シロツメクサの丘

ゆるやかな坂を登りきると、小高い丘の上で視界がひらける。ジェオはそこでいったん足を止め、大きく伸びをした。
いつ訪れても気持ちのいい場所だ。
斜面いっぱいに小さな白い花が咲き、風が吹くたびに緑と白のコントラストが波になってさざめく。

花にまぎれて仰向けに寝そべる彼を見つけて、ジェオは思わず顔をほころばせた。
歩み寄り、真上からその顔を覗きこむ。
「イーグル」
空を見上げていた蜜色の瞳が、嬉しそうに細められる。
「今、いいか?」
彼はわざと大げさにしぶるフリをしてから、ころりと表情を変えて「どうぞ」と笑顔で隣を示した。
「どーも」
なだらかな斜面に腰を下ろすと、イーグルは軽やかに体を起こす。
「よくここだと分かりましたね」
「お前が部屋にいない時はだいたいここだろ」
「お昼寝にちょうどいいんですよ」
「……寝てなかったけどな」
視線を送ると、イーグルは誤魔化すようににっこり微笑んだ。

やわらかな風が吹き、小花がさわさわと体を揺する。
この丘はかつてのセフィーロにはなかった場所だとランティスに聞いた。
誰かの強い想いが創った場所。深い後悔や哀しみが、こんなに可憐な花を咲かせるだろうか。
……つらいばっかりじゃないってのが、よけい厄介なんだよな。

ジェオは何も言わずそっとイーグルの肩を抱いた。
「……?」
小首を傾げながら見上げてくる彼の目をじっと見つめ返す。
「ぼくに会えなくて寂しかったですか?」
イーグルはからかうように言いながら、大人しくジェオの体にしなだれかかった。
「それもある」
くすくすと笑うのに合わせて伝わってくる小刻みな振動が愛おしい。

ここしばらく軍の仕事が立て込んでいて、なかなかセフィーロを訪れるタイミングがなかった。
会えなくて寂しかったのは本当だ。
だからこそたくさん考えた。
考えて、行動するだけの時間があった。

イーグルが眠りの病から目覚めてもう半年が経つ。
彼はまだ、この白い丘にひとりでいたいのかもしれないが。そうこうしているうちに過ぎていく時間と、見えない変化が怖かった。
立ち入らせてほしい。
二人で摂る食事が美味しく感じるのと同じように。分かち合うことができると、もしも許されるならその準備があると伝えたい。
ジェオはイーグルの肩を抱いたまま、反対の手で上着のポケットを探った。
2つのうち小さい方を拳の中に握り込む。

「イーグル。手、出してくれ」
「……?」
突然の申し出に戸惑うイーグルの目の前へ、ポケットから出した拳を示す。
緊張のあまりムードを気にする余裕がない。
入隊式の新人みたいな顔をしている自覚はあるものの、手が震えないようにするだけで精一杯だった。
「とりあえず受け取ってほしい」
「……えっと……はい」
勢いに圧され、イーグルはそろそろと手のひらを差し出した。
ジェオはその上に握り込んでいたものを置くと、重ねた手をそっと離した。

蜜色の瞳が大きく見開かれる。
それは純白の指輪だった。
装飾や石は一切ないシンプルなデザインのリング。平打ちのシャープな面に、艶やかな白の塗装が映える。
「……」
彼はしばらく神妙な顔つきで手のひらを見つめていた。
ジェオもすぐに返事が返ってくるとは思っていない。急かさないよう静かに成り行きを見守る。

やがてイーグルはリングをつまみ上げると、空に掲げて輪の中に青空をのぞいた。
「……分かってるんです」
小さなつぶやきに、ジェオは黙って視線を返した。
「あの状況で命を助けてもらって、これ以上望むことがあるはずない。頭では分かっていても、……なかなか整理がつかなくて」
誰にも打ち明けられなかったイーグルの気持ち。丘一面に咲く白い花の意味。
ジェオがそれに気付いたのはほんの一ヶ月ほど前だ。
戦友としてはもっと早く気付いてやりたかったところだが、仕方なかったとも思う。
命あっての物種だ。イーグルとまた、話したり触れ合ったりできる喜びが何ものにも勝った。悪気なく「そんなこと気にしなくていい」と一蹴したことさえある。

周りから「気に病むな」「命には代えられないだろう」と励まされれば励まされるほど、丘には白い花が咲き、恨む相手もなく。彼はこうして一人で弔う以外に術をなくしていったのだろう。

イーグルはリングを手のひらに戻すと、白く輝く曲面をなぞった。
「『彼』に対する責任ももちろんですが……それ以上に寂しいし……もう一緒に飛べないのが信じられないんです。
 繋がった時のあの真っ直ぐな感覚。まだ鮮明に思い出せます」
リングの塗装には、整備部門が残してくれていたものをそのまま使った。表面のコートや仕上げもファイターメカと同じだ。
アクセサリーとしては珍しい色艶も、イーグルにとっては手になじむ懐かしい感触だろう。

そよ風に白い花が揺れる。
この丘は、あの日『柱』の試練へと続く扉が開いた場所だ。
ここでイーグルは魔法騎士の少女たちに救い出され、……彼の一番の相棒だったFTOは異空間に消滅した。

「ずいぶん無茶ばかりさせました。
 ……この青空を彼と飛びたい。ジェオとザズと、皆で作り上げてきた、ぼくだけの……」
ジェオは声を詰まらせたイーグルの体を抱き寄せた。
「いいファイターメカだったよな」
「……最高のファイターメカでした! あんなに滑らかな急加速、彼にしかできません」
「ま、俺らからしたらアホみたいにデタラメな調整だったが」
「ぼくと通じていれば十分です」
「なんだよ、妬けるなぁ」
語る熱量に思わず苦笑する。
イーグルは「だって、ぼくのFTOですよ」と淋しげに微笑んだ。手放せない思い出に陽の色が滲む。
やはり仲間を弔うなら、思い出話が一番だ。

専用機を持つファイターは大きく2つのタイプに分かれる。
自分だけの相棒を恋人のように可愛がるタイプと、体の一部のように切り離せないものとして扱うタイプ。
イーグルはそのどちらでもあり……つまりはFTOを溺愛していた。
性能やデザインはもちろん、ゼロから築き上げてきた実績、メカニックの努力や試行錯誤、くぐり抜けてきた死地の数々、FTOから感じられるすべてが彼の気に入りだったのだ。

自分の身勝手で「愛する者」と「半身」を同時に喪った辛さ。罪悪感と、最後までついて来てくれたことへの感謝。身を挺して守ってくれたのかも知れない、というほんの一滴の希望。やり場のないたくさんの感情。
ジェオも同じ、専用機を持つファイターだ。気持ちが分かるからこそ、気付いてもすぐには口を挟めなかった

「ごめんな。おまえはひとりで向き合いたかったのかも知れんが……黙ってらんなかった」
正確には、考えれば考えるほど想いがつのり黙っていられなくなってしまった。
イーグルは十代半ばから軍に身を置いていて、しかも父親は国政のトップときている。国のために働くことが彼の人生の大部分を占めていたことは想像に難くない。
FTOはイーグルが辞退しなかった唯一の勲章だ。
生半可な気持ちで首を突っ込めるわけがない。
覚悟を問われ、出した答えがこれだった。

「いいえ。……正直、助かりました」
ジェオの隣で、するりと素直さを見せた横顔がはにかむ。
「ひとりで抱えて身動きが取れなくなってしまうのは、ぼくの悪癖ですね」
「お、自覚してんな。いい心がけだ」
「はい。だから……」
イーグルは迷いなくジェオに向けて左手の甲を差し出した。
「つけてもらっていいですか?」
右の手のひらにはリングを乗せて。
敬愛のキスを待つようなしなやかな指の並びに、ジェオは思わず息を呑んだ。

それは、つまり……。
野暮な質問を口にしかけて、思い留まった。
いつでも煌々と燃えていた彼の蜜色の瞳が、はじめて穏やかに凪いでいたからだ。
確信がゆっくりと胸を満たしていく。

イーグルの左手を取る。
自分でも驚くくらい落ち着いていた。

危なげなくリングをつまみ上げすらりとした薬指に通すと、彼は「ぴったりですね」と無邪気に笑った。


 ※ ※ ※


しばらくいろいろな角度から薬指のリングを観察していたイーグルだが、やがてしびれをきらせた様子でジェオに思わせぶりな視線をよこした。
「ジェオ。このままだとぼく、FTOと将来を誓ってしまいそうですが」
あってます? と含み笑いながら、脇腹を肘でつついてくる。
……反則だって、こんなの。
覚悟を決めたイーグルは最強だ。
最強にかわいくて、格好よくて、誰もかなわない。
「……んなわけねーだろ」
ジェオは観念して、上着のポケットから二回り大きい揃いのリングを取り出した。
「悪い。勝手に自分の分まで」
「そんなこと」
「だって、おまえの一部みたいなもんだろ。適当な扱いはできねぇよ」
「……真面目なんですから」
イーグルは照れ隠しのように目を伏せた。そしてジェオの手からリングを取り、あまりにも自分のそれとかけ離れた円の大きさに目を丸くする。

ぼくの親指よりも太いですね、と感心している彼に向けて、今度はジェオの方から左手の甲を差し出した。

「……ジェオ」
彼も野暮な質問はしなかった。
ふと風がやむ。
白い花たちがじっと見守る中、イーグルはジェオの大きな手を取り、躊躇なくリングを薬指に通した。
「ぼくとFTOのことを大事に考えてくださって……ありがとうございます」
出会った頃から何も変わらない。
正面から真っ直ぐ斬り込んでくる潔さに、閃光となって駆ける『彼ら』の姿が重なった。
イーグルの決めた道に、最後まで連れ添った真白。
恋のライバルとしてはなかなかに手強い相手だ。

……まあ、見ててくれよ。
ここからは俺が。
決意をこめて顔を寄せると、イーグルも自然と目を閉じた。

風が戻り、駆け昇るように丘を走った。


< 了 >


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