二周目 弐
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それからほどなく。瑠火さんは流行り病いで床に臥してしまった。
元気に動く姿は殆ど見られない。
「とうさま、そんなところにずっといてはお風邪を召されます」
夜半。千寿郎、そして瑠火さんを寝かせて部屋に戻ろうと廊下をそっと歩く。
鬼殺の任務が終わって帰ってきたところなのか、縁側で座り込み項垂れている父・槇寿朗の姿があった。
私は幽霊の類が苦手だ。一瞬は幽鬼の類かと思ってしまってギョッとしたが、それがいつもの覇気がないだけの槇寿朗さんだとわかり、心をなんとか落ち着かせた。
おかえりを添えて声をかければ、やはり。
落ち込んでいる様子の槇寿朗さんと目が合う。
「俺が代わりになれるのなら、喜んで風邪でも病いでもかかろう……」
絞り出すように答えられた言葉に、胸が詰まりそうになる。
そんなの瑠火さんの代わりになれるなら、私だって代わってあげたい。さっきだって、瑠火さんは苦しそうにしてた。汗を拭いたり、冷たい手拭いをかえたり。そんなことしかできなくて。
この健康さを少しでも分けられたらいいのに。なんて毎日のように思ってる。
どこかに瑠火さんとも血の繋がりがあるのは確実だし、最近は目元がさらに似てきたとよく言われる。なのにどうしてか、私の体は煉獄家の男ほどじゃなくても健康で頑丈、鬼殺向きなのだ。いいことだけどね。
「なあ、聞いてくれるか朝緋」
懇願するように、槇寿朗さんが言葉を漏らす。
弱っている。
体がじゃない。この人は今、心が弱っている。心なしか特徴的な眉毛がへにょんとかなり下がっていた。いつも跳ねている前髪もだ。
ここで刻を食っては今後何も言ってくれなくなりそうだ。お茶を持ってくる時間も惜しく、私は自分の部屋へと槇寿朗さんを招いた。とても疲れているのかしょぼくれ気味な槇寿朗さんは私に連れられるまま、部屋の中に座した。
「親として子に言うのは情けない話なのだが、ほんのひとときの愚痴、いや戯言と思って聞いて欲しい」
苦虫を噛み潰したかのように言い始めるので、私はただ頷いて先を促すことしかできなかった。
「俺は常々考えていた。……もう、剣士をやめたい、と。鬼殺隊を辞めたいと。俺はもう疲れてしまった。
だがこんなこと、瑠火には言えん。杏寿郎にもだ」
鬼殺隊を辞めるなとも辞めろとも、私の口からは言えない。
ただ、余計な心労をかけちゃうから瑠火さんには言えなかったのだろう。それはわかる。杏寿郎さんには……同性、それも父親としてのプライド的なものかな?
「かあさまや兄さんに言えないことをなぜ私にはいうの?」
「なぜだろうな。だが朝緋、お前は時折全てを見透かしているような目をする。
何かを必死で追い求めつつ、何かを悟っているような不思議な目だ。
隠し事をしておきたくない、いや、隠し事ができない。そう思わせる」
えっうそ。私はそんな目をしていただろうか?ただの黒い目にしか見えない。
でもひょっとするとだが、『前』の人生の分が上乗せされているのかもしれない。今の私には、令和で生きた記憶もあることだし。
「それに、俺ももう限界だ。この気持ちを抱えたまま笑うのは無理だ。誰かには……いや、朝緋には俺の気持ちを知っていて欲しいと思った」
普段は笑顔を浮かべて、杏寿郎さんや私、そして最近一緒にやり始めた千寿郎に稽古をつけている。
あの笑顔が曇ってしまったら、みんな心配するだろうな。何も知らなかったら私だって困惑するし、心配する。
私なんかに吐き出して楽になれるなら、いくらでも受け止める。
「もったいなきお言葉をありがとうございます。……全てを吐露するなら、お酒は要りますか?」
「いや、要らん。酒の力は借りない」
相当参っているなら、もうすでに『前』の時のようにお酒の力に頼らないといけないのかもと、少し考えてしまったのだけれどもまだ『あそこ』まで気落ちしてはいなさそうだ。大変失礼なことを聞いてしまった。
「朝緋。もう鍛錬するのは止めにしないか」
は……?
「鬼さえいなければ、お前が鬼殺隊に入りたいなどと言い出すこともなかった。
手もそんな剣胼胝だらけではなく、柔らかく優しく綺麗なままだったろうに。
せめて朝緋だけでも、鍛錬するのをやめてくれないか。鬼殺隊に入るのは諦めてくれないか?
朝緋は女子だ。女子には他の幸せがあるだろう」
ああ、これは平行線だ。私が鬼殺隊を諦めるなんて、あり得ないのに。
「ーー刀を手に戦う隊士の手は綺麗ではないと?
とうさまの、人を守るこの手のひらはとても強く優しく、そしてあたたかい。私なんかより立派で綺麗な手のひらです」
金環が揺れる目を見つめながら、槇寿朗さんの手を取り握る。私以上に胼胝だらけだし切り傷が絶えないし傷跡でたくさん引き攣れているけれど、何もしていないまっさらな手よりよほど美しく、尊く私の目には映った。
「私はなんと言われようと、諦めません。
人の幸せを壊す鬼を、私は決して許さない。許せない。だから鬼の頸に刃を振るう。
私だけ幸せになっても意味がないのです。誰かが幸せを得たその先に、私の幸せがある」
誰か、というのは市井の人や鬼殺隊の人だけでなく、杏寿郎さん達なんだけどもね。むしろそっちがメイン。なんだか申し訳ないけれど、大切な人が優先されるのは仕方ないよね。
「強いな、朝緋は。
……かつて炎の呼吸が生まれた頃、その頃が鬼殺隊の強さも全盛期だった。それから先、今や鬼殺隊は弱体化の一途をたどり、隊士一人一人が弱くなっている。
炎の呼吸ではだめだ。弱い。鬼には勝てない」
炎の呼吸ではだめ。
つまり、槇寿朗さんはとうとう読んでしまったのだ。始まりの呼吸について書いてあるという、あの炎柱ノ書を。
あの時は炭治郎との取っ組み合いを止めるのに夢中で、呼吸の真実については詳しいことは知らない。何か叫んでいた気がするけれど、もっとよく聞いておけばよかったかも。
ただ、炎の呼吸がはじまりの呼吸の派生であること。それが槇寿朗さんにとって自分の在り方が、立っている場所が揺らいでしまうほど衝撃的だったというのはわかっている。
「俺もそうだ。弱くて誰も救えない。救えなかった。
俺は、いつまでこうしていなくちゃならないのか。もうつかれた。
朝緋も杏寿郎も、鬼殺隊に入れば日々の鬼殺がどれほど無駄な物なのかわかる時が来る。結局、救いたい者ほど救えない。自分の命が脅かされることだってある。
俺は誰にも死んでほしくない。瑠火にも、杏寿郎にも、朝緋にも、千寿郎にも」
呼吸について知った悩みだけじゃなさそうだ。
これは任務先で何かあったな。幼い私につい愚痴を漏らしてしまうほどの何かが。
ただでさえ妻である瑠火さんの病いに心を砕いているというに、溜まりに溜まった不安と度重なるストレスが槇寿朗さんを追い込んでいるのだ。
柱でいることすらも、槇寿朗さんほどの繊細で優しい質の人には重圧だろうと思う。彼は明らかに杏寿郎さんよりも心根が優しい。『前』の時に見た千寿郎なんかはきっと、槇寿朗さん似。……逆に杏寿郎さんは瑠火さん似かな。うん。
だからこそ先の世では『あのように』酒に溺れてしまった。
私は、肯定も否定もせず静かに聞くだけにとどめた。今の私が何を言っても、大した慰めにはならないだろうと踏んで。
でもこの人の願いはよくわかった。
大切な人の死がこわい。傷つく姿が見たくない。ただそれだけなのだ。
元気に動く姿は殆ど見られない。
「とうさま、そんなところにずっといてはお風邪を召されます」
夜半。千寿郎、そして瑠火さんを寝かせて部屋に戻ろうと廊下をそっと歩く。
鬼殺の任務が終わって帰ってきたところなのか、縁側で座り込み項垂れている父・槇寿朗の姿があった。
私は幽霊の類が苦手だ。一瞬は幽鬼の類かと思ってしまってギョッとしたが、それがいつもの覇気がないだけの槇寿朗さんだとわかり、心をなんとか落ち着かせた。
おかえりを添えて声をかければ、やはり。
落ち込んでいる様子の槇寿朗さんと目が合う。
「俺が代わりになれるのなら、喜んで風邪でも病いでもかかろう……」
絞り出すように答えられた言葉に、胸が詰まりそうになる。
そんなの瑠火さんの代わりになれるなら、私だって代わってあげたい。さっきだって、瑠火さんは苦しそうにしてた。汗を拭いたり、冷たい手拭いをかえたり。そんなことしかできなくて。
この健康さを少しでも分けられたらいいのに。なんて毎日のように思ってる。
どこかに瑠火さんとも血の繋がりがあるのは確実だし、最近は目元がさらに似てきたとよく言われる。なのにどうしてか、私の体は煉獄家の男ほどじゃなくても健康で頑丈、鬼殺向きなのだ。いいことだけどね。
「なあ、聞いてくれるか朝緋」
懇願するように、槇寿朗さんが言葉を漏らす。
弱っている。
体がじゃない。この人は今、心が弱っている。心なしか特徴的な眉毛がへにょんとかなり下がっていた。いつも跳ねている前髪もだ。
ここで刻を食っては今後何も言ってくれなくなりそうだ。お茶を持ってくる時間も惜しく、私は自分の部屋へと槇寿朗さんを招いた。とても疲れているのかしょぼくれ気味な槇寿朗さんは私に連れられるまま、部屋の中に座した。
「親として子に言うのは情けない話なのだが、ほんのひとときの愚痴、いや戯言と思って聞いて欲しい」
苦虫を噛み潰したかのように言い始めるので、私はただ頷いて先を促すことしかできなかった。
「俺は常々考えていた。……もう、剣士をやめたい、と。鬼殺隊を辞めたいと。俺はもう疲れてしまった。
だがこんなこと、瑠火には言えん。杏寿郎にもだ」
鬼殺隊を辞めるなとも辞めろとも、私の口からは言えない。
ただ、余計な心労をかけちゃうから瑠火さんには言えなかったのだろう。それはわかる。杏寿郎さんには……同性、それも父親としてのプライド的なものかな?
「かあさまや兄さんに言えないことをなぜ私にはいうの?」
「なぜだろうな。だが朝緋、お前は時折全てを見透かしているような目をする。
何かを必死で追い求めつつ、何かを悟っているような不思議な目だ。
隠し事をしておきたくない、いや、隠し事ができない。そう思わせる」
えっうそ。私はそんな目をしていただろうか?ただの黒い目にしか見えない。
でもひょっとするとだが、『前』の人生の分が上乗せされているのかもしれない。今の私には、令和で生きた記憶もあることだし。
「それに、俺ももう限界だ。この気持ちを抱えたまま笑うのは無理だ。誰かには……いや、朝緋には俺の気持ちを知っていて欲しいと思った」
普段は笑顔を浮かべて、杏寿郎さんや私、そして最近一緒にやり始めた千寿郎に稽古をつけている。
あの笑顔が曇ってしまったら、みんな心配するだろうな。何も知らなかったら私だって困惑するし、心配する。
私なんかに吐き出して楽になれるなら、いくらでも受け止める。
「もったいなきお言葉をありがとうございます。……全てを吐露するなら、お酒は要りますか?」
「いや、要らん。酒の力は借りない」
相当参っているなら、もうすでに『前』の時のようにお酒の力に頼らないといけないのかもと、少し考えてしまったのだけれどもまだ『あそこ』まで気落ちしてはいなさそうだ。大変失礼なことを聞いてしまった。
「朝緋。もう鍛錬するのは止めにしないか」
は……?
「鬼さえいなければ、お前が鬼殺隊に入りたいなどと言い出すこともなかった。
手もそんな剣胼胝だらけではなく、柔らかく優しく綺麗なままだったろうに。
せめて朝緋だけでも、鍛錬するのをやめてくれないか。鬼殺隊に入るのは諦めてくれないか?
朝緋は女子だ。女子には他の幸せがあるだろう」
ああ、これは平行線だ。私が鬼殺隊を諦めるなんて、あり得ないのに。
「ーー刀を手に戦う隊士の手は綺麗ではないと?
とうさまの、人を守るこの手のひらはとても強く優しく、そしてあたたかい。私なんかより立派で綺麗な手のひらです」
金環が揺れる目を見つめながら、槇寿朗さんの手を取り握る。私以上に胼胝だらけだし切り傷が絶えないし傷跡でたくさん引き攣れているけれど、何もしていないまっさらな手よりよほど美しく、尊く私の目には映った。
「私はなんと言われようと、諦めません。
人の幸せを壊す鬼を、私は決して許さない。許せない。だから鬼の頸に刃を振るう。
私だけ幸せになっても意味がないのです。誰かが幸せを得たその先に、私の幸せがある」
誰か、というのは市井の人や鬼殺隊の人だけでなく、杏寿郎さん達なんだけどもね。むしろそっちがメイン。なんだか申し訳ないけれど、大切な人が優先されるのは仕方ないよね。
「強いな、朝緋は。
……かつて炎の呼吸が生まれた頃、その頃が鬼殺隊の強さも全盛期だった。それから先、今や鬼殺隊は弱体化の一途をたどり、隊士一人一人が弱くなっている。
炎の呼吸ではだめだ。弱い。鬼には勝てない」
炎の呼吸ではだめ。
つまり、槇寿朗さんはとうとう読んでしまったのだ。始まりの呼吸について書いてあるという、あの炎柱ノ書を。
あの時は炭治郎との取っ組み合いを止めるのに夢中で、呼吸の真実については詳しいことは知らない。何か叫んでいた気がするけれど、もっとよく聞いておけばよかったかも。
ただ、炎の呼吸がはじまりの呼吸の派生であること。それが槇寿朗さんにとって自分の在り方が、立っている場所が揺らいでしまうほど衝撃的だったというのはわかっている。
「俺もそうだ。弱くて誰も救えない。救えなかった。
俺は、いつまでこうしていなくちゃならないのか。もうつかれた。
朝緋も杏寿郎も、鬼殺隊に入れば日々の鬼殺がどれほど無駄な物なのかわかる時が来る。結局、救いたい者ほど救えない。自分の命が脅かされることだってある。
俺は誰にも死んでほしくない。瑠火にも、杏寿郎にも、朝緋にも、千寿郎にも」
呼吸について知った悩みだけじゃなさそうだ。
これは任務先で何かあったな。幼い私につい愚痴を漏らしてしまうほどの何かが。
ただでさえ妻である瑠火さんの病いに心を砕いているというに、溜まりに溜まった不安と度重なるストレスが槇寿朗さんを追い込んでいるのだ。
柱でいることすらも、槇寿朗さんほどの繊細で優しい質の人には重圧だろうと思う。彼は明らかに杏寿郎さんよりも心根が優しい。『前』の時に見た千寿郎なんかはきっと、槇寿朗さん似。……逆に杏寿郎さんは瑠火さん似かな。うん。
だからこそ先の世では『あのように』酒に溺れてしまった。
私は、肯定も否定もせず静かに聞くだけにとどめた。今の私が何を言っても、大した慰めにはならないだろうと踏んで。
でもこの人の願いはよくわかった。
大切な人の死がこわい。傷つく姿が見たくない。ただそれだけなのだ。