二周目 壱
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帰る前なのだろう通いの奉公人が、杏寿郎さんと話をしているのを聞いた。
「かあさまの薬が切れたの?」
普段の薬はあるが、頓服薬の予備がなくなってしまったそうだ。
明日の朝来る時に奉公人がもらってからくるとの話で落ち着いたみたいだが、診療所なんてすぐそこ。私が片道四半刻もひとっ走りすれば済む話だ。
季節の変わり目だからだろうか。ここのところ瑠火さんの体調が安定しないのだ。
万が一を考えたら、明日までなんて待ちたくなかった。
「私が貰ってきます」
「なっ……にを、言っているんだ!?」
「大丈夫、まだそんなに暗くないし、診療所までは人の往来もある。
手にしたらすぐに走って帰れば大丈夫!藤のお守りも持ってるよ!
かあさまの薬が切れる方が大変でしょ。たった一度の薬の有無が、最悪を引き寄せてしまう可能性もある。そんな事はさせない!
だから行ってきます!」
「待て待て!母上はきっと大丈夫だから行くな。
行ったら帰りには夜、暗くなって危険だぞ!普段の買い物とはわけが違うんだ。
俺は許可できない!」
昼過ぎに任務へ出立していて槇寿朗さんはいない。いない間の家長は床に臥せる瑠火さんではなく、煉獄家嫡男の杏寿郎さんだ。
家長のいいつけは絶対。本来ならばその静止は受け入れなければならないものだった。
「ほんとに平気だから!いってきまーす!!」
「こらっ朝緋っ!」
杏寿郎さんが鬼が出たらと恐れているのはわかる。
だけど私はそう言い残すと、財布と提灯を手に鉄砲玉のように屋敷を飛び出した。
「わあ!もう行ってしまった……!!朝緋、なんであんなに足が速いんだ……?
……おっと、早く母上に知らせなければ。母上!母上!!」
どたどたと足音を立てて、瑠火さんが臥せる床の間へと向かう杏寿郎さん。
「烏に頼んで、近くの剣士様に見回りをしていただきましょう。万が一鬼と出会ってしまっても、藤のお守りがあるならば多少の時間を稼げる。朝緋の無事を祈り、信じるのです」
「お、俺にできる事は他にないのですか!」
「貴方にできることは帰ってきた朝緋を優しく迎え、誉めることです。
いいですか、無茶をした朝緋を諌めるのは父の役目ですよ。叱ってはなりません」
「はいっ」
杏寿郎さんがそこまで慌てふためいていた事。そんな会話が繰り広げられていたなんてつゆ知らず、私は韋駄天が如く夕暮れの道をかけた。
「ほーら、薬の受け取りなんて、下位の鬼退治と同じくらい簡単だったじゃない」
夕暮れ時で赤く染まっていた道も帰りには暗くなり、空には星々が瞬いている。街に増え始めた街灯も、古き良き往来のこのあたりにはまだなく。私の光源は手元の提灯ひとつのみ。
ただの子供だったら薄暗闇の中恐怖で震え上がっていただろうが、私は鬼殺隊の記憶持ちだ。今更すぎて夜に恐怖なぞ感じない。スキップもできてしまうほど軽い足取り。
「簡単も何も、私の足だって『前』よりは鍛えてるからか今の体にしては速いし」
懐に大事に仕舞い込んだ薬を今一度確認し、足に力をこめて地を蹴った。
まだまだ炎の呼吸のこの字ですら碌に身につけられていないけど、スピードを出せる基礎体力は徐々についてる。
全力で走り出してみれば、『前』の頃の今の年齢とは明らかに力も速さも違っていた。
「でも心配かけちゃうから早く帰らないと」
流れる景色の中、森林の横を通り過ぎる時だった。
炭治郎ほど鋭くはないけれど、ある匂いを鼻が捉えた。鬼殺隊所属時に何度も嗅いだ、この鉄の匂い……。血だ。
次いで微かに聞こえる悲鳴と、助けを呼ぶ声。『化け物』という言葉。
平安や戦国の世ならば、モノノ怪の類や自然現象などを表す場合もあるが、最近ではガス灯、エレキテル……近代化も進みそういったモノノ怪の存在が信じられなくなってきている。
化け物とはすなわち、鬼のことを指す。
あの声量では、一般人には聞こえなかったろう。聞いたのが鬼を知る私でよかった。
だが私には烏がいないしそもそも鬼殺隊を呼ぶ暇はない。呼んでいる間に死んでしまうだろう。
手の届く範囲で市井の人が鬼により困っている……ならばどうする?見過ごすのは、煉獄家の恥。
刀もないし、体はまだ子供だ。
それでも囮になって人を逃し、鬼を撒くくらいならわけないはずで。
かつて甲まで階級の上がった私だ。下弦や上弦ならアウトだが、下位の鬼如きに遅れはとらない。
大丈夫、藤のお守りもある!
私は前よりも少しだけ速く動ける。ただそれだけのことで、鬼を舐めていた。
「お前の相手はこっちだ、よっ!」
「ぐわっ!なんだぁ!?」
今にも人間に襲い掛からんとする鬼を見つけ、突き飛ばすように思い切り体当たる。
小さいとはいえ、多少の呼吸を交えて全力で当たったからか、鬼の体が衝撃でそこから飛んで転がった。
伊之助がまるで四足獣のように『猪突猛進』と言いながら突進していたことを思い出しながらやったけど上手くいった。
ありがとう、伊之助!今度会うことがあれば、貴方の好物をご馳走するわ。
「大丈夫ですか!」
「ひぃ、あぁあ……助けに来てく……、子供じゃねぇか!大人を呼んでくれ!!」
鬼に足を噛まれたらしい男性はひどく憔悴して震えていたが、助けおこしたのが子供だと知った瞬間これである。
子供は足手纏いで何にもならないと思われるのは心外!ムッとしながらも続ける。
「年齢は関係ないでしょ!大人を呼ぶ暇なんてないので私が助けます!!」
「だめだ、逃げなさい!俺の事は気にせず早く!」
「いいから!死にたくなかったら立ってください!傷が痛くても走って!さあ早く!!」
男性の尻を蹴り飛ばすようにしてここから逃げろと急かせば、相手は弾かれたように駆けて行った。ううん、尻が痛くて飛び跳ねていったのかも。
思い切りやったから、多分あれしばらく痣になって消えないと思う。ごめんなさい。
足癖が悪い?人助けや鬼相手に殺法もルールも関係ないと思う。
ーークイッ!足に何か巻きつく感触。
「ヒヒヒ、よくも獲物を逃してくれたな……今度はお嬢ちゃんが獲物だぜぇ!」
「っ……!?」
まるでカメレオンかカエルのそれのように、鬼の舌が伸びて巻きついていた。ニタニタ笑う顔と相まって気色が悪い。
触りたくはなかったけれど、そんなこと言っていられない。
唾液らしき液でねっちょりするそれを引っ掴み、一瞬にして外して潰すようにぐりぐりと踏みつける。
痛かったようで舌はあわてて鬼の口に引っ込んだ。
「フヒヒ、逃げられると思ってるのか?」
「うん、思ってるよ。だって、藤のお守りがあるもの」
「ゲッ藤の匂い……っ!」
懐から藤の匂いを放つそれを取り出し、軽く振ってみせる。鬼が心底嫌そうな顔をし、後退した。
たいした能力はなさそうだけど鬼の血鬼術はこの長く伸びる舌で間違いないだろう。舌が刃のように鋭いわけでもなし、こんな心許ない細さ。簡単に引き千切れてしまいそう。
無限列車の……頸の下が蚯蚓みたいなあの鬼より遥かに弱い。
でもアレ思い出したら気持ち悪くなってきたな……。おぇっ。
針のようなものが数発飛んできたのは、今のうちに逃げてしまおうと思った時だった。
ほとんどは身を捻って避けたけども、手元の藤のお守りは打ち落とされて遠くへ飛び、頬にも一発掠ってしまった。
血が流れるこの感じは久しぶりだ。
「ヘヘッそんなもの飛び道具で撃ち落としゃ問題ねえな。
んん、この匂い……成る程成る程」
まずいな、気付かれた。
嬉しそうに笑った鬼が腕を振る。またも飛び出した針が数発、遠くへと吹き飛んだ藤のお守りを穿つ。
親の仇だとでもいうくらいにズタズタにされたお守りの布が、中身が、夜風に飛ばされ跡形もなくなる。
匂いも霧散してなくなるとかうっそでしょ!?
せめてこれが風上だったならと思ったけど、残念ながら風下だった。天は私に味方しない。
「スンスン。その藤の守りとやら……かなり匂いが薄かったようだな?そんなものじゃ、お嬢ちゃんの濃すぎる『稀血』の匂いは消せないぜ!」
大体、舌以外にも攻撃手段があるなんて聞いてない!
一番期待していた藤の守りがなくなりさすがの私も慌てた。
日輪刀もないし、逃げようにもまだまだ呼吸は安定せず途切れやすい。呼吸が安定しなければ、足の速さだって活かせない。
判断が鈍り、足がもつれて転んだ。
「い゛っ!」
擦りむいた腕が、切れた頬が痛い。
痛みで涙まで浮かんだ。なんと弱くて頼りない体と感情。
この幼い体、幼い心では駄目だったのか。
何より自分の足を、かつて鬼殺の道を歩んだ経験を過信しすぎだ……!
死ぬかもしれない。
鬼が近づいてくる。ああ、たべられてしまう。鬼殺隊にも入れず、杏寿郎さんが炎柱になる瞬間も見れず、鬼の糧となってしまう。挙句、稀血である私を糧とした鬼は、市井の人や鬼殺隊の人を傷つける強き鬼となるだろう。
それのなんと恐ろしいことか。
「稀血を食えるなんてついてるねぇ……。
しかしこの匂い……甘い……ふわふわして酒にでも酔ったみたいだ」
だが鬼は、私の稀血の匂いに酔った。
聞いてよかった話かどうかはわからないものの、かの風柱の稀血は鬼を酩酊状態にすると杏寿郎さんから聞いた。
それとは別の酔いに惑わされ、鬼が私にフラフラと顔を近づけてきた。
「うへへ、よくみたらかわいいじゃねぇか。血も肉も美味そうだが、コッチもうまそうだぁ……」
「ひぃっ!」
鬼に足首をむんずと掴まれ、上に持ち上げられる。頭が下になって、気持ちが悪い!
けどそれより気になるのは……。
この時代はパンツたるパンツはなく湯文字と呼ばれる腰巻きをぺらーりなんだよね!簡単にはだけて見せたくないもの見えるとか嫌だからやめてほしい!!
死ぬかもしれない、そんな時でも着物の裾がめくれないよう気にする私。
そんな私を、鬼が噛むことはなかった。
べろ。
えっ何。舐め……?ヴァッ!気持ち悪いっ!
足だ。掴んだ足を舐めている!
鬼の鋭い牙が掠りそうになる中、ふくらはぎ、膝裏を通って太ももまでべろりと長い舌が蛇のように這った。
またなの!?またそういうパターン!!無限列車の中でも似たような事あったよね!?
吐き気を催すような感触に鳥肌が立ち、生理的な涙が浮かんだ。
「いや……っ!へ、変態ーーっ!」
恐怖で体が硬直する中、それだけは叫べた。
ロリコンじゃん!この鬼ロリコンじゃん!私の体、今いくつだと思ってるの!一桁ですよ!一桁!
鬼殺隊の前に!お巡りさんここです!!
「かあさまの薬が切れたの?」
普段の薬はあるが、頓服薬の予備がなくなってしまったそうだ。
明日の朝来る時に奉公人がもらってからくるとの話で落ち着いたみたいだが、診療所なんてすぐそこ。私が片道四半刻もひとっ走りすれば済む話だ。
季節の変わり目だからだろうか。ここのところ瑠火さんの体調が安定しないのだ。
万が一を考えたら、明日までなんて待ちたくなかった。
「私が貰ってきます」
「なっ……にを、言っているんだ!?」
「大丈夫、まだそんなに暗くないし、診療所までは人の往来もある。
手にしたらすぐに走って帰れば大丈夫!藤のお守りも持ってるよ!
かあさまの薬が切れる方が大変でしょ。たった一度の薬の有無が、最悪を引き寄せてしまう可能性もある。そんな事はさせない!
だから行ってきます!」
「待て待て!母上はきっと大丈夫だから行くな。
行ったら帰りには夜、暗くなって危険だぞ!普段の買い物とはわけが違うんだ。
俺は許可できない!」
昼過ぎに任務へ出立していて槇寿朗さんはいない。いない間の家長は床に臥せる瑠火さんではなく、煉獄家嫡男の杏寿郎さんだ。
家長のいいつけは絶対。本来ならばその静止は受け入れなければならないものだった。
「ほんとに平気だから!いってきまーす!!」
「こらっ朝緋っ!」
杏寿郎さんが鬼が出たらと恐れているのはわかる。
だけど私はそう言い残すと、財布と提灯を手に鉄砲玉のように屋敷を飛び出した。
「わあ!もう行ってしまった……!!朝緋、なんであんなに足が速いんだ……?
……おっと、早く母上に知らせなければ。母上!母上!!」
どたどたと足音を立てて、瑠火さんが臥せる床の間へと向かう杏寿郎さん。
「烏に頼んで、近くの剣士様に見回りをしていただきましょう。万が一鬼と出会ってしまっても、藤のお守りがあるならば多少の時間を稼げる。朝緋の無事を祈り、信じるのです」
「お、俺にできる事は他にないのですか!」
「貴方にできることは帰ってきた朝緋を優しく迎え、誉めることです。
いいですか、無茶をした朝緋を諌めるのは父の役目ですよ。叱ってはなりません」
「はいっ」
杏寿郎さんがそこまで慌てふためいていた事。そんな会話が繰り広げられていたなんてつゆ知らず、私は韋駄天が如く夕暮れの道をかけた。
「ほーら、薬の受け取りなんて、下位の鬼退治と同じくらい簡単だったじゃない」
夕暮れ時で赤く染まっていた道も帰りには暗くなり、空には星々が瞬いている。街に増え始めた街灯も、古き良き往来のこのあたりにはまだなく。私の光源は手元の提灯ひとつのみ。
ただの子供だったら薄暗闇の中恐怖で震え上がっていただろうが、私は鬼殺隊の記憶持ちだ。今更すぎて夜に恐怖なぞ感じない。スキップもできてしまうほど軽い足取り。
「簡単も何も、私の足だって『前』よりは鍛えてるからか今の体にしては速いし」
懐に大事に仕舞い込んだ薬を今一度確認し、足に力をこめて地を蹴った。
まだまだ炎の呼吸のこの字ですら碌に身につけられていないけど、スピードを出せる基礎体力は徐々についてる。
全力で走り出してみれば、『前』の頃の今の年齢とは明らかに力も速さも違っていた。
「でも心配かけちゃうから早く帰らないと」
流れる景色の中、森林の横を通り過ぎる時だった。
炭治郎ほど鋭くはないけれど、ある匂いを鼻が捉えた。鬼殺隊所属時に何度も嗅いだ、この鉄の匂い……。血だ。
次いで微かに聞こえる悲鳴と、助けを呼ぶ声。『化け物』という言葉。
平安や戦国の世ならば、モノノ怪の類や自然現象などを表す場合もあるが、最近ではガス灯、エレキテル……近代化も進みそういったモノノ怪の存在が信じられなくなってきている。
化け物とはすなわち、鬼のことを指す。
あの声量では、一般人には聞こえなかったろう。聞いたのが鬼を知る私でよかった。
だが私には烏がいないしそもそも鬼殺隊を呼ぶ暇はない。呼んでいる間に死んでしまうだろう。
手の届く範囲で市井の人が鬼により困っている……ならばどうする?見過ごすのは、煉獄家の恥。
刀もないし、体はまだ子供だ。
それでも囮になって人を逃し、鬼を撒くくらいならわけないはずで。
かつて甲まで階級の上がった私だ。下弦や上弦ならアウトだが、下位の鬼如きに遅れはとらない。
大丈夫、藤のお守りもある!
私は前よりも少しだけ速く動ける。ただそれだけのことで、鬼を舐めていた。
「お前の相手はこっちだ、よっ!」
「ぐわっ!なんだぁ!?」
今にも人間に襲い掛からんとする鬼を見つけ、突き飛ばすように思い切り体当たる。
小さいとはいえ、多少の呼吸を交えて全力で当たったからか、鬼の体が衝撃でそこから飛んで転がった。
伊之助がまるで四足獣のように『猪突猛進』と言いながら突進していたことを思い出しながらやったけど上手くいった。
ありがとう、伊之助!今度会うことがあれば、貴方の好物をご馳走するわ。
「大丈夫ですか!」
「ひぃ、あぁあ……助けに来てく……、子供じゃねぇか!大人を呼んでくれ!!」
鬼に足を噛まれたらしい男性はひどく憔悴して震えていたが、助けおこしたのが子供だと知った瞬間これである。
子供は足手纏いで何にもならないと思われるのは心外!ムッとしながらも続ける。
「年齢は関係ないでしょ!大人を呼ぶ暇なんてないので私が助けます!!」
「だめだ、逃げなさい!俺の事は気にせず早く!」
「いいから!死にたくなかったら立ってください!傷が痛くても走って!さあ早く!!」
男性の尻を蹴り飛ばすようにしてここから逃げろと急かせば、相手は弾かれたように駆けて行った。ううん、尻が痛くて飛び跳ねていったのかも。
思い切りやったから、多分あれしばらく痣になって消えないと思う。ごめんなさい。
足癖が悪い?人助けや鬼相手に殺法もルールも関係ないと思う。
ーークイッ!足に何か巻きつく感触。
「ヒヒヒ、よくも獲物を逃してくれたな……今度はお嬢ちゃんが獲物だぜぇ!」
「っ……!?」
まるでカメレオンかカエルのそれのように、鬼の舌が伸びて巻きついていた。ニタニタ笑う顔と相まって気色が悪い。
触りたくはなかったけれど、そんなこと言っていられない。
唾液らしき液でねっちょりするそれを引っ掴み、一瞬にして外して潰すようにぐりぐりと踏みつける。
痛かったようで舌はあわてて鬼の口に引っ込んだ。
「フヒヒ、逃げられると思ってるのか?」
「うん、思ってるよ。だって、藤のお守りがあるもの」
「ゲッ藤の匂い……っ!」
懐から藤の匂いを放つそれを取り出し、軽く振ってみせる。鬼が心底嫌そうな顔をし、後退した。
たいした能力はなさそうだけど鬼の血鬼術はこの長く伸びる舌で間違いないだろう。舌が刃のように鋭いわけでもなし、こんな心許ない細さ。簡単に引き千切れてしまいそう。
無限列車の……頸の下が蚯蚓みたいなあの鬼より遥かに弱い。
でもアレ思い出したら気持ち悪くなってきたな……。おぇっ。
針のようなものが数発飛んできたのは、今のうちに逃げてしまおうと思った時だった。
ほとんどは身を捻って避けたけども、手元の藤のお守りは打ち落とされて遠くへ飛び、頬にも一発掠ってしまった。
血が流れるこの感じは久しぶりだ。
「ヘヘッそんなもの飛び道具で撃ち落としゃ問題ねえな。
んん、この匂い……成る程成る程」
まずいな、気付かれた。
嬉しそうに笑った鬼が腕を振る。またも飛び出した針が数発、遠くへと吹き飛んだ藤のお守りを穿つ。
親の仇だとでもいうくらいにズタズタにされたお守りの布が、中身が、夜風に飛ばされ跡形もなくなる。
匂いも霧散してなくなるとかうっそでしょ!?
せめてこれが風上だったならと思ったけど、残念ながら風下だった。天は私に味方しない。
「スンスン。その藤の守りとやら……かなり匂いが薄かったようだな?そんなものじゃ、お嬢ちゃんの濃すぎる『稀血』の匂いは消せないぜ!」
大体、舌以外にも攻撃手段があるなんて聞いてない!
一番期待していた藤の守りがなくなりさすがの私も慌てた。
日輪刀もないし、逃げようにもまだまだ呼吸は安定せず途切れやすい。呼吸が安定しなければ、足の速さだって活かせない。
判断が鈍り、足がもつれて転んだ。
「い゛っ!」
擦りむいた腕が、切れた頬が痛い。
痛みで涙まで浮かんだ。なんと弱くて頼りない体と感情。
この幼い体、幼い心では駄目だったのか。
何より自分の足を、かつて鬼殺の道を歩んだ経験を過信しすぎだ……!
死ぬかもしれない。
鬼が近づいてくる。ああ、たべられてしまう。鬼殺隊にも入れず、杏寿郎さんが炎柱になる瞬間も見れず、鬼の糧となってしまう。挙句、稀血である私を糧とした鬼は、市井の人や鬼殺隊の人を傷つける強き鬼となるだろう。
それのなんと恐ろしいことか。
「稀血を食えるなんてついてるねぇ……。
しかしこの匂い……甘い……ふわふわして酒にでも酔ったみたいだ」
だが鬼は、私の稀血の匂いに酔った。
聞いてよかった話かどうかはわからないものの、かの風柱の稀血は鬼を酩酊状態にすると杏寿郎さんから聞いた。
それとは別の酔いに惑わされ、鬼が私にフラフラと顔を近づけてきた。
「うへへ、よくみたらかわいいじゃねぇか。血も肉も美味そうだが、コッチもうまそうだぁ……」
「ひぃっ!」
鬼に足首をむんずと掴まれ、上に持ち上げられる。頭が下になって、気持ちが悪い!
けどそれより気になるのは……。
この時代はパンツたるパンツはなく湯文字と呼ばれる腰巻きをぺらーりなんだよね!簡単にはだけて見せたくないもの見えるとか嫌だからやめてほしい!!
死ぬかもしれない、そんな時でも着物の裾がめくれないよう気にする私。
そんな私を、鬼が噛むことはなかった。
べろ。
えっ何。舐め……?ヴァッ!気持ち悪いっ!
足だ。掴んだ足を舐めている!
鬼の鋭い牙が掠りそうになる中、ふくらはぎ、膝裏を通って太ももまでべろりと長い舌が蛇のように這った。
またなの!?またそういうパターン!!無限列車の中でも似たような事あったよね!?
吐き気を催すような感触に鳥肌が立ち、生理的な涙が浮かんだ。
「いや……っ!へ、変態ーーっ!」
恐怖で体が硬直する中、それだけは叫べた。
ロリコンじゃん!この鬼ロリコンじゃん!私の体、今いくつだと思ってるの!一桁ですよ!一桁!
鬼殺隊の前に!お巡りさんここです!!