村井優
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大学のキャンパスで見かける村井優は、いつも眩しかった。
ダンスサークルで生き生きと踊る姿、友達とくだらないことでお腹を抱えて笑う姿。
私は、そんな彼女の笑顔にずっと恋をしていた。
けれど、優には付き合っている人がいる。
学内でも評判の、束縛が激しいと噂される恋人だ。
だから私はただの友人の枠を越えないよう、いつも一歩引いた場所から彼女を見つめることしかできなかった。
あの日、夕暮れ時の校舎で、忘れ物を取りに戻るまでは。
オレンジ色の西日が差し込む無人の渡り廊下。
その突き当たりにある、普段は誰も使わない物置小屋の近くを通りかかったとき、低く冷たい声が響いた。
「なに他の人にくっついてんの? なんで楽しそうにしゃべってんの」
心臓がドクリと跳ねた。
その声の主は、優の交際相手だった。
恐る恐る壁の陰から覗くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
ガタンッ! と激しい音がして、優の身体が壁に叩きつけられる。
相手の手は、優の細い首を容赦なく掴み、へし折らんばかりの力で押し込んでいた。
ゆう「……っく、くるしいっ。ご、ごめんっな……さい……っ」
優の顔は苦しさで歪み、必死に相手の手首を掴んで剥がそうとしている。
しかし、力の手に敵うはずもない。優の目から涙が溢れ、床に滴り落ちる。
「ゆうは学習しないよね~。また痛い目にあいたいの??」
掴んでいた首を乱暴に放り出すと同時に、相手の拳が優のみぞおちへと叩き込まれた。
鈍い衝撃音が静かな廊下に響き渡る。
ゆう「ぐっ、、……ぅ、あ……っ」
優は呼吸を奪われ、その場に崩れ落ちた。
お腹を抱え、床に額を擦りつけるようにして激しく咳き込んでいる。
見ているこちらの胸が張り裂けそうになるほどの暴行。
助けに入ろうと足を踏み出しかけたその時、優の口から信じられない言葉が漏れた。
ゆう「ご、ごめんね? 気をつけるから……だから、私を捨てないで……」
地べたに蹲ったまま、優は相手の靴に縋り付くようにして泣き叫んだ。
恐怖に支配され、完全に心を折られた人間の姿だった。
すると相手は、今までの狂気が嘘だったかのように顔を歪め、優の前にしゃがみ込んでその身体を優しく抱きしめた。
「こっちこそごめんね。ゆうのことが大好きすぎて、自分をコントロールできなくなっちゃうんだ。私のこと、嫌いにならないでね?」
ゆう「うん……っ、嫌いにならない、絶対……っ」
あまりの異常さに、私は声を出すこともできず、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
優を包むその抱擁は、愛などではなく、彼女を一生閉じ込めるための「檻」そのものだった。
それから数日間、私は優のことが頭から離れなかった。
大学で見かける彼女は、心なしかいつもより元気がなく、夏前だというのに頑なに長袖のカーディガンを着込んでいた。
時折、袖口からチラリと覗く青紫色の痛々しいアザを見るたび、あの日の光景がフラッシュバックして胸が苦しくなる。
放課後、誰もいなくなったゼミの教室。ポツンと一人で外を眺めている優の背中を見つけ、私は意を決して中に入った。
ゆめ「ゆう……ちょっと、話せる?」
ゆう「あ、うん……どうしたの?」
優はいつものように笑おうとしたけれど、その笑顔は今にも崩れてしまいそうなほど脆く、痛々しかった。
私は彼女の前に椅子を引き、その震える両手をそっと包み込むように握った。
ゆめ「もう、無理しないで、ゆう。……私、数前の日の夕方、校舎の裏で見ちゃったんだ。ゆうが、あの人にされてたこと」
優の身体が、目に見えてビクンと強張った。みるみるうちに顔から血の気が引いていき、握った手が急速に冷たくなっていく。
ゆう「み、見られたんだ……。でもね、違うの! あれは私が悪くて……。私が他の人と長く話しすぎちゃったから、あの人を不安にさせちゃったの。あの人は私のことが大好きだから、ちょっと怒っちゃっただけで……普段はすごく優しいんだよ?」
必死に相手を庇い、自分に言い聞かせるようにまくしたてる優。
完全に洗脳されている。
私は耐えきれなくなって、少し強い声で彼女の言葉を遮った。
ゆめ「悪くない! ゆうは何も悪くないよ!」
ゆう「……っ」
ゆめ「大好きな人を殴ったり、首を絞めたりしていい理由なんて、この世のどこにもない。それは愛じゃないよ。ただの暴力。そんなにボロボロになって、怯えて、相手の顔色を伺って……そんなの、絶対に間違ってる」
ゆう「間違ってても……っ、私が耐えればいいだけだから……。私、あの人がいなくなったら、もう一人になっちゃう。誰も私を愛してくれなくなっちゃう……」
優はボロボロと涙を溢れさせながら、首を横に振った。
孤独になる恐怖が、彼女をあの場所に縛り付けているのだ。
私は椅子から立ち上がり、優の華奢な身体を、壊れ物を扱うように、けれど絶対に離さないという強い意志を込めて抱きしめた。
ゆめ「一人になんかさせない。私がいる。私が、ゆうの全部を守るから」
ゆう「え……?」
ゆめ「あの人がゆうを傷つけるなら、私がその何倍もゆうを大切にする。だからお願い、あの歪んだ檻から抜け出そう? 私と一緒に、逃げよう」
私の胸の中で、優の身体の緊張が、糸が切れたようにふっと解けた。
優は私のシャツの背中を小さな手でぎゅっと掴むと、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
ゆう「……たすけて、っ……。本当は、ずっと怖かったの……。毎日生きた心地がしなくて、いつ怒られるかって、ビクビクして……っ。もう痛いのは嫌だよ……っ」
ゆめ「うん、うん。怖かったよね。もう大丈夫だからね、よく頑張ったね……」
私は優の背中を何度も何度も擦りながら、心の中で固く誓った。
この涙を、絶対に無駄にはしないと。
それからの日々は、決して簡単ではなかった。
相手からの執拗な連絡や待ち伏せに対し、私は常に優の隣に寄り添い、大学のハラスメント相談窓口や、学生課の職員、さらには専門のカウンセラーの手も借りた。
相手が逆上して掴みかかってきそうになった時は、私が優の前に立ちはだかり、「これ以上近づくなら警察を呼ぶ」と強い目で睨みつけた。
周囲の大人たちが介入したことで、相手は次第に優に近づくことができなくなり、最終的には大学を去っていった。
数ヶ月後。
すっかり季節は変わり、爽やかな秋晴れの風がキャンパスを吹き抜けていた。
隣を歩く優は、もうあの重苦しい長袖を着ていない。半袖から覗く白い腕には、もうアザ一つ残っていなかった。
ゆう「ねぇ、見て! 今年の秋の新作スイーツ、美味しそうだよね」
スマホの画面を見せながら、優が心の底から楽しそうに笑う。
その笑顔は、私がずっと守りたかった、あの眩しい優の笑顔そのものだった。
ゆめ「本当だね。今日、学校終わったら食べに行こっか」
ゆう「うん! 行く!」
優は嬉しそうに頷くと、私の手をそっと握りしめてきた。
あの日の冷たい手とは違う、ぽかぽかと温かい、優しい体温。
ゆう「あの時、私を見つけて、手を引いてくれてありがとう。 ゆめがいてくれたから、私、いまこうして笑えてるんだよ。……大好き」
少し照れくさそうに、でも真っ直ぐに私を見つめる優の瞳には、もう恐怖の影なんてどこにもなかった。
ゆめ「私も。ゆうの笑顔が、世界で一番大好きだよ」
繋いだ手に少しだけ力を込める。
私たちはもう、あの暗い廊下にはいない。
光の差す道を、二人でしっかりと歩き始めていた。
ダンスサークルで生き生きと踊る姿、友達とくだらないことでお腹を抱えて笑う姿。
私は、そんな彼女の笑顔にずっと恋をしていた。
けれど、優には付き合っている人がいる。
学内でも評判の、束縛が激しいと噂される恋人だ。
だから私はただの友人の枠を越えないよう、いつも一歩引いた場所から彼女を見つめることしかできなかった。
あの日、夕暮れ時の校舎で、忘れ物を取りに戻るまでは。
オレンジ色の西日が差し込む無人の渡り廊下。
その突き当たりにある、普段は誰も使わない物置小屋の近くを通りかかったとき、低く冷たい声が響いた。
「なに他の人にくっついてんの? なんで楽しそうにしゃべってんの」
心臓がドクリと跳ねた。
その声の主は、優の交際相手だった。
恐る恐る壁の陰から覗くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
ガタンッ! と激しい音がして、優の身体が壁に叩きつけられる。
相手の手は、優の細い首を容赦なく掴み、へし折らんばかりの力で押し込んでいた。
ゆう「……っく、くるしいっ。ご、ごめんっな……さい……っ」
優の顔は苦しさで歪み、必死に相手の手首を掴んで剥がそうとしている。
しかし、力の手に敵うはずもない。優の目から涙が溢れ、床に滴り落ちる。
「ゆうは学習しないよね~。また痛い目にあいたいの??」
掴んでいた首を乱暴に放り出すと同時に、相手の拳が優のみぞおちへと叩き込まれた。
鈍い衝撃音が静かな廊下に響き渡る。
ゆう「ぐっ、、……ぅ、あ……っ」
優は呼吸を奪われ、その場に崩れ落ちた。
お腹を抱え、床に額を擦りつけるようにして激しく咳き込んでいる。
見ているこちらの胸が張り裂けそうになるほどの暴行。
助けに入ろうと足を踏み出しかけたその時、優の口から信じられない言葉が漏れた。
ゆう「ご、ごめんね? 気をつけるから……だから、私を捨てないで……」
地べたに蹲ったまま、優は相手の靴に縋り付くようにして泣き叫んだ。
恐怖に支配され、完全に心を折られた人間の姿だった。
すると相手は、今までの狂気が嘘だったかのように顔を歪め、優の前にしゃがみ込んでその身体を優しく抱きしめた。
「こっちこそごめんね。ゆうのことが大好きすぎて、自分をコントロールできなくなっちゃうんだ。私のこと、嫌いにならないでね?」
ゆう「うん……っ、嫌いにならない、絶対……っ」
あまりの異常さに、私は声を出すこともできず、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
優を包むその抱擁は、愛などではなく、彼女を一生閉じ込めるための「檻」そのものだった。
それから数日間、私は優のことが頭から離れなかった。
大学で見かける彼女は、心なしかいつもより元気がなく、夏前だというのに頑なに長袖のカーディガンを着込んでいた。
時折、袖口からチラリと覗く青紫色の痛々しいアザを見るたび、あの日の光景がフラッシュバックして胸が苦しくなる。
放課後、誰もいなくなったゼミの教室。ポツンと一人で外を眺めている優の背中を見つけ、私は意を決して中に入った。
ゆめ「ゆう……ちょっと、話せる?」
ゆう「あ、うん……どうしたの?」
優はいつものように笑おうとしたけれど、その笑顔は今にも崩れてしまいそうなほど脆く、痛々しかった。
私は彼女の前に椅子を引き、その震える両手をそっと包み込むように握った。
ゆめ「もう、無理しないで、ゆう。……私、数前の日の夕方、校舎の裏で見ちゃったんだ。ゆうが、あの人にされてたこと」
優の身体が、目に見えてビクンと強張った。みるみるうちに顔から血の気が引いていき、握った手が急速に冷たくなっていく。
ゆう「み、見られたんだ……。でもね、違うの! あれは私が悪くて……。私が他の人と長く話しすぎちゃったから、あの人を不安にさせちゃったの。あの人は私のことが大好きだから、ちょっと怒っちゃっただけで……普段はすごく優しいんだよ?」
必死に相手を庇い、自分に言い聞かせるようにまくしたてる優。
完全に洗脳されている。
私は耐えきれなくなって、少し強い声で彼女の言葉を遮った。
ゆめ「悪くない! ゆうは何も悪くないよ!」
ゆう「……っ」
ゆめ「大好きな人を殴ったり、首を絞めたりしていい理由なんて、この世のどこにもない。それは愛じゃないよ。ただの暴力。そんなにボロボロになって、怯えて、相手の顔色を伺って……そんなの、絶対に間違ってる」
ゆう「間違ってても……っ、私が耐えればいいだけだから……。私、あの人がいなくなったら、もう一人になっちゃう。誰も私を愛してくれなくなっちゃう……」
優はボロボロと涙を溢れさせながら、首を横に振った。
孤独になる恐怖が、彼女をあの場所に縛り付けているのだ。
私は椅子から立ち上がり、優の華奢な身体を、壊れ物を扱うように、けれど絶対に離さないという強い意志を込めて抱きしめた。
ゆめ「一人になんかさせない。私がいる。私が、ゆうの全部を守るから」
ゆう「え……?」
ゆめ「あの人がゆうを傷つけるなら、私がその何倍もゆうを大切にする。だからお願い、あの歪んだ檻から抜け出そう? 私と一緒に、逃げよう」
私の胸の中で、優の身体の緊張が、糸が切れたようにふっと解けた。
優は私のシャツの背中を小さな手でぎゅっと掴むと、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
ゆう「……たすけて、っ……。本当は、ずっと怖かったの……。毎日生きた心地がしなくて、いつ怒られるかって、ビクビクして……っ。もう痛いのは嫌だよ……っ」
ゆめ「うん、うん。怖かったよね。もう大丈夫だからね、よく頑張ったね……」
私は優の背中を何度も何度も擦りながら、心の中で固く誓った。
この涙を、絶対に無駄にはしないと。
それからの日々は、決して簡単ではなかった。
相手からの執拗な連絡や待ち伏せに対し、私は常に優の隣に寄り添い、大学のハラスメント相談窓口や、学生課の職員、さらには専門のカウンセラーの手も借りた。
相手が逆上して掴みかかってきそうになった時は、私が優の前に立ちはだかり、「これ以上近づくなら警察を呼ぶ」と強い目で睨みつけた。
周囲の大人たちが介入したことで、相手は次第に優に近づくことができなくなり、最終的には大学を去っていった。
数ヶ月後。
すっかり季節は変わり、爽やかな秋晴れの風がキャンパスを吹き抜けていた。
隣を歩く優は、もうあの重苦しい長袖を着ていない。半袖から覗く白い腕には、もうアザ一つ残っていなかった。
ゆう「ねぇ、見て! 今年の秋の新作スイーツ、美味しそうだよね」
スマホの画面を見せながら、優が心の底から楽しそうに笑う。
その笑顔は、私がずっと守りたかった、あの眩しい優の笑顔そのものだった。
ゆめ「本当だね。今日、学校終わったら食べに行こっか」
ゆう「うん! 行く!」
優は嬉しそうに頷くと、私の手をそっと握りしめてきた。
あの日の冷たい手とは違う、ぽかぽかと温かい、優しい体温。
ゆう「あの時、私を見つけて、手を引いてくれてありがとう。 ゆめがいてくれたから、私、いまこうして笑えてるんだよ。……大好き」
少し照れくさそうに、でも真っ直ぐに私を見つめる優の瞳には、もう恐怖の影なんてどこにもなかった。
ゆめ「私も。ゆうの笑顔が、世界で一番大好きだよ」
繋いだ手に少しだけ力を込める。
私たちはもう、あの暗い廊下にはいない。
光の差す道を、二人でしっかりと歩き始めていた。