一周目 壱
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目が覚めると、そこは煉獄家の縁側だった。
何、してたんだっけ……。
ああそうだ、陽の光が気持ちが良くて眠っちゃったんだ。
起き上がったら、お腹の虫がくぅ、と小さく鳴いた。もうそんな時間か、お昼ご飯作らなきゃね。
今日はというか今日も、杏寿郎さんが好きなさつまいもを混ぜて炊いたご飯にする予定だ。
彼がこれを食べて嬉しそうにわっしょいわっしょい言う姿が大好きだ。
だが厨にはいれば、そこには先客がいた。千寿郎かな、と思ったが、そこにいたのは、
「あっお母さん!?お父さんにお兄ちゃんも!?
こんなところで何してるの?」
「何って、昼餉を作っているところに決まっているでしょう」
「煉獄家御当主様達に喜んでもらわなくてはな」
「そうそう、俺たちは奉公人なんだから」
ここにいる事はありえないはずの、私の産みの親や兄があくせくと昼食の準備をしていた。
奉公人という形で。
「ええ!?いや、あの、え。ほ、奉公人?
一家丸ごと奉公人……ってこと?」
「何今更なこと聞いてるんだ朝緋。
ま、お前は奉公人じゃなくて、杏寿郎坊ちゃんの許嫁だけどな!」
俺も鼻が高いぜ、などと笑い飛ばした父に、出来上がったお膳を持たされ、槇寿朗さんや瑠火さん、千寿郎の元へと運ぶように言われる。
いやあの、いくら鍛えてても三つまとめてとか無茶すぎないかな……できるからいいけど。
でも。私だけ、違うんだ。私があの人の許嫁……?どういうことだろう。
昔はそんなことも、夢に見た事はあった。けれどそれは夢のまた夢。もう捨てた過去のもの。
なのに許嫁。
どういうことだかわからないけれど、ここでは槇寿朗さんも瑠火さんも健在で、千寿郎も笑顔だった。
幸せなのはいいことだ。
この優しい世界に、家族も生きているってだけで十分だ。
ーー生きている?家族が、生きている?
そんなはずはーー。
確か私の家族はあの日に……うっ、いたっ!
なんだろう、頭が凄く痛い……。
思い出そうとしたら、頭が割れそうに痛んだ。
「どうした、具合が悪いのか?」
痛む頭を押さえていると、後ろから聞き覚えのある声がかけられた。
聞き間違えようも、見間違えようもない、杏寿郎さんが私の体を支えて立っていた。
「し、師範!?」
「む?師範とはなんだ。違うだろう!俺のことは杏寿郎と呼んでくれる約束だ!」
「えっああ……そう、でしたね」
許嫁で通っているのなら、家でまで師範と呼ぶのはおかしいかもしれない。
「どこか痛むようなら休むと良い」
そう言って連れ込まれた部屋は、かつて私が煉獄家で使っていた部屋だ。
だが、足りない。
あれが、ない。
ここには、私の青い炎の意匠と桜の羽織がかかっていたはず。
なのに、なぜこんな艶やかな着物がかけられているの?
刀は?刀掛けがあったはずの部分には、代わりにと鏡台が置かれていた。
肩に手を置かれ、無理やり座らされる。
後ろから耳に送られた言葉に、ひどく動揺した。
「朝緋、『それ』は探すな。
この世界に俺達を脅かす存在はいないのだ」
いない?
鬼がいないーー?
そんなまさか!
私はあの血が滲むような稽古を覚えている。
泣きながら竹刀を振るう日々。
風呂に入れば傷に湯が染みて、叫んだ夜。
完膚なきまでに叩きのめされて、初めて骨を折った痛み。
どんなに修行しても貴方の強さには届かない、無理なのだと感じた時の悔しさと憤り。
あれが夢で、これが現実だなんて事、あるわけがーー。
「ここに、俺の隣にいてくれ」
ふいに抱きしめられた。
後ろから杏寿郎さんの吐息が首を擽り、そのあたたかさが体に広がる。
幸福感が、全身を支配する。
懇願するような言葉は、彼の総意なだけではなく、私自身の願いであると悟った。
ああ、ああ……。
これは都合のいい夢なのだ。
私が、こうあったら嬉しいなと、そう思った夢だ。
もう少しこのままでいたい。このあたたかさを堪能していたい。
抱きしめた私の首筋に顔を埋めてくる。私を求めてやまないと、杏寿郎さんの熱く燃える唇が首に触れた……。
燃えるような熱い感情が伝わってくる。
愛しい。杏寿郎さんと、もっと一緒にいたい。愛しい……。
けれど、だめだ。
きっとこの艶やかな着物は、この『夢』の中で私が着る予定の、花嫁衣装。
私は、これを着ることはできない。
抱きしめてくる杏寿郎さんの後ろ。鏡台の中の自分が、「起きろ」と急かしている。
うん、わかってるよ。
本当はもっともっと、こうしていたい。元気な瑠火さんを、嬉しそうな槇寿朗さんを、笑顔の千寿郎を、幸せそうな家族を、そして目の前で私を愛おしそうに抱きしめる杏寿郎さんとこうしてたい。
ずっとここにいたい。
でも、もう起きないといけないね。
抱きしめてくるその腕に一度だけ手を重ね、だけど私はその腕を振り払った。
「どこへ行こうとしている」
「私は私のすべきことをするために戻るだけで、…………うぁッ」
振り払っただけではだめだった。
夢の中でも杏寿郎さんは杏寿郎さんなのか。力は強い。今度は押し倒されて逃げられないように拘束されてしまった。
あれよあれよの間に、着物の足の割れ目に膝を入れ、両の手を掴んで畳に縫い留めてくる。
鬼に対抗する時のあの目とよく似ている。
腹を空かせた獅子のようで、獲物を見つけた猛禽類のようで、その目からは太陽のような温かさよりもギラついた何かを感じ取れた。
畳が擦れて痛いけれど、それを申しても杏寿郎さんは決して離してくれなかった。
差し込まれた膝にグッと力が込められる。それはどこか情事を彷彿させる行いで。
この人は無理やり身体を暴いてでも、抵抗をやめさせる気なんだ。
そんなことをしたところで、私は変わらない。
これもまた、私の望みの一つだったことなのだと、自分の中で消化するだけだ。
「…………やめて、こんなの貴方じゃない」
「いや、俺だ。なあ、…………どこにも行くな」
「、離してください。起きて、鬼を斬らなければ……!」
「そんなこと必要ない!そんなもの斬っても君は何者にもなれない!何者にもなれない君を俺は行かせはしない!」
ああ、私の中の貴方は、まるで槇寿朗さんのようなことを言ったりもするのか。
「……ああ、抵抗しなくなったのか。
諦めてくれたなら良かった。こんな昼間から申し訳ないが…………優しくする。お前を大事にすると誓う」
杏寿郎さんはお前なんて言わない。けれど、言って欲しいと思ったことがある。瑠火さんが槇寿朗さんに愛おしそうな声で呼ばれているのを聞いた時だった。
おかげで一瞬、力を抜いて流されそうになった。無抵抗になりかけた。
だけれども鬼殺隊の概念のないこの中では、男女の力の差はあれど一般人であろう杏寿郎さんの拘束から逃れるのは、全力さえだせば意外と簡単だった。
未だに縄抜けこそ碌に習得できていないけれどね。
「ぐ……何故だ、朝緋…………!」
少々強引に抜け出して距離を取り立ち上がると、身に纏っていた女物の着物は何処へやら着なれた黒い隊服へと戻っていた。
かかっていた艶やかな着物も見慣れた私の羽織に戻ったため、手に取り急いで羽織る。
鏡台までもが消え、腰には慣れ親しんだ半身、日輪刀が宿る。
抜け出す時に加えてしまった攻撃が痛むのだろう、うめきながらも杏寿郎さんはこちらに手を伸ばしていた。
「ッーー、ここならば鬼はいない!
夢だっていいではないか!この夢を見たということは、鬼もおらず誰も欠けない世界で暮らしたいのだろう?
君が望んだ夢だ!起きる必要はない!
鬼なぞ斬らんでいい、君は女だ!女は女らしく家にいてくれ!刀を持つのをやめろ!
俺と共にいてくれ!!結婚しよう!!」
結婚。
本当ならばその言葉にはい、と答えたかった。けれど、これは夢だ。ただの夢に過ぎない。
「女は女らしく……?刀を持つな?
杏寿郎さんは、いえ、師範は私にそんなこと言わない。
人に仇をなす鬼を滅するため、刀を振るえと、そう言って送り出すはずです。
それが煉獄杏寿郎。私の大事な人です。
だから、ごめんなさい…………私はもう行きます」
「朝緋ーーっ!」
私は悲痛に叫ぶ杏寿郎さんや、他の家族達を残して、煉獄家をあとにした。
もう、戻れやしない。
門を出たところで、知らない人間に声をかけられた。
「君は、幸せな夢に浸るより、苦しくても現実を進むんだな」
歳の頃は岩柱・悲鳴嶼行冥さんくらいの、草臥れた着物を着込む男性だ。
剃られている様子のない無精髭があるから、身なりをきちんとすればもっと若いかもしれない。
「ーーええ。どなたかは存じませんが、貴方はこの夢の侵入者ですね」
夢の中の登場人物にしては異質な気がしたので問えば、その人は小さく頷いた。
「僕は、大事な許嫁殿を祝言をあげる前に喪ってしまった。
鬼に許嫁殿とすごす幸せな夢を見せてもらう代わりにと、君の精神を内側から壊すよう命じられて来たんだ」
クルクルと手の中で錐のようなものを回しながら話してくれた。話ぶりからしても、もう壊す気はないのだろう。
「君の幸せな夢は、僕や許嫁殿が送るはずだった幸せと酷似していた。正直羨ましくて、妬ましく思った。
ーーでも、君はそれに浸らず、現実に戻るという。……君は強いね。
その強さを壊そうとしていた僕が恥ずかしく感じた。僕がしようとしていたことを許嫁殿が知ったならきっと怒るだろう」
「私がその許嫁さんなら、絶対怒ります。
いつまでも夢に縋っていても、前へは進めません。だから現実へ戻りなさいと。
私は戻ります。その顔じゃ、貴方も戻るのでしょう?」
「ああ」
正直、戻り方はまだわからないけれどーー。
何、してたんだっけ……。
ああそうだ、陽の光が気持ちが良くて眠っちゃったんだ。
起き上がったら、お腹の虫がくぅ、と小さく鳴いた。もうそんな時間か、お昼ご飯作らなきゃね。
今日はというか今日も、杏寿郎さんが好きなさつまいもを混ぜて炊いたご飯にする予定だ。
彼がこれを食べて嬉しそうにわっしょいわっしょい言う姿が大好きだ。
だが厨にはいれば、そこには先客がいた。千寿郎かな、と思ったが、そこにいたのは、
「あっお母さん!?お父さんにお兄ちゃんも!?
こんなところで何してるの?」
「何って、昼餉を作っているところに決まっているでしょう」
「煉獄家御当主様達に喜んでもらわなくてはな」
「そうそう、俺たちは奉公人なんだから」
ここにいる事はありえないはずの、私の産みの親や兄があくせくと昼食の準備をしていた。
奉公人という形で。
「ええ!?いや、あの、え。ほ、奉公人?
一家丸ごと奉公人……ってこと?」
「何今更なこと聞いてるんだ朝緋。
ま、お前は奉公人じゃなくて、杏寿郎坊ちゃんの許嫁だけどな!」
俺も鼻が高いぜ、などと笑い飛ばした父に、出来上がったお膳を持たされ、槇寿朗さんや瑠火さん、千寿郎の元へと運ぶように言われる。
いやあの、いくら鍛えてても三つまとめてとか無茶すぎないかな……できるからいいけど。
でも。私だけ、違うんだ。私があの人の許嫁……?どういうことだろう。
昔はそんなことも、夢に見た事はあった。けれどそれは夢のまた夢。もう捨てた過去のもの。
なのに許嫁。
どういうことだかわからないけれど、ここでは槇寿朗さんも瑠火さんも健在で、千寿郎も笑顔だった。
幸せなのはいいことだ。
この優しい世界に、家族も生きているってだけで十分だ。
ーー生きている?家族が、生きている?
そんなはずはーー。
確か私の家族はあの日に……うっ、いたっ!
なんだろう、頭が凄く痛い……。
思い出そうとしたら、頭が割れそうに痛んだ。
「どうした、具合が悪いのか?」
痛む頭を押さえていると、後ろから聞き覚えのある声がかけられた。
聞き間違えようも、見間違えようもない、杏寿郎さんが私の体を支えて立っていた。
「し、師範!?」
「む?師範とはなんだ。違うだろう!俺のことは杏寿郎と呼んでくれる約束だ!」
「えっああ……そう、でしたね」
許嫁で通っているのなら、家でまで師範と呼ぶのはおかしいかもしれない。
「どこか痛むようなら休むと良い」
そう言って連れ込まれた部屋は、かつて私が煉獄家で使っていた部屋だ。
だが、足りない。
あれが、ない。
ここには、私の青い炎の意匠と桜の羽織がかかっていたはず。
なのに、なぜこんな艶やかな着物がかけられているの?
刀は?刀掛けがあったはずの部分には、代わりにと鏡台が置かれていた。
肩に手を置かれ、無理やり座らされる。
後ろから耳に送られた言葉に、ひどく動揺した。
「朝緋、『それ』は探すな。
この世界に俺達を脅かす存在はいないのだ」
いない?
鬼がいないーー?
そんなまさか!
私はあの血が滲むような稽古を覚えている。
泣きながら竹刀を振るう日々。
風呂に入れば傷に湯が染みて、叫んだ夜。
完膚なきまでに叩きのめされて、初めて骨を折った痛み。
どんなに修行しても貴方の強さには届かない、無理なのだと感じた時の悔しさと憤り。
あれが夢で、これが現実だなんて事、あるわけがーー。
「ここに、俺の隣にいてくれ」
ふいに抱きしめられた。
後ろから杏寿郎さんの吐息が首を擽り、そのあたたかさが体に広がる。
幸福感が、全身を支配する。
懇願するような言葉は、彼の総意なだけではなく、私自身の願いであると悟った。
ああ、ああ……。
これは都合のいい夢なのだ。
私が、こうあったら嬉しいなと、そう思った夢だ。
もう少しこのままでいたい。このあたたかさを堪能していたい。
抱きしめた私の首筋に顔を埋めてくる。私を求めてやまないと、杏寿郎さんの熱く燃える唇が首に触れた……。
燃えるような熱い感情が伝わってくる。
愛しい。杏寿郎さんと、もっと一緒にいたい。愛しい……。
けれど、だめだ。
きっとこの艶やかな着物は、この『夢』の中で私が着る予定の、花嫁衣装。
私は、これを着ることはできない。
抱きしめてくる杏寿郎さんの後ろ。鏡台の中の自分が、「起きろ」と急かしている。
うん、わかってるよ。
本当はもっともっと、こうしていたい。元気な瑠火さんを、嬉しそうな槇寿朗さんを、笑顔の千寿郎を、幸せそうな家族を、そして目の前で私を愛おしそうに抱きしめる杏寿郎さんとこうしてたい。
ずっとここにいたい。
でも、もう起きないといけないね。
抱きしめてくるその腕に一度だけ手を重ね、だけど私はその腕を振り払った。
「どこへ行こうとしている」
「私は私のすべきことをするために戻るだけで、…………うぁッ」
振り払っただけではだめだった。
夢の中でも杏寿郎さんは杏寿郎さんなのか。力は強い。今度は押し倒されて逃げられないように拘束されてしまった。
あれよあれよの間に、着物の足の割れ目に膝を入れ、両の手を掴んで畳に縫い留めてくる。
鬼に対抗する時のあの目とよく似ている。
腹を空かせた獅子のようで、獲物を見つけた猛禽類のようで、その目からは太陽のような温かさよりもギラついた何かを感じ取れた。
畳が擦れて痛いけれど、それを申しても杏寿郎さんは決して離してくれなかった。
差し込まれた膝にグッと力が込められる。それはどこか情事を彷彿させる行いで。
この人は無理やり身体を暴いてでも、抵抗をやめさせる気なんだ。
そんなことをしたところで、私は変わらない。
これもまた、私の望みの一つだったことなのだと、自分の中で消化するだけだ。
「…………やめて、こんなの貴方じゃない」
「いや、俺だ。なあ、…………どこにも行くな」
「、離してください。起きて、鬼を斬らなければ……!」
「そんなこと必要ない!そんなもの斬っても君は何者にもなれない!何者にもなれない君を俺は行かせはしない!」
ああ、私の中の貴方は、まるで槇寿朗さんのようなことを言ったりもするのか。
「……ああ、抵抗しなくなったのか。
諦めてくれたなら良かった。こんな昼間から申し訳ないが…………優しくする。お前を大事にすると誓う」
杏寿郎さんはお前なんて言わない。けれど、言って欲しいと思ったことがある。瑠火さんが槇寿朗さんに愛おしそうな声で呼ばれているのを聞いた時だった。
おかげで一瞬、力を抜いて流されそうになった。無抵抗になりかけた。
だけれども鬼殺隊の概念のないこの中では、男女の力の差はあれど一般人であろう杏寿郎さんの拘束から逃れるのは、全力さえだせば意外と簡単だった。
未だに縄抜けこそ碌に習得できていないけれどね。
「ぐ……何故だ、朝緋…………!」
少々強引に抜け出して距離を取り立ち上がると、身に纏っていた女物の着物は何処へやら着なれた黒い隊服へと戻っていた。
かかっていた艶やかな着物も見慣れた私の羽織に戻ったため、手に取り急いで羽織る。
鏡台までもが消え、腰には慣れ親しんだ半身、日輪刀が宿る。
抜け出す時に加えてしまった攻撃が痛むのだろう、うめきながらも杏寿郎さんはこちらに手を伸ばしていた。
「ッーー、ここならば鬼はいない!
夢だっていいではないか!この夢を見たということは、鬼もおらず誰も欠けない世界で暮らしたいのだろう?
君が望んだ夢だ!起きる必要はない!
鬼なぞ斬らんでいい、君は女だ!女は女らしく家にいてくれ!刀を持つのをやめろ!
俺と共にいてくれ!!結婚しよう!!」
結婚。
本当ならばその言葉にはい、と答えたかった。けれど、これは夢だ。ただの夢に過ぎない。
「女は女らしく……?刀を持つな?
杏寿郎さんは、いえ、師範は私にそんなこと言わない。
人に仇をなす鬼を滅するため、刀を振るえと、そう言って送り出すはずです。
それが煉獄杏寿郎。私の大事な人です。
だから、ごめんなさい…………私はもう行きます」
「朝緋ーーっ!」
私は悲痛に叫ぶ杏寿郎さんや、他の家族達を残して、煉獄家をあとにした。
もう、戻れやしない。
門を出たところで、知らない人間に声をかけられた。
「君は、幸せな夢に浸るより、苦しくても現実を進むんだな」
歳の頃は岩柱・悲鳴嶼行冥さんくらいの、草臥れた着物を着込む男性だ。
剃られている様子のない無精髭があるから、身なりをきちんとすればもっと若いかもしれない。
「ーーええ。どなたかは存じませんが、貴方はこの夢の侵入者ですね」
夢の中の登場人物にしては異質な気がしたので問えば、その人は小さく頷いた。
「僕は、大事な許嫁殿を祝言をあげる前に喪ってしまった。
鬼に許嫁殿とすごす幸せな夢を見せてもらう代わりにと、君の精神を内側から壊すよう命じられて来たんだ」
クルクルと手の中で錐のようなものを回しながら話してくれた。話ぶりからしても、もう壊す気はないのだろう。
「君の幸せな夢は、僕や許嫁殿が送るはずだった幸せと酷似していた。正直羨ましくて、妬ましく思った。
ーーでも、君はそれに浸らず、現実に戻るという。……君は強いね。
その強さを壊そうとしていた僕が恥ずかしく感じた。僕がしようとしていたことを許嫁殿が知ったならきっと怒るだろう」
「私がその許嫁さんなら、絶対怒ります。
いつまでも夢に縋っていても、前へは進めません。だから現実へ戻りなさいと。
私は戻ります。その顔じゃ、貴方も戻るのでしょう?」
「ああ」
正直、戻り方はまだわからないけれどーー。