石森璃花
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石森璃花 side.
りか「……今日も、変わらないね」
窓の外は夕暮れ時。
オレンジ色の光が、病室の無機質な白い壁を刺すように照らしている。
ベッドに横たわる ゆめ は、まるで精巧に作られた人形のように静かだった。
彼女は、櫻坂46の中でも理想を具現化したような存在だった。
ダンスの振り入れで遅れている子がいたら、自分の練習を止めて最後まで付き添う。
落ち込んでいるメンバーがいれば、さりげなく隣に座って温かい飲み物を差し出す。
そんな彼女を、私は尊敬していたし、誰よりも愛していた。
付き合ってからも、彼女は完璧だった。
私の些細な変化にすぐ気づいて、「璃花、今日はお疲れ様」と抱きしめてくれる。その腕の中が、私にとっての世界のすべてだった。
けれど、あの一週間。
楽屋の隅で、ふとした瞬間に彼女が見せた、虚空を見つめるような瞳。
鏡に向かって笑顔を作っていた、あの不自然な指先。
りか(聞かなきゃって、思ってたのに。どうしたの、何かあったのって……)
でも、聞けなかった。
だって、彼女はいつだって完璧で、みんなの支えだったから。
私がその均衡を崩してしまったら、彼女が彼女でなくなってしまうような気がして。
私は、彼女に「頼られる私」になる努力をせず、彼女が与えてくれる「優しさ」を享受することに逃げてしまった。
りか「……ごめんね。寂しかったよね。一人で、あの暗い場所に立たせて……」
繋いだ手は驚くほど細くなっていて、私の体温を吸い取っていく。
返事のない指先に、私はただ、行き場のない後悔を重ねるしかなかった。
ゆめ side.
ゆめ(……あ、また私が笑ってる)
楽屋の鏡に映る自分を見る。
口角の角度、目の細め方、声のトーン。
すべてが「みんなが求める私」として正解を叩き出している。
メンバーの誰かが私に感謝するたび、スタッフさんに褒められるたび、足元が数センチずつ砂に埋まっていくような感覚があった。
期待に応えなければならない。
期待を裏切る私には、価値がない。
いつからか、自分の感情がどこにあるのか分からなくなっていた。
悲しいのか、苦しいのか。
それさえも、「完璧なアイドル」という仮面の下で窒息して、消えてしまった。
一週間前、ついに心が悲鳴を上げた。
璃花の隣にいても、彼女の温もりを感じるのが怖かった。
私の正体——中身が空っぽで、ただ優しさを演じているだけの化け物だとバレるのが、何よりも恐ろしかった。
ゆめ(りか、そんなに優しく笑わないで。……壊したくなっちゃうから)
あの日。
吸い込まれるような高さのビル。フェンス越しに吹く風は、驚くほど自由だった。
ここから一歩踏み出せば、もう「誰かのための私」を演じなくて済む。
櫻坂の ゆめ でも、完璧な恋人でもない、ただの無に帰れる。
一瞬、璃花の顔がよぎった。
彼女を悲しませる。それは私の人生で最大の失敗になる。
けれど、それ以上に、自分を演じ続ける限界がすぐそこまで来ていた。
ゆめ(……さよなら、みんな。ごめんね、りか)
浮遊感。
重力に導かれるまま、私はようやく自分を解放した。
地面に叩きつけられる直前、視界に映ったのは、真っ青な空だった。
皮肉なことに、それはグループのカラーでも、私の好きな色でもない、ただ残酷なほどに透き通った自由の色だった。
今は、暗い海の底にいるような気分だ。
遠くで、誰かが私の名前を呼んでいる気がする。
ひらがな三文字の、愛おしい名前。
ゆめ(りか……。……まだ、そっちには、行けないかな……)
深い眠りの中で、私は初めて、自分の意志で誰かの手を握り返そうとした。
石森璃花 side.
病院の廊下を歩く足音が、やけに響く。
あの日から、私の時間は止まったまま。
璃花、と呼んでくれるあの声が聞きたくて、私は毎日この部屋に通っていた。
りか「……あ」
病室のドアを開けた瞬間、心臓が跳ねた。
カーテンの隙間から差し込む光の中で、 ゆめ の指が、ほんの少しだけ動いた気がしたから。
りか「ゆめ……? ゆめ !」
駆け寄ってその手を握ると、まつ毛が微かに震えた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと、彼女の瞳に光が戻っていく。
焦点が合わないまま、彼女は何度も瞬きを繰り返し、やがて視線が私を捉えた。
りか「わかる? 私だよ、璃花だよ……」
ゆめ「……り、……か……?」
掠れた、消え入りそうな声。
それでも、間違いなく私の名前だった。溢れ出す涙を堪えることもできず、私は彼女の手を自分の頬に押し当てた。
りか「よかった……本当によかった。……バカだよ、ゆめは。なんで何も言ってくれなかったの。完璧じゃなくていいって、ずっと言いたかったのに……」
彼女は弱々しく微笑もうとした。
けれど、その口角はすぐに下がり、代わりに瞳から大粒の涙が溢れ出した。
それは、私が見たことのない、脆くて、ボロボロな彼女の姿だった。
ゆめ side.
暗い、深い水の底から、ようやく水面に顔を出したような感覚だった。
肺に流れ込む空気は冷たくて痛い。
視界が白く霞む中で、一番に見えたのは、ぐしゃぐしゃに顔を濡らした璃花だった。
ゆめ「……ごめ、ん……なさい……」
声に出そうとすると、喉が焼けるように熱い。
あの日、すべてを投げ出して自由になったつもりだった。
けれど、目覚めた瞬間に襲ってきたのは申し訳なさとそして生きていてよかったという、自分でも驚くほど身勝手な安堵だった。
ゆめ「……りかに、嫌われたと思った。……あんなことして、幻滅されたって」
でも、彼女が握る手の力は、痛いくらいに強かった。
彼女は私の「完璧な部分」を愛していたんじゃなくて、私という存在そのものを繋ぎ止めようとしてくれていたんだ。
ゆめ「りか……わたし、ね……。……もう、頑張れ、ないの……」
初めて口にした、本音。
みんなの期待、アイドルの責任、理想の恋人。
そのすべてを脱ぎ捨てた、何の色もない言葉。
りか「……うん。頑張らなくていい。ただ、私の隣で生きてて。それだけでいいの」
璃花が私の額に自分の額をそっと寄せる。
鼻先が触れる距離で、彼女の呼吸が伝わってくる。
それは、屋上で感じたあの冷たい風よりも、ずっとずっと温かくて、生々しい「命」の音がした。
ゆめ(……かっこ悪い私だけど。……やり直しても、いいかな)
私は震える手で、初めて自分から、彼女のシャツの裾をぎゅっと掴んだ。
完璧な ゆめ は、あの日、ビルから落ちて死んだ。
今ここにいるのは、璃花がいないと息もできない、ただの弱い私だ。
ゆめ「りか……だいすき、だよ……」
涙で濁った視界の中で、璃花が優しく笑った。
それは、どんなスポットライトよりも眩しく、私を照らしてくれた。
りか「……今日も、変わらないね」
窓の外は夕暮れ時。
オレンジ色の光が、病室の無機質な白い壁を刺すように照らしている。
ベッドに横たわる ゆめ は、まるで精巧に作られた人形のように静かだった。
彼女は、櫻坂46の中でも理想を具現化したような存在だった。
ダンスの振り入れで遅れている子がいたら、自分の練習を止めて最後まで付き添う。
落ち込んでいるメンバーがいれば、さりげなく隣に座って温かい飲み物を差し出す。
そんな彼女を、私は尊敬していたし、誰よりも愛していた。
付き合ってからも、彼女は完璧だった。
私の些細な変化にすぐ気づいて、「璃花、今日はお疲れ様」と抱きしめてくれる。その腕の中が、私にとっての世界のすべてだった。
けれど、あの一週間。
楽屋の隅で、ふとした瞬間に彼女が見せた、虚空を見つめるような瞳。
鏡に向かって笑顔を作っていた、あの不自然な指先。
りか(聞かなきゃって、思ってたのに。どうしたの、何かあったのって……)
でも、聞けなかった。
だって、彼女はいつだって完璧で、みんなの支えだったから。
私がその均衡を崩してしまったら、彼女が彼女でなくなってしまうような気がして。
私は、彼女に「頼られる私」になる努力をせず、彼女が与えてくれる「優しさ」を享受することに逃げてしまった。
りか「……ごめんね。寂しかったよね。一人で、あの暗い場所に立たせて……」
繋いだ手は驚くほど細くなっていて、私の体温を吸い取っていく。
返事のない指先に、私はただ、行き場のない後悔を重ねるしかなかった。
ゆめ side.
ゆめ(……あ、また私が笑ってる)
楽屋の鏡に映る自分を見る。
口角の角度、目の細め方、声のトーン。
すべてが「みんなが求める私」として正解を叩き出している。
メンバーの誰かが私に感謝するたび、スタッフさんに褒められるたび、足元が数センチずつ砂に埋まっていくような感覚があった。
期待に応えなければならない。
期待を裏切る私には、価値がない。
いつからか、自分の感情がどこにあるのか分からなくなっていた。
悲しいのか、苦しいのか。
それさえも、「完璧なアイドル」という仮面の下で窒息して、消えてしまった。
一週間前、ついに心が悲鳴を上げた。
璃花の隣にいても、彼女の温もりを感じるのが怖かった。
私の正体——中身が空っぽで、ただ優しさを演じているだけの化け物だとバレるのが、何よりも恐ろしかった。
ゆめ(りか、そんなに優しく笑わないで。……壊したくなっちゃうから)
あの日。
吸い込まれるような高さのビル。フェンス越しに吹く風は、驚くほど自由だった。
ここから一歩踏み出せば、もう「誰かのための私」を演じなくて済む。
櫻坂の ゆめ でも、完璧な恋人でもない、ただの無に帰れる。
一瞬、璃花の顔がよぎった。
彼女を悲しませる。それは私の人生で最大の失敗になる。
けれど、それ以上に、自分を演じ続ける限界がすぐそこまで来ていた。
ゆめ(……さよなら、みんな。ごめんね、りか)
浮遊感。
重力に導かれるまま、私はようやく自分を解放した。
地面に叩きつけられる直前、視界に映ったのは、真っ青な空だった。
皮肉なことに、それはグループのカラーでも、私の好きな色でもない、ただ残酷なほどに透き通った自由の色だった。
今は、暗い海の底にいるような気分だ。
遠くで、誰かが私の名前を呼んでいる気がする。
ひらがな三文字の、愛おしい名前。
ゆめ(りか……。……まだ、そっちには、行けないかな……)
深い眠りの中で、私は初めて、自分の意志で誰かの手を握り返そうとした。
石森璃花 side.
病院の廊下を歩く足音が、やけに響く。
あの日から、私の時間は止まったまま。
璃花、と呼んでくれるあの声が聞きたくて、私は毎日この部屋に通っていた。
りか「……あ」
病室のドアを開けた瞬間、心臓が跳ねた。
カーテンの隙間から差し込む光の中で、 ゆめ の指が、ほんの少しだけ動いた気がしたから。
りか「ゆめ……? ゆめ !」
駆け寄ってその手を握ると、まつ毛が微かに震えた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと、彼女の瞳に光が戻っていく。
焦点が合わないまま、彼女は何度も瞬きを繰り返し、やがて視線が私を捉えた。
りか「わかる? 私だよ、璃花だよ……」
ゆめ「……り、……か……?」
掠れた、消え入りそうな声。
それでも、間違いなく私の名前だった。溢れ出す涙を堪えることもできず、私は彼女の手を自分の頬に押し当てた。
りか「よかった……本当によかった。……バカだよ、ゆめは。なんで何も言ってくれなかったの。完璧じゃなくていいって、ずっと言いたかったのに……」
彼女は弱々しく微笑もうとした。
けれど、その口角はすぐに下がり、代わりに瞳から大粒の涙が溢れ出した。
それは、私が見たことのない、脆くて、ボロボロな彼女の姿だった。
ゆめ side.
暗い、深い水の底から、ようやく水面に顔を出したような感覚だった。
肺に流れ込む空気は冷たくて痛い。
視界が白く霞む中で、一番に見えたのは、ぐしゃぐしゃに顔を濡らした璃花だった。
ゆめ「……ごめ、ん……なさい……」
声に出そうとすると、喉が焼けるように熱い。
あの日、すべてを投げ出して自由になったつもりだった。
けれど、目覚めた瞬間に襲ってきたのは申し訳なさとそして生きていてよかったという、自分でも驚くほど身勝手な安堵だった。
ゆめ「……りかに、嫌われたと思った。……あんなことして、幻滅されたって」
でも、彼女が握る手の力は、痛いくらいに強かった。
彼女は私の「完璧な部分」を愛していたんじゃなくて、私という存在そのものを繋ぎ止めようとしてくれていたんだ。
ゆめ「りか……わたし、ね……。……もう、頑張れ、ないの……」
初めて口にした、本音。
みんなの期待、アイドルの責任、理想の恋人。
そのすべてを脱ぎ捨てた、何の色もない言葉。
りか「……うん。頑張らなくていい。ただ、私の隣で生きてて。それだけでいいの」
璃花が私の額に自分の額をそっと寄せる。
鼻先が触れる距離で、彼女の呼吸が伝わってくる。
それは、屋上で感じたあの冷たい風よりも、ずっとずっと温かくて、生々しい「命」の音がした。
ゆめ(……かっこ悪い私だけど。……やり直しても、いいかな)
私は震える手で、初めて自分から、彼女のシャツの裾をぎゅっと掴んだ。
完璧な ゆめ は、あの日、ビルから落ちて死んだ。
今ここにいるのは、璃花がいないと息もできない、ただの弱い私だ。
ゆめ「りか……だいすき、だよ……」
涙で濁った視界の中で、璃花が優しく笑った。
それは、どんなスポットライトよりも眩しく、私を照らしてくれた。