二周目 拾
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
白い天井、窓の外からの柔らかな光、ツンと鼻にくる消毒液の匂い。
そして、目の前の儚げな美人。
私の顔を覗き込むのは、杏寿郎さんではなくしのぶさんだった。
「よかった。目が覚めたようですね」
「しの……ぶ、さん」
ここは無限列車から降りた先、荒廃した線路沿いの草原ではない。蟲柱であるしのぶさんが管理する蝶屋敷だ。
目を数回ぱちぱちと瞬きし、ゆっくりと起き上がる。気がついたしのぶさんが即座に支えてくれた。
「……私ってどのくらい寝てた?」
「到着後腕の処置をしてまだ一刻くらいでしょうか」
「腕、」
一刻……、二時間程度。
言われて初めて確認した腕は……ああ、やはり失われたままだ。なるほど、だからしのぶさんも私の起床を支えてくれたのか。つまりあれは……起こったことは。
夢ではなく現実。
あんな悪夢は、悪夢のままでよかったのに。
どさりと敷布の上に倒れ、再び横になる。
深いため息を吐いたと同時、体も深く深く沈み込んだ。
「大丈夫ですか?」
「ああ、うん。大丈夫……」
腕の欠損に落ち込んでしまったと思ったか、心配そうに顔を覗きこんでくるしのぶさん。
って、あれ?私なんかよりよほど顔色が悪く見える……。しのぶさんのほうが心配されてしかるべきでは?
「右手の骨折、腕の欠損、全身の強打……決して軽くない怪我です。加えて酷い貧血もあります。術後の覚醒こそ早くて安心しましたが、だからといって無理をしてはいけません」
そっと手を取られ握られる。
綺麗な顔が作り出すまつげの影がふるりと揺れている。
それは、友人である私が自らの姉と同じようにならないか不安でたまらないと言いたげで。
「この程度の打撲なら我慢が利くし、右手なんて呼吸の精度を上げれば骨もすぐくっ付く。貧血だって栄養をとっていれば回復する。
腕は戻ってこないけれど、でも大丈夫。そこまで痛くないよ?」
「何言ってるの!痛みがないのは痛み止めが効いているから!呼吸で無理やり治すのも禁止です!!
本当に……無茶な真似しないでください」
安心させようと言ったのに、怒られてしまった。逆に悲しい顔もさせてしまった。
思えば『前』にも、無理やり治そうとした時に咎められたっけ。あの時折れたのは足だったな。
「ありがとう、しのぶさん」
私の身を案じてくれるしのぶさんの思いを噛み締めるように、ゆるりと謝を示して返す。
ただ、無茶しないという約束はできないけれどね。
「痛み止めがあっても痛いことに変わりはありませんし、薬が切れれば痛みは今の比ではありません。せめて今くらいはゆっくり休んでくださいね」
けれど私の性格がわかっていたようで。あろうことか私の痛む場所に「えいっ」された。
痛い。強制的に眠れってことですか。
「しのぶさんひどい……」
「何言ってるんですか、これ以上ないほど優しくしましたよ」
治療してくれたのしのぶさんだからそれはごもっともでございます。おかげさまで痛みもそんなにありません。
「あのさ……他の人は……?」
背を向けてきぱきと治療道具を片付ける背中に声をかけると、即座に返答を返してくれた。
でもその動きが一瞬だけぴたりと止まったのを、私は見逃さなかった。
「竈門くんはお腹を刺されていて重傷ですが、処置が終わって深く眠っています。
我妻くんも頭に怪我を負っていましたし、嘴平くんも全身の打撲が酷くて。皆さん治療後よくよく休んでいるところです。
さあさ、今の朝緋さんのお仕事はよく寝てよく治すことですよ」
いつもの笑顔で返してくれたしのぶさんは、私の顔をちゃんと見てくれない。
片付けが終わったのかそのまま出て行ってしまったので、それ以上聞くことはできなかった。
炭治郎達も心配だから無事を聞けてほっとした。けれど、本当に聞きたいのは彼らの話じゃない。
しのぶさんが話を避けた、あの人のこと。
いや、聞かなくてもいい。言われなくても、本当はわかっているから。
杏寿郎さんの話を決して話そうとしてくれないことが答え。
……上弦の参にも稀血の効果はあったがそれでも一歩及ばなかった。
女を襲わないという上弦の参ですら、稀血を前にして本能に抗う事はできず、あと少しでこっちに引き付けられたのに。
食べられてはいけない。それはわかってるけど、あと少しで杏寿郎さんから引き離せた。
なのになぜ駄目だったか。それは、効果を打ち消す藤の香りが撒き散らされたからだ。返してもらった藤の匂い袋が、私を守ってくれた。
藤の守りが、そして神が守ってくれたのは私だったのだ。守ってほしいのは杏寿郎さんの事であって私じゃなかったのに。
こんなことなら、藤の香りを杏寿郎さんのポケットにでもねじ込めばよかった。
少しは違ったかもしれないのに。
ううん、無理ね。
相手は上弦だもの。あの鬼が女に手を出さないという、変わった信条を貫いている鬼だったから、結局私は無事で済んだ。それだけだ。
憎むべき鬼に、情けをかけられた。
悔しかった。鬼に情けをかけられたことも、助けに入ることすらできなかったことも、全てが。
「杏寿郎さん……っ」
助けられ、なかった……。何にもならなかった。せっかく杏寿郎さんと生き直すことができたのに。『また』会えたのに。
今際の際に言葉を交わすことすらできなかった。
貴方が死んだのに、私は生きている。
私なんかが生き残ってしまった。
なんて虚しいんだろう。人生から色が消えた。
生きていることに喜びひとつ感じない。
貴方の死とともにまた私の心が死んだ。
窓の外では色鮮やかに蝶が飛び交っているのに、私の目に映るその子達は灰色にしか見えなかった。
間もなくやってくる冬のように、私の世界から色が消えてゆく。
蝶が一匹入ってこようとして窓にぶつかっている。かわいそうに、羽の一部が欠損していて、歪な飛び方になってしまっている。
片腕だとやりづらかったがなんとか窓を開け放ち、蝶を中へと招き入れる。
この蝶は何色をしているだろう?
ひら、ひらと舞う蝶ですら、灰の色に見えてしまう今の私の目。
宙に手を差し出せば、止まる場所を見つけてか、ホバリングするように揺れながら指先に止まった。
この蝶屋敷に飛び交う蝶の群れは、まるでこの屋敷の主のように優しい。蝶だし飼い主……とは違うと思うけど、近くにいるものに似るというのは当たっているかもしれない。
彼と行きたかった場所、見たかったものはたくさんある。ちょっと乙女チックすぎるが、花畑で蝶に囲まれながら共に寝転がる、そんな平和すら夢見ていた。
やっと恋仲と呼ばれるような関係になれたのに。これからって時だったのに。
貴方は隣にいない。
杏寿郎さんが例え鬼になってでも生きていてくれたなら……。
一瞬考えに至ったそれを、頭を振って消した。鬼殺隊士が思っていいことじゃない。ましてや継子が師事する柱になんて。
でも、人を襲わない鬼だっているのに。なのになぜ、鬼になってでも生きていてほしいと思ってはいけないのだろう?
その考えは心の奥に澱のように残り、留まり続けた。
……だめだ。私は何者にもなれない。何も出来ない。こんなことを思うようでは、鬼殺隊士としても、人としても中途半端で失格で。
ただ、何者にもなれないなりに私でもなれる存在がある。
私は『復讐者』にならなりえる。
わたしの中に咲いた、醜い復讐の花。
それはしのぶさんのものよりもなお、毒々しくおぞましい……。
私に残されたのは、上弦の鬼を殺すという目的だけだ。
それさえ果たせればもう……。
杏寿郎さん、貴方のところへいってもいいよね。
私というおぞましい毒花から蝶が飛び立ち、窓から出ていく。
改めて目にした蝶の色はどこまでも黒かった。
そして、目の前の儚げな美人。
私の顔を覗き込むのは、杏寿郎さんではなくしのぶさんだった。
「よかった。目が覚めたようですね」
「しの……ぶ、さん」
ここは無限列車から降りた先、荒廃した線路沿いの草原ではない。蟲柱であるしのぶさんが管理する蝶屋敷だ。
目を数回ぱちぱちと瞬きし、ゆっくりと起き上がる。気がついたしのぶさんが即座に支えてくれた。
「……私ってどのくらい寝てた?」
「到着後腕の処置をしてまだ一刻くらいでしょうか」
「腕、」
一刻……、二時間程度。
言われて初めて確認した腕は……ああ、やはり失われたままだ。なるほど、だからしのぶさんも私の起床を支えてくれたのか。つまりあれは……起こったことは。
夢ではなく現実。
あんな悪夢は、悪夢のままでよかったのに。
どさりと敷布の上に倒れ、再び横になる。
深いため息を吐いたと同時、体も深く深く沈み込んだ。
「大丈夫ですか?」
「ああ、うん。大丈夫……」
腕の欠損に落ち込んでしまったと思ったか、心配そうに顔を覗きこんでくるしのぶさん。
って、あれ?私なんかよりよほど顔色が悪く見える……。しのぶさんのほうが心配されてしかるべきでは?
「右手の骨折、腕の欠損、全身の強打……決して軽くない怪我です。加えて酷い貧血もあります。術後の覚醒こそ早くて安心しましたが、だからといって無理をしてはいけません」
そっと手を取られ握られる。
綺麗な顔が作り出すまつげの影がふるりと揺れている。
それは、友人である私が自らの姉と同じようにならないか不安でたまらないと言いたげで。
「この程度の打撲なら我慢が利くし、右手なんて呼吸の精度を上げれば骨もすぐくっ付く。貧血だって栄養をとっていれば回復する。
腕は戻ってこないけれど、でも大丈夫。そこまで痛くないよ?」
「何言ってるの!痛みがないのは痛み止めが効いているから!呼吸で無理やり治すのも禁止です!!
本当に……無茶な真似しないでください」
安心させようと言ったのに、怒られてしまった。逆に悲しい顔もさせてしまった。
思えば『前』にも、無理やり治そうとした時に咎められたっけ。あの時折れたのは足だったな。
「ありがとう、しのぶさん」
私の身を案じてくれるしのぶさんの思いを噛み締めるように、ゆるりと謝を示して返す。
ただ、無茶しないという約束はできないけれどね。
「痛み止めがあっても痛いことに変わりはありませんし、薬が切れれば痛みは今の比ではありません。せめて今くらいはゆっくり休んでくださいね」
けれど私の性格がわかっていたようで。あろうことか私の痛む場所に「えいっ」された。
痛い。強制的に眠れってことですか。
「しのぶさんひどい……」
「何言ってるんですか、これ以上ないほど優しくしましたよ」
治療してくれたのしのぶさんだからそれはごもっともでございます。おかげさまで痛みもそんなにありません。
「あのさ……他の人は……?」
背を向けてきぱきと治療道具を片付ける背中に声をかけると、即座に返答を返してくれた。
でもその動きが一瞬だけぴたりと止まったのを、私は見逃さなかった。
「竈門くんはお腹を刺されていて重傷ですが、処置が終わって深く眠っています。
我妻くんも頭に怪我を負っていましたし、嘴平くんも全身の打撲が酷くて。皆さん治療後よくよく休んでいるところです。
さあさ、今の朝緋さんのお仕事はよく寝てよく治すことですよ」
いつもの笑顔で返してくれたしのぶさんは、私の顔をちゃんと見てくれない。
片付けが終わったのかそのまま出て行ってしまったので、それ以上聞くことはできなかった。
炭治郎達も心配だから無事を聞けてほっとした。けれど、本当に聞きたいのは彼らの話じゃない。
しのぶさんが話を避けた、あの人のこと。
いや、聞かなくてもいい。言われなくても、本当はわかっているから。
杏寿郎さんの話を決して話そうとしてくれないことが答え。
……上弦の参にも稀血の効果はあったがそれでも一歩及ばなかった。
女を襲わないという上弦の参ですら、稀血を前にして本能に抗う事はできず、あと少しでこっちに引き付けられたのに。
食べられてはいけない。それはわかってるけど、あと少しで杏寿郎さんから引き離せた。
なのになぜ駄目だったか。それは、効果を打ち消す藤の香りが撒き散らされたからだ。返してもらった藤の匂い袋が、私を守ってくれた。
藤の守りが、そして神が守ってくれたのは私だったのだ。守ってほしいのは杏寿郎さんの事であって私じゃなかったのに。
こんなことなら、藤の香りを杏寿郎さんのポケットにでもねじ込めばよかった。
少しは違ったかもしれないのに。
ううん、無理ね。
相手は上弦だもの。あの鬼が女に手を出さないという、変わった信条を貫いている鬼だったから、結局私は無事で済んだ。それだけだ。
憎むべき鬼に、情けをかけられた。
悔しかった。鬼に情けをかけられたことも、助けに入ることすらできなかったことも、全てが。
「杏寿郎さん……っ」
助けられ、なかった……。何にもならなかった。せっかく杏寿郎さんと生き直すことができたのに。『また』会えたのに。
今際の際に言葉を交わすことすらできなかった。
貴方が死んだのに、私は生きている。
私なんかが生き残ってしまった。
なんて虚しいんだろう。人生から色が消えた。
生きていることに喜びひとつ感じない。
貴方の死とともにまた私の心が死んだ。
窓の外では色鮮やかに蝶が飛び交っているのに、私の目に映るその子達は灰色にしか見えなかった。
間もなくやってくる冬のように、私の世界から色が消えてゆく。
蝶が一匹入ってこようとして窓にぶつかっている。かわいそうに、羽の一部が欠損していて、歪な飛び方になってしまっている。
片腕だとやりづらかったがなんとか窓を開け放ち、蝶を中へと招き入れる。
この蝶は何色をしているだろう?
ひら、ひらと舞う蝶ですら、灰の色に見えてしまう今の私の目。
宙に手を差し出せば、止まる場所を見つけてか、ホバリングするように揺れながら指先に止まった。
この蝶屋敷に飛び交う蝶の群れは、まるでこの屋敷の主のように優しい。蝶だし飼い主……とは違うと思うけど、近くにいるものに似るというのは当たっているかもしれない。
彼と行きたかった場所、見たかったものはたくさんある。ちょっと乙女チックすぎるが、花畑で蝶に囲まれながら共に寝転がる、そんな平和すら夢見ていた。
やっと恋仲と呼ばれるような関係になれたのに。これからって時だったのに。
貴方は隣にいない。
杏寿郎さんが例え鬼になってでも生きていてくれたなら……。
一瞬考えに至ったそれを、頭を振って消した。鬼殺隊士が思っていいことじゃない。ましてや継子が師事する柱になんて。
でも、人を襲わない鬼だっているのに。なのになぜ、鬼になってでも生きていてほしいと思ってはいけないのだろう?
その考えは心の奥に澱のように残り、留まり続けた。
……だめだ。私は何者にもなれない。何も出来ない。こんなことを思うようでは、鬼殺隊士としても、人としても中途半端で失格で。
ただ、何者にもなれないなりに私でもなれる存在がある。
私は『復讐者』にならなりえる。
わたしの中に咲いた、醜い復讐の花。
それはしのぶさんのものよりもなお、毒々しくおぞましい……。
私に残されたのは、上弦の鬼を殺すという目的だけだ。
それさえ果たせればもう……。
杏寿郎さん、貴方のところへいってもいいよね。
私というおぞましい毒花から蝶が飛び立ち、窓から出ていく。
改めて目にした蝶の色はどこまでも黒かった。