来世逢瀬

前世の因縁があるとはいえ、キュヒョンとの関係は変わらなかった。ただ、彼は毎日12階へやってきて、ハンギョンの様子を確かめていた。
「ヒョン、外に出ませんか?」
「……別に、用事はないし……」
「でも、ずっと家の中じゃ息がつまるでしょ。それとも、ペンに見られるのが嫌ですか?俺、運転しますよ。景色のいい所に行きませんか」
キュヒョンの運転は安全『すぎる』ほどだ。ハンギョンもしばらく悩んで。結局「いいよ」とうなずく。キュヒョンの大きな瞳に、じっと見つめられて。恥ずかしそうに目をそらす。キュヒョンは自由に逃げられない車椅子なのをいいことに、やせこけた脚や、ぱさついた髪、肘掛けをつかむ手に浮き上がる青い血管を、一つも漏らすことなく見つめた。その瞳には心配と、ねじれた『恋』に似た感情が宿っている。

「そうだ、シェンファも一緒でいい?」
ハンギョンが発した名前を、キュヒョンは一瞬分からなかった。
「……いいですよ。そうだ、ヒチョルヒョン」
いきなりふり向いたマンネに、水分補給をしていたヒチョルは驚く。冷蔵庫の扉を閉める音で、動揺をごまかした。
「ヒョンも行きませんか?フェリーで南怡島にでも行こうかと思ってるんですけど」
「……俺も一緒でいいのか」
愚問のようで、キュヒョンは「暇なら」と押した。その後ろで、ハンギョンがわくわくした表情をしている。人目につくのが嫌で引き籠っている彼だが、親友がいれば勇気が出るというわけか。ヒチョルは聞こえないくらいに小さくため息を吐いて。しょうがないな、というような微笑を浮かべた。



フェリーを降りて、車を停めて。あとは有名な並木道まで歩く。キュヒョンは「自分でするよ」と抵抗するのを無視して、車椅子をゆっくりと押してやっていた。
「わ、綺麗な松……」
「葉っぱがすごく瑞々しいね。雨上がりだからかな」
ヘンリーは息をのみ、ハンギョンも松の香りを胸いっぱいに吸いこむ。すっかり白くなった顔を、またぱらぱらと降ってきた小粒の雨の滴が伝う。ハンギョンは目を閉じて、透き通った雨の空気を感じていた。

「あれか?”冬のソナタ”のファースト椅子は」
ヒチョルが指さすと「そうらしいですね」とキュヒョンは興味のなさそうな声で言う。題名しか知らないヘンリーが「雪だるまだ!」と走って行く。キュヒョンははしゃぐ彼を、目を細めて。本当に愛おしそうに見ていた。子供を見守る母親のような雰囲気だ。ヒチョルは、彼がヘンリーのことをより『ヒョンらしく』気にかけるようになったと思う。ヘンリーはしゃがんで松ぼっくりを探したり、ベンチに座ってみたり。彼なりに楽しんでいる。キュヒョンは大きな松ぼっくり(戦利品)を手に「みて、みて!」と駆けてくるヘンリーを、しゃがんで両手を広げ迎える。
「え?」
ヘンリーはぴた、と足を止めた。178センチの、もう酒も飲める男にする仕草ではない。キュヒョンも気付いて、立ち上がる。顔をそらして、気まずそうに咳払いをする。
「なあ、腹空かないか?」
「はい!俺は有名なチーズタッカルビが食べたい!」
ヘンリーが手をあげたのに、チーズ嫌いのヒチョルは顔を引きつらせた。が。だめなの?と目を潤ませるおもちマンネに、あっさり陥落した。この頬に冷たくできるヒョンはいない。ヒチョルも例外ではない。



ヘンリーのおねだりで入ったダイナーは、車椅子のハンギョンに気遣って、人目につかない、パーテーションの向こうにある隅っこに案内してくれた。
「おお、唐辛子の香り……!」
ヘンリーは、ぐつぐつ煮えるタッカルビの匂いを吸って、もう美味しそうに目をへの字にした。とろりと溶けるチーズをすくって、はふはふとほおばる。
「火傷するよ。ゆっくり食べようか」
キュヒョンはご飯をよそってやる。彼にもヒョンとしての自覚が出たのか。それとも――聞けば、自分の中の後ろめたい記憶を呼び起こしそうで。ヒチョルはキュヒョンの変化を、放っておくことにした。マンネが喉を鳴らして食べるのに釣られて、ハンギョンもカルビをすくう。思えばこの四人『だけ』での夕食は初めてだったが。ヒチョルは、不思議な安らぎを感じていた。例えるなら実家で久しぶりに家族がそろったような。
(そういえば……)
ヒチョルはちら、とヘンリーを見る。ぷっくらした頬をさらにふくらませて食べる顔は本当に幸せそうで、ヒチョルの胸にも温かいものが広がる。彼を見ていると、魂に刻まれたやわらかい心残りが、刺激されるような気がするのだ。



車椅子を推して、フェリーのデッキまで出る。幸い、旅でくたびれた上に暗い外に出たがる乗客は少なく。ペンに見つからずにゆったりと夜の散歩を楽しめた。
(こういう時間って、久しぶりな気がするな)
ヒチョルは思う。ハンギョンの足が動かなくなってから、変わらない日常という軸にもう一つ、思い悩む軸ができた。それはハンギョンとグループの将来であったり、信じ難い前世の因縁であったり。とにかく全て、ハンギョンに起因している。
「ねえ、もっと行こうよ」
「危ないぞ」
「海を感じたいんだ」
ヒチョルはやれやれ、と頭をふって、波飛沫を見たがるのを、危なくないくらいに手すりまで近付けてやった。
「都会に近いのに、意外とくっきり星が見えるんだね」
「だな」
「“あの頃”はもっと、よく見えたけど」

ヒチョルは雷に打たれたようなショックを受ける。思わずハンドルから手を離して、一歩後ずさる。ハンギョンはゆっくりとふり向く。前世と同じ、黒目がちな円い瞳が、ヒチョルをまっすぐに見つめる。
「お前も、思い出したのか」
声がかすかに震えるのが分かった。ハンギョンは瞬きをして「物心ついたころから、知ってはいたよ」と答えた。
「ずっと、小さい違和感があったんだ。自分が男だってことに。……でも、女らしいものが好きなわけじゃない。女になりたくもない。……時々見る夢が、もしかして前世じゃないかって思ったのは……君とキュヒョンが、何だか様子がおかしくなってからだね」
ヒチョルはやっと立ち直り、ハンギョンの隣に立つ。二人はしばらく言葉なく、どこまでも広がる黒々とした海と、星空を眺めた。

「君は、どこまで思い出した?」
「盗賊から助け出した所から、足を解いたあたりまで」
ハンギョンは足に目を落として「まだ”始まり”のあたりだね」と答えた。キュヒョンが『あなたが知らないことを知っている』と言ったのを、思い出す。
「お前の纏足靴、覚えてるぜ。靴の裏にまで刺繍がされていて……正直、綺麗だと思っていた」
「あれは妈妈の形見だったんだ。顔も覚えてないけど……俺の足を纏足にしてくれた時はいたような気がする。だから、三つか……四つか」
「じゃあ、盗賊に売られたのはその後か」
「うん」
ハンギョンは顔をふせる。耳まで赤くなっている。そういえば盗賊の首領はこいつに……と思い至った所で、彼は「考えないで」と小声で言った。ハンギョンは深呼吸して、顔を上げる。どうやら勇気が出たらしく、水平線を見つめながら語る。
「俺は、美人になりそうだって半額で買われたんだ。まだ育ち切ってないから、夜のたびにすごく痛くて……苦しくて。何回も、死ぬかと思った……」
「ハンギョン」
「いいんだ。たしか前世でも、君は知っていて、あえて詳しいことは聞かないでくれたから。今言うよ。……助けてくれて、ありがとう。前世の俺を、汚れていないと言ってくれて……本当に、嬉しかった。君は俺にとって、神様みたいな人だったよ。生まれ変わったら、今度は何でも分かってくれる、友達になってくれて……運命って、こういうことかな?」
「そうだよ」
なんだか照れくさい。ヒチョルもむずがゆくなって、水平線に目を向ける。前世の秘密を抱えた二人は、この日。もっと深い所でしっかりと結び付いた。



南怡島から帰った夜から、ヒチョルはまた前世の夢を見始めた。季節が変わって、自分は将軍のままだが、もっと部下を抱えるようになっていた。偉くなったのかもしれない。百桃御前との間にも子供が産まれて、生活は安らかだったが。不思議な空虚感はあった。

「ごめんなさい、また女を産んでしまって」
百桃御前はぐったりと寝ながら、謝った。対馬の実家からも、ヒチョルの親族からも、早く男子を産めとせっつかれている。ヒチョルは四人目の女の子を抱いて「いいんだ」と微笑んだ。それは本音だ。

「奥様のお加減が悪いのです」
寝所を出て、ヒチョルの執務室に入った所で、医官は気遣わしげに囁いた。
「双子を産んだ後から、肥立ちが悪く……このままですと、冬までには」
ヒチョルは椅子に深く腰かけて、両手で顔をおおった。
「対馬の城に帰せばよくなるか?」
「お父上である地頭様は、礼と義に厳しいお方。嫁ぎ先から帰るなど、骨になっても許しませんよ。……それに、対馬までの船旅には耐えられません」
八方塞がりな現実に、ヒチョルは深くため息を吐く。もう四十が近付いているのに、跡継ぎになる男子がいない。両親からは『早く男子を』とせっつかれている。没落していた金家を、百桃御前の実家が結婚を条件に援助してくれた。その妻をないがしろにするようで、側室を持つのも気がすすまない。
「どうすれば……」
ヒチョルは弱々しく呟いた。



「このごろ、頭が痛いの……起きてる間も、ずっと眠くて」
百桃御前はうとうと微睡みながら呟く。
「きっと私、もう長くないわ」
「やめろ。そんなことは言うな」
「……いいえ。父同士で決めた結婚なのに……大事にしてくれて、ありがとう。おかげで、ずいぶんご両親から責められて……あ、風が」
窓の外を見たがる気配に、ヒチョルはその体を抱えて、窓のそばに連れて行ってやる。ずいぶん軽くなった体は、彼女の言葉通り、もう長くないのが分かる。百桃御前はしばらく、紅葉が散るのを眺めていた。

「あの子も、もう育ったから。……私の代わりに、きっといい男の子を産んでくれる」
百桃御前は強い表情でうなずく。ヒチョルはそこでやっと気付いた。武家の娘らしく、彼女は強く、何よりも家を重んじる。彼女にとって不幸なことは、ヒチョルが役目を果たせないことなのだ。
「私の娘たちは、優しい人に嫁がせてね。……あなたみたいな」
「ああ」
「どんなに強くても、賢くても。大切にしてくれない人はだめよ」
「分かっている」
うなずけば、百桃御前は安心したように目を閉じた。

「雪花君がまたいらしてますよ」
女中は洗濯物を干しながら教えてくれる。
「いくら世継ぎに関係のない身分とはいえ、れっきとした陛下のお子ですからね。お嬢様にとって、これ以上いいお話はありませんよ」
「そうか……」
ヒチョルは、嬉しい顔を作ろうとする。雪花君との出会いは偶然で。緊縛を解いたばかりでまだ歩くのが苦手なころ。市で転びかけたハンギョンを、彼が助けてやったのだ。ヒチョルは、すらりと背の高い、若い青年には好感を持っていたし。弟のようにも想っていたが。彼がハンギョンに恋をしているのは、あまり気に食わなかった。

「……!」
ぶらぶらと屋敷の庭を歩いていると、雪花君の姿が見えて、ヒチョルはとっさに柱の陰に隠れる。
(いや、ここは俺の家だぞ。何をこそこそと……)
そっと顔を出したヒチョルは、雪花君がハンギョンの手を取るのを見た。
「私の妻になってくれ」
無口な雪花君は、こんな時も言葉を重ねない。ハンギョンはその瞳を見つめて、しばらく考えていたが。やがて悲しげな表情で首を横にふった。
「身分が気になるのか。それとも……」
「いえ。どちらでもないんです。ただ」
「心に想う者がいるのか」
縋るような声に、ハンギョンはこくりとうなずく。雪花君は諦めて、そっと手を離した。
「もう少しだけ、期待して待たせてくれ。……そなたを幸福にできるのは、私だ」
雪花君は肩を落とし、門へ歩いて行く。ヒチョルは、高鳴る胸をおさえる。――断ってくれた。なぜか安心する。

「ヒチョル?」
気遣わしげな声に呼ばれて、ヒチョルもはっと我に返る。ハンギョンが、じっと自分を見上げていた。
「すまない。……覗き見をするつもりはなかったんだ」
言い訳めいているが、ハンギョンはやや恥ずかしそうに唇を結ぶだけで。かすかに赤く色づいた顔をそむける。ハンギョンはこの数年でだいぶ背がのびて。自分の腕におさまるほどのように感じたのが、肩のあたりに頭がある。
「……いいのか?端くれとはいえ、王族と結婚できるんだぞ」
雪花君がどこまで知っているかは分からないが。賎民であったハンギョンの過去など薄っすらと予想はつくはずだ。その上で愛していると言うのだから。雪花君は滅多にない、最高の男だった。
ハンギョンは瞬きをして「純潔じゃない女らは、いや?」と聞いた。首領の所にいた頃のことを、言ってるのだと分かった。
「そんなことは関係ない。お前の過去は、お前の何も……損ねたりしてない。お前は完璧だよ、ハンギョン」
「本当に?」
ヒチョルは黙ってうなずく。一歩近づくと、ハンギョンはびく、と体をこわばらせて。だが後ずさりはせず、大人しくヒチョルの腕の中におさまった。ヒチョルはやせた体を抱きしめて、ただ感じていた。彼女の体温と、葉のこすれあう音、鳥のちち、と鳴く声、暖かな春の日差しを。
「……俺を選んでくれ。お前よりずっと年上で、もう妻のいる……お前を、一番にはしてやれない、俺を」
卑怯なことを言っている自覚はあった。ハンギョンのことを思えば、気づかないふりをして、雪花君のもとへ送り出すべきだったのに。愛している。それは百桃御前に向けるものと同じ。全く等分の、同じものだった。娘のようなもの、と口では言いながら、出会った時から止めようのない恋に落ちていた。
「――愛している」
「私も」
ハンギョンはにっこりと、幸せそうに笑った。この選択こそが、ヒチョルの最大の過ちだったのかもしれない。



「お前に前世で言いよってた王子がいたろ?」
「ああ、雪花君だね。調べたら若いうちに疫病で死んだらしいけど」
ハンギョンは「可哀想に」と眉を下げた。四十路のコブ付きに負けたのだから確かに可哀想だ。その傷心で免疫が負けたとすれば、ヒチョルも罪悪感はある。
「あいつ、キボムだわ」
「ええーっ!?いや、えっ……本当に!?」
ハンギョンはびっくりして、読んでいた雑誌を取り落とす。
「ああ、前世はヒゲあったし……あいつ今度“根の深い木”に出るだろ?それでメイク試してんの見て、分かった」
ヒチョルは、彼の享年を思う。奇しくも満年齢で二十二。キボムは無事に、前世の享年を超えた。ほっとするような、嬉しいような気分だ。ハンギョンは「はぁー……」と顔をおおう。
「ちなみに性格は前世とあんまり変わんないけど、記憶はないみたいだな」
「そっか……」
「おい、何だよそのがっかりしたみてえな反応。まさか前世でも気があったんじゃ……」
「そうだとして、何で怒られなきゃいけないの?もっと大きな器で俺を受けいれてよ」
ハンギョンはむっと口を尖らせる。前世の伴侶としては、浮気されたような気分だから、とはさすがにみっともなさすぎて言えず。ヒチョルは「いや、だって」とごにょごにょ言い訳する。

このごろわけの分からない会話ばかりの二人をソファから眺めて、イトゥクは(どうしちゃったんだろ)と首をかしげた。



初雪までは元気だった百桃御前は、ある寒い朝。ふっと糸が切れるように亡くなった。

「賤民の女と?」
父親は顔をしかめ、隣に座る母親も苦々しげに眉をよせる。
「だからあの娘を戸籍から出せと言ったんだ。どうせ盗賊の所から拾った、卑しい女だろう。ごまかして、どこかに押し付ければ……」
ヒチョルは喧嘩をする気はない。父親に逆らうのはこの時代、死を意味した。気持ち的にも、この二人を『分からせる』つもりはなかった。しかし四十にもなったコブだらけの男に、嫁ぐ令嬢はいない。両親は渋々、ハンギョンを側室にすることを認めた。
(大丈夫だ。男が産まれたら、二人とも掌を返すはずだ)
ヒチョルは廊下を歩きながら、自分に言い聞かせる。時間が解決する問題は多い。ハンギョンもそうだろうと、疑いもしなかった。



「このウエディングドレス、綺麗だねぇ」
ハンギョンはテレビに映った、韓服のウエディングドレスを指さす。今世のハンギョンは男だが、女のような感性もある。前世の記憶を鮮明に思い出すにつれて、彼の中のアニマはより輪郭をはっきりさせたようだった。
「俺が着た衣装は色も地味だったし、頭に飾りたくさん付けられて、重かったのは覚えてるよ。顔に赤い丸をつけるのも、俺はあまり好きじゃないな」
ハンギョンは目を閉じて、しみじみと前世の婚礼衣装を思い出していた。
「ごめんな。俺の親が”賤民の女にはこれでいい”って……」
「え、あれやっぱり嫁いびりみたいなことだったの?うわー、道理でちょっとほつれてたわけだよ」
ハンギョンは何百年ごしに知った真実に笑っていた。

親友の彼が、前世の『妻』であるらしい。ヒチョルはまだ信じられないような、嬉しいような気持ちだ。ハンギョンの距離感もだいぶ恋と友情の境界をあいまいにしていて、キュヒョンから向けられる不思議な感情も、彼はよく分かっているようだった。この三人は、愛を口にはしないまま、奇妙な三角関係を作っていた。



婚礼生活の始まりは、幸せすぎたのだ。ハンギョンはすぐに孕んで。裏切りは、唐突におとずれた。
「――正気ですか!?身重の女を、夫から離してよその家に住まわせるなんて!」
ヒチョルは父親とその部下から、ハンギョンを守るように立ちはだかる。
「都で疫病が流行ってるんだ。腹の子に何かあったら困る」
「ですが……!」
「ヒチョル、いいから」
ハンギョンは袖を引いて囁いた。ヒチョルも父親に逆らうわけにいかず、渋々引き下がる。夢で見ている『今の』ヒチョルは腹だたしかった。儒教のせいと分かっているが。明らかな理不尽すら呑みこめと要求していた、狂った時代だった。

門の前に停まった輿に、ハンギョンは苦労して乗りこんだ。早めに解いたおかげで履きかえられたとはいえ、彼女の小さな足は、ちょっとした散歩にしか使えるものではなかったからだ。
「疫病が治まったら迎えに行く。達者で過ごせよ」
「うん。ヒチョルも」
ハンギョンは輿の戸を少しだけ開けて、遠ざかるヒチョルの顔をずっと見ていた。

その諦めたような微笑みが、最後に見た顔だった。



「……ぷ、はっ」
目覚めると、じっとりと寝汗をかいていた。しばらく天井を見つめて、荒い呼吸をくり返す。ヒチョルは体を起こして、深くため息を吐く。まだ部屋は薄暗く、閉じたカーテンの向こうからは街の明かりがわずかに漏れてきている。
「クソ、頭が痛い」
ずきずきと痛むこめかみを押さえて、ベッドから降りる。前世の夢はいつも、はっきりとした現実味とふわふわした感覚が同時にあるのに。今日はやけに苦しかった。まるで魂が、思い出すことを拒絶しているような。

『俺たちが全部思い出したら、ヒョンの足が治るんじゃないですか』
船上でキュヒョンが呟いた思い付きに、ヒチョルも『そうかもしれない』とうなずいた。キュヒョンが知っている記憶は、幸せなものではないだろう。今しがたの夢と照らし合わせて思う。

『あなたが知らないことを、俺は知っている』
キュヒョンの言葉がまた、苦く蘇った。



驚くほどに記憶は空白がはさまれて、ヒチョルはしばらく、夢らしい夢しか見なかった。思い出せるのはあの別れまでなのか。ヒチョルはうーんと考えこむ。
(時代的に、出産で死んだとかありうるよなぁ……)
ヒチョルはちらっと、食べるハンギョンに目を向ける。別れた日も腹は大きかった。おそらく臨月に近かったはずだ。大好きな西瓜の種を、身重だからと我慢したり、大きな腹を抱えて、がんばって歩いたりしていたのを思い出す。前世の彼について、思い出すのはそんな何でもない幸せばかりだ。
(お前は、幸せだったのか?)
心で問うてみる。フェリーで話した時、ハンギョンは『感謝してる』とは言ったが。『幸せだった』『愛していた』とは言わなかった。



「なんで俺が話すんですか?」
キュヒョンは背中を向けたまま言った。
「……どうしても思い出せないんだよ。秋にハンギョンと別れた後のことが」
「でしょうね。あなたにとってはショックだろうし」
「じゃあ、ハンギョンはやっぱり……」
「それを聞いて、ヒョンはどうしたいんですか?今は男同士ですけど、関係を深めたいんですか?」
キュヒョンは話す間も、ゲームをする手を止めない。それが逃げだと気付いたヒチョルは、マウスに自分の手を重ねて止めた。やっとキュヒョンはふり向いて、ヒチョルと目を合わせる。その何かをこらえるような表情に、ヒチョルは唐突に思い出す。そういえば前世でも、彼に同じ表情で詰めよられたことがあった。

『情けない、父親すら説き伏せられないのか。あんたはどっちを愛している』
キュヒョンはずっと、百桃御前や父を言い訳にするヒチョルに怒っていた。人通りの少ない庭で話しているのに、彼の大声が気まずくて、ヒチョルもはらはらしていた。その不安がまた鮮明に胸に広がる。正室ではなく、妾として結婚する。父に押し切られた条件も、キュヒョンは納得していなかった。
『あんたでは、ハンギョンを幸せにできない』
キュヒョンが吐き捨てた言葉は、真実になった。

「……分かりました」
キュヒョンはパソコンのふたを閉じて、ヒチョルをベッドに座らせる。向き合って話すよりは楽なのか、ヒチョルの隣に腰を下ろした。友達同士の座り方で、彼は重い口を開けた。



疫病の流行は、初雪が降っても収まらなかった。黒死病か天然痘か、すらも、国は突き止められず。ばたばたと死んだ民が、道ばたに捨てられていた。キュヒョンはそれを横目に見ながら、馬を走らせる。崖ぞいの道は少しずつせまくなり、とうとう行き止まりになった。

「くそ、馬では無理か……」
キュヒョンは馬を降りて、樹につなぐ。切りたった崖は、雪があちこちに残るが、鉤縄を使えば登れそうだ。キュヒョンは鉤縄を引っかけて、だいぶ苦労しながら登って行く。
「はあっ、ハアッ……ん?」
一番上まで登ってやっと、森から小路が続いていることに気付いた。キュヒョンの体から、がっくりと力が抜ける。この苦労を返して欲しい。たしか森のそばのあばら家だった。雪をさくさくと踏みしめて歩く。白い吐息も、すぐに消える。だいぶ冷えてきたが、身重には辛い環境のはずだ。
(こんな所に、愛しい女を置いて平気なのか?)
キュヒョンはにわかに苛だちを覚えた。ヒチョルはいつも通り執務に忙殺されているが。父親を今さら信じるほど阿呆ではないと思っていたのに。ふり向くと、点々と続いていた足跡がもう消えかけている。灰色の空からはまた雪がちらほらと降ってきて、キュヒョンの肩はうっすらと白くなっていた。目的地のあばら家は、大きな樹のそばに、隠れるように立っていた。キュヒョンは戸の代わりについた御簾を上げて「誰かいないのか?」と声をかける。薄暗い土間で働いていた女中が、キュヒョンに気付く。

「これは、キュヒョン様……」
女中はそれきり言葉が続かないようで、悲しげに目をふせる。思えばハンギョンを拾った時から世話をしていた女だ。感情が胸につまったらしく、彼女はしきりに咳をした。こんな寒いあばら家では、体調を崩さないほうがおかしい。キュヒョンは毛皮の羽織物を脱いで、土間から上がりこむ。その足音で、寝かされていた赤ん坊が目を覚ました。あー、と泣き出したのを、女中は「あらあら」と急いで抱きかかえる。
「おしめかしら、それとも乳が足りてないの?」
女中は赤ん坊を腕に抱いて、土間を歩き回ってあやそうと試みる。赤ん坊はくすん、くすんと鼻をすすりながら、また眠ってしまった。

「キュヒョン……」
弱々しい声に呼ばれて、キュヒョンは床に目を向ける。寝床とも呼べないような、薄っぺらい布団に、ハンギョンが寝かされていた。最後に見た姿とあまりにかけ離れた、病的な彼女に、キュヒョンは息をのむ。
「……っ」 
キュヒョンの手が、こわごわと。布団からはみ出した手を取る。血管がくっきりと浮き上がった手は白く、氷のように冷たい。やせこけた顔には、元の美しさの名残しかなかった。
「無事に産まれたようで……ほっとした。手紙をくれたのは、どういうわけなんだ」
「あなたに、頼みたいことがあって」 
ハンギョンの声は儚すぎて、キュヒョンは耳を口元に近付けてやっと聞いた。
「ハンファを……シェンファだけが、心配……」
「分かった。私が絶対に保証する。この身に代えても」
キュヒョンは力強くうなずき、手を握りしめた。ハンギョンはやっと安心したように微笑んで、深く息を吐く。そのまま息絶えることはなく、目尻から涙が伝うのを、キュヒョンは静かに見つめた。

「金将軍は?」
「手紙の一つもありません。ここには来たことも……」
女中は背中を向けたまま答える。野菜を刻む包丁が、まな板に叩き付けられる。彼女の秘めた怒りが込められた音に、キュヒョンも唇を噛んだ。
「ハンファ、か。変わった名前だな」
「お嬢様が、どうしても明式の名前にこだわったので。どうせ将来の暗い妾腹ですから、名前くらい好きにさせていただくんです」
女中は深いため息を吐いた。この隙間風が吹きつける家での出産は、熟した果実が落ちるようなもので、数分で終わったという。だが、血が止まらなかった。宮廷から呼んだ医官が、何とかハンギョンの命を繋ぎ止めたが。この記録的な寒さが彼女の命を削った。キュヒョンは、すやすやと眠るハンファのぷっくりした頬に触れて、やるせなさを噛みしめる。

(どうして、俺を選ばなかった)
眠る横顔に、そんな想いが浮かぶ。
(俺を選んでくれたら……俺は、何をおいてもお前を幸せにした)
火を点ければ、板の隙間から雪風の吹きこむあばら家も多少は暖かくなったが。産後で弱った体には焼け石に水のようで、ハンギョンはずっと小さく咳をしていた。もう長くないのは誰が見ても明らかだ。

「息子のことだけでいいのか?言ったはずだ。私は、お前の望みなら何でも叶えると」
キュヒョンが聞くと、ハンギョンは薄っすらと目を開けて、考える。
「……故郷に、帰りたい」
「故郷?」
キュヒョンは、そういえば明のどこの出か聞いていなかったと思い至る。ハンギョンはゆっくりと瞬きをして、朧げな記憶を辿る。
「北……」
「鴨緑江の、さらに北か?」
ハンギョンは瞬きで答えた。女中は何か言いたげに立ち尽くしていたが、キュヒョンがハンギョンを抱え上げると、驚きに目を瞠る。
「いけませんよ、お外は吹雪で……それに、旦那様はどうなさるんです!?」
「いないのと同じだ」
キュヒョンは吐き捨て、布でハンギョンの体を背中にしっかりと固定する。また崖を下りて、馬で行かなければならない。台所にあったアワや野菜、干し肉もいただいて、竹筒に水を満たす。女中は「せめてこれを」と暖かそうなヌビをハンギョンに着せた。ハンギョンはやせこけた腕をキュヒョンの首に回す。
「お嬢様……」
死出の旅と分かった彼女の目に、涙がにじんだ。眠るシェンファに、ハンギョンはふわりと微笑みかける。
「幸せに、なって」
ハンギョンは、シェンファのやわらかい頬に、そっと触れた。名残惜しそうに包みこんで、また離れる。キュヒョンは彼女を背負い直して、あばら家を出る。女中も走り出て、吹雪の中に消えていく二人を、泣きながら見送っていた。



しばらくすると、雪は止んだ。代わりに刃のような冷気が襲ってくる。キュヒョンは背中の彼女に毛皮もかけてやった。手綱を握る、すっかり青白い手に、氷のまざった風が吹き付ける。背中から、またかわいた咳がした。
「大丈夫か」
「は、はい……」
「北東へ向かっている。もうすぐ鴨緑江だ」
キュヒョンはふと冷静になる。死にかけの女を連れて、こんな軽装で国境を超えようとしている。自分も半分死に近付いて、正気でないのかもしれない。ハンギョンは眠そうに、深い呼吸をしながら、ぽつり、ぽつりと呟く。

「圭賢……私ね、生まれ変わったら……男に、なりたい」
「男?」
「だって、男は……歩ける、でしょ。子供だって、産まない。自由に、どこにも……行ける。それに……」
ハンギョンの声はかすれて、ほとんど吐息でしかない。
「希澈を、好きに……ならなくて、いい」
キュヒョンは手綱を握る手にぐっと力をこめる。
「……どうだろうな。お前は男でも、彼を愛するかもしれない」
キュヒョンは、馬の歩みに合わせて揺れる小さな足に目を向けて、少しだけ意地悪をしてみる。ハンギョンは広い背中に顔をあずけて、是とは言わなかった。
「男になったら……あなたは、弟にしてあげるね。ちゃんと”ヒョン”って、呼んで」
「想像もつかないな」
ハンギョンはくすくすと笑って、また咳こむ。質量のある咳に、キュヒョンはふり返って。彼女の口元から鮮血があふれているのに、大きく目を瞠る。
「ハンギョン!」
急いで馬を止めて、彼女を抱え下ろす。ハンギョンはもう薄く目を閉じて、ただ苦しげな呼吸音が喉をすり抜けるだけだ。
「だめだ、しっかりしろ……まだ、お前の国じゃない」
ハンギョンはキュヒョンの肩につかまって、よろめきながら歩き出す。靴が脱げて、素足が露わになる。初めて見たその足は、指からくたりと力が抜けている。何回も按摩を受けたが、どうしても治らなかった。
「……っ」
キュヒョンは痛ましげに眉をよせて、顔をそむける。彼女の人生を象徴するような足が、雪原に大人にしてはずっと小さな足跡を点々と残す。

「……」
ハンギョンの体が、ぐらりと大きくかたむいた。雪原に倒れこむのを、辛うじて抱き止める。キュヒョンは彼女をまた背中に担いで、雪風の吹きすさぶ中を歩き出す。呼吸音が少しずつ静かになって、重くなって行くのに、キュヒョンの背中も丸くなる。
「いいさ。男になればいい……もっと、自由に生きろ」
キュヒョンは呟く。聞かせるつもりはない声量だった。いつのまにか二人は雪原を抜けて、氷の張った上に固めの雪がつもって、だいぶ歩きやすくはなった。馬も辛いのか、後ろからのろのろとついてくる。風が強くなって、キュヒョンの外套の襟をばさばさと大きくはためかせる。
「私も、きっとお前のそばにいる。……ヒョンと呼んでやるよ。しかたないからな」
キュヒョンはもう耳を澄ましても聞こえない呼吸音に、泣きそうな顔になる。体を下ろして、雪に横たえる。閉じた瞼はもうぴくりとも動かない。胸に耳をつけても、鼓動もしない。彼女は、死んでいた。
「ハンギョン」
キュヒョンはふるえる手で、血色のない頬に触れる。ぽたりと涙が落ちて、冷たい顔を伝っていく。
「ハンギョンッ……!」
キュヒョンはその体に縋り付いて、初めて声を上げて泣いた。初めて会った時から、自分は彼女を愛すると決まっていたのだ。だが彼女はヒチョルを選んだ。想いを薄々知りながら、彼女は自分を選ばなかった。

もし来世があるなら。キュヒョンは迷うことなく想いを告げるだろう。誰に憚ることもなく抱きしめるだろう。

「……!」
彼女の懐に触れた手が、固いものを見つける。引っぱり出すと、小さな纏足靴だった。キュヒョンは温もりの残る靴を胸に抱いて、嗚咽をこぼした。



話を聞き終えたヒチョルは、呆然とマンネの瞳を見つめ返す。
「前世のヒョンは、鴨緑江のそばに埋めました。纏足靴と一緒に。……俺は、あとは消化試合みたいな人生でした。楽しいことがあっても、半分しか楽しめなくて……朝鮮時代の寿命で考えても、早死にでしたね。冬が始まったころに、咳をしながら寝ていて……それが覚えている最後です」
「独りで暮らしていたのか……?」
「はい」
キュヒョンは当然のようにうなずいた。
「シェンファ……前世のヘンリーは、その後どうなったんだ」
「想像はつきますよね?」
キュヒョンはあえて答えなかった。ヒチョルは、深く聞いたらまずいと判断する。ヘンリーに記憶が全くないことは、神の慈悲めいている。どれだけ辛酸を舐める一生だったのか……想像するだけで背中が震える。同時に、自分があのマンネを愛おしく思う理由も分かって、それだけは救いのようだった。
「……ちょっと、一人で考える」
ヒチョルは立ち上がり、部屋を出ようとする。ドアノブにかけた手を「今夜」と静かな声が止めた。

「今夜ヒョンと、屋上庭園で話すつもりです」
馬鹿言うな、と言いかけたのを止めて、ヒチョルは彼に背中を向ける。分からないほど鈍くはない。肉体の差異など、三人には問題ですらない。
「分かった。……俺も行く」
キュヒョンはうなずいて、またパソコンに向かう。キーボードを叩く指はいつもより遅い。ヒチョルは静かに部屋を出た。



夜もふけた屋上庭園には、誰もいない。葉をぼんやりと照らし出す暖色の明かり。都会なのにかすかな虫の音。花々を見ていると、ふと前世の記憶が蘇った。ハンギョンはいつも、ヒチョルの屋敷の庭を楽しそうに歩き回って。桜の季節には朝も夜も、桜を飽きずに眺めていた。
(ハンギョンはいつも、夢中で……今の幸せというものを、噛み締めてたんだな)
ヒチョルは思う。生まれ変わっても、そのひたむきさは変わらない。夜風に髪をなびかせる後ろで、エレベーターが着いた。出てきたキュヒョンは、まさかヒチョルが五分前行動をすると思っていなかったらしく、目を丸くする。軽い驚きはヒチョルの気に入った。ふふん、と得意げな顔は無視して、キュヒョンはあたりを見回す。

「ハンギョン、もう来てたのか?」
ヒチョルが声をかけると、彼はゆっくりと車椅子を回して二人に向き直った。二人がそばのベンチに腰かけると、ハンギョンはまだ動かない両脚に目を落とす。
「……ずっと、考えてたんだ。どうして急に脚が動かなくなったのか。先生は“心の病気”だって言ったけど。半分は……正解だったんだね」
ハンギョンはふうと深く息を吐いて。二人の『男の足』をちらりと見る。
「望み通り、男に生まれたのに……俺はずっと、不自由なままだったんだ。俺の足は、纏足だったころと同じ……どこにも行けない。何もできない」
ハンギョンは両手で顔をおおう。魂に刻まれた絶望が、彼の脚を縛り付けたのだ。やっと理解した二人も、悲しげに目をふせる。
「ヒチョルに助けられてからの記憶は、足が動かなくなった後から、少しずつ夢に見始めたんだ。……魂が、思い出せって叫んでるみたいで……苦しいし、悲しいけど。向き合わないといけなかったんだね」
ヒチョルはうなずいて、顔を隠す手を優しく外してやる。涙でぐしゃぐしゃになった顔が、二人の優しい眼差しに、ほっとしたようにゆるんだ。ハンギョンは車椅子のハンドルに手をかけて、ぐっと力をこめる。
「っ、無理するな」
「大丈夫です。ゆっくり……」
二人は慌てて、やせこけた体を両側から支えてやる。半年も歩くことを忘れていた体は、二人の支えでよろよろと何歩か行って、またへたりこむ。ヒチョルは、前世の彼が足を解いたばかりのころ、こうして歩く練習をしていたのを思い出す。ハンギョンはそれでも歩けたのが嬉しいのか、二人の手を離した。地面に手をついて、震える足でどうにか立ち上がる。二人は後ろをついて行き、親のような表情で見守る。ハンギョンはふらつきながら何歩か行って、また止まった。街灯に手をついて、ぜえぜえと荒い呼吸をくり返す。

「……あなたの纏足が、嫌いだった」
キュヒョンはぽつりと呟く。
「あなたの足は、踵と爪先だけが地面についていて……だから、いつか……空に飛んで行ってしまうような、気がしてたんです」
キュヒョンは珍しく、本音を吐露していた。膝をついて「お願いします」と目を合わせる。
「五百年待ち続けたんです。今度は俺だけを、愛して下さい。あなたの足を……地上に、繋ぎ止めたいんです」
経験が少なく不器用な彼なりの求愛に、ハンギョンは戸惑ったように親友の顔を見る。ヒチョルも跪いて、静かな声で告げた。
「もう一回だけ……このふがいない男を、信じてくれ。もうお前を、不幸にはしない。……約束する」

この気持ちが恋なのか、それとも前世から引きずっている未練でしかないのか。それは分からないし、どうでもいいことかもしれない。三人は顔を見合わせる。ハンギョンの瞳に宿るきらきらと眩い光に、二人は吸いよせられるように手をのばす。ヒチョルの指が唇をなぞると、ハンギョンはくすぐったそうに身をよじる。その頬を、キュヒョンの手が愛おしそうに包みこむ。
「……ハンギョン。お前は俺とキュヒョン、どっちを選ぶんだ?」
ヒチョルの問いに、ハンギョンはゆっくりと瞬きをする。どちらもなし、という答えはなさそうだと判断した上で、視線の逃げ道を塞ぐように体を近付けた。二人はごくり、と固唾をのんで、答えを待つ。ハンギョンはふっと微笑み、彼の手をとった。

【Heechul/Hangeng】

【Kyuhyun/Hangeng】
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