モノノ怪
静かな夜だ。
二階建ての旅館に泊まることになり、縁側で月見酒をしている。
私はすでに顔が火照っているのを自覚しているが、薬売りさんの方は平時と変わらぬ白い頬のままだ。
化粧は落とされている。だから余計に色白に見えるのだろう。
夏の虫の鳴き声だけが、微かに聞こえる。
モノノ怪もここ数日、姿を現していない。
だがモノノ怪探しのために歩き続けることに変わりはない。
妖退治は全くだが、むしろ薬売りとしての仕事が繁盛し、懐は潤っているようだ。それでこんな宿に泊まることができたのだ。
「いやはや、こんなに旨い酒はなかなか飲めない。いい宿が取れたものです」
銚子からとくとくとお猪口に注ぎ、また一口、こくり、こくりと飲んで満足そうに息をついた。
「今日はよく飲みますね」
「そりゃあ、これだけ旨いモンですからね。止まりませんよ」
彼は私の手のなかのお猪口をちょっと覗き込んで、それから私の顔を見てからクスリと笑った。
「顔。もう真っ赤になっていらっしゃる。そんなに飲んでいませんよね? ああ、暑いせいもあるか」
お酒は好きだが酔いやすい。それにこの旅路ではなかなか飲む機会がないから、よけいに酔いやすくなる。
「そろそろ控えます」
「そうですか。まあ、無理はせずに」
「先に寝ていますね」
腰を上げようとしたが、彼の手が腿に乗せられ私は動きを止めた。
「なん……」
「今日は本当に、暑い日だ」
彼の髪がふわりと近づき、薬売りの香と、酒の匂いが濃くなった。
そして、ペロリ、と熱く湿った舌が首筋を這った。
「塩辛い。でもすこし甘い。これはいい肴だ」
男は機嫌良く口角を上げた。
「……ずいぶん酔っていますね」
私の体のなかの血液が急騰するのを感じる。舐めとられたばかりの首筋に、また一粒の汗が流れ落ちるのがわかった。
「旨いものに目が無いもんで、ね」
男はそういって一口、酒を含んだ。
「本当はもっと、じっくり、味わいたいところなんですがね」
彼の手はまだ私の腿の上にあり、私に制止をし続けたまま、するりと撫でた。
それと同時に、胸の間に汗が伝うのを感じた。
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