立花仙蔵は後輩くのたまが気になって仕方がない
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「立花先輩!あの…お願いしたいことがありまして……。色の実技実習のお相手になっていただけませんか?」
またこの季節がきたのか、と立花仙蔵は思った。
目の前でもじもじと恥じらうくのたま。薄暗い焔硝蔵に呼び出されたので、恋慕を打ち明けられるのかと思っていたが…。
「そうか…。実習の期限はいつまでなんだい?」
「ひと月後です」
仙蔵は、内心焦っていることなど態度には一切出さず、彼女に向かって女子顔負けの美しい作り笑顔を浮かべ、こう答えた。
「申し訳ないが、もう相手が決まっているんだ」
「そうですか……」
私の偽りの返事を素直に信じ、落胆した表情を浮かべている。じゃあ、と早々に会話を切り上げ、約束場所である手裏剣練習場へと走った。
仙蔵の言う、この季節とは、くのたまの必須授業、色の実技実習の時期のことであった。
忍術学園のくのたまは、四年生から色の授業が始まる。色とは、目合いを通じて敵を惑わし意のままにするという、忍者にとって難易度の高い技術。忍術学園では、色を使いこなせるようになって、ようやく上級生の仲間入りとなれる。
四年生の場合、教室での座学授業、筆記テストを経て、実技へと移る。
初めは全員、実技の指南役に教わって体を慣らすのだという。指南役は、忍術学園の卒業生という噂だ。
そして四年生の総仕上げとして、忍たまを一人誘惑し目合う実技実習があるのだった。
対象は同学年生以上の忍たま、期限はひと月、相手が決まったら日時と場所を山本シナ先生に事前報告する、また事後も同じく報告、という決まり。
これらは全て、二年前、実技実習を共にしたくのたまから閨で聞いた話だ。仙蔵は四年生になった二年前から、相手役を頼まれることが多く、二年前も、そして昨年も引き受けていた。
共に学び、助け合うことが学園の教訓であったし、また、仙蔵自身のためでもあった。忍者として、敵のくのいちに色を仕掛けられないとも限らない。任務の成功率を上げるため、より多くの経験を積んでおきたい、というのが仙蔵の考えるところだった。
しかし、目合いはあくまで利害の一致。実習相手と恋仲になったことはない。彼女達は嫁ぎ先が決まり、既に忍術学園を去っている。
「待たせたな」
「立花先輩、今日も宜しくお願いします」
手裏剣を打っていた手を止め、振り返る彼女へと近寄る。彼女の無邪気な微笑みにつられ、こちらも相好を崩す。
「手裏剣の命中率が上がってきたから、今日は的から更に五寸離れて練習しよう」
「はい」
結局、六花の得意武器はまだ決まっていない。
そんな彼女に、指導という名目で手裏剣打ちを教えるようになってから二月が経つ。
はじめに声をかけた時、六花が私に対して、後輩思いの先輩、という印象しかいだいていないことはわかっていた。
しかしそれで諦めるつもりは毛頭ない。会う機会を増やし、時に褒め、時に花を贈り、意識が自分に向くよう努力してきた。頬を染め、はにかむ六花を見たいと思えば、自然と起こる行動でもあった。
しかし、私ばかりが彼女に好意を寄せている、というのも面白くない。
それゆえ最近は、彼女からの誘いを断ったり、他のくのたまと親しげに過ごしてみせたりと、気のない素振りを見せて様子を見ていたのだが…。
「十発中、的に当たった手裏剣は六発か。上手くなったな」
「ありがとうございます。立花先輩のおかげです」
「いや、六花の努力の賜物だよ」
六花が、打った手裏剣を回収して戻ってくる。打つ時の肘の高さや、腕の振り幅について話す彼女の声が耳に入ってこない。
今の私の心の中では、焔硝蔵で感じた焦りが、延焼する炎のように広がっていた。
色の実習か……。
こうなると話は違う。気のない素振りを見せている場合ではない。六花が他の忍たまを誘惑して目合うなど言語道断。
行儀見習いとして入学し、卒業後くのいちにならない者や、許嫁が決まっている者は実技実習を辞退することが出来るという。
六花に許婚はいないと聞いている。それならば、私は己がすべきこととして、以下の三つを考え抜いた。
一、六花はくのいちを目指すのか
一、実習相手となり得る親しい男が周囲にいないか
一、私に課題の依頼をしやすいよう誘導
私は自らにこれらの任務を課し、早速実行することにした。
「立花先輩、今日もご指導ありがとうございました
。…それでは、私はこれで失礼します」
手裏剣を拭き、用具倉庫に片付け終えた六花は、深々と頭を下げた。
「待て。今日は特に用はないんだ。久しぶりに、夕食を共にしないか?」
「……はい!お言葉に甘えて、ご一緒させていただきます」
ここ最近、練習後の夕食を断ってばかりいたからか、とびきり明るい笑顔が返ってきた。
食事をとりながら情報収集といこう。
食堂からやや離れた校庭に、ぱちぱちと火の粉が上がる。私と六花が囲む小さな焚き火の上では、鍋の中で二人分の雑炊が程よく柔らかくなっていた。
「今日は食堂じゃなくて良いのか?」
「いえ、あれはもう懲りました…」
にやりと笑う私の意地の悪い問いに、六花は困ったように笑った。
以前、手裏剣の練習後に食堂で夕食をとったことがあった。忍装束の色が違う者同士が並ぶと目立つが、その内の一人が桃色のくのたまとなると、二人でいたという噂は一瞬で広まる。
「あの時は、くのたまの先輩方に立花先輩との仲を矢継ぎ早に聞かれ、誤解をといて回るのに四日もかかりました」
当時を思い出したのか、六花は苦笑いをした。
「私は別に誤解されたままでも構わないのだがな」
「え?」
「いや、こちらの話だ」
食堂での一件以来、彼女の希望で、夕食を共にする時は外で自炊するようになった。
食堂のおばちゃんから、食券と交換してもらった生米、昆布、塩。同じく食堂で借りた椀と鍋。そして六花が山できのこ狩りした時採取し、乾燥させてあったきのこで、きのこ雑炊が出来上がった。
「美味しいよ。六花は料理が上手だな」
「両親が商売をしていますので、家事は私が引き受けていました」
彼女の両親は甘味処をやっている。となると……
「六花はいずれ、両親の店を継ぐのか?」
「はい。そのつもりです」
「ということは、くのいちは目指さないのか」
ならば、色の実習の心配はない。
「いえ、くのいちも目指しています」
「…どういうことだ?」
「私の村は、ドクタケ領、スッポンタケ領、オーマガトキ領と、三つの領地それぞれから続く道が交差する分岐点にあります。ですから、甘味処の商売をする傍ら、フリーの忍者として働くつもりです」
「…成る程」
「それぞれの領地の情報を集めて忍術学園に情報を渡したり、必要に応じて他のフリーの忍者達とも情報を売買するつもりです」
私の住む村は、忍術学園から近いので、と彼女は言った。
彼女には忍術学園で学んだ忍術もあり、商売の手伝いで培った洞察力もある。私は大きく頷いた。
「それは、六花らしい選択だな」
「ありがとうございます。立花先輩にそう言っていただけると安心します」
しかし、くのいちを目指すとなると、色の実習が必要ということだ。
「授業の方はどうだ?順調か?」
「はい。最近は実習も増えてきました」
「四年生になると、座学と実習の両立も難しくなってくる。六花は、宿題をすぐに終わらせる方なのか?」
「はい。大抵の宿題は忘れないうちに終わらせるようにしています。ですが、迷い癖が出てしまった時は、期限ぎりぎりになることもあります…」
「…そうか」
色の実習は、後者になるのだろうか…。
自分から誘えるのならば、こんな苦労はないのに、と私は心の中で嘆息した。
これはくのたまの実習なので、忍たまの方から誘うことは御法度だ。もどかしいが、上手く誘導し、彼女から誘惑するよう仕向けなければならない。
そもそも、六花は私に懸想しているのか?
二月前の、後輩思いの先輩、という印象からは前進している実感はある。相手が上級生という緊張感が薄れ、笑顔を見せることも増えてきた。しかし、今一つ想いが通じ合っているという確信はない。他の女子ならば、私に懸想しているかどうか、大抵一目でわかるというのに。
こんなことは初めてだった。一番知りたい相手のことが一番分からないだなんて、皮肉なものだと思わず笑ってしまった。
「立花先輩?どうされたんですか?」
「…いや、何でもない。期限ぎりぎりにならないように頑張るんだぞ。困ったことがあったら、すぐに私を頼ってくれて構わないからな」
「ありがとうございます」
次は、彼女の周りにいる親しい男の確認だな。
四年生の中だと、要注意なのはタカ丸と喜八郎だろうか。髪結いとして育ったタカ丸は、言わずもがな、忍たまの中で最もくのたまに人気のある男の一人であろう。
喜八郎も穴掘り好きの変わり者ではあるが、端正な顔立ちと豊かに波打つ髪が注目を浴び、喜八郎の傍ではくのたま達は色めき立つ。
では、注意すべきはこの二人ということか。
考え事に没頭していた私は、食堂の前で足を止めた。食堂入口の貼り紙の前では、六花と、五年生の不破雷蔵が仲睦まじく話していた。
「悩むなぁ…」
「悩みますね…」
「鯖の味噌煮のAランチも良いけど、野菜炒めのBランチも捨てがたい…」
「どちらも異なる魅力がありますよね…。小鉢も両方美味しそう…。不破先輩、もし良ければ、前みたいにおかずを半分ずつ…」
「今日もランチを決めかねているのか?」
にっこりと作り笑顔を浮かべて二人に近寄る。花が咲いたようにぱっと笑う六花とは対照的に、雷蔵はあからさまに焦った顔をしていた。
「立花先輩!こんにちは」
「立花先輩っ!こんにちは!…そうだ、今日は僕Aランチにするよ!じゃあね、六花!」
「えっ?不破先輩…!」
逃げるように食堂に去っていく雷蔵を、彼女は不思議そうに見つめていた。何故急に決断出来たんだろう…。そんな彼女の声が聞こえてきそうだ。
やや圧が強すぎたか?まぁ、いい。
私は作り笑顔から素の顔に戻した。
「何やら急いで行ってしまったな。では、おかずは私が半分ずつ交換してあげよう」
とまどい遠慮する六花を多少強引に食堂に誘い、並んで座った。色違いの忍装束が周囲の視線を集めている。顔を赤くした六花は、身を縮こまらせて小さくなっていた。
色の実習候補は四年生しか考えていなかったが、五年生にも注意が必要だとは…侮れんな。
その後、他の忍たまに睨みをきかせつつ、六花とはほとんど毎日のように手裏剣練習をした。
しかし、待てど暮らせど彼女から色の実習について相談されることはない。
やはり私から誘った方が早いと、喉まで出かかった誘惑の言葉を、苦労して何度飲み込んだことか。誰もいない空き部屋に誘って耳元で甘く囁き、彼女を組み敷いて今抱えている悩みを全て解決してしまいたい。
食堂で二人でいるところを周囲に見られただけで固まってしまう六花のことだ。学園内で誘うのは躊躇われるのかもしれない。忍者のたまごがうろうろしては、いつ誰に聞かれるか分からないからな。
そう結論づけた私は、休日六花と二人で町に出かける計画を立てた。
「美味しいあんみつ屋さん、ですか?」
「あぁ。先日、実習の帰りに見つけたんだ。六花は甘味処を継ぐのだろう?他の店の味を知ることも学びになると思うのだが、どうだ?」
「是非行ってみたいです。では、他の四年生も誘って…」
「私と二人では嫌か?」
「いえ…!嫌ではありませんが、その、緊張してしまいそうで…」
緊張で声が高くなる六花が可愛くて、自分の中の悪戯心が疼く。どうやら私は、好いた女子を揶揄いたくなる性分なのだと、彼女に出会って知った。
「今からそんなに緊張していては、休日までもたないぞ」
耳に唇を寄せ、そっと囁く。
顔から火が出そうな彼女を見て愉悦に浸る自分も、大概だと思う。
恥ずかしさに耐えきれず顔を逸らす六花を見て、この様子なら、次の休日に話はまとまりそうだなと、私は自分の策に満足した。
「あの、立花先輩…!」
「なんだ?」
「その、お願いしたいことがありまして……」
まだ頬を染めつつも、意を決したように真っ直ぐ私を見上げる六花。
ついにきたのだろうか。色の誘いが。
「良いよ。遠慮せずに言ってごらん」
ならば次の休日は、あんみつ屋の後に媒宿に寄るのが良いか…。
「こんなこと、立花先輩にお願いして良いか分からないのですが…一度だけでもって、ずっと思っていて……」
普段遠慮してばかりの六花が私を見上げて頼みごとをしている姿に…私は生唾を飲み込んだ。
一応、待ちに待った休日がやって来た。私は入門表に六花と私二人分のサインを済ませ、門の前で待っていた。
「すみません、お待たせしました…」
小走りで駆けてくる彼女に目を奪われた。
鴇色の小袖は、桃色の忍装束よりも淡く儚く、普段よりも淑やかな印象を与える。左の肩口に描かれた梅の花も、彼女によく似合っていた。
髪を下ろしている姿も、化粧をしている顔も初めて見た。普段は私と同じように頭の高い位置でまとめている艶のある黒髪を下ろし、結っている。
顔には白粉をし、唇には着物と同じ鴇色の紅をさしている。
彼女の周りの景色が、少しだけ明るく見えた。
「立花先輩…?」
綺麗だ。そう言おうとした言葉を彼女に奪われてしまった。
「先輩…いえ、仙子さん、とてもお綺麗です…!」
「…どうもありがとう」
「今日は我儘を言ってしまってすみません…。でも私、仙子さんとお出かけするのが夢だったんです」
「そう…」
きらきらと目を輝かせる六花に微笑み返しながらも、胸中は複雑だった。
女装を褒めてもらえるのは嬉しいのだが、私の目的はそれではない。それに、色の実習の話題になっても、仙子のままでは格好がつかないではないか。
しかし、上級生の私に対して遠慮がちな六花のたっての希望とあらば、断れるはずもなかった。
「山本シナ先生も勿論お綺麗ですが、くのたまの皆でお化粧の練習をする時、よく仙子さんの話もするんですよ」
「そうなの?」
「はい!お化粧道具は高いので、そう頻繁には出来ませんが、練習する時は仙子さんみたいに綺麗になれるようにって、皆で言ってるんです」
仙子と出かけるのが余程嬉しいのか、道中、彼女はいつもより饒舌だった。
森の中は太陽の光が差し込み、あたたかな陽気に包まれている。鳥のさえずりさえも楽しそうに聞こえてくる。
好いた女子といると何処にいても楽しいのだな。六花といると、初めて知ることばかりだ。
「そうは言っても、仙子さんの美しさに比べたら、まだ足元にも及びませんが…」
「そんなことはない。六花こそ、梅の小袖も、その髪も似合っているよ」
六花は髪を撫で、はにかみながら笑った。
「ありがとうございます。でも今日は、自分で結ったんじゃないんです。来る前にタカ丸さんが結ってくれて…」
焼けつくような痛みが胸から全身に広がった。食堂前で雷蔵と彼女を見た時と同じだ。視界がどろりと暗く歪む。
この着飾った格好を私より先にタカ丸に見せただけでなく、その髪を触らせたというのか。それにその恥じらう顔…タカ丸のことを思い出しているのか…?
「こちらへ」
たまらず彼女の手を引き、道脇の茂みの奥へと引きずり込んだ。よろけた彼女を抱きとめ、木の幹へと追いやる。
「仙子さん…?」
「紅が乱れている」
氷のように冷たい声が出た。
懐から懐紙を取り出し、六花の唇に押し当てる。紅は乱れてなどいない。とにかく彼女に触れなければ気が済まなかった。本当は直にこの唇を塞いでやりたい。そんな獰猛な自分を必死で抑えつける。
薄い紙一枚を隔てた先から、彼女の唇の熱がほんのりと伝わってきた。
懐紙を外すと、白い和紙にくっきりと鴇色の唇の形が移った。それを半分に折りたたんでしまい、そのまま懐から紅を保管している小さな貝を取り出した。
携帯用に乾燥させた紅が塗られている二枚貝を開き、傍にある葉の朝露を貝の中に垂らす。それらを右手の薬指で混ぜ、紅を濡らして掬い取り、六花の唇へと当てた。
「それは、仙子さんの紅では…っ」
「口を閉じて」
何か言いたげな目をしている彼女に、仙子として妖艶に微笑む。最上級生ともなれば、感情とは正反対の表情も容易く出来るようになった。内心は、このふにふにと柔らかい唇に触れるせいで込み上げてくる熱い欲を押し留めることで精一杯だ。
薬指を、右から左へと滑らせていく。この状況に耐えかねたのか、六花はぎゅっと目を瞑った。
「そのように目を閉じて、私のことを誘っているのか?」
また私の悪い癖が出てしまった。しかし無防備な彼女も彼女だ。
慌てて目を開いた六花の顔は、肩口に描かれた梅より赤く染まっていた。
「これで良い」
固まる彼女に小さく微笑む。紅がついた薬指を先程の懐紙で拭き取り、二枚貝を懐にしまった。
仙子として二人で出かけるのは気が進まなかったが、揃いの紅をつけるというのは悪くない。
たとえタカ丸に髪を触らせようとも、この時は私だけのものだ。
「女子が乱れた紅のまま歩いてはいけないわ。男に乱されたと思われるからね」
「……はい」
先程までとは打って変わって、彼女はすっかり大人しくなってしまった。
俯いて歩く彼女を見て、やり過ぎてしまったかと少し反省をする。あんみつを食べたら彼女の笑顔が戻ると良いが。
私は彼女を導くように一歩前を歩き、あんみつ屋へと急いだ。
「美味しかった?」
「はい!」
あんみつを食べ終わる頃になってようやく、彼女の口数が戻って来た。右手をもちもちの頬に当て、口の中に残る甘い余韻を堪能しているようだ。
「ここのあんみつには杏が入っていて、あんことの相性がとても良かったです」
「果物が入っているのは珍しいの?」
「はい。新鮮な果物を毎日用意するのは難しいですが、干し柿のように乾燥させた果物を使えば、うちの店でも作れるかもしれません」
店を出て、早速道端であんみつの味を記録している。
「六花は、甘味処が大切なのね」
「はい。お団子やお饅頭はよく売れますが、あんみつは他と比べて高価なので、村の人は特別な日にだけ食べることが多いんです。だから、その特別な日に喜んでもらえるように、とびきり美味しいあんみつを作れるようになりたいんです」
「この前、醤油団子はもらったけど、他の品も是非食べてみたいわ。今度出かける時は、六花のご両親がやっている甘味処に行きましょう」
「是非!母さんの炊くあんこは、どこの店より美味しいんですよ」
この笑顔に私は弱い。タカ丸に髪を触られただけで私の心は焼けつくように痛むというのに、彼女が色の実習相手に他の男を選んだら…とてもじゃないが耐えられない。
私は焦り、彼女の手を取った。
「せ、仙子さん…!?」
「女子同士は手を繋いで歩くものでしょう?」
「そういう時もっ、ありますけど……」
紅をさした時と同じだ。六花は、ぷすぷすと火が消えたように大人しくなってしまった。
唇に触れられ、手を繋いだだけで固まるこの小さな彼女が、とても色の実習をこなせるようには見えない。
それとも、褥では女の姿に化けるのだろうか。
「そ、そういえば、仙子さんは明後日から実習ですよね…!」
「…えぇ」
それが私が焦っている理由だった。
色の実習の期限までには、まだ七日あるはずだ。だが、六年生は明後日から実習が始まる。順調に進めても五日はかかる見込みだ。
だから何としても今日ないしは明日中に、彼女の方から色の誘いがあるように仕向けなければならない。でなければ、忍術学園に帰る頃には、六花の色の実習は終わってしまう。
「六年生の実習は、ほとんどプロの忍者と同じ難易度だと聞きます。どうか、お気をつけて」
「ありがとう。四年生も色々と実習があるでしょう?」
「そうですね。戦前の領地の武器調査をしたり、要人を警護したり、徹夜が必要な実習も増えてきました」
「……………」
「仙子さん…?」
「………今日は、もう一つ行きたいところがあるの。付き合ってくれる?」
「はい」
今の会話の意図が伝わっていたのか、いないのか。どうしてこうも、私は六花のこととなると分からなくなるのだ。
今隣にいるのは、他でもない私だと確かめるように、彼女の手を強く握った。
長く伸びる二人の影が、手のひらで一つに繋がっている。
「一緒に来たかったのは、ここだ」
周りには草の短い草原だけ。人が隠れられる場所はない。女言葉を使わなくとも問題ないだろう。
「これは…紫陽花ですか?」
「そうだ」
道の脇に、十本ほど生えてある低木。人が管理している痕跡はないので、おそらく自生して増えたのだろう。
「桃色の紫陽花なんて、初めて見ました!」
私の手を引いて花に駆け寄っていく。彼女はその場でかがむと、目を閉じ、花の香りを楽しんでいた。
「良い香り。紫陽花は、青いものだとばかり思っていました」
「私もここで初めて見た。偶然見かけて、六花と一緒に見たいと思ったんだ」
「そう、なんですね…ありがとうございます……」
ぱっと視線を逸らし、瞬きの回数が増えている。恥じらいを隠そうとしているのだろう。夕陽に染まるこの景色の中で、橙色の太陽よりも、桃色の紫陽花よりも、何よりも彼女は鮮やかで美しかった。
「……仙子さんは、このように女子と二人で出かけたり、手を…繋いだり、よくされるのですか?私は何もかも初めてなので、緊張してしまいます…」
紫陽花を見つめたまま、彼女はそう言った。少しだけ声が震えていた。
「私が誰にでもすると思うか?」
驚いたように見上げた彼女の顔が赤らんでいたのは、夕陽のせいではなかったと思う。
太陽が地平線に触れかけている。森のねぐらへと帰っていく烏たちが鳴いている。
私たちは無言で見つめ合った。
薄茶色の瞳がかすかに揺れている。
時は止まったように感じても、決して止まることはない。
「………日が沈む前に、そろそろ帰ろう」
私を見上げる彼女から顔を逸らし、手を離した。繋がっていた影は、ぷつんと切れてしまった。
背中に彼女の気配を感じながら、森の中、私は無言で彼女の前を歩き続けた。
お前が好きだと言えばよかった。恋仲の口約束だけでもしておけば、彼女は色の相手に私以外を選ばないだろう。
そこまでわかっていながら、出来なかった。
二人で見つめ合った時、私は自分が傷ついていることにようやく気がついた。
手裏剣練習場にいた時も。
二人で校庭できのこ雑炊を食べた時も。
いま、この紫陽花の傍でも。
何故彼女は、色の相手になって欲しいと私に頼まないのだ。
私を誘わない。
それが何よりの答えだと、否が応でも気づいてしまった。
六花は私に懸想していない。
私がいだいているのは、独りよがりの侘しい感情だったのだ。
入門票へのサインを済ませた後、おざなりな挨拶だけをして、私は早々に彼女から離れ忍たま長屋へ向かった。
どうしたら良い。
もう明日しか時間はない。
私以外の男が六花を抱くなど耐えられない。
しかし今は、彼女の傍にはいたくない。
三禁に色が含まれる意味が、今ならよくわかる。
ここまで心を掻き乱されるなら色恋は真っ平だ。
もうこれ以上は待てない。明日、色の実習のことを六花に直接問いただそう。くのたまから誘わなければならない決まりなど知ったことか。
そう意を決して、私は自室の障子を引いた。
「仙蔵、遅かったな」
「文次郎、何を急いでいる。鍛錬に行くのか?」
「そうではない。実習が一日早まったのだ」
「は…?」
「お前も支度をしろ。直ぐに出発するぞ」
明日があると思って行動するな。
何年生の時だったか、実習中に先生に言われた言葉が胸に刺さった。
実習は散々だった。
戦場の地形を記録した紙は落として急流に流され、敵の罠に嵌って落とし穴に落ちた。仮眠をとっていた木に鳥の巣と卵があり、親鳥につつかれ追われた時は、不運がうつったのではないかと伊作に心配された。
挙句の果てに、戦場からの去り際、左腕に手裏剣がかすった。幸いたいした怪我ではなかったが、文次郎からは、「これが毒付きだったら死んでいたかもしれんぞ」とこっぴどく叱られた。
先に帰れと他の六年生達から促され、忍術学園に戻った時には、三日連続で徹夜をした体が重く、頭もよく働かなかった。太陽が眩しく、目を開けているのもつらい。
それでも、まだ眠るわけにはいかなかった。
自身の体を引きずるようにして、私は手裏剣練習場へと走った。
「立花先輩!」
私に気がついた六花は、持っていた手裏剣を落として駆け寄ってきた。
「その左腕の怪我…実習で……?」
「これはただのかすり傷だ…」
「そうは見えません!早く医務室に行きましょう!」
色を知ると女は変わると言う。六花はどうだろうか。
じっと見つめたが、私を心配して見上げている表情、それしか分からなかった。
「色の授業は……?」
私の声は掠れていた。
「え…?」
「お前、色の授業は終わったのか?」
「………えっ!?立花先輩、くのたまの色の授業のことご存知だったんですか?」
「あぁ。どうなんだ?」
「どうして急に…とういより、そんな話はあとで!早く手当てを……。医務室に行かないなら、誰か保健委員を呼んできます…!」
「待て」
私は怪我をしていない方の右手で、彼女の肩を掴んだ。
「私の質問に答えろ」
「嫌です!」
六花が、初めて私に向かって声を荒げた。
「先輩が何故そのような質問を突然するのか分かりませんが、手当てを受けるまで、何も話しません!」
眉間に皺を寄せ、今にも泣き出しそうな顔だった。
何をやっているのだ、私は………。
彼女にこんな顔をさせて……。
冷静さを取り戻した私は、彼女に付き添われて医務室に向かった。
「先輩、あまり無茶しないで下さいね」
「あぁ乱太郎、ありがとう」
今日の当番だった乱太郎に包帯を巻いてもらった。医務室の障子を閉め、後ろを振り返る。外廊下から見える校庭の景色の中に、少し離れた木の下で膝を抱えてうずくまる六花の姿があった。
「手当てはきちんと受けたよ」
隣にしゃがんで声をかけたが、彼女は顔を上げなかった。
「心配をかけてすまなかった。だが、本当にたいした傷ではなかったんだ」
「……………。」
「…それで?色の授業は終わったのか?」
膝に額をこすりつけるように、彼女はこくんと頷いた。
胸がひどく痛んだ。
敵の罠に嵌って落とし穴に落ちた時よりも、左腕に手裏剣がかすった時よりも。
いっそ体を怪我した方がどんなに楽かと思うほどに、胸の痛みは強かった。
自業自得だ。
彼女の反応ばかり気にかけていないで、自分の想いを伝えればよかった。
時は止まらない。そして、戻すことも出来ない。
「………相手は?」
「え…?」
「色の実習相手は誰を選んだんだ?」
六花はがばっと顔を上げて私を見た。
「私っ、実習はしていません!」
「は…?でもお前、今頷いたではないか…」
「立花先輩が授業とおっしゃったので、座学の方だと思ったんです」
全身の気が抜けた。自分が徹夜続きだったことを思い出し、木にもたれかかるようにずるずると座った。
「なんだ……そうだったのか…」
「実習は…していません」
「だが、六花はくのいちを目指すのだろう?ならば実習は必須ではないのか?」
「先輩が…色の授業について…どのようにご存知かは分かりませんが…。実技実習は、今年から選択制になったんです」
「選択制……?」
「はい。一人一人、山本シナ先生と面談をして、実習をするかどうか、進路を含めて話し合うんです。私は、くのいちは目指しますが、自分の村と周辺地域の情報収集が主な任務です。色を使ってまで危険な情報を集めるつもりはありません。ですから、実習はお断りしますと、先生に伝えて了承を得ています」
「そうだったのか……」
だから六花は色の実習の話を一度も私にしなかったのか。
くのいちを目指す者は、色の実技実習は必須だという情報は、二年前に枕を交わした相手から聞いたものだった。古い情報に惑わされるとは、忍者としてあるまじき行為ではないか。
「色の任務は諸刃の剣です…。無理をして心と体が戻らなくなったくのいちも多いと聞きます」
「そうだな……」
「それに、私は……そういうことは…夫婦になる相手としかしたくありません、から……」
そう言って、六花はまた膝に顔を埋めてしまった。
空を見上げた。悩みを一掃するような澄んだ青空には、団子のように三つ並んだ丸い雲が浮かんでいた。
さて……。
ここまで手の内を明かしたなら、もう隠すことは何もない。顔を合わせて早々に色について問いただす私を見れば、色恋に疎い彼女でも、流石に気づいただろう。
「六花、お前が好きだ」
彼女の肩が、びく、と震えた。
「顔を上げてくれ。お前の目を見て言いたい」
ふるふると首を左右に振り、いっそう強く膝を抱え込んだ。
「私は……私は、少し怒っているんです。先輩は急に私の前に現れて、優しくして下さったと思ったら、他のくのたまと親しげに微笑み合ったり…。この間の外出の時だって、私はとても楽しかったのに、帰りは急に冷たくされて……」
「すまない。あれは私が思い違いをしていたんだ」
「私は、客商売を通じて、私なりに洞察力を磨いてきたつもりです。それなのに、立花先輩のことだけは、全然わからなくて、いつも心を乱されてばかり…。もうどうして良いかわかりません」
六花の声は、尻すぼみに小さくなっていった。膝と腕で隠しきれていない耳が、杏色になっている。
そうか。六花も私と同じだったのか。
「お願いだ、顔を見せて」
ゆっくりと顔を上げ、ようやく目を合わせてくれた。私はふふ、と小さく笑った。
「額に膝の痕が赤く残っているぞ」
「ひどいです…笑うなんて……」
「可愛いから笑ったのだ。私は、好いた女子を揶揄いたくなるのだと、お前に出会って初めて知ったよ」
耳だけでなく、顔全体が杏色に変わっていく。
顔を近づけ、今この時しか見られない六花を堪能した。
「私、も…自分でも知らないうちに、立花先輩を…お慕いしていました……」
「そうか……ありがとう」
私は六花の額に貼り付いている髪をそっと撫でた。
彼女は色の実習をしていなかった。
私を好いていると言ってくれた。
安心した途端、強烈な眠気が襲ってきた。
「眠い…膝を貸してくれないか」
「えぇっ!?」
目を丸くする六花の膝に頭を乗せる。少し体重をかけると、曲げていた彼女の膝はずるずると長座の姿勢まで伸びていった。
六花の腿は、鍛えているのにどこか柔らかい。彼女の体温で更に眠気は増し、瞼が重たくなってきた。
「実習で徹夜続き…だったんだ……」
「それでしたら自室でお休み下さい。眠ってしまったら、私、先輩を部屋まで運べません…!」
「ほんの少し眠るだけだ…」
そう言いながら薄目を開ける。誰かに見られやしないかときょろきょろする彼女を眺めていたが、睡魔に抗えなくなり、やがて眠りに落ちた。
短い夢を見た。
甘味処に帰ると、あんみつを持った小袖姿の六花が「おかえりなさい」と出迎えてくれる。
空は青く、甘味処と書かれた杏色の暖簾がはためいている。
縁台に座って団子を食べる客は、みな幸せそうに笑っていた。
そんな、甘く、いつまでも味わっていたいような夢だった。
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