久々知兵助が豆腐を落とした日
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つる、ぺちゃんっ
ざるから豆腐が滑り落ちた。
食堂の床に落ちたそれは二つに割れ、小さな欠片が無数に飛び散っていた。
ざるを手に持ち、欠片が足元にかかった人物が一人。そのすぐ傍にも忍者のたまごが六人。藤色が四つ。桃色が二つ。
「兵助が……」
「豆腐を……」
「落とした……」
「嘘だろ……」
揃いの藤色の忍装束を着た四人は、まるでこの世ならざるものでも見たかのような青い顔でぼやいた。
はたと最初に正気を取り戻した変装名人の男が、くのたま二人をキッと睨みつけた。
「兵助が豆腐を落としたじゃないか!お前等がくだらない嘘なんかつくからだぞ!」
「くだらない嘘とはなによ!馬鹿さぶろー!」
「お前こそ馬鹿とはなんだ!」
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いのよ!」
夏代と鉢屋三郎のいつもの言い争いが始まった。年中見慣れている同級生達は、二人の痴話喧嘩の仲裁をすることもなく、視界の隅に放置した。
今はそれどころではない。
自らの手から滑り落ちた豆腐を、真っ白な顔で見ている久々知兵助と、そんな彼に心配そうに声をかける不破雷蔵と竹谷八左ヱ門。
尾浜勘右衛門は、何か考え込むように腕を組み、やがて口を開いた。
「春子、今の話は本当なのか?」
彼がそう聞くのも無理はない。
忍者とは敵を欺くこと。そう言って、ここにいる五年生のくのたま二人は、幾度となく同級生の忍たま達を嘘で陥れている。もっとも、嘘と言っても、日常会話の延長線上のような、他愛のないものではあるが。
もう一人の桃色の忍装束を着たくのたま、春子は勘右衛門の問いに、自信たっぷりに頷いた。
「えぇ、本当よ。六花は今日、縁談があるから自分の家に帰ってるの」
ことの次第は、寸刻前に遡る。
「見てくれ!今日も豆腐の角ひとつ欠けずに、鍛錬を終えることが出来たよ」
鍛錬を終えた忍たま五人は、食堂入ってすぐの入口付近で、立ったまま雑談をしていた。
兵助はいつもの如く、つるつると形の整った豆腐を、ざるにのせたまま他の四人に見せた。
「皆お腹空いただろう?夕飯まではまだ少し時間があるし、この豆腐を食べて待っていよう」
「いやぁ、豆腐は…。朝も食べたし、昼も食べたし……」
「そう言うなよ、勘右衛門」
「あら、あんた達、皆そろって鍛錬してたの?珍しいこともあるものね」
食堂に入って来た春子は、勘右衛門の持つ万力鎖をちら、と見て言った。
「春子。珍しい、は一言余計だ」
「そんなことないでしょ、竹谷。あんた達ときたら、豆腐を作ったり、飼育小屋に籠ったり、遊んでばっかりじゃない」
春子の後ろに続いて、喋りながら夏代も食堂に入って来た。彼女の言葉にむっとした三郎は、ずいと夏代の前に出た。
「夏代達だって人のこと言えないだろ?しょっちゅう団子屋だの、うどん屋だのに行ってるじゃないか。そんなことしてるから太るんだよ」
「なんですってー!三郎!」
「まぁまぁ、二人とも」
なだめようとする雷蔵の後ろで、兵助は首を伸ばして食堂の入口を見た。
「あれ?六花は?」
てっきり夏代の後ろから現れると思っていた兵助は、思わず尋ねた。
五年生のくのたまは三人しかいない。六花は、春子と夏代と一緒に行動していることが多かった。
「一緒じゃないわよ」
「そうよ。だって今日、六花は縁談があるから」
つるっ
ざるを持っていた兵助の手から力が抜けた。
ざるから離れた豆腐は、宙を漂い、そして地面へと降りていく。その場にいた全員の目には、まるで転んだ時のように時の進みが遅くなって見えた。
あの兵助が、豆腐を落とすなんて…!
しかし声をかけるよりも早く、豆腐は固い板間に打ち付けられた。
ぺちゃんっ
そうして、冒頭に戻るのだった。
「六花が縁談なんかする筈ないだろ!六花は兵助の幼馴染なんだぞ!」
「八左ヱ門の言う通りだよ。二人がどんなに仲が良いか、それは僕達だけじゃなくて、春子達もよく知っているだろう?」
雷蔵は、未だに茫然としている兵助をちらちらと横目で見ながら、そう言った。
父親が山守をしている兵助と、その森で林業の仕事をしている父親をもつ六花は、生まれた時から同じ土地で育ってきた幼馴染である。
忍術学園の長期休暇の時にはいつも二人で帰り、休み明けには並んで戻ってくる。二人が喧嘩している姿なんて、ここにいる全員、入学した日から一度も見たことがない。
おまけに少々天然なところまでそっくりで、新入生や編入生には、必ずと言って良いほど恋仲と間違われていた。
「勿論、久々知と六花の仲は、私達だって一年生の頃から知ってるわよ。でも、ただの幼馴染っていうだけで、別に許婚じゃないんでしょ」
「えっ!?兵助と六花って、許婚じゃなかったのか!?」
八左ヱ門は耳を疑った。
六花は兵助の豆腐を喜んで食べ、毎度丁寧に感想まで伝えているし、休みの日にはよく田楽豆腐を食べに出かけるような二人が、将来を約束していない…?
八左ヱ門にとって、理解しがたい情報だった。口をあんぐりと開けながら、兵助を見る。
「そ、そうなのか?兵助……」
「あぁ…。そういう約束は、俺達も、親同士もしたことないよ」
ますます肩を落とす兵助を励ますように、勘右衛門は明るい声で彼の肩を叩いた。
「で、でもほら、あれだろ?幼馴染によくある、大きくなったら俺のお嫁さんになってね〜、みたいな口約束は、子供の頃したんだろ?」
男同士が集まって、色恋について話すことは殆ど無い。大抵くだらない話か、武器とか実戦の話とか、兵助が豆腐の話をするかだ。
だから今まで聞いたことはなかったが、あれだけ仲の良い二人のことだ、許婚と決まっていなくても口約束ぐらいはしているだろう。勘右衛門はそう思っていた。
「いや、そういう口約束もしたことない……」
「えっ!?そうなの!?」
勘右衛門も、八左ヱ門の隣で口をあんぐりと開けた。もし二人も豆腐を手に持っていたら、ここで落っことしていたことだろう。
「兵助、よく思い出せ!小さい頃、山の中とか、川のほとりとか、何でも良いけど、そういう場所で一回くらいは言ったことあるんだろ?」
「いや、ない」
「…な、なんで口約束しなかったの…?」
「なんでって…。だって六花とは忍術学園を卒業しても、同じ土地でずっと一緒に暮らすんだし、そんな約束必要ないだろ?それに、六花は家族と同じ位大事なんだから、嫁とか、夫婦とか、そういう風に考えたことないよ」
これだから天然は…!!
勘右衛門は頭を抱えた。
あれを恋と呼ばずして、何を恋と呼ぶんだよ…!
今だって豆腐を落とすくらい動揺してるくせに…!
喉まで出かかった言葉を、しかし今言えば兵助が確実に傷つくと思い、勘右衛門はなんとか口を閉じて堪えた。
そんな彼を見て、こうなったらもう、兵助を励ませるのは自分しかいない!と、おろおろしていた雷蔵が苦手な色恋話に奮起した。
「勘右衛門まで兵助を責めるなよ。それに、やっぱりこれは春子と夏代のいつもの嘘かもしれないよ。だって六花が、兵助に何も言わずに縁談を受けるなんて考えられないよ」
「確かに!それもそうだな!」
「八左ヱ門もそう思うだろ?」
そうだよな、と頷き合う二人を見て、春子は首を左右に振った。
「六花は、久々知に相談しようとしたって言ってたわよ」
兵助は、ばっと顔を上げた。
「えっ!?いつ?」
「ひと月くらい前。六花の両親から縁談についての文が届いたから、久々知の所に行ったんだって。そうしたら、豆腐を作るのに忙しいから後にしてくれないかって言って、聞く耳持たなかったって、落ち込んでた」
「本当かい?兵助…!」
「あ、あぁ………」
思い当たるふしがあったのか、兵助はざるを持っていない手で頭を押さえた。
「……………。」
ついに、八左ヱ門も、勘右衛門も、雷蔵までもが黙り込んでしまった。もう助けようがない。
豆腐を落とすほどに落ち込んでいる兵助を救えず項垂れる三人の耳には、飽きもせず言い争いを続けていた夏代と三郎の大声が飛んできた。
「縁談の話を聞いた時、お前が引き留めれば良かっただろう!」
「なんで私なのよ!引き留めるとすれば、それは久々知の役割でしょ!」
「それはそうかもしれないが…」
「それに私、六花には幸せになってもらいたいの!久々知なんて、六花のこと放っておいて、豆腐のことしか考えてないじゃない!」
「そんな、いつもいつも女のことばかり考えていられるわけないだろ!それに兵助の豆腐好きは、別に今に始まったことじゃない!」
「二人とも、そろそろ止めなよ…」
雷蔵は、同じ顔をした三郎を夏代から引き離した。勘右衛門も、二人の間に割って入った。
「そうだよ…。二人の言葉が全部兵助に刺さってるって」
三郎は焦って兵助を見た。彼は、床に落ちたぐずぐずの豆腐と同じ表情になっていた。
「兵助…すまない……」
「いや、いいんだ……」
夕食前の食堂は、暗く重苦しい雰囲気に包まれてしまった。雨でも降っているのかと、湿り気まで感じるが、食堂の窓から見える茜空には雲一つなかった。
この空気に耐えかねた八左ヱ門は、正面から兵助の両肩をがしっと掴んだ。
「兵助!今からでも山に帰って、縁談止めてこい!」
「もう遅いわよ」
「春子、なんでそんなこと言うんだよ!」
「だって、六花が家に帰ったのは昨日だし、今日の日暮れ前には帰って来るって言ってたもの。縁談はとうに終わってるでしょ」
「……兵助!元気だせよ!たとえ六花が縁談したって、うまくいくとは限らないだろ?」
八左ヱ門の必死の励ましも、悲しいかな、兵助の耳には届いていなかった。肩を掴んでいた八左ヱ門の手がだらんと下りる。
兵助は、父親譲りの眉をハの字に下げ、ひと月前のことを思い出していた。
「兵ちゃん、今いい?」
「六花か。どうしたんだ?」
声を聞いただけで彼女だとわかった。
豆腐小屋の水槽から豆腐を傷一つ付けずに取り上げることに集中していた俺は、六花の顔も見ずに返事をした。
「うん、あのね、少し相談したいことがあるんだけど…」
「悪いけど、今豆腐作りで忙しいんだ。んー…そうだな、今度の休みに聞くよ」
「そっか………わかった…」
「ごめんな」
「ううん、いいの。私こそ、急にごめん。豆腐作り、頑張ってね」
「あぁ、ありがと。今日こそ最高に美味しい豆腐を作ってみせるよ」
そして次の休み、校庭で六花に話しかけられたのに、俺はまた断ってしまった。
「兵ちゃん、この間の話なんだけど……」
「ごめん、今から勘右衛門たちと接近戦の鍛錬することになったんだ」
「え…今日はずっと忙しい?」
「うーん、次の実習は戦場への潜入任務だから、出来るだけ腕を磨きたいんだ。だから夜までかかるかもしれない」
「そっかぁ……。あのね、実は……」
「悪い、勘右衛門たち待たせてるから。相談事なら、春子か夏代にしてみなよ。じゃあ!」
走りながら振り返って見た六花は、口を引き結び、寂しそうに手を振っていた。
長い溜め息が出た。
六花は、いつも隣にいるのが当たり前だった。
山で育つ子ども達は物心つく前から集団で過ごし、食事の時も、寝る時も、野山を走り回る時も、大人達の目が届きやすいよう、俺達は全てが一緒だった。
忍術学園に入学してからも、それは変わらないと思っていた。低学年の頃は、知らない土地での生活が心細くて、お互いに相手の姿を見つけてはよく寄り添っていた。
だが、男女では授業を受ける教室も違い、それぞれに友達もできていく。学年が上がるにつれ、一日会わない日があり、三日喋らない日も増えていった。
仲が良いことには変わりなかった、筈なのに。
六花が俺に何も言わずに縁談を受けるなんて……。
毎日があまりにも少しずつ変わっていったから、どこでどう歯車がずれてしまったのか、思い返してもわからない。
笑うとえくぼが出来るあの笑顔が、自分から離れていく日がくるなんて、考えたこともなかった。
俺、六花のこと好きだったのか……。
「どうしたら良いんだろう…」
ぽつんと呟いた兵助のひと言は、散らばる豆腐を追いかけて床に落っこちていった。
彼の問いに、忍たま四人は誰も適当な答えが見つからず、黙っていた。
「あれ?どうしたの、お休みの日に皆そろって。豆腐パーティー?」
突如耳に響いた女子の声に、食堂にいた七人全員が入り口を見た。
そこには渦中の人物、六花が立っていた。
「おかえり、六花!」
「ただいま、春子、夏代」
忍たま達が話しかける間もなく、二人が六花を囲んだ。
「着物可愛い!その柄、雪輪ね。昨日ここを出て行く時に着てた小袖と違うんじゃない?」
「うん。母さんが若い頃着てた着物を貸してくれて…」
「それに、お化粧もいつもと違う。六花は、いつもの赤い紅より、桃色の紅の方が似合うね」
「ありがとう」
「で?縁談はどうだった?」
五人はぴた、と息を止めた。
春子や夏代と違って、六花は嘘をつかない。六花の反応次第で、縁談話の真偽が分かる。
兵助は固唾を飲んで六花を見た。
「六花の顔見てたらわかるわ。縁談、うまくいったんでしょ?」
「うん。無事にまとまって安心した」
きぃん、と空気が凍る。
勘右衛門、八左ヱ門、三郎、そして雷蔵は、恐る恐る兵助を見た。彼の顔は、真っ青だった。
「お姉ちゃんも、父さんも母さんも嬉しそうだった」
「良かったぁ!ね、相手の人はどんな人だった?」
黙り込む五人を無視して、春子と夏代はどんどん質問を続けている。
「んー、見た目はキリッとしてるけど、優しそうな人だったよ」
「忍術学園の人で例えると、誰に似てるの?」
「え?う〜ん、六年生の食満先輩、かなぁ」
「へぇ〜!素敵な人じゃない!」
「ね!羨ましい〜!祝言はいつあげるの?」
「待って、話の続きはあとでね。私、夕飯前に着替えてこなきゃ…って、えっ!?豆腐落ちてるよ!兵ちゃんどうしたの!?具合でも悪いの!?」
そう言って目を丸くして近づいて来る六花に返事ができない。彼女は自分の知っている六花じゃない、誰か別の人のようだった。
女子というより、うら若き乙女という言葉の方が似合う、大人の女の顔になっている。いつもと違う服装や化粧のせいだろうか?それとも、縁談が決まり、妻という一歩進んだ存在になるからだろうか。
いや、そうじゃない……。
「六花、来てくれ!」
兵助は豆腐を避け、六花の手を握ると、食堂の外へと連れ出した。
「お、面白くなってきた!三郎、追いかけよう!」
「おう!」
目を爛々と輝かせる勘右衛門の背中を春子が、そして三郎の背中を夏代が掴んだ。
「何してんのよ、あんた達!」
「余計なことしないでよ!」
◇ ◆ ◇
兵ちゃんが私の手を痛いくらいに掴んで、渡り廊下を走っていく。途中すれ違った誰かに「廊下は走ってはいけませんよ!」と注意された気がするけど、返事をする間もなかった。
「待って!着物だから走りにくいよ…!」
着物の裾が邪魔して、忍装束ほど大股開きで走ることが出来ない。無理やり手を引っ張られ、足がもつれて転びそうだ。
ようやく立ち止まってくれたと、ほっとしたのも束の間、兵ちゃんに横抱きにされた。
「ちょ、ちょっと兵ちゃん!」
今までこんな風に抱かれたことはない。重たい私を持ち上げる、彼の引き締まった筋肉がぴったりと脇や腰にくっついている。私の胸も触れてしまう。下ろして、と頼んでも返事はなかった。
「待って、どこいくの!?」
私の制止の声も聞かず、彼は渡り廊下から飛び出して校庭を走る。そうして辿り着いたのは、豆腐小屋の裏だった。夕闇が近づいてくる薄暗いそこは、周囲に誰もいなかった。
兵ちゃんはようやく立ち止まると、私を横抱きにしたまま、胡座をかいて座った。
「ねぇ…この座り方、恥ずかしいよ…」
「別に良いだろ?」
捕まえたと言わんばかりに両手を腰に回され退路を断たれる。勝手なことばかりされ、一瞬むっと睨んではみたものの、手は緩まないし、彼の強引さはいつものことだと諦めるしかなかった。
「もう…。それで、どうしたの?話、聞くよ」
「えっ?」
「皆から離れてここまで来るなんて、何か急いで相談したい事があるんでしょ?兵ちゃんが豆腐落とすなんて、ただ事じゃないもん」
子供の頃ならまだしも、五年生になってから兵ちゃんが豆腐を落としたことなんて、見たことない。
「っ、俺じゃなくて六花の話!」
「えっ?私?」
「縁談を受けたって、本当なのか!?」
食堂で春子と夏代に聞いたのかな。兵ちゃんには言えずじまいだったから…。
彼が真剣な目で私を見つめている。抱きしめられているせいで顔が近い。こんなに間近で彼の顔を見たのは久しぶりだ。
その瞳は必死さを物語っていて、何故か私まで緊張してきた。
「う、うん、本当だよ…」
「……………そうか」
ん?なんかこの言い方だと、誤解を生むかも…。
「あの、縁談を受けたのは、私じゃなくてお姉ちゃんだけどね?」
「…………え?」
「あ、やっぱり勘違いしてた」
「六花の姉さんって……」
「ひと月前、母さんから文がきたの。お姉ちゃんに縁談話があって、両家全員で顔合わせをするから一度家に帰って来なさいって」
兵ちゃんは豆腐みたいにきちっと固まったまま、何も言わなかった。
「私はただのおまけだけど、さすがにいつもの小袖じゃ地味だからって、母さんが着物と化粧道具を貸してくれたの」
「じゃあ、俺に相談したかった、っていうのは……」
「あぁ、あれは…。母さんから文がきて、お姉ちゃんが嫁ぐんだって思ったら、なんだかどうしようもなく寂しくなっちゃって…。兵ちゃんなら私のお姉ちゃんのこともよく知ってるから、気持ちわかってもらえるかなぁと思って」
春子も夏代も一人っ子だ。きょうだいが嫁ぐ寂しさは、分かち合えないかもしれない。
だからこそ、兵ちゃんに相談にのってほしかった。
「なんだ…そうだったのか…」
いつの間にか止めていたらしい息を、彼ははぁーっと吐いた。そして突然、兵ちゃんは私の上半身を力いっぱい抱きしめた。
「へ、兵ちゃん!?」
「良かったぁ!俺、てっきり六花が縁談受けたのかと思って…」
「まさか!だって私の家は順番からいって、縁談話がきたらお姉ちゃんの方が先だもん」
「たしかに…そうだよな……」
「……あ、でも、そういえば顔合わせの最中に、相手のお母さんから、知り合いに好い人がいるけど私にどうですかって勧められたよ」
「えっ!?」
ぎゅうぎゅうに抱きしめられていた体が解放され、まじまじと彼に見つめられた。丸く見開いた視線が痛い。
「隣村に住んでる鍛冶屋の長男だって――」
「そんなの絶対駄目だ!」
私が言い終わらないうちに、兵ちゃんが遮った。
「ふふっ、ちゃんとお断りしたよ」
「なんだ…そっか……」
「だって、私が好きなのは兵ちゃんだから」
驚くほどすんなり言葉が出てきた。
寄せては返す波のように。毎日昇る朝日のように。自然の流れに沿う、穏やかなひと言だった。
「お、俺も…!六花が好きだ…!!」
「えっ?そうなの?」
「あぁ…って言っても、さっき気がついたんだけど…」
ぷっ、と吹き出してしまい、そのまま私はクスクスクスと笑い出した。
「…人が想いを伝えてるのに、どうして笑うんだよ」
むっとした表情の兵ちゃんに片方の頬をきゅっとつままれる。
「ごめんごめん。だって面白くって…」
つままれた頬で、私は話し続けた。
「あのね、私も今日気がついたの」
「何が?」
「お姉ちゃんの縁談がまとまって、幸せそうな二人を見てたら、私は誰の隣が良いかなって、初めてちゃんと考えたの。そうしたら、兵ちゃんしか浮かばなかった」
「六花……」
兵ちゃんは手を離し、私の頰を解放した。
「兵ちゃんは家族みたいに思ってたから、全くそういう風に考えたことなかったんだけど、あぁ、私、兵ちゃんのこと、男の人として好きだったんだあって、今日、妙に納得したっていうか…」
間近で目と目が合って、それから、私達は一緒に笑ってしまった。
「はははっ。俺達、生まれた時からずっと一緒にいるのにっ、二人して、お互いの気持ちに今日気がつくなんてな」
「ね?面白いでしょう?」
私は笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭った。
一緒に目を細めて笑う彼は、男の人の顔になっていた。背の高さは同じだったのに、今では彼にすっぽりと抱えられて座るくらい体格差がある。あのあどけない頬は、いつの間になくなったんだろう。
お互い他に目がいくこともなく、今日という日を迎えられて良かった。私は心からそう思った。
「六花」
「ん?」
笑ってるせいで揺れている体が止まったと思ったら、兵ちゃんは目を閉じ、口角を上げたまま私に口付けをした。
「んっ」
それは突然のことで。
もちろん嫌ではなかったけど、とにかく心の準備が出来ていなかった。
「っ、兵ちゃ………」
唇の感触を確かめるように、何度も何度も口付けられる。私の後頭部を撫でる彼の手がうなじまで下りてきて、私はぴく、と肩を震わせた。
気持ちが追いついていない私なんかお構いなしに、唇を割って舌がぬるりと侵入してきた。
「んっ、んぅ」
舌と舌が触れ、ぞくりと二の腕が粟立つ。雌としての本能なのか、反射的に彼の胸を両手で押していた。
強引だと思っていた口吸いは、くちゅ、と音を立てて直ぐに解放された。唇が熱い。
たぶん私の頬は赤くなっていたと思う。兵ちゃんは、さっきまでと変わらない顔をしていた。大きな四角い目で、眉も穏やかな形をしていて、あまりにいつも通りの態度で私の顔を覗き込むから、私は一瞬自分が何をしていたのか分からなくなった。
「ごめん、嫌だった?」
「嫌、ではないけど…」
「そう?」
彼は睫毛がくりっとした大きな目を閉じて、また口吸いを再開した。嫌じゃないと言った手前、もう抵抗出来ない。
気持ちはまだ全然追いついてないんだけど…。
今度は舌が触れるだけでなく、しっかりと絡めとられてしまった。濡れている舌同士がぴたりと止まるはずもなく、ぬるん、ぬるん、と滑り合う。
こんなことをして、兵ちゃんは今どんな顔をしているんだろう…。
気になるけど、恥ずかしさが圧倒的に上回り、目を開けることは出来なかった。
「んっ…んん………」
なんだか、これじゃあ兵ちゃんに食べられてるみたい…。
舌がどんどん挿し込まれるから、それに合わせて口も開いてしまう。ちう、と舌が吸われ、体の奥が熱くなっていく。彼の体も、同じくらい熱い。
体が痺れてくみたい……。
恥ずかしくてどうにかなっちゃいそう……これ、いつまでするんだろう…。
もうどっちが自分の舌で、どっちが兵ちゃんの舌か分からない位絡み合っていた。唇の端から漏れるじゅる、といういやらしい音が耳に届いて、私の脳はとうとう限界を迎えた。
どんっ、とさっきよりも強く彼の胸元を押し、体を離した。
「はぁ、はぁ………」
息、苦しい…。口吸い…初めてした………。
こんなに、恥ずかしい…なんて………。
まだ口の中に、兵ちゃんの舌が入ってるみたいだった。ざらざらとした舌の感触が生々しく残っている。
知らず知らずのうちに、目に涙が浮かんでいたらしい。兵ちゃんに、忍装束の袖でごしごしと目元を拭われた。
「……………。」
恥ずかしさでまだ言葉が出てこない。両手で唇を隠す私とは対照的に、兵ちゃんはぺろりと舌なめずりをしていた。
「六花って、こういう味がするんだ」
あ、いやな予感がする……。
咄嗟にそう思った。
私、兵ちゃんのこの目、知ってる……。
子供の頃、森の中での戦いに寸鉄が適していると気がついた時、こういう目をしていた。
それに、豆腐屋さんで豆腐の作り方を初めて見学させてもらった時も。
くりっとした四角い目を、晴れた日の水面みたいにきらきらと輝かせ、熱中できるものを見つけた時の目。とことんまで突き詰めようとする時の、目。
「兵ちゃん、あの、ゆっくりお付き合いしようね?」
「次の休みは一緒に家に帰ろう」
二人の言葉が重なる。
「えっ?」
「一緒に帰って、お互いの家に挨拶しよう」
挨拶…?私たちがお付き合いを始めたっていうことをかな…。
「う、うん……」
「よしっ」
満面の笑みを見せている。なんだか完全に兵ちゃんのペースだ。
ふと、私の唇に視線を寄せる彼の目に気がついた。
「駄目だよ…!今日はもう口吸い終わりだからね…っ!」
これ以上は、私の心臓がもたないから…!
私は慌てて、また両手で唇を隠した。
「残念。じゃあまた明日にするよ」
…明日なら…まぁ、いっか。ん?良いのかな…?
「六花」
「ん?」
「恋仲って良いな」
きゅっ、と身を寄せられ、兵ちゃんはにこにこと笑っていた。
「……ん、そうだね」
右手を伸ばして彼のふわふわの髪を撫でる。不安になった時、緊張した時、私は昔から兵ちゃんの髪を触る癖があった。
早鐘を打っていた心臓が、ようやく落ち着いてきた。
あぁ、いつもの兵ちゃんだ。
私がずっとずっと好きな、兵ちゃんだ。
私達は生まれた時から一緒にいた。そして、これから先も一緒にいることは変わらない。
今までと同じようで、何かが、もしかしたら何もかもが違うこれからが始まる。
私は、とん、と彼の胸に頭を預け、もう一度髪を梳くように撫でた。
※床に落ちた豆腐は八左ヱ門が拾い、生物委員がお世話している動物たちが美味しくいただきました。
[newpage]
設定
この世界線の五年生の妄想です。
六花
久々知家の所有する山の中に家があり、父親の職は林業関係。山関係の仕事の家族が集団で暮らし、子ども達もまとまって暮らしていた。
戦用の木材を狙う輩に、兵助と六花を含む子ども達が誘拐されたことがある(無事に帰ってきている)。娘を心配した六花の両親は、護身目的で忍術学園に入学させる。兵助がいるので心配しておらず、いずれ二人はくっつくと思っている。が、五年生になっても何の変化もないので心配している。
得意武器は斧。薪割りは忍術学園一上手い。木登りが得意。おっとりとした性格と武器が合っていないため、くのたま後輩達からは、五年生の中で怒らせたら一番怖いと誤解されている。
忍たまのことは名字に君付け、兵助のみ兵ちゃんと呼んでいる。
春子(はるこ)
くのいちを目指している。成績優秀で、くのたま五年生三人のリーダー的存在。でも実は気が小さくて、自分が立てる作戦にいつも不安がある。
美しくて強い立花先輩に憧れている。憧れと恋を勘違いしているお年頃。
飄々としながらも作戦を上手く成功させる尾浜勘右衛門のことがちょっと気になっている。
忍たまのことは全員名字で呼んでいる。
夏代(なつよ)
幼い頃から気が強く、このままでは嫁の貰い手がないと心配した両親が、行儀見習い目的で忍術学園に入学させる。が、武芸ばかり磨いて一向に性格は直らず、五年生にまでなった。
鉢屋三郎と四年生の頃恋仲になり、喧嘩別れ、くっつくを繰り返している。または別れたっきりかも。
図書委員。雷蔵とは仲が良い。
三郎のみ名前呼び。他の忍たまは名字呼び。
三郎
夏代とはト◯とジェ◯ーのような関係。五年生の中で兵助が最初に童貞卒業したことが悔しくて、勘右衛門と一緒にようやく恋愛にやる気を出す。
勘右衛門
春子が仙蔵にきゃーきゃーしているのが面白くない。兵助や三郎に相手がいることが羨ましくなって、適当に後輩に声をかけたり出かけたりしてみるがテンションが上がらず、春子が好きだとようやく気がつく。
しかし五年間ただの同級生だったので、どう接していいか分からず攻めあぐねる。
雷蔵
この世界線の雷蔵は、年下のくのたまにどきどきしていて欲しい。同じ図書委員だと良き。後輩くのたまは、ぱっと見では雷蔵と三郎を見分けられないが、二、三会話をすると仕草や雰囲気で見分けることが出来る。
三郎にお前ら早くくっつけよ、と時々言われる。雷蔵も三郎と夏代に対して同じことを思っている。
八左ヱ門
八左ヱ門だけ忍術学園の生徒じゃなくて、茶屋の娘とかとくっついて欲しい。茶屋に行く、虫が出て娘が怖がる、八左ヱ門が逃がしてあげる、虫に慣れるために八左ヱ門に色々と教わる、的な感じでほのぼの愛を育んで欲しい。
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