五周目 壱
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煉獄家へと急ぐ道すがら、鎹烏が再び私の肩へと舞い降り止まった。
静かに、ゆっくりと紡がれた言葉は。
「そんな……そん、な…………うわあああああっ!!」
荷物や何もかもがドサドサとその場に落ちる。私自身も膝を折り、その場にうずくまって泣いた。
烏からもたらされたのは、瑠火さんの訃報だった。
間に合わなかった。今回はその死に目にも会うことができなかった。言葉を交わすことも、笑い合うことも少ないまま、瑠火さんと別れることになってしまった。
まだ、母と子らしきこと、全然できてない。親孝行ひとつできていないのに。
泣き腫らしたまぶたのまま、煉獄家の前まで戻ってきた。門の前には私の帰りを待っていたのだろうか、杏寿郎さんが立っていた。
着いたらすぐ井戸で顔を冷やそうと考えていたのになあ。こんな腫れたまぶたの涙でぐしゃぐしゃな顔、杏寿郎さんに見せたくなかった。
杏寿郎さんはいつもと同じ表情だ。だけど、その奥底では私と同じ、ひどく沈んでいて。
「ただいま、杏寿郎兄さん」
「朝緋……、おかえり」
声まで小さくて低い。相当参っているようだった。
自意識過剰かもしれないけれど、私が不在だったから縋る相手がいなくて余計に沈んでいるのかな?そうだったなら、申し訳ない。
だけど私の存在を確かめるように手を握ってこられて、自意識過剰なんかではないと知った。杏寿郎さんの中で私という家族の存在は意外と大きいようだ。
それにしても、いつもよりなんと冷たい手だろう。
鬼化した杏寿郎さんを彷彿とさせ、私の古傷を抉ってくる。あの時の彼も、今みたいに熱く、でもとても冷たい手のひらだった。目を閉じてトラウマの到来を耐える、耐える、耐える。
そのまましばらく好きにさせていたら、体を引かれて抱きしめられた。
……懐かしい香りがする。私の大好きな貴方の香り。貴方の香りに、私は何度もこうして包まれたっけ。
「ずっと朝緋に会いたかった……頼むからもうどこにも行かないでくれ」
「修行は終わらせて帰ってきましたし、もうどこにも行きません。続きの鍛錬は杏寿郎兄さんの元で行いますから」
杏寿郎さんが喋る度、呼気や髪が私の肌を撫でてきてくすぐったくてたまらない。
離れるべくもぞりと動こうとすれば、杏寿郎さんが全体重をかけてきた。これでは抱きしめるというより、抱きつくだ。
重い、重いです杏寿郎さん!潰す気か!!
「まずは母様に会わせてくださいませんか。だから杏寿郎兄さん、どうか放して?」
「無理だ。俺は朝緋から離れたくない」
更に重さが増した。これ絶対潰そうとしてるよね。このままだと家の前という、近所の人も通る中で押し倒された格好を晒してしまう。ただでさえ葬儀の準備でこれから人がひっきりなしに来るだたろう時に!恥をかくのは私なのに!!
どんどん重くなるとか、子泣き爺ですか?涙もひいたよ。
「ならこのまま引きずります」
鍛えていてよかったと思う瞬間である。
瑠火さんは私室の布団に、静かに横たわっていた。ここだけが無音、外界から切り離された空間という感じで。
他の人はいない。葬儀の準備に駆り出されて手伝いに来てくれていた人も、家族の対面だからと席を外してくれた。
……家族の対面なのに、千寿郎も槇寿朗さんもいない。ここにいるかと思ったんだけどな。
白の布を顔にかけられた瑠火さん。それをめくった先に存在するのは、白いお顔。
真っ白お布団に、真っ白な死装束に身を包んでいるから、全てが真っ白。色がない。
でもただ眠っているかのように安らかな表情で、いつ起きてもおかしくないと思わせた。
氷のように冷たい体が嘘みたいだ。
手を握って自分の熱を移せば起きてくれるというなら、どんなに嬉しいか。
「瑠火さ、……母様…………。朝緋はただいま戻りましたよ……お声を聞きとうございました」
何度経験してもこればかりは慣れない。ましてや今回は私がいない間に体調を悪くしてしまったし、その死に目にも会うことができなかった。何もできず終わった自分が悔しくて悲しくて、引っ込んでいた涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「朝緋……」
そんな私を杏寿郎さんが後ろから抱きしめ直して、頭をよしよしと撫でてくれた。嬉しいけれどそうじゃない。今一番撫でて欲しいのは、瑠火さんからだったのに。なのにもう望めない。
しばらくそうしていれば、こちらへと駆けてくるとたとたという軽い足音。
「あね上!あねうぇぇぇ!!」
「千寿郎、……わっ」
私の姿を視認した瞬間、軽い足音が嘘のように思い切り飛びつかれる。鍛えているから押し倒されるようなことはないけど、今は杏寿郎さんに後ろから抱きしめられている状態。
つ、潰される……。まだ成長しきっていないこの体は、煉獄サンドに耐え切れない。
それでももちろん、久しぶりに会えた大事な弟からの抱擁を前に、私も抱きしめてよしよしと撫で返した。
「あね上とやっと会えた!どこに行っていたのですか?ぼくはあね上がいなくてずっとさびしかったです!
はは上も起きてくれなくて……ずっと眠ったままなのです。ねぇあね上、はは上はいつ起きてくれるのでしょう?おててもお顔も冷たいのです」
「千寿郎……」
ぼろぼろ涙をこぼしながら私の顔を見上げて縋りつく千寿郎。
うう、つらい。胸や肺が詰まったかのように苦しい。千寿郎のその言葉で、声をあげて号泣しそうだった。
口元を抑えてなんとか耐え切る。私の感情爆発に気がついた後ろの杏寿郎さんが、ぽんぽんと優しく頭を叩き宥めてくれた。
その時、かわいい千寿郎のお顔が少しおかしいことに気がつく。
「んんん?千寿郎、貴方目の下にすごい隈が出来てるじゃない!どうしたのこれ!!」
「くま?」
ベアーの熊じゃないよ、隈だよ。ティディベアなんかと違って、小さい子には似合わぬ代物だよ。社畜用アイテムの一つだよ。
「母上がこうなってからというもの、千寿郎はなかなか寝ついてくれなくなってしまってな。まだ母の温もりが必要な年頃だというに、求めても望めなくなってしまったから寝不足なんだ。寝かせる役目は俺には難しいようで……朝緋、添い寝を頼んでいいか?」
私だけに聞こえるよう、こっそり耳打ちされた。
なるほどね。そういうのはいつだって、瑠火さんか私の役目だったものね。
「寝不足かあ……千寿郎、つらかったね。
もう大丈夫、私がいるからね。一緒に寝ましょうね」
「ほんとに、いてくれますか?ぼくが起きてもあね上はとなりにいる?」
「もちろんだよ。こうやって隣にいるよって『前に』約束したもんね。千寿郎が望む限りずっとこうしてるよ」
「前に、やくそく?」
「んーん、なんでもない」
縋りついた状態からずるずると滑るように落ちてきて、完全に私の膝へと頭をつけてしまった千寿郎。いわゆる膝枕状態か。
そのままぽんぽんと頭を撫でてあやしていれば、千寿郎はやがてぐずりながらも眠りに落ちて行った。杏寿郎さんが上にかけるものをとってきてくれたので、風邪をひくこともないだろう。
「姉や妹という存在はやはりすごいな。朝緋の元なら千寿郎も眠れるのだな」
「そうみたいだね。でも、眠気も我慢の限界だったんだと思うよ」
「俺も朝緋の膝枕で眠りたいものだ」
「ええと……それはまた今度ね」
瑠火さんも、千寿郎みたいに眠っているだけならよかったのに。
信用のおける奉公人さんに、瑠火さんの食事や運動についても全てしっかり頼んでいたのに、どうしていきなりこうなった。どうして、どうして……。
適度な運動は続けていたし、栄養だってしっかり摂ってもらっていたじゃないか。
「母様はいつ具合が悪くなったの?急に亡くなるだなんておかしいよ。そんな兆候はなかったのよね?」
「急にではない。体調を崩したのは、朝緋が修行に出てすぐだった」
「すぐ……?ならどうしてすぐ手紙を飛ばして教えてくれなかったの!」
杏寿郎さんが悪いわけでもないのに、詰め寄るように語尾強めに言ってしまった。けれど杏寿郎さんはただ眉根を下げて、淡々と静かに言うのみだった。
「修行に支障が出てはと、母上が朝緋には黙っているように言ったんだ」
「……私は知りたかったよ。母様の具合が悪いなら、修行なんてほっぽり出して、すぐに帰ってきたかった。せめて最期に、お話ししたかった」
「すまない……。それでも母上は、最期まで朝緋を待とうと、頑張ってはいてくれたのだ。君が煉獄家へ帰るまでは生きると必死に……」
死に向かう痛みは激痛だったろうに。呼吸するだけでもつらかったろうに。重度の結核だなんて、泣き喚きたくなるほどの痛みと苦痛が体を蝕んでいたはずだ。
なのに、我慢をして無理をして。それで私の帰宅を待ってくれていた?
「そう、なんだね。
……母様、ありがとう。どうかゆっくりお休みくださいね」
良い言葉は見つからず、喉に詰まるばかり。結局言えたのはこの言葉だけだった。
そういえば、奉公の方や周りの人が葬儀について手配してくれてるとはいえ、家長である槇寿朗さんが動いていない。ここまでで全く、顔を見ていない。挨拶もできていない。
まさかまた……。
「ねぇ父様は?」
「父上は……。
父上は母上の死のことと、何やら他にも訳あって落ち込んでいるようでな……部屋から出てこないんだ」
他にも訳があって落ち込み……十中八九、日の呼吸のことだ。あんなもの読んだ程度で、落ちぶれるなんて情けない、とは毎回思うけど瑠火さんが亡くなるタイミングと被れば当然だ。
私が槇寿朗さんと同じ立場で同じような性格をしていたら……うん。同じ道を辿るかもね。
その時、表から近所のものらしき人の声がした。葬式の準備というのは猫の手を借りたいほどに忙しない。
「来客のようだな、俺が行こう。朝緋はここで母上と千寿郎といてくれ」
「でも葬儀の来客でしたら私もお手伝いを……」
「いやいい、君は先ほど帰ってきたばかり。休息も大事だ。休んでいてくれ」
「はい……」
まあね、私が立てばせっかくすやすや眠った千寿郎を起こしてしまうし、動くわけにいかないもんね。
でも相変わらず槇寿朗さんは手伝いに出て来もしないのか。家長なのだから顔出しくらいしなくちゃいけないのに。
つまりまただ。また、私は槇寿朗さんを立ち直らせる役に回らなくてはならない。
正直なところ、今の私には槇寿朗さんへ気を回す余裕なんてない。少しでも強くなるべく、その他のことを諦めて捨てて突き放したくらいだというに。
それにもしも再び『前回』のような悲しいエンディングに進むとしたら、槇寿朗さんを立ち直らせるのは。笑い合える家庭に戻すのは、どうなのだろうと思うのだ。失った時にもっともっと辛くなるのではないだろうか、と。
そりゃあもちろん、そうはならないように精一杯頑張るつもりだけど、でもあの鬼は強い……。私の決意も心も何もかも、バッキバキに折ってくる。
「あねうぇぇ、むにゃ……」
千寿郎の寝言が聞こえた。かわいらしく愛しい弟の安らかな寝顔を見てハッとする。
そうだ、千寿郎にこれ以上悲しい顔をさせるわけにいかない。杏寿郎さんにもだ。
しっかりしなくちゃ。槇寿朗さんにはまた笑ってもらわないと。笑顔の花咲く煉獄家にしないと。
眠る千寿郎の体をそっと、でもぎゅうと抱き寄せ決意した。
静かに、ゆっくりと紡がれた言葉は。
「そんな……そん、な…………うわあああああっ!!」
荷物や何もかもがドサドサとその場に落ちる。私自身も膝を折り、その場にうずくまって泣いた。
烏からもたらされたのは、瑠火さんの訃報だった。
間に合わなかった。今回はその死に目にも会うことができなかった。言葉を交わすことも、笑い合うことも少ないまま、瑠火さんと別れることになってしまった。
まだ、母と子らしきこと、全然できてない。親孝行ひとつできていないのに。
泣き腫らしたまぶたのまま、煉獄家の前まで戻ってきた。門の前には私の帰りを待っていたのだろうか、杏寿郎さんが立っていた。
着いたらすぐ井戸で顔を冷やそうと考えていたのになあ。こんな腫れたまぶたの涙でぐしゃぐしゃな顔、杏寿郎さんに見せたくなかった。
杏寿郎さんはいつもと同じ表情だ。だけど、その奥底では私と同じ、ひどく沈んでいて。
「ただいま、杏寿郎兄さん」
「朝緋……、おかえり」
声まで小さくて低い。相当参っているようだった。
自意識過剰かもしれないけれど、私が不在だったから縋る相手がいなくて余計に沈んでいるのかな?そうだったなら、申し訳ない。
だけど私の存在を確かめるように手を握ってこられて、自意識過剰なんかではないと知った。杏寿郎さんの中で私という家族の存在は意外と大きいようだ。
それにしても、いつもよりなんと冷たい手だろう。
鬼化した杏寿郎さんを彷彿とさせ、私の古傷を抉ってくる。あの時の彼も、今みたいに熱く、でもとても冷たい手のひらだった。目を閉じてトラウマの到来を耐える、耐える、耐える。
そのまましばらく好きにさせていたら、体を引かれて抱きしめられた。
……懐かしい香りがする。私の大好きな貴方の香り。貴方の香りに、私は何度もこうして包まれたっけ。
「ずっと朝緋に会いたかった……頼むからもうどこにも行かないでくれ」
「修行は終わらせて帰ってきましたし、もうどこにも行きません。続きの鍛錬は杏寿郎兄さんの元で行いますから」
杏寿郎さんが喋る度、呼気や髪が私の肌を撫でてきてくすぐったくてたまらない。
離れるべくもぞりと動こうとすれば、杏寿郎さんが全体重をかけてきた。これでは抱きしめるというより、抱きつくだ。
重い、重いです杏寿郎さん!潰す気か!!
「まずは母様に会わせてくださいませんか。だから杏寿郎兄さん、どうか放して?」
「無理だ。俺は朝緋から離れたくない」
更に重さが増した。これ絶対潰そうとしてるよね。このままだと家の前という、近所の人も通る中で押し倒された格好を晒してしまう。ただでさえ葬儀の準備でこれから人がひっきりなしに来るだたろう時に!恥をかくのは私なのに!!
どんどん重くなるとか、子泣き爺ですか?涙もひいたよ。
「ならこのまま引きずります」
鍛えていてよかったと思う瞬間である。
瑠火さんは私室の布団に、静かに横たわっていた。ここだけが無音、外界から切り離された空間という感じで。
他の人はいない。葬儀の準備に駆り出されて手伝いに来てくれていた人も、家族の対面だからと席を外してくれた。
……家族の対面なのに、千寿郎も槇寿朗さんもいない。ここにいるかと思ったんだけどな。
白の布を顔にかけられた瑠火さん。それをめくった先に存在するのは、白いお顔。
真っ白お布団に、真っ白な死装束に身を包んでいるから、全てが真っ白。色がない。
でもただ眠っているかのように安らかな表情で、いつ起きてもおかしくないと思わせた。
氷のように冷たい体が嘘みたいだ。
手を握って自分の熱を移せば起きてくれるというなら、どんなに嬉しいか。
「瑠火さ、……母様…………。朝緋はただいま戻りましたよ……お声を聞きとうございました」
何度経験してもこればかりは慣れない。ましてや今回は私がいない間に体調を悪くしてしまったし、その死に目にも会うことができなかった。何もできず終わった自分が悔しくて悲しくて、引っ込んでいた涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「朝緋……」
そんな私を杏寿郎さんが後ろから抱きしめ直して、頭をよしよしと撫でてくれた。嬉しいけれどそうじゃない。今一番撫でて欲しいのは、瑠火さんからだったのに。なのにもう望めない。
しばらくそうしていれば、こちらへと駆けてくるとたとたという軽い足音。
「あね上!あねうぇぇぇ!!」
「千寿郎、……わっ」
私の姿を視認した瞬間、軽い足音が嘘のように思い切り飛びつかれる。鍛えているから押し倒されるようなことはないけど、今は杏寿郎さんに後ろから抱きしめられている状態。
つ、潰される……。まだ成長しきっていないこの体は、煉獄サンドに耐え切れない。
それでももちろん、久しぶりに会えた大事な弟からの抱擁を前に、私も抱きしめてよしよしと撫で返した。
「あね上とやっと会えた!どこに行っていたのですか?ぼくはあね上がいなくてずっとさびしかったです!
はは上も起きてくれなくて……ずっと眠ったままなのです。ねぇあね上、はは上はいつ起きてくれるのでしょう?おててもお顔も冷たいのです」
「千寿郎……」
ぼろぼろ涙をこぼしながら私の顔を見上げて縋りつく千寿郎。
うう、つらい。胸や肺が詰まったかのように苦しい。千寿郎のその言葉で、声をあげて号泣しそうだった。
口元を抑えてなんとか耐え切る。私の感情爆発に気がついた後ろの杏寿郎さんが、ぽんぽんと優しく頭を叩き宥めてくれた。
その時、かわいい千寿郎のお顔が少しおかしいことに気がつく。
「んんん?千寿郎、貴方目の下にすごい隈が出来てるじゃない!どうしたのこれ!!」
「くま?」
ベアーの熊じゃないよ、隈だよ。ティディベアなんかと違って、小さい子には似合わぬ代物だよ。社畜用アイテムの一つだよ。
「母上がこうなってからというもの、千寿郎はなかなか寝ついてくれなくなってしまってな。まだ母の温もりが必要な年頃だというに、求めても望めなくなってしまったから寝不足なんだ。寝かせる役目は俺には難しいようで……朝緋、添い寝を頼んでいいか?」
私だけに聞こえるよう、こっそり耳打ちされた。
なるほどね。そういうのはいつだって、瑠火さんか私の役目だったものね。
「寝不足かあ……千寿郎、つらかったね。
もう大丈夫、私がいるからね。一緒に寝ましょうね」
「ほんとに、いてくれますか?ぼくが起きてもあね上はとなりにいる?」
「もちろんだよ。こうやって隣にいるよって『前に』約束したもんね。千寿郎が望む限りずっとこうしてるよ」
「前に、やくそく?」
「んーん、なんでもない」
縋りついた状態からずるずると滑るように落ちてきて、完全に私の膝へと頭をつけてしまった千寿郎。いわゆる膝枕状態か。
そのままぽんぽんと頭を撫でてあやしていれば、千寿郎はやがてぐずりながらも眠りに落ちて行った。杏寿郎さんが上にかけるものをとってきてくれたので、風邪をひくこともないだろう。
「姉や妹という存在はやはりすごいな。朝緋の元なら千寿郎も眠れるのだな」
「そうみたいだね。でも、眠気も我慢の限界だったんだと思うよ」
「俺も朝緋の膝枕で眠りたいものだ」
「ええと……それはまた今度ね」
瑠火さんも、千寿郎みたいに眠っているだけならよかったのに。
信用のおける奉公人さんに、瑠火さんの食事や運動についても全てしっかり頼んでいたのに、どうしていきなりこうなった。どうして、どうして……。
適度な運動は続けていたし、栄養だってしっかり摂ってもらっていたじゃないか。
「母様はいつ具合が悪くなったの?急に亡くなるだなんておかしいよ。そんな兆候はなかったのよね?」
「急にではない。体調を崩したのは、朝緋が修行に出てすぐだった」
「すぐ……?ならどうしてすぐ手紙を飛ばして教えてくれなかったの!」
杏寿郎さんが悪いわけでもないのに、詰め寄るように語尾強めに言ってしまった。けれど杏寿郎さんはただ眉根を下げて、淡々と静かに言うのみだった。
「修行に支障が出てはと、母上が朝緋には黙っているように言ったんだ」
「……私は知りたかったよ。母様の具合が悪いなら、修行なんてほっぽり出して、すぐに帰ってきたかった。せめて最期に、お話ししたかった」
「すまない……。それでも母上は、最期まで朝緋を待とうと、頑張ってはいてくれたのだ。君が煉獄家へ帰るまでは生きると必死に……」
死に向かう痛みは激痛だったろうに。呼吸するだけでもつらかったろうに。重度の結核だなんて、泣き喚きたくなるほどの痛みと苦痛が体を蝕んでいたはずだ。
なのに、我慢をして無理をして。それで私の帰宅を待ってくれていた?
「そう、なんだね。
……母様、ありがとう。どうかゆっくりお休みくださいね」
良い言葉は見つからず、喉に詰まるばかり。結局言えたのはこの言葉だけだった。
そういえば、奉公の方や周りの人が葬儀について手配してくれてるとはいえ、家長である槇寿朗さんが動いていない。ここまでで全く、顔を見ていない。挨拶もできていない。
まさかまた……。
「ねぇ父様は?」
「父上は……。
父上は母上の死のことと、何やら他にも訳あって落ち込んでいるようでな……部屋から出てこないんだ」
他にも訳があって落ち込み……十中八九、日の呼吸のことだ。あんなもの読んだ程度で、落ちぶれるなんて情けない、とは毎回思うけど瑠火さんが亡くなるタイミングと被れば当然だ。
私が槇寿朗さんと同じ立場で同じような性格をしていたら……うん。同じ道を辿るかもね。
その時、表から近所のものらしき人の声がした。葬式の準備というのは猫の手を借りたいほどに忙しない。
「来客のようだな、俺が行こう。朝緋はここで母上と千寿郎といてくれ」
「でも葬儀の来客でしたら私もお手伝いを……」
「いやいい、君は先ほど帰ってきたばかり。休息も大事だ。休んでいてくれ」
「はい……」
まあね、私が立てばせっかくすやすや眠った千寿郎を起こしてしまうし、動くわけにいかないもんね。
でも相変わらず槇寿朗さんは手伝いに出て来もしないのか。家長なのだから顔出しくらいしなくちゃいけないのに。
つまりまただ。また、私は槇寿朗さんを立ち直らせる役に回らなくてはならない。
正直なところ、今の私には槇寿朗さんへ気を回す余裕なんてない。少しでも強くなるべく、その他のことを諦めて捨てて突き放したくらいだというに。
それにもしも再び『前回』のような悲しいエンディングに進むとしたら、槇寿朗さんを立ち直らせるのは。笑い合える家庭に戻すのは、どうなのだろうと思うのだ。失った時にもっともっと辛くなるのではないだろうか、と。
そりゃあもちろん、そうはならないように精一杯頑張るつもりだけど、でもあの鬼は強い……。私の決意も心も何もかも、バッキバキに折ってくる。
「あねうぇぇ、むにゃ……」
千寿郎の寝言が聞こえた。かわいらしく愛しい弟の安らかな寝顔を見てハッとする。
そうだ、千寿郎にこれ以上悲しい顔をさせるわけにいかない。杏寿郎さんにもだ。
しっかりしなくちゃ。槇寿朗さんにはまた笑ってもらわないと。笑顔の花咲く煉獄家にしないと。
眠る千寿郎の体をそっと、でもぎゅうと抱き寄せ決意した。