四周目 捌
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杏寿郎さんが鬼になった。
闇の色に黒く暗く澱んでしまった結膜。杏寿郎さんの元来の赤とはちがう、血を溶かし込んだような真紅の瞳。縦に割れた漆黒の瞳孔。
温かさは消え失せ、どこか凍って見える鬼の目……血走ったその視線が、私を獲物と認識して追いかける。
食べたい食べたくない食べたい食べたくない食べたい食べたくない腹が減る人の肉が欲しい血が欲しい。
呟きながら、口からよだれをこぼし、全身を掻き毟る。けれど鬼だから掻き毟ったそばから傷が塞がって。
無駄に流れた血だけが広がる。
悲痛な言葉と、目を覆いたくなるような痛々しい光景。
鬼になってでも生きていてほしかった。死んでほしくなかった。けれど、苦しめたいわけじゃなかったのに。こんなつらい思いをさせたいわけじゃなかったのに。……ごめんなさい。
これも、杏寿郎さんの気持ちを無視した私への罰なのか。
唸っていた杏寿郎さんが、頭を上げた。
「頭の中で例の男の声がする」
「え、それって、鬼の首領の……」
鬼舞辻無惨の声?
「人を食えと。目の前の人間を……朝緋を食えと声がする。私の情報を、名を口にするなと声がする。
なるほど、これがあの男の呪いのようだ。
言った瞬間に、俺の体は崩れ去ってしまうのだろうな……」
それもありかもしれない、自嘲気味にそう言った杏寿郎さんの口を手のひらで塞ぐ。鋭くなった牙が当たったが気にしない。
「そんなの駄目!絶対に口にしないで!!」
鬼舞辻無惨。その名を口にした鬼が、ぶよぶよに肉を膨張させ、苦しそうに足掻きながら内側から無数の腕を生やし、その腕に顔や体を握りつぶされて崩れていく姿を見たことがある。
杏寿郎さんが、あんな風に死ぬ……?やだやだ、そんなの絶対に嫌!!
「ぐっ!?」
「ど、どうしたの!?」
「頭の中であの男について思考を巡らせることすら、許されないようでな……頭が割れそうに痛い」
「そんな……!実際に口に出していないのに呪いが発動しそうになるなんて……。もういいよ、考えないで!死んでほしくない……もう二度と貴方を失いたくないの!」
「朝緋……」
広さも温度も前と変わらない、杏寿郎さんの背中に縋りつく。その温かさが失われたらと思うと、涙がじわりじわりと溢れてきて。
「ひっく、お願い……これから杏寿郎さんが考えるのは私のことだけにしてぇ……?」
「……君のことを考えていると、その血肉を食べたくなってしまうのにか」
「それでもどうか、私のことだけ考えて……っ、私のことだけ、見ていて……」
杏寿郎さんの顔を覗き込み、その頬を手で覆う。
至近距離の鬼の顔は少し怖い。食べたいと直接言われるのも少し怖い。けれど杏寿郎さんは杏寿郎さん。見つめ合えば鬼の瞳の更に奥に、杏寿郎さん本来の瞳が見え隠れしているように感じた。
「はぁ……これ以上我慢しろというのか。朝緋のことを考えろと。鬼となったこの俺に、朝緋の体に触れろと……。全く、君は意地悪でわがままだな」
「ごめんなさい」
鬼になったばかりは、鬼舞辻無惨の命がなくとも、極限状態の飢餓に襲われるのだと言う。人を食べねば生きることはままならず。苦しくて辛くて、自制が利かなくて。欲に負けてしまう鬼が多い。
それと同じ状態の杏寿郎さん。
鬼にしておいて、人を食べさせず我慢させている。私が行っていることこそ、悪鬼の所業。
「惚れた方の負けだな……。いいさ、君を許そう。なのでごめんの言葉も要らんよ」
私の頭を撫で、そのまま抱きしめてくる。やっぱり、鬼だけど鬼じゃない。この腕の中はいつも変わらず私を迎え入れてくれる。
けれどたまに漏れる言葉以外の声は、耳を覆いたくなるような獣の唸り声で。我慢し続けるにも、限界はあるだろう。
解決策は何かないのかな。禰󠄀豆子ちゃんならどうだったっけ。よく眠る彼女のことを考える。
「杏寿郎さん。禰󠄀豆子ちゃんは食べる事でなく眠りで空腹を凌ぎ、傷を癒していました。小さくなって体積を落とす事で効率化を図っていたようにも見受けられます。同じことが杏寿郎さんにできないかな……」
「竈門妹か。そういえば彼女は、眠る事で飢餓を抑え、傷も回復するのだったな。
……よし!眠ってみよう!!」
パンッと手を叩いて荒屋にあるボロボロお布団を自分にかけ始める。私の視線に気が付き、
「共に寝るか?」
と、布団を捲って笑顔で一言。
「うん!」
思い切り頷いてみれば。
「は?いや、その……冗談だったのだが。俺は鬼だから、共に寝るのはやめておこう。
……ああああ!寝ていい!寝ていいからそんな全力でシワシワの悲しそうな顔をするな!」
「だーれがシワシワの顔した電気ねずみですか!」
「電気ねずみ?そんなことは言っていないが」
大正時代の男にこのネタは通じない。
ドキドキしながら杏寿郎さんにひっついて寝ること数時間……。私はいい感じに眠れたけど、隣のこの人はそうではなかったらしい。
「うーーーん?……まっっったく、眠れん!」
「獲物みたいな私が隣にいるから?」
「それもある!が、違う!眠くない!」
「なんで?鬼って昼間は暗がりに隠れて寝てたりするよね?」
鬼殺の際に、頸を斬る時昼間何してるのか鬼に聞いたことがある。暗い場所や洞窟や地下、何もなければ土に潜って寝てるぜ、と答えが返ってきたっけ。明槻もそうしていると聞いた。
昼間ってやることないもんねえ……。
「そもそもが俺には眠りは必要がないみたいだな!睡眠に対する欲が全く湧かん!ふむ、よもや鬼殺隊士の時に眠りすぎたか?」
「駄目じゃん……」
確かに、鬼殺隊士は夜にあることの多い任務のためにと、昼間は鍛錬、食事の合間に一瞬で眠りに入れるよう訓練してある。だから眠れる時間があればぐっすりしっかり眠る。
よく食べよく任務しよく眠る。
けど、人間の時にたくさん寝たからって、鬼になってから眠りが必要ないというのは……ちょっと違う気がする。
その後、禰󠄀豆子ちゃんのように、小さくなれるかどうかも試してみたけど駄目だった。
下の方を大きくすることならできるぞ、とニヤニヤ顔で言われた時は一発殴っておいた。鬼だからか皮膚がいつもより固くて痛かったけど、少しはいつもの調子が出てきたようで何より。でも助平!!
禰󠄀豆子ちゃん方式が無理となれば、どうしたらいいだろう。
杏寿郎さんが鬼になるための血を飲んでからは四日経っている。
炭治郎達に報告を一任してあるとはいえ、そろそろ御館様に自分達から連絡をいれたいのに、杏寿郎さんがこの状態ではなんと報告していいかわからなくて。
禰󠄀豆子ちゃんのように、鬼殺隊士と共に鬼と戦えるのか。それとも鬼として人に仇をなす存在になってしまうのか。
少しでもその兆しが見えなくては、お伝えできることは少ない。
どんなにいつもの調子で話をしていても、やってくる飢餓状態がネックすぎる……。
気を抜けば私を襲いたくなるなどと言っている以上、先は長そうで。
今もそう。
口調は普段通りだけど、ビキビキと血管を浮き上がらせている。空腹を耐えているのか、それとも鬼化したことに単純に怒っているのか。どちらもだろう。彼はまだ多少の怒りを胸の内に秘めているから。
「朝緋、そろそろ御館様に一度今の状況を伝えておこう」
杏寿郎さんも、御館様に報告を入れたいようだった。いつでも文を出せるよう、烏達は屋根の上に待機中だ。
意を決して、話せる範囲で報告の文を送った。
闇の色に黒く暗く澱んでしまった結膜。杏寿郎さんの元来の赤とはちがう、血を溶かし込んだような真紅の瞳。縦に割れた漆黒の瞳孔。
温かさは消え失せ、どこか凍って見える鬼の目……血走ったその視線が、私を獲物と認識して追いかける。
食べたい食べたくない食べたい食べたくない食べたい食べたくない腹が減る人の肉が欲しい血が欲しい。
呟きながら、口からよだれをこぼし、全身を掻き毟る。けれど鬼だから掻き毟ったそばから傷が塞がって。
無駄に流れた血だけが広がる。
悲痛な言葉と、目を覆いたくなるような痛々しい光景。
鬼になってでも生きていてほしかった。死んでほしくなかった。けれど、苦しめたいわけじゃなかったのに。こんなつらい思いをさせたいわけじゃなかったのに。……ごめんなさい。
これも、杏寿郎さんの気持ちを無視した私への罰なのか。
唸っていた杏寿郎さんが、頭を上げた。
「頭の中で例の男の声がする」
「え、それって、鬼の首領の……」
鬼舞辻無惨の声?
「人を食えと。目の前の人間を……朝緋を食えと声がする。私の情報を、名を口にするなと声がする。
なるほど、これがあの男の呪いのようだ。
言った瞬間に、俺の体は崩れ去ってしまうのだろうな……」
それもありかもしれない、自嘲気味にそう言った杏寿郎さんの口を手のひらで塞ぐ。鋭くなった牙が当たったが気にしない。
「そんなの駄目!絶対に口にしないで!!」
鬼舞辻無惨。その名を口にした鬼が、ぶよぶよに肉を膨張させ、苦しそうに足掻きながら内側から無数の腕を生やし、その腕に顔や体を握りつぶされて崩れていく姿を見たことがある。
杏寿郎さんが、あんな風に死ぬ……?やだやだ、そんなの絶対に嫌!!
「ぐっ!?」
「ど、どうしたの!?」
「頭の中であの男について思考を巡らせることすら、許されないようでな……頭が割れそうに痛い」
「そんな……!実際に口に出していないのに呪いが発動しそうになるなんて……。もういいよ、考えないで!死んでほしくない……もう二度と貴方を失いたくないの!」
「朝緋……」
広さも温度も前と変わらない、杏寿郎さんの背中に縋りつく。その温かさが失われたらと思うと、涙がじわりじわりと溢れてきて。
「ひっく、お願い……これから杏寿郎さんが考えるのは私のことだけにしてぇ……?」
「……君のことを考えていると、その血肉を食べたくなってしまうのにか」
「それでもどうか、私のことだけ考えて……っ、私のことだけ、見ていて……」
杏寿郎さんの顔を覗き込み、その頬を手で覆う。
至近距離の鬼の顔は少し怖い。食べたいと直接言われるのも少し怖い。けれど杏寿郎さんは杏寿郎さん。見つめ合えば鬼の瞳の更に奥に、杏寿郎さん本来の瞳が見え隠れしているように感じた。
「はぁ……これ以上我慢しろというのか。朝緋のことを考えろと。鬼となったこの俺に、朝緋の体に触れろと……。全く、君は意地悪でわがままだな」
「ごめんなさい」
鬼になったばかりは、鬼舞辻無惨の命がなくとも、極限状態の飢餓に襲われるのだと言う。人を食べねば生きることはままならず。苦しくて辛くて、自制が利かなくて。欲に負けてしまう鬼が多い。
それと同じ状態の杏寿郎さん。
鬼にしておいて、人を食べさせず我慢させている。私が行っていることこそ、悪鬼の所業。
「惚れた方の負けだな……。いいさ、君を許そう。なのでごめんの言葉も要らんよ」
私の頭を撫で、そのまま抱きしめてくる。やっぱり、鬼だけど鬼じゃない。この腕の中はいつも変わらず私を迎え入れてくれる。
けれどたまに漏れる言葉以外の声は、耳を覆いたくなるような獣の唸り声で。我慢し続けるにも、限界はあるだろう。
解決策は何かないのかな。禰󠄀豆子ちゃんならどうだったっけ。よく眠る彼女のことを考える。
「杏寿郎さん。禰󠄀豆子ちゃんは食べる事でなく眠りで空腹を凌ぎ、傷を癒していました。小さくなって体積を落とす事で効率化を図っていたようにも見受けられます。同じことが杏寿郎さんにできないかな……」
「竈門妹か。そういえば彼女は、眠る事で飢餓を抑え、傷も回復するのだったな。
……よし!眠ってみよう!!」
パンッと手を叩いて荒屋にあるボロボロお布団を自分にかけ始める。私の視線に気が付き、
「共に寝るか?」
と、布団を捲って笑顔で一言。
「うん!」
思い切り頷いてみれば。
「は?いや、その……冗談だったのだが。俺は鬼だから、共に寝るのはやめておこう。
……ああああ!寝ていい!寝ていいからそんな全力でシワシワの悲しそうな顔をするな!」
「だーれがシワシワの顔した電気ねずみですか!」
「電気ねずみ?そんなことは言っていないが」
大正時代の男にこのネタは通じない。
ドキドキしながら杏寿郎さんにひっついて寝ること数時間……。私はいい感じに眠れたけど、隣のこの人はそうではなかったらしい。
「うーーーん?……まっっったく、眠れん!」
「獲物みたいな私が隣にいるから?」
「それもある!が、違う!眠くない!」
「なんで?鬼って昼間は暗がりに隠れて寝てたりするよね?」
鬼殺の際に、頸を斬る時昼間何してるのか鬼に聞いたことがある。暗い場所や洞窟や地下、何もなければ土に潜って寝てるぜ、と答えが返ってきたっけ。明槻もそうしていると聞いた。
昼間ってやることないもんねえ……。
「そもそもが俺には眠りは必要がないみたいだな!睡眠に対する欲が全く湧かん!ふむ、よもや鬼殺隊士の時に眠りすぎたか?」
「駄目じゃん……」
確かに、鬼殺隊士は夜にあることの多い任務のためにと、昼間は鍛錬、食事の合間に一瞬で眠りに入れるよう訓練してある。だから眠れる時間があればぐっすりしっかり眠る。
よく食べよく任務しよく眠る。
けど、人間の時にたくさん寝たからって、鬼になってから眠りが必要ないというのは……ちょっと違う気がする。
その後、禰󠄀豆子ちゃんのように、小さくなれるかどうかも試してみたけど駄目だった。
下の方を大きくすることならできるぞ、とニヤニヤ顔で言われた時は一発殴っておいた。鬼だからか皮膚がいつもより固くて痛かったけど、少しはいつもの調子が出てきたようで何より。でも助平!!
禰󠄀豆子ちゃん方式が無理となれば、どうしたらいいだろう。
杏寿郎さんが鬼になるための血を飲んでからは四日経っている。
炭治郎達に報告を一任してあるとはいえ、そろそろ御館様に自分達から連絡をいれたいのに、杏寿郎さんがこの状態ではなんと報告していいかわからなくて。
禰󠄀豆子ちゃんのように、鬼殺隊士と共に鬼と戦えるのか。それとも鬼として人に仇をなす存在になってしまうのか。
少しでもその兆しが見えなくては、お伝えできることは少ない。
どんなにいつもの調子で話をしていても、やってくる飢餓状態がネックすぎる……。
気を抜けば私を襲いたくなるなどと言っている以上、先は長そうで。
今もそう。
口調は普段通りだけど、ビキビキと血管を浮き上がらせている。空腹を耐えているのか、それとも鬼化したことに単純に怒っているのか。どちらもだろう。彼はまだ多少の怒りを胸の内に秘めているから。
「朝緋、そろそろ御館様に一度今の状況を伝えておこう」
杏寿郎さんも、御館様に報告を入れたいようだった。いつでも文を出せるよう、烏達は屋根の上に待機中だ。
意を決して、話せる範囲で報告の文を送った。