Trésor caché

 曇天の空は新年を祝う気など殊更ないらしい。今にも雫を落としそうな空から逃げるように山姥切国広は家路を急ぐ。家を出る直前に開けたホッカイロは随分と心もとない熱しか残していなかった。それでもないよりはましだとコートのポケットの中、冷えた手で握りしめた。

 自分一人しか歩いていない道の先、ハイツとは名ばかりの山姥切のアパートが見えてきた。無機質な鉄製の扉、何度か塗り直した跡が散見されるもののところどころ錆びた茶が目立っている。
 ドアノブに鍵を差し込んで回すも手ごたえがない。不思議に思ってドアノブを回すと半日留守にして冷え切っていると思われた室内は思いのほか暖かかった。
「…………ここで何をしている」
「おー、帰ったか。おめでとうさん、今年もよろしくな国広」
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。……で、なんであんたがここにいるっ⁉」
「んー、国広に新年の挨拶にな」
「どうやって入ったっ⁉」
「おいおい、俺はオーナーだぜオーナー。合鍵持ってるに決まってるだろう」
 中にいたのは全く悪びれない鶴丸国永だった。このハイツのオーナー、つまり家主である。だがいくら家主だからといって、合鍵を所持しているからといって勝手に入っていい道理はない。
「まぁまぁ、固いことは抜きにしようぜ。俺と国広の仲じゃないか」
「あんたと仲良くなったつもりはないが……」
「つれないなぁ……そんなところにいないで、こっちにおいで。冷えただろう?」
 不法侵入していた鶴丸のことは気に食わないが体が冷え切っているのは確かだ。それにこたつ布団を持ち上げての誘いを断るのは難しかった。ため息をひとつ落とすと山姥切は狭い三和土でスニーカーを脱ぐ。こたつの中は天国のようだ。鶴丸がこたつ布団を持ち上げていた隣は無視して正面に入った。冷え切った心身がじんわりと温まっていく。
「正月からお疲れさん。きみも一杯やるかい?」
 正月だと言うならお屠蘇なんじゃないのか? 鶴丸の手にはいつの間に持ち込んだのか洒落たシャンパングラス。細いグラスのなか、細かな気泡が立ち上っている。
「……もらう」
 勝手に部屋に入って暖房器具を使っていたのだ。昨今は電気代もばかにならないというのに。お高い酒でも奪わないと割に合わない。最も山姥切がボトルを開けたとして鶴丸はこれっぽっちも痛手にならないだろうが。
 舐めるように口に含んだ山姥切だが口当たりがよく飲みやすいとわかるとコクコクと飲み進めた。
「美味しい……」
「そいつはよかった」
「あんた、新年はパーティーとか挨拶回りとかあるんじゃないのか?」
「心配してくれてるのかい? うちはホワイト企業だからな。年末年始はがっつり休みだ」
「ふん、良いご身分だな。こっちは暗いうちから分厚い新聞に四苦八苦だってのに」
 元旦の新聞は何を競っているんだと思うほどに厚みがある。セットするのも一苦労だし普段ならニ時間で終わる配達も三時間はかかった。嵩張るためいつもよりバイクに積める量が少ないのだ。
「おいおい、きみペース早いぞ。アルコール度数高いんだから注意しろよ」
 苦笑いしながらも鶴丸がおかわりをついでくれる。
 細かい粒が水面に向かって上昇する。キラキラと、金色にも見えるそれは向かいに座る鶴丸の瞳にも似て。グラスを持ち上げて柔らかくほころんでいるそれと見比べてみる。
「あんたも、これも、キラキラだな」
「……きみさては酔ってるだろ⁉」
「よってない」
「酔っぱらいはみんなそう言うんだ」
 何か言い返したような気もするが覚えていない。
 寒い中働いて、帰ったら暖かい部屋で鶴丸が出迎えてくれて、美味しい高級であろうシャンパンを飲んで気分が良い。

 スースーと控えめな寝息が聞こえてきた。
 山姥切が完全に寝入ったのを確認してからそっと金糸に触れる。パーカーのフードで隠されていることの多い髪が今は鶴丸の手の中だ。
「お疲れさん」
 恭しく手に取った一房に唇を寄せる。
「キラキラはきみの方だと思うがな」
 鶴丸は山姥切が目を覚ますまで飽きずに髪を撫で続けた。
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