三周目 漆
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いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
俺は柱なのだ。いい加減、刀を握らねばな。
そう思って日輪刀を久し振りに握った時のことだった。
「にぎ、れない……?」
握ろうとしたそれが握れない。まるで鞘や柄の部分に拒絶されているかのように弾かれ、取り落としてしまった。
ああそうか。拒絶しているのは、刀の方ではない。俺の方か。
日輪刀を恐ろしく感じたのは初めてのことだった。
それが直接の致命傷にはならなかったとはいえ、俺は日輪刀で朝緋の体を斬った。この手で朝緋を傷つけてしまった。
あの感触が残っている。朝緋のことを斬ってしまった日輪刀など握れない。
握ることが出来ないのは木刀もだ。これでは鍛錬もできない。刀を持とうとしただけで、震えるようになってしまった。
俺は柱として、もうやっていけないのだろうか。
朝緋のこととは別のところで、気持ちがひどく沈み込み、心までもが折れてしまった。
それがきっかけになってしまったのか、食事も喉を通らなくなってきた。
無理に食べようとすれば吐き戻すほどで。千寿郎の作る食事も美味いはずなのにな。
こんなことは初めてのことだった。
これでは何もできない。眠ることすら、満足にできない。
ああ、でも……もういいか。
人々を守ると言う責務を全うしなくてはと言っても、一番守りたかった人はもういない。
鍛錬もできない、刀も握れない俺はすでに『強く生まれた者』とは真逆の位置にいる。左目も見えないし今の俺は弱い。
それに責務を全うできる柱ならば他にもいる。期待のできる後継も育ってきている。
今、完全に全集中の常中を解いてしまえば、きっともう柱の強さには戻ることはできないだろう。
それでいい。もう、疲れた。
肩の荷をおろしたい。
俺の様子を見かねた父上が喝を入れてきたのはそれからすぐだった。
「杏寿郎!なんだその幽鬼のようなありようは!!せめてしっかり食事をしないか!千寿郎も心配しているぞ!?あと寝ろ!!」
言葉は荒いが俺を心配して言ってくれているのがよくわかった。今まで鬼殺隊を辞めるように言っていた罵声すら、我々を心配しての言葉だったのだと改めて感じ取れるほどで。
ありがたいことだ。俺も朝緋も、こんなにも家族に愛されている。
「無理です、父上。食事が喉を通らないのです。食事を作ってくれる千寿郎には申し訳ないのですが、朝緋が作った物以外はまるで砂を噛むかのようで。朝緋が作った食事でないと俺はもう……。
眠ることもまた、今の俺には苦痛しか与えてきません。無理なのです」
ああ、叶うならあの子が作る芋の味噌汁が飲みたいものだ。
「杏寿郎……」
「柱を降ります。俺はもう、刀を握れません。左目もなくて満足に鬼を斬れないでしょうし、お館様もお許しになることでしょう」
「……っ!朝緋がお前を生かしたのだろう!?
お前は柱だ!!目が一つしかない!?だからなんだ!目が一つあれば鬼は斬れる!!そう簡単に柱を降りたいなどと口にするな!!」
「いつもと言っている言葉が逆ですよ、父上」
そう返せば、父上が言葉に悩み止まった。
「鬼を倒そうとする時、朝緋が鬼の体を固定しました。自分ごと斬るようにと。俺は朝緋の体を斬ってしまった」
「ああ、そういえば肩口に刀傷があるようだったな。隊士ならそれ以外に方法がなくば、そうして当然だったろう。俺でもそうする」
「俺の手からあの感覚が抜けないのです。朝緋を斬ってしまったあの感覚が。
刀を握ろうとすると、全身が震えて全集中の呼吸すら途切れてしまう。刀を握れない!
……俺の剣士としての生命は終わりました。心が燃えません」
「気持ちはわからんでもない。そもそも朝緋はお前の妹だからな。余計に辛かろう……」
「妹?父上、朝緋はもう俺の妹ではありません。これから俺の妻になるはずの愛しい人でした」
今度こそ本来の意味で父上の動きが止まった。その呼吸すら一瞬、止まった。
「は……?妻……?お前達いつからそんな、」
「俺が柱になってすぐの頃です。
わかりますか。愛する者に刃を入れた。愛する者を目の前で失った。俺のこの気持ちが」
感情を乗せず言い切れば、逆に父上の方が顔をくしゃくしゃに歪めて感情をあらわにし、その目を潤ませた。
父上がこうして目の前で涙をこぼす姿なんて初めて見る。普段なら俺の目の前でなんて見せない姿だろう。
「俺はお前に俺と同じ轍を歩ませる予定はなかった。瑠火を……お前達の母親を亡くした時の俺と同じ。いや、それ以上に酷かろう」
「父上は母上に日輪刀の鞘すら持たそうとはしませんでしたからね」
苦笑と共に言えば父上が深く深くため息を吐いた。
どこまでも続くと思われたため息が切れた時、父上は鋭いような。それでいて憂い、そして諦めたような目で俺を見た。
「……わかった。お前の好きにしろ。俺からはもう何も言わない。
自分で柱にまでなった男だ。どうせ俺が何を言っても聞かないのだろうからな」
「父上、ありがとうございます」
柱を降りる、その言葉を放つだけで心が軽くなった。
なぜだろう。
剣士としての死を選ぶだけでなく、朝緋の元へ行ってしまおうかと思った瞬間だけは、日輪刀に触れることもできた。
朝緋が呼んでいるのだろうか。いや、あの子は俺の死を望んではいない。
あんなにも俺が生き残ったことを嬉しそうにしていた。俺の生を望んで最後まで笑っていた。
けれど君の元へと俺も行っていいのなら俺も行こう。きっと、追い返されたりはしない。朝緋ならばきっと、仕方のない人だと苦笑しながら腕を広げて俺を迎え入れてくれるはずだ……。
朝緋も言った通り、朝緋とは俺だって見たいもの食べたいもの行きたい場所がたくさんあった。
竈門少年達を招いて共に鍛錬もしたかった。
だが今一番の俺の望みは、君のところに行きたい……逢いたい。その一つだけなのだから。
俺は柱なのだ。いい加減、刀を握らねばな。
そう思って日輪刀を久し振りに握った時のことだった。
「にぎ、れない……?」
握ろうとしたそれが握れない。まるで鞘や柄の部分に拒絶されているかのように弾かれ、取り落としてしまった。
ああそうか。拒絶しているのは、刀の方ではない。俺の方か。
日輪刀を恐ろしく感じたのは初めてのことだった。
それが直接の致命傷にはならなかったとはいえ、俺は日輪刀で朝緋の体を斬った。この手で朝緋を傷つけてしまった。
あの感触が残っている。朝緋のことを斬ってしまった日輪刀など握れない。
握ることが出来ないのは木刀もだ。これでは鍛錬もできない。刀を持とうとしただけで、震えるようになってしまった。
俺は柱として、もうやっていけないのだろうか。
朝緋のこととは別のところで、気持ちがひどく沈み込み、心までもが折れてしまった。
それがきっかけになってしまったのか、食事も喉を通らなくなってきた。
無理に食べようとすれば吐き戻すほどで。千寿郎の作る食事も美味いはずなのにな。
こんなことは初めてのことだった。
これでは何もできない。眠ることすら、満足にできない。
ああ、でも……もういいか。
人々を守ると言う責務を全うしなくてはと言っても、一番守りたかった人はもういない。
鍛錬もできない、刀も握れない俺はすでに『強く生まれた者』とは真逆の位置にいる。左目も見えないし今の俺は弱い。
それに責務を全うできる柱ならば他にもいる。期待のできる後継も育ってきている。
今、完全に全集中の常中を解いてしまえば、きっともう柱の強さには戻ることはできないだろう。
それでいい。もう、疲れた。
肩の荷をおろしたい。
俺の様子を見かねた父上が喝を入れてきたのはそれからすぐだった。
「杏寿郎!なんだその幽鬼のようなありようは!!せめてしっかり食事をしないか!千寿郎も心配しているぞ!?あと寝ろ!!」
言葉は荒いが俺を心配して言ってくれているのがよくわかった。今まで鬼殺隊を辞めるように言っていた罵声すら、我々を心配しての言葉だったのだと改めて感じ取れるほどで。
ありがたいことだ。俺も朝緋も、こんなにも家族に愛されている。
「無理です、父上。食事が喉を通らないのです。食事を作ってくれる千寿郎には申し訳ないのですが、朝緋が作った物以外はまるで砂を噛むかのようで。朝緋が作った食事でないと俺はもう……。
眠ることもまた、今の俺には苦痛しか与えてきません。無理なのです」
ああ、叶うならあの子が作る芋の味噌汁が飲みたいものだ。
「杏寿郎……」
「柱を降ります。俺はもう、刀を握れません。左目もなくて満足に鬼を斬れないでしょうし、お館様もお許しになることでしょう」
「……っ!朝緋がお前を生かしたのだろう!?
お前は柱だ!!目が一つしかない!?だからなんだ!目が一つあれば鬼は斬れる!!そう簡単に柱を降りたいなどと口にするな!!」
「いつもと言っている言葉が逆ですよ、父上」
そう返せば、父上が言葉に悩み止まった。
「鬼を倒そうとする時、朝緋が鬼の体を固定しました。自分ごと斬るようにと。俺は朝緋の体を斬ってしまった」
「ああ、そういえば肩口に刀傷があるようだったな。隊士ならそれ以外に方法がなくば、そうして当然だったろう。俺でもそうする」
「俺の手からあの感覚が抜けないのです。朝緋を斬ってしまったあの感覚が。
刀を握ろうとすると、全身が震えて全集中の呼吸すら途切れてしまう。刀を握れない!
……俺の剣士としての生命は終わりました。心が燃えません」
「気持ちはわからんでもない。そもそも朝緋はお前の妹だからな。余計に辛かろう……」
「妹?父上、朝緋はもう俺の妹ではありません。これから俺の妻になるはずの愛しい人でした」
今度こそ本来の意味で父上の動きが止まった。その呼吸すら一瞬、止まった。
「は……?妻……?お前達いつからそんな、」
「俺が柱になってすぐの頃です。
わかりますか。愛する者に刃を入れた。愛する者を目の前で失った。俺のこの気持ちが」
感情を乗せず言い切れば、逆に父上の方が顔をくしゃくしゃに歪めて感情をあらわにし、その目を潤ませた。
父上がこうして目の前で涙をこぼす姿なんて初めて見る。普段なら俺の目の前でなんて見せない姿だろう。
「俺はお前に俺と同じ轍を歩ませる予定はなかった。瑠火を……お前達の母親を亡くした時の俺と同じ。いや、それ以上に酷かろう」
「父上は母上に日輪刀の鞘すら持たそうとはしませんでしたからね」
苦笑と共に言えば父上が深く深くため息を吐いた。
どこまでも続くと思われたため息が切れた時、父上は鋭いような。それでいて憂い、そして諦めたような目で俺を見た。
「……わかった。お前の好きにしろ。俺からはもう何も言わない。
自分で柱にまでなった男だ。どうせ俺が何を言っても聞かないのだろうからな」
「父上、ありがとうございます」
柱を降りる、その言葉を放つだけで心が軽くなった。
なぜだろう。
剣士としての死を選ぶだけでなく、朝緋の元へ行ってしまおうかと思った瞬間だけは、日輪刀に触れることもできた。
朝緋が呼んでいるのだろうか。いや、あの子は俺の死を望んではいない。
あんなにも俺が生き残ったことを嬉しそうにしていた。俺の生を望んで最後まで笑っていた。
けれど君の元へと俺も行っていいのなら俺も行こう。きっと、追い返されたりはしない。朝緋ならばきっと、仕方のない人だと苦笑しながら腕を広げて俺を迎え入れてくれるはずだ……。
朝緋も言った通り、朝緋とは俺だって見たいもの食べたいもの行きたい場所がたくさんあった。
竈門少年達を招いて共に鍛錬もしたかった。
だが今一番の俺の望みは、君のところに行きたい……逢いたい。その一つだけなのだから。