我らの主は不器用さん
「ここが、今日から君が暮らす場所だ」
「…………」
サニワという者になる為に連れて来られた。
しかし連れてこられた場所は、いかにもおどろおどろしい場所。
冷や汗を何度も拭きながら男の人が言うには、この本丸を任されていた前任者が問題行動を起こし、その代わりに自分が連れて来られたのだと。
「……つまり、様子見の為の人柱ですね」
「いやいや、そんな事は無い! 君ならこの本丸を立て直せると思って……」
「うそですね」
役人の言葉を遮って嘘だと切り捨てた少女は、何の感情も伺えぬ瞳で役人を見上げる。
「子ども一人死んだ所で、あなた達は痛くない。でも、子どもなら歩み寄ってくれるかもしれない。それなら私を餌に他の人に渡す。様子を見るのには、私が持ってこいだと言う本音が透けて見えていますよ」
「…………」
「あいにく、タテマエを見破る事は得意なんです。お帰りはあちらです」
少女はそう言って、今さっき自分達が入ってきた陣を指し示す。帰れ、と言われた役人が表情を歪めるのを見ても、彼女は何の反応も示さない。
「……定時報告だけは忘れるな」
それだけ言い捨てた役人は少女を一人残すと、そそくさとこの場から立ち去った。その後ろ姿を見送った少女は一つため息を吐いて改めて辺りを見渡すと、壁や床にこびり付いた黒に眉を寄せる。
「掃除、かなぁ……」
毎日掃除をさせられていた。少しの汚れも許されなかった自分の目の前に蔓延る頑固な汚れに、少女はいつ終わるだろう、とぼんやり考える。
しかし、その大仕事に取り掛かる前に、この本丸にいるであろう刀剣男士とやらと顔合わせもしなければ。
誰かいないかと辺りを見渡しながら廊下を歩いていると、やがて廊下の突き当たりに人影が一つ見えてきた。動こうとしないその人影に近付けば、彼は見定めるような視線を少女の頭の先から爪先まで動かす。
「……おんしが新しい主か?」
「そう言うことらしいです」
「ずいぶん幼いのぉ……」
わしが思っとった主と違う、と漏らしながら、彼はひとまず皆がいるのはこっちだ、と案内してくれるつもりらしい。
「みんながみんな怪我してボロボロ。手入れもまともに入れてもらえんでな、まともに歩けん者もおる」
「そうですか」
「抜き打ち監査が無きゃあ、今ここに残っとるわしらの中から更に数本折れとったわ」
そう言いながら、彼は一際大きな障子を開けた。
ここが大広間じゃ、と言う彼が言う通り、そこには大きな部屋が広がっている。
そしてその部屋の中には、身を寄せ合って傷を庇い合う刀剣男士達がいた。
途端に濃くなった血の臭いに、ようやくわずかに顔を歪めた少女に、酷いもんじゃろ、と自嘲する様に笑った彼はようやくその名を告げる。
「わしが、奴さんが最後に顕現させた陸奥守吉行。……自分らが何本目かなんて事、ここにおる全員知らんけんな」
最後に顕現したから、自分は比較的まだ動けるのだと言う陸奥守の言葉を他所に、少女は壁にこびり付いていた黒の理由を察知した。血の汚れは大変なんだよなぁ、とぼんやり考えていた彼女に、剣呑な視線が集まる。
「その娘が、新しい主……?」
重い足音に顔を上げれば、どうやら歩けるらしい刀剣男士の中でも一番の巨体がそこにいた。
彼も値踏みするような視線を向けているが、少女はそれに構わず声を絞り出した。
「簡単な説明は聞きました。手入れに必要な資材を見てきます。歩ける人は手入れ部屋に集まっておいてください」
「ほぉ? こんな状態の俺達に、自分の足で歩けと」
「岩融!」
尖った歯を覗かせて剣呑に笑って見せた彼を、陸奥守が咎める様な声を出した。肩をすくめた岩融と呼ばれた彼を気にした様子も無く、少女は既に背中を向けて歩き始める。
しかし、いくらも歩かないうちにその足を止め、顔だけ振り返った彼女は冷静に問い返した。
「……じゃあ逆に聞きますが、私一人で怪我した人みんなを引き摺って手入れ部屋に連れて行けると思ってるんですか?」
その言葉に、しばし睨み合った少女と岩融の間に立つ陸奥守は、どうしたもんかの、と二人の顔を交互に見るしかできない。しばらく睨みを効かせていた目を瞼で覆った岩融は、一つ息を吐いて口を開いた。
「……貴様じゃあ無理だろうな」
「二人揃って言い方っちゅうもんがあるじゃろうに……」
頭を抱えてそう言った陸奥守だったが、それでも自分達を治してくれるつもりらしい少女を先導する為に廊下を歩く。その後ろを当たり前の様に続くのは岩融だ。
「……? 手入れ部屋にお願いしたはずですが」
「そうは言うけど、おんしは資材部屋が何処か分からんじゃろ? わしが案内しちゃる」
そう言った陸奥守に頷いた少女は、自分の後ろに並ぶいる岩融に目を向ける。
あなたは何故? と問い掛けるその視線を受けた岩融は、気になる事があるでな、と腕を組んだ。
「貴様、こんのすけはどうした。審神者になる者は皆、補助役と政府との連絡役を兼ねるこんのすけが着くはずぞ」
「こんのすけ……?」
そんなものの説明があっただろうか。首を傾げた少女は、怪訝な顔をしている岩融に淡々と返事をした。
「私には着かないんじゃないでしょうか……。捨て石にそんなぜいたくなもの着くわけ無いと思います」
「贅沢……」
淡々とそう言った少女に、一緒に話を聞いていた陸奥守も、岩融と揃って渋い顔を見合わせた。
お互いの顔に、自分達も含めて、これは相当厄介な面倒ごととして処理されている事を予想している事を見てとり、彼らは同時に深いため息を吐いた。
*
*
「ここが手入れ部屋じゃき。資材はわざわざ運ばんでも、式が自動で消費する様になっちゅう」
「なるほど。そして手伝い札をここに入れれば、あっという間に終わると言う訳ですね」
資材小屋には、それこそ充分すぎる程の資材と手伝い札があった。これほどの量を貯め込んでおきながら、何故手入れをしてやらなかったのか疑問に思う陸奥守に説明を受けた少女は、手伝い札と書かれた板を投入口に入れた。
途端にわらわらと現れた式神は、しかし手入れするべき刀剣が無いのを見て困惑したように少女を見上げてくる。
「あぁっ! おんし入れるの早いき! まず、わしらの本体をここに置いてから入れるようになっちゅうに……」
「あ、そうだったんだ……」
知らなかった、と無感動に呟く彼女にため息を吐きながら、自分よりも傷が重い岩融を見上げる。
先におんしが手入れを受けるべきじゃ、と言う陸奥守に、渋々己の本体である薙刀を台に置いた。置かれた瞬間、薙刀に群がった式神達を見るでも無く、少女はおもむろに陸奥守に手を差し出す。
意図が分からずにその手に自分のそれを乗せた陸奥守に、彼女は顔をしかめた。
「あなたも手入れします。本体を渡してください」
「それを先に言いんせ!!」
「どうやら随分と言葉足らずらしい」
呆れた様にそう呟きながら手入れが終了した依代を持った岩融が、手入れ部屋から背を向けた。
陸奥守の本体を台に置きながら、少女はその背中に声を掛ける。
「他の人、連れて来てください」
「……俺に頷いてくれれば連れて来ようぞ」
手入れを拒絶する者もいるかも知れない。
暗にそう言った岩融に、少女は意味が分からないと言った風な表情を浮かべている。
「……痛いの、嫌じゃないんですか?」
「…………」
彼女の疑問に答えるものはおらず、既に二振り共身を隠している刀剣男士を集める為に部屋を出た後だった。
「俺に頷いた短刀は、これで全員ぞ」
「脇差以上の奴も、治しちゃる言うて連れてきたぜよ」
そう言った二人が半ば抱える様に連れてきたのは、短刀である数人の藤四郎と、小夜左文字。
脇差であるにっかり青江と、打刀である宗三左文字。
太刀である江雪左文字、槍の蜻蛉切だけだった。
特に傷が酷い者から連れて来た。そう言う岩融の言葉通り短刀達の傷は特に酷く、歩くのがやっとの様子だ。青白い顔をした自分とさほど変わらぬ見た目を持つ彼らの様子に、少女は視線を逸らすでも無く淡々と手入れ作業に勤しんでいる。
「前田藤四郎と申します。手入れ、感謝します……」
「……薬研藤四郎だ」
「秋田、藤四郎です……。痛くしないでくださいね……?」
「小夜左文字。……手入れなんて、要らないのに……」
「にっかり青江。……初めてなんだ、優しくしてくれるだろう?」
傷だらけの彼らから本体を預かり、手伝い札を投入して、治り次第彼らに返す。その作業を淡々と繰り返す少女に、見かねた陸奥守がそっと声を掛ける。
「ちょいちょい。……おんし、返事してやらんか」
「……何を言えば?」
「何をってそりゃあ……、そりゃあ……」
本気で分かっていない様子の彼女に、陸奥守は一瞬言葉を失った。それでも何とか言葉を捻り出したのは、とても簡単な物の様に思える一言。
「……せめて、分かりましたっちゅう一言があるぜよ」
「……分かりました、では次を」
「……蜻蛉切、と申します。貴方にこの槍は重いでしょうから、自分がやります」
「そうですか」
「……そこは、感謝の意を述べる所ぞ」
「いや、気にしていない」
機械的に答える少女に、岩融が苦言を呈す。
しかし、気にするな、と蜻蛉切本人が笑うのを見て、宗三左文字も顔をしかめた。礼も知らぬとは不躾ですね、と誰ともなしに呟いた彼は、同じ左文字である小夜が手入れを終えると、その台に自分の本体を乗せた。
「宗三左文字。籠で飼われてきた鳥ですよ」
「さぞ大切にされたんでしょうね」
羨ましい限りです、と続いたその言葉に感情は見受けられない。
その言葉に宗三は目を見開き、後ろの者達もその言葉の裏にある真意を嗅ぎ付け、揃って顔を見合わせた。
「……あなたは」
「さぁ、次を」
宗三の言葉を遮った彼女は、最後に残った江雪を振り返る。手を差し出した少女に、しかし江雪は静かに近寄ると、そっとその手を握った。
「…………、気の流れが悪くなっています。我々を一気に手入れし過ぎたせいでしょう」
「体調を診てもらう為に手を出したんじゃないです。
本体を貸してください」
「いい加減に……!」
「宗三、静まりなさい」
「しかし兄様!!」
淡々とした様子を崩さない彼女に、宗三がわずかに怒気を込めた声を上げる。
それにも動じず江雪に手を差し出したまま動かない少女と、自分の本体を要求する少女と向かい合う江雪は、しばらくそのままの状態でいた。
「気が乱れた状態では、式もまともに動きません。あなたは人の子。我々の様に強く出来ていないのです」
均衡を破ったのは、諭すように口を開いた江雪だった。
静かに休息を進言する彼に、しかし少女は頑として譲らない。
「あなたが終われば一度休みます。自分の体調は、自分が一番分かりますから」
「そう固くならんでも良いじゃろうに。リラックスぜよ! 肩の力抜きんせ!!」
そう言った陸奥守が軽く少女の肩を叩く。
途端、びくりと身体を震わせた少女は脱兎のごとく駆け出した。
「あ、ちょ……っ!?」
「あぅ……っ!?」
「……転んだ……」
その事に驚いて、一、二歩足を進めた陸奥守の目の前で、少女は足がもつれて盛大に転んだ。涙目になりながらも、しかしわずかに怯えの色を見せる彼女に、陸奥守は自分の手と怯える彼女を見比べる。
「わ、わし!? わしのせいか!?」
「……忌み子、か」
忌み子、と呟いた岩融は、だから貴様のせいでは無いと陸奥守をその場から退かせた。代わりに前に出たのは江雪だ。
警戒の色を深めた少女の前に膝を着いた江雪は、静かに口を開く。
「我々は道具。道具は、使い方を誤らぬ限り使い手を傷付ける事は無い」
「…………」
「あなたは現状、我々を傷付けてはいない。つまり、ここにあなたを傷付ける者などいませんよ」
そう言って手を差し出した江雪は、黙ったまま動かない彼女の頭に手を置いた。びくりと身体を震わせた彼女は、疲れと緊張の糸が切れたせいか、そのまま意識を手放してしまった。
*
*
「……っし、ここで寝とりゃあ疲れも取れるはずぜよ」
穢れに満ちた本丸の中でも、比較的風通しが良い部屋に布団を敷き、気絶してしまった少女を横たえた。
その際、はらりと流れた長い前髪に隠されていた痣が顕になり、陸奥守は慌てて髪の毛を整えてやる。しかし、どれだけ綺麗にしてやった所で重力に勝てるはずも無く、彼はしばしの奮戦の後、諦めた様に少女の傍らに腰を下ろした。
「……本当に忌み子と言われているのでしょうか……」
「隠しているつもりなのだろうな」
「身体の割に大きいよねぇ。……痣の事だよ?」
陸奥守に代わり、しげしげと彼女を見下ろす青江に、宗三がはしたないと顔をしかめた。
しかし、そう言う宗三を含めた全員の視線は、少女の顔半分を覆わんとしている痣に向けられている。長く伸ばした前髪でほとんどを隠しているとは言え、その痣は彼女が動く度に見え隠れしていた。
そして、審神者に支給される水先案内人であるこんのすけがいない。何より、陸奥守に肩を叩かれた時の反応。
己を捨石だと評した彼女が普段どの様な扱いを受けているかなど、少し考えれば分かる事だった。
「彼女が礼を知らぬのは、礼を言う相手がいなかったから……」
「このお嬢の言葉が足りないのは、言葉を交わす者がいなかったから、だな」
顔を見合わせてそう言い合った男士達は、揃って深いため息を吐く。
新たにやってきた主はまだ年端も行かぬ少女。しかも、その少女は半ば贄とも言える扱いでこの本丸に投げ込まれたのだ。
気を張っていない訳が無かった。
「この子、売られたの……?」
「否、口減らしと言う可能性も……」
「今、話すべきは彼女の身の上ではありませんよ」
ざわめき始めた者の声に、凛とした声が響く。
ハッとした顔で口を噤んだ者達を見回したのは、少女が横たわる布団から離れた、それでいて全員を見渡せる場所に座っている江雪だ。
「……我々は、彼女に使ってもらわなければなりません。元はと言えば、その為に喚ばれたのですから。その為にまず成すべきは、彼女の体調を整える事」
「……そう、だな。じゃあ、俺は気付け薬を拵えてくるぜ」
「では、私は気を落ち着かせる香を探してきます」
薬研は材料があればだけどな、と肩をすくめ、宗三は使えれば良いですが、と肩を落としながらも、目的の物を探すために部屋を出ていった。
その二人を見送ると、江雪はこの場に残った者達に目を向ける。
「仕事とは言え、私達は彼女の手入れを受けました。今の我々に出来るのは、目覚めた彼女に環境を整える事ではありませんか?」
「……そうは言いますが、今本丸の掃除なんてした所でこんな穢れでは……」
控えめにそう言った前田藤四郎に、江雪は否定するでも無く頷いた。
だから考えがあると言う彼は、しかし困った様に眉をひそめる。
「……石切丸や太郎太刀の所在を知りませんか? 次郎太刀でも構いません。この穢れを祓える者はいたでしょうか……」
「……石切丸はもう折れたよ」
満身創痍での出陣の末、槍にその身体を貫かれて折れたのだと答えた小夜は、もう少し頑張ってたら直してもらえたのにと項垂れる。
残る可能性は太郎太刀と次郎太刀だが、この場にいる全員、次郎太刀の姿を見なくなって久しい。
「次郎太刀も恐らく不在だろうな」
「僕、太郎さんを見ました」
そんな中、秋田藤四郎がそっと手を挙げて名乗りを上げた。視線で続きを促された彼は一つ頷いて、太郎太刀を最後に見た時の事を語り始めた。
「あれは、前の主君がいなくなる前日でした。穢れが満ちてるからって、石切丸さんもいなくなったから、自分がやらなきゃって祈祷部屋に……」
「前の主が連れられてから、既に数日経っているぞ。その間、太郎太刀を見た者はいないのか」
秋田の話に、しかし蜻蛉切は険しい表情を崩さない。
ずっと祈祷部屋に篭っているのなら、元より疲弊した彼が今、どんな状態になっているか分からない。
折れたにせよ、そうでないにせよ、彼がいる祈祷部屋に顔を出さなければならない。
「僕、行ってきます!! 新しい主君に直してもらえれば、もっとちゃんとお祓いできるって言ってきます!!」
「自分も行こう。手入れ部屋に連れていく時に、秋田だけでは心許ない」
立ち上がった二人は、太郎太刀がいるであろう祈祷部屋へと向かった。
太郎が無事ならばそれで良し、そうでなければ、手入れを終えた者達で地道にこびり付いた穢れを落としていくしか無い。
「……兄様」
「どうしました? 小夜。」
「……この子が審神者であり続ける事が、この子の復讐になると思うんだ。頑張るよ、僕」
自分の傍に近付いてそう言った小夜の頭を撫でて、江雪は小さく微笑んだ。
理由はどうあれ、彼女を主と認めたらしい弟刀は、無言で少女の枕元に座り、じっとその寝顔を見つめていた。
「……ぅ……?」
「あ、お目覚めですね!」
「おはようございます!!」
「…………っ!?」
目を開けて最初に映ったのは見慣れぬ天井。次に飛び込んできたのは安堵の表情を浮かべる少年達。
反射的に息を飲んだ少女に微笑んで、彼らはそっと彼女に手を差し出してくる。
「主君、お加減はいかがですか?」
「しゅ、くん……?」
「お嬢の事だぜ」
彼らに抱え起こされながら目を瞬く彼女に苦笑いしているのは、先ほど薬研藤四郎と名乗った短刀男士。黒髪を揺らしてそう言った彼に続いて、少女の周りにいた男士達も頷いた。
「僕達を直してくれたんです。それに、あなたは僕達を傷付ける人間じゃないと感じました」
「俺達は刀だ。使う人間を選べやしないが、傷付けられる痛みを知ってるアンタなら、大事にしてくれると思ったんだよ、大将」
秋田藤四郎に続いてそう言った薬研に、彼らに主だと認められたらしい事をようやく理解した少女は、困惑した様に黙り込んだ。
これからよろしくお願いしますね、と言う彼らの背後から、桃色の髪の青年が近付いてくるのが見える。
起きたんですね、と言った宗三もわずかに安堵の色を浮かべているのを見て、少女は本格的に戸惑った。
「あの……」
「起きて早速で悪いんですが、江雪兄様も直して欲しいんですよ。あと、この本丸に蔓延る穢れに対処する為に太郎太刀も」
「……はい、分かりました」
知らぬ名が出てきたが、否と言う理由が無い。
そう考えた少女が布団から出ると、当然の様にその場にいた者達が後を従って歩いてくる。
怪訝に思って振り返れば、短刀達はにこやかに笑っていた。居心地が悪いとは言えず無言で歩みを再開させた彼女に、宗三はわざとらしくため息を吐いた。
「そこ、右ですよ」
「……え?」
「手入れ部屋は右です。あなたは一体何処に行くつもりなのやら」
フン、と鼻を鳴らした宗三の言葉に黙り込んだ少女に代わり口を開いたのは薬研だ。からかう様なその声に、少女は一人首を傾げる。
「おいおい、宗三。素直に言ってやれよ、僕が案内しましょうかって」
「誰がそんな事やるものですか」
「主君、宗三さんのおっしゃる通り右に参りましょう。
太郎太刀さんと江雪さんがお待ちのはずです」
「……? はい……」
前田に導かれて素直に歩き出した少女の目に、やがて見覚えのある部屋が見えてきた。
そしてそこには、見覚えの無い長い黒髪を結わえた男士もいる。
「目覚めたのですね」
こちらの姿を認めた江雪が、ゆっくりと少女に近付いてきた。そして、倒れる前にそうした様に少女の手をそっと握る。
身を強ばらせた彼女に構わず、手を握ったままで瞼を閉じた彼は、ややあって困った様に息を吐いた。
「気の乱れが収まっていません。休めば落ち着くと思ったのですが……」
「我らの身に宿っていた穢れを受けたのやも知れませんな」
共にいた蜻蛉切の言葉に、それまで黙ったいた男士が足を引き摺る様にして少女の前に立った。
岩融や蜻蛉切と並んでも遜色無いほどの立端がある彼は少女を見下ろすと、言葉を選ぶ様に口を開く。
「恐らく、あなたの身に移った穢れは、禊をせねば溜まる一方でしょう。禊のやり方は知っていますか?」
「知りません」
「……話は聞いていましたが、本当に何も無いままに投げ込まれたんですね……」
贄を投げ込まれて喜ぶと思われているんでしょうか、と目を伏せた秋田に、少女の前に立った彼は驚いた様に目を見開いた。
禊も知らぬとは、と呟いた彼に、江雪は私も困惑していると漏らす。
「禊も必要ですが、まずは太郎太刀。あなたに万全の状態になってもらい、この本丸の穢れを浄化する必要があると思うのです」
「えぇ、話は聞いています。石切丸も次郎いない今、神義に関しては私が適任である事も事実」
手入れを受ける意思を見せた彼に、それならば早く手入れを終わらせてしまおうと少女が二人を見上げて切り出した。
「じゃあ本体をそこの台に置いてください」
「お願いします」
「私の物も頼みます。そう言えば、名乗りが遅れました。私は太郎太刀。人に使えるはずのない実戦刀です」
そう言った太郎は、言葉通り巨大な刀を台に据えた。これまで何度もそうしてきた様に手伝い札を投入してあっという間に修繕を終わらせたものの、作業が終わるやいなや少女はその場に膝を付いてしまった。
「胸、苦し……」
苦しげに呻く少女に駆け寄り、江雪がその背中をさする。
先ほど診たよりも明らかに悪化している気の乱れに、江雪がまずは禊をやらせるべきだったでしょうか、と顔を曇らせるのを尻目に、太郎太刀が少女を抱え上げた。
「穢れの影響でしょうね。……禊のやり方を教えます」
「神義に関しては、あなたが一番ですから。彼女は任せます」
浅い呼吸に酷い汗まで浮かべている少女を気遣わしげに見ながら言った言葉に太郎が頷くのを見て、江雪はようやく肩の力を抜いた。
廊下の向こうに消える少女は、太郎に抱えられているせいもあって、ずいぶんと小さかった。