四周目 捌
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竈門少年達が帰還してしまって俺は朝緋と二人、森の中。鬱蒼と茂る森の奥深くに放置されていた荒屋にこもってじっとしているところだ。
これで雨風、そして日光は凌げる。既に体は日光を浴びるのを嫌がり、太陽を思い描くだけで逃げ出してしまいたい思いに溢れていた。
実際その逃げ出したい思いが強すぎてか、それとも鬼化が進んでいるからか、多少体を身動がせることはできるようになった。
それでもまだ二日目だ。
体の変貌は顕著だが、内部では未だ鬼と人とが激しく戦っている。苦痛がいつまでも続き、喉が破れるほどの大きな叫び声が口から飛び出す。
「ウ゛アアアアアッッッ!!」
「杏寿郎さんっ、耐えて!きっとあと少しだから……!」
鋭くなった牙で舌を噛まぬようにだろう、朝緋が手拭いを自分の拳ごと口に入れてきた。
やめろ!鬼の咬合力は強いのだ!間違えて君の手を噛んだらどうする!!
それにあと少しという言葉はもう何度も聞いた!いつまで待たせる気だ!
今の俺は、続く激痛のせいか、朝緋の言葉に対してももう怒りしか湧いてこない。
朝緋には悪いが、俺を鬼にした理由についても想いについても、考慮してやることなんてとてもではないができない状態だ。
死ぬことなど怖くない、と言えば嘘になる。鬼殺隊に所属するにあたり死の覚悟はしてきたが、死ぬのは怖いに決まっている。
それでもやはり鬼は駄目だ。
人を手にかけてからでは遅いのだ。鬼として生きるなんて、許されない。
そして俺はこの苦しみからも逃れたい。死という形で。
だがとりあえず、今は噛むことだけは避けたい。目の前の問題に向き合わねば。
口の中に捩じ込まれた朝緋の拳。その手首へと、自身の震える指を添えて押し返す。ブルブル震えている割に力は強く、朝緋の拳を無事に俺の口から退かすことができた。
ただ、それだけで疲れてしまい、汗が噴き出した。
額や首に伝う汗が気持ち悪いなと思っていた矢先、ひんやりと冷たくした手拭いが触れ、汗を拭い去っていった。
気持ちがいい。眉間に寄せっぱなしだったであろう、皺が薄くなり、表情も和らいだであろうことが自分でもわかる。
まるで、熱を出して寝ている時に、こうして面倒を見てもらっているような気分。朝緋に看病してもらえるなんて最高ではないか。
これがただの風邪だったならどんなによかったろう。
簡単に起き上がることはできずとも、ようやく少し動けるようになったこの体。
額に触れてきた朝緋の手のひらに、指を伸ばす。伸ばした指先は、爪は鬼の爪そのものだったのを思い出した。
鋭く尖り、すでに人のものと違うものへ変貌したそれ。
この爪では朝緋を傷つけることしかできない。人を斬り裂くための爪。手のひらを握ろうとして、だがすぐにひっこめた。
体が動けるようになってきたら、次に回復するのは声だった。
「う、……死なせて、くれ」
生まれて初めて人の言葉を話した時のよう。とんでもなく小さくて掠れきった声だが、ようやく喋ることができた。
そんな俺の最初の言葉は、朝緋の名でもなく死を望む言葉だった。
「杏寿郎さんっ!!声が……声が戻ったのですね!」
他の作業をしていた朝緋が飛びついてくる。
うっ……だから、まだ万全ではない俺の状態としては、君の体重が乗せられるのはかなりつらいのだが!重い、押し潰される。
頼むから退いてくれ。
だがしかし、俺の口から出る言葉は、違う懇願。恨み言、責め句の数々だった。
ここでは教えられないが、比較的礼儀正しい言葉遣いをと考えている俺が言うにしては、なかなか考えつかない罵詈雑言も中には登場して。
「朝緋頼む、頸を刎ねてくれ。誰かを、君を傷つける前に、頸を刎ねて俺を俺のまま終わらせてくれ。
いや自分で斬る。俺の刀を貸せ。
……なぜ刀に触れない。
ならば日の下につれていけ。なぜこの体は日の下を避けようとする!?
日輪刀と太陽を忌み嫌うが故か!?ええい腹が立つ!!
完全に鬼になってしまう前にと思ったのに、死ぬことができない。死ねないではないか。
俺はどんなことがあろうと鬼にはならない。なりたくない。あんなにもそう言ったはずだ。
なのに。なのに朝緋は俺を鬼にした。鬼に差し出した。命に変えても守りたい、責務を全うしたい。そう思って刃を振るった俺にこの結果とは、なんたる仕打ちだ。
俺を愛しているなら俺の気持ちをわかっていたはずだ。
よくも鬼に頭を下げたな。土下座などしたな。鬼殺隊士失格だ。俺は柱だ。柱が鬼になるなど到底許される事ではない。これは鬼殺隊に対するひどい裏切だ。叛逆だ。
俺を鬼になどして父上や千寿郎はどうなる。いくら羽織を渡して縁切りを演出しようと、父上は元柱であるからして、責任を取ろうとするだろう。千寿郎も悲しむ。今頃は羽織を手に泣いているやもしれん。切腹でもしたらどうする。家族に腹でも斬らせるつもりか。その覚悟はあろうとも朝緋も責任を取って腹を斬るつもりか。
もしも俺が鬼として死んだとしても君には生きてもらう。俺を鬼にしておいて、死に逃げるのは許さない。だが他の男のものになるのも許さない。俺だけを思い俺のことだけを考えこの先を生きていけ。それが朝緋の罪と咎だ。罪と咎はすべて引き受ける予定だったのだろう?俺からの呪いを受けろ」
一度話せるようになれば、次々に飛び出す言葉達。朝緋はその全てを、ただ何度も「ごめんなさい」だけを言いながら受け止めた。
……すまない、だがそれでも君を愛する気持ちは、一つも変わらない。傷つけることしか言わぬこの口を。この俺を許してくれ。
そしてとうとう、起き上がって立つことができるようになった。あんなに痛くてガクガクしていた関節の動きも、滑らかで。動きにおかしいところはただの一つもない。好きに動き回ることができる。
更には酷かった怪我が全て治った。
左目が復活して見えるようになり、腹の穴も修復されて塞がり、中の内臓も出来上がって中に満ちている。折れていた肋骨も前よりさらに頑丈にくっついていた。
ただ、つらいのは耐え難きこの飢えだ。ひたすら飢餓に襲われるこの体。
怪我を治した影響か、それともこれこそが鬼としての目覚めなのか。
いよいよ鬼化も最終段階に入ってしまった。もう俺は、完全に。あんなにもなりたくないと思っていた、人と違う存在になるのだ。
かろうじて人としての理性はまだ残っている。だがこの理性も、いつか消えてしまうのだろうか。
せめて、人の肉を、血を口にしないようにせねば。朝緋を襲わぬようにせねば。口にしてしまったが最後、理性が消えただの鬼に成り下がってしまうに決まっている。
俺は柱だ。それくらい耐えてみせる!
……そう思うのに。
目の前にいるこの人間は、なんて美味そうなのだろう。食べてしまいたい。食べたい食べたい食べたい食べたい食わせろ人間の肉を食わせろ。
駄目だ駄目だ駄目だ!俺の大事な人だ。食らうわけにいくか!我慢しろ我慢だ!!
呼吸を整えろ。鬼になっていようと、全集中の呼吸は絶えさせてはならない。
くそ……。
それでも腹が減る。腹が、減る……俺は君を食べたくないのに。食べ、たくない……のに。なのに、食べたくて。
「食べたい、食べたくない、我慢、我慢できない、食べたい食わせろ、食べたくなんてない、……駄目だ、食べたい」
「杏寿郎、さん……」
朝緋に伸ばしそうになる腕。捕まえて噛みつきそうになるこの肉体を地に縫いとめるように這いつくばって、爪を立てる。
荒屋の床が、俺の鬼の爪によってバキバキと割れてしまった。
歯というより牙。それを食いしばりすぎて、口の中や唇が破け、血が流れ出る。
自分の血の味がするが、これじゃない。
俺の獲物は目の前の女だ。
とうとう俺は鬼になってしまった。
これで雨風、そして日光は凌げる。既に体は日光を浴びるのを嫌がり、太陽を思い描くだけで逃げ出してしまいたい思いに溢れていた。
実際その逃げ出したい思いが強すぎてか、それとも鬼化が進んでいるからか、多少体を身動がせることはできるようになった。
それでもまだ二日目だ。
体の変貌は顕著だが、内部では未だ鬼と人とが激しく戦っている。苦痛がいつまでも続き、喉が破れるほどの大きな叫び声が口から飛び出す。
「ウ゛アアアアアッッッ!!」
「杏寿郎さんっ、耐えて!きっとあと少しだから……!」
鋭くなった牙で舌を噛まぬようにだろう、朝緋が手拭いを自分の拳ごと口に入れてきた。
やめろ!鬼の咬合力は強いのだ!間違えて君の手を噛んだらどうする!!
それにあと少しという言葉はもう何度も聞いた!いつまで待たせる気だ!
今の俺は、続く激痛のせいか、朝緋の言葉に対してももう怒りしか湧いてこない。
朝緋には悪いが、俺を鬼にした理由についても想いについても、考慮してやることなんてとてもではないができない状態だ。
死ぬことなど怖くない、と言えば嘘になる。鬼殺隊に所属するにあたり死の覚悟はしてきたが、死ぬのは怖いに決まっている。
それでもやはり鬼は駄目だ。
人を手にかけてからでは遅いのだ。鬼として生きるなんて、許されない。
そして俺はこの苦しみからも逃れたい。死という形で。
だがとりあえず、今は噛むことだけは避けたい。目の前の問題に向き合わねば。
口の中に捩じ込まれた朝緋の拳。その手首へと、自身の震える指を添えて押し返す。ブルブル震えている割に力は強く、朝緋の拳を無事に俺の口から退かすことができた。
ただ、それだけで疲れてしまい、汗が噴き出した。
額や首に伝う汗が気持ち悪いなと思っていた矢先、ひんやりと冷たくした手拭いが触れ、汗を拭い去っていった。
気持ちがいい。眉間に寄せっぱなしだったであろう、皺が薄くなり、表情も和らいだであろうことが自分でもわかる。
まるで、熱を出して寝ている時に、こうして面倒を見てもらっているような気分。朝緋に看病してもらえるなんて最高ではないか。
これがただの風邪だったならどんなによかったろう。
簡単に起き上がることはできずとも、ようやく少し動けるようになったこの体。
額に触れてきた朝緋の手のひらに、指を伸ばす。伸ばした指先は、爪は鬼の爪そのものだったのを思い出した。
鋭く尖り、すでに人のものと違うものへ変貌したそれ。
この爪では朝緋を傷つけることしかできない。人を斬り裂くための爪。手のひらを握ろうとして、だがすぐにひっこめた。
体が動けるようになってきたら、次に回復するのは声だった。
「う、……死なせて、くれ」
生まれて初めて人の言葉を話した時のよう。とんでもなく小さくて掠れきった声だが、ようやく喋ることができた。
そんな俺の最初の言葉は、朝緋の名でもなく死を望む言葉だった。
「杏寿郎さんっ!!声が……声が戻ったのですね!」
他の作業をしていた朝緋が飛びついてくる。
うっ……だから、まだ万全ではない俺の状態としては、君の体重が乗せられるのはかなりつらいのだが!重い、押し潰される。
頼むから退いてくれ。
だがしかし、俺の口から出る言葉は、違う懇願。恨み言、責め句の数々だった。
ここでは教えられないが、比較的礼儀正しい言葉遣いをと考えている俺が言うにしては、なかなか考えつかない罵詈雑言も中には登場して。
「朝緋頼む、頸を刎ねてくれ。誰かを、君を傷つける前に、頸を刎ねて俺を俺のまま終わらせてくれ。
いや自分で斬る。俺の刀を貸せ。
……なぜ刀に触れない。
ならば日の下につれていけ。なぜこの体は日の下を避けようとする!?
日輪刀と太陽を忌み嫌うが故か!?ええい腹が立つ!!
完全に鬼になってしまう前にと思ったのに、死ぬことができない。死ねないではないか。
俺はどんなことがあろうと鬼にはならない。なりたくない。あんなにもそう言ったはずだ。
なのに。なのに朝緋は俺を鬼にした。鬼に差し出した。命に変えても守りたい、責務を全うしたい。そう思って刃を振るった俺にこの結果とは、なんたる仕打ちだ。
俺を愛しているなら俺の気持ちをわかっていたはずだ。
よくも鬼に頭を下げたな。土下座などしたな。鬼殺隊士失格だ。俺は柱だ。柱が鬼になるなど到底許される事ではない。これは鬼殺隊に対するひどい裏切だ。叛逆だ。
俺を鬼になどして父上や千寿郎はどうなる。いくら羽織を渡して縁切りを演出しようと、父上は元柱であるからして、責任を取ろうとするだろう。千寿郎も悲しむ。今頃は羽織を手に泣いているやもしれん。切腹でもしたらどうする。家族に腹でも斬らせるつもりか。その覚悟はあろうとも朝緋も責任を取って腹を斬るつもりか。
もしも俺が鬼として死んだとしても君には生きてもらう。俺を鬼にしておいて、死に逃げるのは許さない。だが他の男のものになるのも許さない。俺だけを思い俺のことだけを考えこの先を生きていけ。それが朝緋の罪と咎だ。罪と咎はすべて引き受ける予定だったのだろう?俺からの呪いを受けろ」
一度話せるようになれば、次々に飛び出す言葉達。朝緋はその全てを、ただ何度も「ごめんなさい」だけを言いながら受け止めた。
……すまない、だがそれでも君を愛する気持ちは、一つも変わらない。傷つけることしか言わぬこの口を。この俺を許してくれ。
そしてとうとう、起き上がって立つことができるようになった。あんなに痛くてガクガクしていた関節の動きも、滑らかで。動きにおかしいところはただの一つもない。好きに動き回ることができる。
更には酷かった怪我が全て治った。
左目が復活して見えるようになり、腹の穴も修復されて塞がり、中の内臓も出来上がって中に満ちている。折れていた肋骨も前よりさらに頑丈にくっついていた。
ただ、つらいのは耐え難きこの飢えだ。ひたすら飢餓に襲われるこの体。
怪我を治した影響か、それともこれこそが鬼としての目覚めなのか。
いよいよ鬼化も最終段階に入ってしまった。もう俺は、完全に。あんなにもなりたくないと思っていた、人と違う存在になるのだ。
かろうじて人としての理性はまだ残っている。だがこの理性も、いつか消えてしまうのだろうか。
せめて、人の肉を、血を口にしないようにせねば。朝緋を襲わぬようにせねば。口にしてしまったが最後、理性が消えただの鬼に成り下がってしまうに決まっている。
俺は柱だ。それくらい耐えてみせる!
……そう思うのに。
目の前にいるこの人間は、なんて美味そうなのだろう。食べてしまいたい。食べたい食べたい食べたい食べたい食わせろ人間の肉を食わせろ。
駄目だ駄目だ駄目だ!俺の大事な人だ。食らうわけにいくか!我慢しろ我慢だ!!
呼吸を整えろ。鬼になっていようと、全集中の呼吸は絶えさせてはならない。
くそ……。
それでも腹が減る。腹が、減る……俺は君を食べたくないのに。食べ、たくない……のに。なのに、食べたくて。
「食べたい、食べたくない、我慢、我慢できない、食べたい食わせろ、食べたくなんてない、……駄目だ、食べたい」
「杏寿郎、さん……」
朝緋に伸ばしそうになる腕。捕まえて噛みつきそうになるこの肉体を地に縫いとめるように這いつくばって、爪を立てる。
荒屋の床が、俺の鬼の爪によってバキバキと割れてしまった。
歯というより牙。それを食いしばりすぎて、口の中や唇が破け、血が流れ出る。
自分の血の味がするが、これじゃない。
俺の獲物は目の前の女だ。
とうとう俺は鬼になってしまった。