長編
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朝の教室は、まだ少し眠そうだった。
カーテン越しの光が机に落ちて、誰かの笑い声と椅子を引く音が、ゆるやかに混ざる。
ひかるは、自分の席に座りながら、昨日よりもほんの少しだけ、周囲の音が近く感じられることに気づいていた。
ひかる(慣れてきた……のかな)
そう思った瞬間、自分の考えを打ち消すように、視線を落とす。
慣れる、という言葉は、いつも何かを失う前触れだったから。
「おはよ」
隣の席から、静かな声。
田村保乃だった。
ひかる「……おはよう」
それだけの挨拶。
それなのに、胸の奥がふっと温かくなる。
保乃は、必要以上に話しかけてこない。
昨日の帰り道のことも、教室で誰と話したかも、
何も聞いてこない。
でも、いないわけじゃない。
ちゃんと、そばにいる。
ひかる(不思議)
距離が近いのに、踏み込まれない。
体育の時間。
ペアを組む場面で、一瞬だけ、ひかるは立ち止まった。
「森田」
保乃が、自然に名前を呼ぶ。
ほの「一緒にやろ」
その声は、誘いというより、確認に近かった。
ひかる「……うん」
走るのは苦手だった。
息が上がって、足が重くなっていく。
ひかるがペースを落とすと、保乃も何も言わず、同じ速度に落とした。
ひかる「ごめん……」
思わず口にすると、保乃は首を振った。
ほの「いいよ。合わせるの、得意だから」
その言葉に、責める気配は一切なかった。
ひかる(気を使われてる……のかな)
でも、“できない自分”を責められないことが、
こんなにも楽だなんて、知らなかった。
昼休み。
ひかるが一人でパンを食べていると、保乃が向かいに座った。
ほの「ここ、いい?」
ひかる「……うん」
少しの沈黙。
でも、居心地が悪いわけじゃない。
保乃はスマホを触りながら、ふと思い出したように言った。
ほの「無理しなくていいからね」
ひかるは、手を止めた。
ひかる「……なにが?」
ほの「全部」
短い言葉。
でも、胸の奥を、正確に突いてきた。
ひかるは、視線を落としたまま、小さく言う。
ひかる「……無理してるように、見える?」
保乃は、少し考えてから答えた。
ほの「ううん。でも、してきた人の顔」
それ以上、何も言わない。
聞き出そうとしない。
ひかる(なんで……)
どうして、こんなに優しいのに、痛くならないんだろう。
放課後。
一緒に帰る途中、ひかるは足を止めた。
ひかる「……ねえ」
保乃が振り返る。
ひかる「どうして、私に?」
言葉が足りないのは分かっていた。
それでも、聞かずにはいられなかった。
保乃は、すぐに答えなかった。
少しだけ空を見上げて、それから、静かに言った。
ほの「春休み、街で見かけたんだ」
ひかるの心臓が、跳ねる。
ほの「消えちゃいそうな顔、してた」
責める声じゃない。
ただの事実を、そっと置くみたいな言い方。
ほの「放っておけなかった」
ひかるは、何も言えなくなった。
ひかる(見られてた。それなのに、追い詰められてない)
ほの「でもね」
保乃は、ひかるの方を見る。
ほの「助けてあげたい、とかじゃない」
ひかる「……え」
ほの「一緒にいられたらいいなって思っただけ」
その距離感。
救おうとしない。
変えようとしない。
ただ、隣にいる。
ひかる(それが、こんなに……)
胸が、ぎゅっと締まる。
家に帰ったあと、ひかるは布団の中で天井を見つめていた。
思い出すのは、保乃の声と、歩く速度。
ひかる(踏み込まれない優しさ)
それは、今まで知らなかった形だった。
誰かに近づかれるのが怖いのは、失うのが怖いから。
でも――
ひかる(全部、拒まなくてもいいのかもしれない)
小さな、小さな変化。
ひかるの中で、守るために作っていた壁に、ほんのひびが入った。
まだ、壊れるほどじゃない。
でも、確かに。
ここに、壊さない優しさがあることを、ひかるは知ってしまった。
カーテン越しの光が机に落ちて、誰かの笑い声と椅子を引く音が、ゆるやかに混ざる。
ひかるは、自分の席に座りながら、昨日よりもほんの少しだけ、周囲の音が近く感じられることに気づいていた。
ひかる(慣れてきた……のかな)
そう思った瞬間、自分の考えを打ち消すように、視線を落とす。
慣れる、という言葉は、いつも何かを失う前触れだったから。
「おはよ」
隣の席から、静かな声。
田村保乃だった。
ひかる「……おはよう」
それだけの挨拶。
それなのに、胸の奥がふっと温かくなる。
保乃は、必要以上に話しかけてこない。
昨日の帰り道のことも、教室で誰と話したかも、
何も聞いてこない。
でも、いないわけじゃない。
ちゃんと、そばにいる。
ひかる(不思議)
距離が近いのに、踏み込まれない。
体育の時間。
ペアを組む場面で、一瞬だけ、ひかるは立ち止まった。
「森田」
保乃が、自然に名前を呼ぶ。
ほの「一緒にやろ」
その声は、誘いというより、確認に近かった。
ひかる「……うん」
走るのは苦手だった。
息が上がって、足が重くなっていく。
ひかるがペースを落とすと、保乃も何も言わず、同じ速度に落とした。
ひかる「ごめん……」
思わず口にすると、保乃は首を振った。
ほの「いいよ。合わせるの、得意だから」
その言葉に、責める気配は一切なかった。
ひかる(気を使われてる……のかな)
でも、“できない自分”を責められないことが、
こんなにも楽だなんて、知らなかった。
昼休み。
ひかるが一人でパンを食べていると、保乃が向かいに座った。
ほの「ここ、いい?」
ひかる「……うん」
少しの沈黙。
でも、居心地が悪いわけじゃない。
保乃はスマホを触りながら、ふと思い出したように言った。
ほの「無理しなくていいからね」
ひかるは、手を止めた。
ひかる「……なにが?」
ほの「全部」
短い言葉。
でも、胸の奥を、正確に突いてきた。
ひかるは、視線を落としたまま、小さく言う。
ひかる「……無理してるように、見える?」
保乃は、少し考えてから答えた。
ほの「ううん。でも、してきた人の顔」
それ以上、何も言わない。
聞き出そうとしない。
ひかる(なんで……)
どうして、こんなに優しいのに、痛くならないんだろう。
放課後。
一緒に帰る途中、ひかるは足を止めた。
ひかる「……ねえ」
保乃が振り返る。
ひかる「どうして、私に?」
言葉が足りないのは分かっていた。
それでも、聞かずにはいられなかった。
保乃は、すぐに答えなかった。
少しだけ空を見上げて、それから、静かに言った。
ほの「春休み、街で見かけたんだ」
ひかるの心臓が、跳ねる。
ほの「消えちゃいそうな顔、してた」
責める声じゃない。
ただの事実を、そっと置くみたいな言い方。
ほの「放っておけなかった」
ひかるは、何も言えなくなった。
ひかる(見られてた。それなのに、追い詰められてない)
ほの「でもね」
保乃は、ひかるの方を見る。
ほの「助けてあげたい、とかじゃない」
ひかる「……え」
ほの「一緒にいられたらいいなって思っただけ」
その距離感。
救おうとしない。
変えようとしない。
ただ、隣にいる。
ひかる(それが、こんなに……)
胸が、ぎゅっと締まる。
家に帰ったあと、ひかるは布団の中で天井を見つめていた。
思い出すのは、保乃の声と、歩く速度。
ひかる(踏み込まれない優しさ)
それは、今まで知らなかった形だった。
誰かに近づかれるのが怖いのは、失うのが怖いから。
でも――
ひかる(全部、拒まなくてもいいのかもしれない)
小さな、小さな変化。
ひかるの中で、守るために作っていた壁に、ほんのひびが入った。
まだ、壊れるほどじゃない。
でも、確かに。
ここに、壊さない優しさがあることを、ひかるは知ってしまった。