きっとオートザムの人々は、その「力」に、心と心を通わせる能力を奪われてしまっているのだ。
だからこうして、言葉で手探りしなければならない。すれ違いや誤解の危険にさらされながら。
なぜ彼らはこんな状況に甘んじているのか。解放を求めて戦うつもりはないのか。
それとも……セフィーロの柱制度のように、犠牲から生まれる何かがあるのだろうか。
様々な疑問が頭を巡る。
しかし、ランティスにとって今一番不思議なのは、他でもない、そんなイーグルやオートザムの人々にますます魅力を感じている自分自身だった。
「セフィーロは……本当に平和で素晴らしい国なんですね」
気まずい静寂を破ったのは、イーグルの小さな呟きだった。視線は暗い床に落とされている。自らの傷を見つめるような弱々しい笑みに胸が痛んだ。
幾重にも屈折させられた「歪んだ心」がこんなに輝いて見える。何を思いどんな感情を抱いているのか、不確実であることが彼を彩っていた。
「……イーグル」
「はい」
イーグルは反射的に顔を上げ、哀しげな目をランティスに向けた。
咄嗟に名前を呼んだのは、彼の儚げな笑みに彼女を重ねて見てしまったからだった。
苦しさをそのまま伝える術を持たない人の、祈りのような表情。
ザガートと出会ってからの、エメロード姫の笑顔にそっくりだった。
「……居住区が無理なら、軍で使え」
「え?」
「……ファイターとしてでも、雑用でも……出来る限り働く」
ランティスは、生まれて初めて自らの願いを「妥協」した。
オートザムに留まるために、目の前の男にこうも心惹かれる理由を知るために、……ずっとひたすらに貫いてきた道を曲げた。
その国の文化を知るためには、居住区で市民に混ざって暮らすのが一番だ。しかし正面突破でそれを果たすには、イーグルを含め全ての軍人を片っ端から倒し強行するしかなさそうである。もし成功したとしても、長くは滞在できないだろう。
そんな短時間では、このオートザムを操る「力」の正体は掴めそうもない。
だったら、少しくらい折れたっていい。そうするだけの「価値」が、曲がった道の先にあるように思えた。
軍に身を置けばまたイーグルやジェオと話せる機会があるかもしれない、という打算も僅かに含まれている。
イーグルの目が、瞬きのたび、徐々に輝きを取り戻していくのが分かった。それだけでも自分の選んだ答えが正解であったと思えてくる。
「何でもする、じゃないんですか?」
揺らぎない瞳は、朝焼けを受ける「真実の泉」の水面を彷彿とさせる。もしも彼がセフィーロの人間であったら、恐ろしく強大な魔法を授かるのではないかとランティスは思った。
「……それでは……前に進めない」
曖昧な「契約」がろくな結果をもたらさないことは、すでに学習済みだった。そして、この国では「譲り過ぎ」も「欲張り過ぎ」と同じくらいに愚かなのだ。
……こちらも要求を譲ったんだ。下手に出過ぎることはない。
これから解明していくべき「力」の領域に片足を突っ込んでしまっていることに、ランティスはまだ気付いていない。
答えを聞いたイーグルは、目を閉じてゆっくりと考えを巡らせてから、ふわりと表情を和らげた。
ランティスの拙いながらも精一杯の「交渉」を感じとったらしい。
「本当は、ぼくもあなたからセフィーロの話を色々聞きたいと思っていたんですよ」
彼は種明かしでもするように、ランティスが見落としていた手札を指摘し悪戯っぽく笑った。
思い返せば、初めて見るセフィーロ人を観察する彼の目はきらきらと好奇心に輝いていた。それが取リ引きの材料になることに気付かなかった時点でランティスの負けだったのだ。やはり、まだまだオートザムの空気には馴染めそうもない。
とは言えイーグルに笑顔が戻ったのだから一先ず安心だ。
……認められた……のか。
ほっとすると同時に、どっと疲れが押し寄せてくる。ランティスはぐったりと脱力した。ファイターメカでの模擬戦以上に、精神のすり減るやり取りだった。
その様子を見てくすくすと可笑しそうに笑う隣人の温かさに癒される。
「お互いのために」
おもむろに、イーグルが右手を差し出した。
「……?」
「握手です。心の繋がりを確認する行為……かな? 特にこういう場合は。
セフィーロにはありませんか」
無言で頷くと、イーグルは腕を伸ばして膝の上にあったランティスの左手を取った。
そのままぎゅっと力強く握られる。
「よろしくお願いします、ランティス」
結ばれた手のひらは、ランティスのそれよりもちょっと小さく滑らかで、ひなたの大地のようにじんわりと温かかった。
* * *
結局、誰もかれもセフィーロからの旅人に興味津津なのだ。
ぐだぐだと身のない話し合いを続けていたところへイーグルが軽く口添えしただけで、ランティスの傭兵登録はあっさり決定された。
『責任はぼくがとります』
イーグルはこの切り札を出した時の周りの反応をいつも密かに楽しんでいた。
たった一言がこれほどの力を持つまでには長い時間がかかった。いざという時に、わがままを貫き通すための武器。乱用はしない。が、切れ味を見るのはそれなりに楽しい。
あとでジェオに怒られるのも、楽しみの一つだった。
「とりあえずこの部屋を使って下さい。
向こうの突き当たりがぼくの部屋ですから、分からないことがあったら遠慮なく訪ねて来て下さいね」
真っ直ぐに伸びた廊下の先を指すと、ランティスは黙ってこっくり頷いた。
ジェオだったら「しゃっきり返事をしろ!」と怒鳴っているところだろう。彼は新人教育には厳しい男なのだ。真剣に叱ってくれる彼のことを慕う人間は、他の基地にも沢山いる。
「これがルームキーです」
カードキーを手渡すと、ランティスは不思議そうにそれをつまみあげた。
「ああ、ごめんなさい。セフィーロにこんなものはないですね」
ドアの端に付いたパネルの溝へ、カードをスラッシュして見せる。
自動でスライドドアが開いたのを見て、彼は少しだけ目を大きくした。
「……魔法か」
ぽつりと呟いたのが耳に入り、思わずふき出してしまった。魔法だったらどんなにいいことか。
この男は、オートザムでは小さな子供でも知っているようなことを知らない。カードキーの使い方も、……交渉の仕方も。
ランティスに何の脈絡もなく居住区への滞在許可を求められた時、イーグルは大いに困惑した。
今のところ、この国での彼の評価はすこぶる悪い。
未知の生物で領空侵犯し、威嚇射撃を完全に無視した上、本射撃を謎のバリアーでことごとく防御。無許可で領土に下り立った不法入国者。
初めて乗るはずのファイターメカで三連戦負けなし。オートザム最強のイーグル専用機FTOを破損させた男。
そんな危険人物を市民に近付けられるわけがない。
模擬戦程度でそれまでの盛大な不作法を不問に付した礼を言われるならまだしも、さらにあり得ない要求をされるとは、さすがに予想外だった。
何もなければこちらから軍への滞在を提案するつもりだったのに、口数の少ない男が狙ったように余計なことを言ったものである。しかも、それは見事にイーグルの琴線に触れてしまったのだ。
はじめは馬鹿にされているのかと思ったが、そうでないことは目を見てすぐに分かった。そうではなく、彼はただ、人と人が分かり合うために言葉は不要だと本気で信じているのだ。強い想いは真っ直ぐ進み、ダイレクトに相手へと届く。そんな魔法のような芸当を、彼はイーグルに対して懸命に実践していた。
実際、セフィーロではそれが当たり前なのだろう。
そう思うと、ちくりと胸が痛んだ。
オートザムは、セフィーロ、フィーレン、チゼータのどれとも違う共和制の国だ。国民一人一人が自由と責任のもと、自分の人生を歩んでいる。
この国では、成功をきわめればどこまでも昇り詰めることが出来る。ただし、代償はあった。
貧富の差もあれば、階層の差もある。どこに属しても何かしらの軋轢は免れず、また、いつ転落するとも知れない不安が付きまとう。
そして、自己責任による契約関係によって大きな社会を築いてきたオートザムの文化から見れば、ランティスのやり方は「交渉」とも言えないただの「お願い」だった。
ランティスが馬鹿がつくほどの正直者であることくらい、ちょっと話しただけで分かる。しかし、個人の直感は誰しもを納得させる材料にはならない。何万もの市民や会議好きの上層部を説得するには、相対的なデータが必要なのだ。
ランティスにそれを説明するのは、機械に人間の心を教えるのと同じくらい困難なことに思えた。
少年のように純粋で真っ直ぐな心。セフィーロの空と同じ澄み渡った青色の瞳。
この国に無いものを、彼はたくさん持っている。向き合っていると、進展のない会議や国内紛争の鎮圧に追われて毎日を過ごす自らの愚かさを責められているようで辛かった。
一時はセフィーロの文化に触れられる、またとないチャンスをふいにしようかと考えたくらいだ。
だが、ランティスは歩み寄る努力をしてくれた。
オートザムの文化に合わせようと、頑張ってくれたことが何より嬉しかった。
彼がこの国の何にそこまで執着しているのかは分からない。しかしただの興味本位だったらとっくに痺れを切らして出て行っているだろう。
「何か」が彼を惹きつけている。
自国に憧れのセフィーロと並んで立てる「何か」があるらしい。そのことが、例えようもなく誇らしかった。
……オートザムを認めてくれたあなたと、もっと話をしてみたい。
それがイーグルの本心だった。
「中、入らないんですか?」
ランティスはドアの前から動こうとしない。
イーグルは何かおかしなところでもあるだろうかと、室内の設備をざっと見まわした。スタンダードな一人部屋で、豪華とは言えないが寝起きするには十分だ。それどころか、士官クラス専用のフロアにある部屋なのだから、普通よりもランクは高いはずである。
やはり快適さではセフィーロにかなわないか。
「あの、何か足りないものでも……」
「……お前の部屋に行く」
「え?」
また予想外の発言だった。ランティスの目は真剣そのものだ。セフィーロ人とは、皆こんな風に言葉少なに突っ走るのだろうか。
イーグルは、何と答えて良いものかしばし迷った。
あれだけ爆発的な精神エネルギーを使ったのだから、相当疲れているだろうに。精神疲労の蓄積は一番「良くない」のだ。今日は早く休んでもらいたいのだが……。
「……分からないことがある」
「さ、さっそくですか?」
ランティスは無言で頷き、イーグルの手を取った。さっき教えたばかりの握手の格好だ。
「……お前のことを知りたい」
「ぼくのことを……?」
光溢れる魔法の国からやって来た男が、たかが一軍人の何を知りたいと言うのだろう。
真意は読めないが、彼が「イーグル・ビジョン」と話すことを望んでくれているなら、これほどありがたいことはなかった。こちらがオートザムや自分について話すなら、セフィーロやランティス自身について質問しても全く不自然ではない。
「詮索」ではなく「会話」が出来るなんて、夢のようだった。
……すみません。純粋なあなたをいいように扱ってしまって。
小さな後ろめたさを覚えつつも、素晴らしいティータイムの予感に心が躍る。
美味しいお茶を煎れて、とっておきのお菓子を出さなければ。
「じゃあ、少しだけお話しましょうか」
イーグルが軽く微笑んで見せると、空色の目が優しげに細められた。
何もかもを突き抜け心へ直進してくるような柔らかい光。
眩しさに涙が出そうだった。
<了>
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