一周目 弐
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そんなに反省することでもないのに、目を覚ました炭治郎は土下座する勢いで千寿郎に謝り倒していた。
おかしなそれを苦笑しながら見て、私は千寿郎の淹れたお茶を懐かしげに味わっていた。
あ、腕上げたな……美味しい。
結局、すぐに帰りますっていうのは、嘘になってしまった。
炭治郎が目覚めるまでは槇寿朗さんについていたけれど、先に目を覚ました彼からは咎めるような一瞥をもらっただけで、何も言われなかったが。
お酒の瓶を割ってしまったから、買いに行くのだろう。肝を悪くしてほしくないし、控えてほしいなあ。
その内、炭治郎がヒノカミ神楽の話をするにあたり、千寿郎が炎柱ノ書を持ってきた。
よく槇寿朗さんが読んでいたあれだ。私は杏寿郎さんと共に、三巻までしか見ていない。そして杏寿郎さんはその三巻だけで、炎の呼吸を覚えたすごい人なのだ。
ドキドキしながら書を開く二人に倣い、後ろからそっと覗き込む。
「うわ、なにこれ」
だがそこにあったのは、ずたずたに破かれたほとんど読めない紙の束だった。
「父が破いたのだと思います」
「そうね、槇寿朗さんは日の呼吸が大嫌いみたいだから。
ほらみて、ところどころに日の呼吸って書いてある。
さっき槇寿朗さんが言っていたことがここに書いてあって、それをみて激昂し破いた……といったところじゃないかな」
他が派生の呼吸だからといってそこまで怒ることなのかどうかはわからない。ただ、槇寿朗さんとしてはこれまで信じてきたものが崩れ去るほどの衝撃だったのだろう。
その気持ちは、未だ炎の呼吸を極められていない私に推し量る事はできないけれども。
結局何もわからずじまいになってしまい、千寿郎共々申し訳ない思いでいっぱいだ。
炭治郎には色々と助けてもらったのに、何も返せない。
だが炭治郎は、これからすべきこと。進むべき道をきちんとわかっているようだった。
千寿郎もまた、正しいと思う道を進むとそう決めた。
涙する千寿郎と炭治郎につられ、隣で話を聞いていただけの私も、べそべそと泣いてしまった。
……私ももっともっと鍛錬しないと。
まだ話がしたいと言う千寿郎の気持ちを汲んで、私は炭治郎を蝶屋敷まで送らずここで別れることにした。
門前で見送りをすると、千寿郎が大事に抱えていた包みの中身を炭治郎に渡していた。
杏寿郎さんの刀の鍔だそうだ。
きっと彼なら、意志を継いでくれる。正式な継子ではなくとも彼はすでに杏寿郎さんの継子同然だ。
剣技を継ぐ者だけが、継子じゃないのだから。
「朝緋さん!
色々とありがとうございました!
汽車の中で、打ち稽古の約束もしましたよね。俺、すっごく楽しみにして待っています!ではまた今度!」
「うん……ありがとう。また今度ね」
もうすでにその快活さは、杏寿郎さんに通ずるものがあった。
それを嬉しく思いながら、私は千寿郎と並んで炭治郎が角を曲がるその時まで見送った。
「姉上……兄上にそろそろ会っていただけませんか」
「……、…………」
それまでにこやかに笑っていた千寿郎が、悲しそうな顔でそっと私を見上げる。
もう、逃げるのはよそう。
仏間。その部屋には線香の香りが立ち込めていた。
前にそこにある主だった位牌は瑠火さんの物だった。今はもう一つ、新しい位牌が追加で置かれている。
供えられているのは、多分千寿郎が用意しているのだろう、貴方の好物ばかり。
お供物同様、部屋の中に置かれているのは、炎柄の日輪刀。その折れた刀身。
そして血の染みが落ちなくなった、炎柱の羽織に、貴方の遺髪。
貴方が鬼殺隊を介して家族に、そして私に遺した遺書。遺した人の幸せを願う言葉ばかりのそれも読んだ。
私の幸せーー?貴方がいなければ、私の幸せなんてどこにもないのに。私の幸せは、貴方がいて初めて完成するものなのに。
あの最期に言われた『愛している』が蘇ってきた。
本当はもうとっくの昔にわかっていた。
もう、彼がこの世のどこにもいないことを。
死んでいないと思い込むことで、自分の心を守ろうとしていたに過ぎない。
だから、遠くの任務に行っているという幻を信じていた。今も信じたい。
けれど、ここに来てようやく、もうどこにもいない『貴方』を理解する。
「返して、杏寿郎さんを返してよぉ……」
杏寿郎さんの血の匂いが未だに残る炎柱の羽織を前に、縋るように泣き崩れる。
涙は止まらない。泣きたいだけ泣けばいいと、誰も咎める事はなく。
私のすぐ後ろでは、涙を堪える千寿郎が控えていた。
そして離れた位置からは、私の様子を槇寿朗さんが見守ってくれているようだった。
その時にはもう、彼が遺した槇寿朗さんへの言葉は、千寿郎の口から伝えられていたらしい。
体を大切に。その言葉通りに酒を控え、槇寿朗さんはここから性格が丸くなっていったとのことだ。
杏寿郎さん。
この短時間で貴方の父親は変わりました。せめて、貴方が生きているうちに和解できていたのならどんなに嬉しかったか。
そして私は一度炎柱邸へと戻り、次の日に改めて煉獄家の敷居を跨いだ。
覚悟を決める。凛とした佇まいを装ってかつて杏寿郎さんがしたように、槇寿朗さんへの報告をすべく声をかける。
「煉獄朝緋。元炎柱・煉獄槇寿朗殿にご報告があり、参上いたしました。入室してもよろしいでしょうか」
「ああ、入れ」
杏寿郎さんの時とは違い、柔らかな声が私を迎えてくれた。
その時とは違いそばに千寿郎も控えているし、私に遺されていた杏寿郎さんの遺髪も懐に忍ばせてある。なんて心強い。
「此度の一件後、炎柱への就任をお館様から仰せつかりました」
ただ一言それだけだったけれど、そこに至るまでに私の中には様々な思いがあった。
槇寿朗さんに何を言われるか怖かった気持ちは、今はほとんどない。
覚悟が必要なだけだった。その一言を言って乗り越える覚悟が。
私は今、気持ちにけじめをつけた。
「……、そうか。
本当ならばよくやった、と褒めるべきなのだろうが、杏寿郎の奴にすら言ってやれなかった俺がいまさら言える言葉でもない」
昨日とは打って変わり、柔らかな声色が降ってくる。
改心したのは本当なようだった。この家の膿をすっかり綺麗に出してくれた炭治郎には、感謝しかない。
「なぜだろうな、嬉しく思わねばならないはずなのに、一つも嬉しいと思えんのだ。杏寿郎の時もそうだった」
ふいと向こうに顔を背けて俯く槇寿朗さんの背中が、震えている。
「碌に褒められもしない駄目な父親で、ごめんなあ…………」
声もまた、ひどく震えていた。
こんな父親の姿は、瑠火さんが亡くなった時以来だろうか。あの時も私たちのいる前では泣く素振りすらなかったように思う。私が偶然目撃してしまっただけで。
「槇寿朗さ……父上。いいのです。今はそうやってお認めになってくださった。それだけで娘は嬉しく思います」
「こんな駄目親父でも、父と呼んでくれるのか…………ありがとう。
千寿郎も、今まで本当にすまなかった」
今度こそこちらを向いて、槇寿朗さん……ううん、父は床に頭をこすりつけ、謝罪した。
もうその言葉、気持ちだけでよかった。
家長にずっと頭を下げさせていてはいけない。いつまでも顔を上げぬ父親の姿に焦り、千寿郎と二人で宥め起こす。
顔を上げた彼がそっと手を伸ばし、私と千寿郎をまとめて抱き寄せる。
「杏寿郎にも、もっと早くこうしてやるべきだった」
私達は家族揃って暫くの間泣いた。
父の腕の中は、杏寿郎さんと同じ。とてもあたたかかった。
腕の中で眠ってしまった千寿郎。その安らかな寝顔を眺め髪をすいてやりながら、炎柱就任についてのこれからなど、詳しい話をする。
そして最後に付け足されたのは、鬼殺隊としてはおよそ失格な親が子を思う言葉だった。
「俺が言えるのはこれだけだ。
死ぬなよ、朝緋。
誰も死なせない精神は大事だが、お前はその中に自分自身も含めろ。危険な時は鬼殺ではなく自分の命を優先しろ。
お前は何があろうとも生きて、ここに戻ってこい。この家に。俺達家族の元に」
「はい……嬉しい言葉の数々、ありがたく頂戴します」
私は深く深く、育ての父・槇寿朗さんに頭を下げた。
おかしなそれを苦笑しながら見て、私は千寿郎の淹れたお茶を懐かしげに味わっていた。
あ、腕上げたな……美味しい。
結局、すぐに帰りますっていうのは、嘘になってしまった。
炭治郎が目覚めるまでは槇寿朗さんについていたけれど、先に目を覚ました彼からは咎めるような一瞥をもらっただけで、何も言われなかったが。
お酒の瓶を割ってしまったから、買いに行くのだろう。肝を悪くしてほしくないし、控えてほしいなあ。
その内、炭治郎がヒノカミ神楽の話をするにあたり、千寿郎が炎柱ノ書を持ってきた。
よく槇寿朗さんが読んでいたあれだ。私は杏寿郎さんと共に、三巻までしか見ていない。そして杏寿郎さんはその三巻だけで、炎の呼吸を覚えたすごい人なのだ。
ドキドキしながら書を開く二人に倣い、後ろからそっと覗き込む。
「うわ、なにこれ」
だがそこにあったのは、ずたずたに破かれたほとんど読めない紙の束だった。
「父が破いたのだと思います」
「そうね、槇寿朗さんは日の呼吸が大嫌いみたいだから。
ほらみて、ところどころに日の呼吸って書いてある。
さっき槇寿朗さんが言っていたことがここに書いてあって、それをみて激昂し破いた……といったところじゃないかな」
他が派生の呼吸だからといってそこまで怒ることなのかどうかはわからない。ただ、槇寿朗さんとしてはこれまで信じてきたものが崩れ去るほどの衝撃だったのだろう。
その気持ちは、未だ炎の呼吸を極められていない私に推し量る事はできないけれども。
結局何もわからずじまいになってしまい、千寿郎共々申し訳ない思いでいっぱいだ。
炭治郎には色々と助けてもらったのに、何も返せない。
だが炭治郎は、これからすべきこと。進むべき道をきちんとわかっているようだった。
千寿郎もまた、正しいと思う道を進むとそう決めた。
涙する千寿郎と炭治郎につられ、隣で話を聞いていただけの私も、べそべそと泣いてしまった。
……私ももっともっと鍛錬しないと。
まだ話がしたいと言う千寿郎の気持ちを汲んで、私は炭治郎を蝶屋敷まで送らずここで別れることにした。
門前で見送りをすると、千寿郎が大事に抱えていた包みの中身を炭治郎に渡していた。
杏寿郎さんの刀の鍔だそうだ。
きっと彼なら、意志を継いでくれる。正式な継子ではなくとも彼はすでに杏寿郎さんの継子同然だ。
剣技を継ぐ者だけが、継子じゃないのだから。
「朝緋さん!
色々とありがとうございました!
汽車の中で、打ち稽古の約束もしましたよね。俺、すっごく楽しみにして待っています!ではまた今度!」
「うん……ありがとう。また今度ね」
もうすでにその快活さは、杏寿郎さんに通ずるものがあった。
それを嬉しく思いながら、私は千寿郎と並んで炭治郎が角を曲がるその時まで見送った。
「姉上……兄上にそろそろ会っていただけませんか」
「……、…………」
それまでにこやかに笑っていた千寿郎が、悲しそうな顔でそっと私を見上げる。
もう、逃げるのはよそう。
仏間。その部屋には線香の香りが立ち込めていた。
前にそこにある主だった位牌は瑠火さんの物だった。今はもう一つ、新しい位牌が追加で置かれている。
供えられているのは、多分千寿郎が用意しているのだろう、貴方の好物ばかり。
お供物同様、部屋の中に置かれているのは、炎柄の日輪刀。その折れた刀身。
そして血の染みが落ちなくなった、炎柱の羽織に、貴方の遺髪。
貴方が鬼殺隊を介して家族に、そして私に遺した遺書。遺した人の幸せを願う言葉ばかりのそれも読んだ。
私の幸せーー?貴方がいなければ、私の幸せなんてどこにもないのに。私の幸せは、貴方がいて初めて完成するものなのに。
あの最期に言われた『愛している』が蘇ってきた。
本当はもうとっくの昔にわかっていた。
もう、彼がこの世のどこにもいないことを。
死んでいないと思い込むことで、自分の心を守ろうとしていたに過ぎない。
だから、遠くの任務に行っているという幻を信じていた。今も信じたい。
けれど、ここに来てようやく、もうどこにもいない『貴方』を理解する。
「返して、杏寿郎さんを返してよぉ……」
杏寿郎さんの血の匂いが未だに残る炎柱の羽織を前に、縋るように泣き崩れる。
涙は止まらない。泣きたいだけ泣けばいいと、誰も咎める事はなく。
私のすぐ後ろでは、涙を堪える千寿郎が控えていた。
そして離れた位置からは、私の様子を槇寿朗さんが見守ってくれているようだった。
その時にはもう、彼が遺した槇寿朗さんへの言葉は、千寿郎の口から伝えられていたらしい。
体を大切に。その言葉通りに酒を控え、槇寿朗さんはここから性格が丸くなっていったとのことだ。
杏寿郎さん。
この短時間で貴方の父親は変わりました。せめて、貴方が生きているうちに和解できていたのならどんなに嬉しかったか。
そして私は一度炎柱邸へと戻り、次の日に改めて煉獄家の敷居を跨いだ。
覚悟を決める。凛とした佇まいを装ってかつて杏寿郎さんがしたように、槇寿朗さんへの報告をすべく声をかける。
「煉獄朝緋。元炎柱・煉獄槇寿朗殿にご報告があり、参上いたしました。入室してもよろしいでしょうか」
「ああ、入れ」
杏寿郎さんの時とは違い、柔らかな声が私を迎えてくれた。
その時とは違いそばに千寿郎も控えているし、私に遺されていた杏寿郎さんの遺髪も懐に忍ばせてある。なんて心強い。
「此度の一件後、炎柱への就任をお館様から仰せつかりました」
ただ一言それだけだったけれど、そこに至るまでに私の中には様々な思いがあった。
槇寿朗さんに何を言われるか怖かった気持ちは、今はほとんどない。
覚悟が必要なだけだった。その一言を言って乗り越える覚悟が。
私は今、気持ちにけじめをつけた。
「……、そうか。
本当ならばよくやった、と褒めるべきなのだろうが、杏寿郎の奴にすら言ってやれなかった俺がいまさら言える言葉でもない」
昨日とは打って変わり、柔らかな声色が降ってくる。
改心したのは本当なようだった。この家の膿をすっかり綺麗に出してくれた炭治郎には、感謝しかない。
「なぜだろうな、嬉しく思わねばならないはずなのに、一つも嬉しいと思えんのだ。杏寿郎の時もそうだった」
ふいと向こうに顔を背けて俯く槇寿朗さんの背中が、震えている。
「碌に褒められもしない駄目な父親で、ごめんなあ…………」
声もまた、ひどく震えていた。
こんな父親の姿は、瑠火さんが亡くなった時以来だろうか。あの時も私たちのいる前では泣く素振りすらなかったように思う。私が偶然目撃してしまっただけで。
「槇寿朗さ……父上。いいのです。今はそうやってお認めになってくださった。それだけで娘は嬉しく思います」
「こんな駄目親父でも、父と呼んでくれるのか…………ありがとう。
千寿郎も、今まで本当にすまなかった」
今度こそこちらを向いて、槇寿朗さん……ううん、父は床に頭をこすりつけ、謝罪した。
もうその言葉、気持ちだけでよかった。
家長にずっと頭を下げさせていてはいけない。いつまでも顔を上げぬ父親の姿に焦り、千寿郎と二人で宥め起こす。
顔を上げた彼がそっと手を伸ばし、私と千寿郎をまとめて抱き寄せる。
「杏寿郎にも、もっと早くこうしてやるべきだった」
私達は家族揃って暫くの間泣いた。
父の腕の中は、杏寿郎さんと同じ。とてもあたたかかった。
腕の中で眠ってしまった千寿郎。その安らかな寝顔を眺め髪をすいてやりながら、炎柱就任についてのこれからなど、詳しい話をする。
そして最後に付け足されたのは、鬼殺隊としてはおよそ失格な親が子を思う言葉だった。
「俺が言えるのはこれだけだ。
死ぬなよ、朝緋。
誰も死なせない精神は大事だが、お前はその中に自分自身も含めろ。危険な時は鬼殺ではなく自分の命を優先しろ。
お前は何があろうとも生きて、ここに戻ってこい。この家に。俺達家族の元に」
「はい……嬉しい言葉の数々、ありがたく頂戴します」
私は深く深く、育ての父・槇寿朗さんに頭を下げた。