ゼロに続く道
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「ふぅ、こうやって座って食べる朝食はいつ以来だったかな」
自分が用意した朝食をぺろりと平らげて、心底美味しそうにコーヒーまで飲んでいる副担任の姿を見て、ペパーは深いため息を吐いた。
ため息の原因であるカインは、マフィティフが気になるのかと見当違いの心配をしている事が更にペパーの頭を痛くさせる。しかし、ペパー自身何に対しての苛立ちなのか分からない事には、彼女の言葉を否定する事も出来ない。
「それ飲んでからでいいから、マフィティフの世話教えてくれ」
「もちろんだとも。食事は様子を見ながらだけれど、例えば寝たきりになるマフィティフの筋肉が衰えない為のマッサージ等は覚えてもらわなければいけないからね」
治療については、午後に回診を依頼したドクター次第になると話は決まっている。リハビリをする場合も同時に病院で行う為、今回ペパーが学ぶのはマフィティフの世話についてだ。
「……よし、ごちそうさま。では始めようか」
コーヒーを一気に飲み干すと、バンダナを締め直したカインが機敏に立ち上がる。さっきまでコーヒーをのんびり飲んでいたとは思えない切り替えの速さに驚くペパーを他所に、彼女はマフィティフの側に歩み寄った。
「マフィティフ、おはよう。……脚に触るよ」
「…………」
聞こえていないって言ってたじゃないか。
口にはしないが、そう思ったペパーの疑問に答えるかの様に、カインは話し始めた。
「ペパー、想像してご覧。目を瞑っている時に、急に体に触られたらどう思う?」
「……すっげぇヤダ」
「そうだろう? 例え声が聞こえていなくなって、声を掛ける事は大事だ。それに、まず声を掛ける事で聞こえが治っているか確認も出来る」
例えばそれは耳が動く事だったり、顔をこちらに向ける事だったりする訳だ。治っていくにつれて、マフィティフの動きも目に見えて分かりやすくなってくるから、記録を残していく事も併せて指導を受けたペパーは、慌ててスマホロトムにカインの言葉をメモしてもらった。
「分かった」
「グッド。では次だ。マフィティフは寝たきりの状態になる。それは分かるね?」
「……分かる」
「硬い床に寝かせる訳には行かない。身体を冷やす訳にもいかないから、柔らかい布団に暖かい毛布を整えてあげる必要がある」
「ボールの中じゃだめなのか?」
「いい質問だ。もちろん、容態が落ち着けば、普段はボールに入れておくことも出来るとも。……だけどね、落ち着くまでにはやる事が多い。寝たきりの身体をほぐす為のマッサージだったりね。考えてごらん。寝ている時に寝る場所をあちこち変えられたらどうかな」
カインに言われるがまま、ペパーはその状況を想像した。ちょっと落ち着いたと思ったら、すぐに別の場所に移される。少し想像しただけで、全く休めない気がした。
「……落ち着かねぇ。やだ」
「そういう事だ。けれど、その布団をずっと使う訳にはいかない。お世話をする時や毛布を取り換える際にマフィティフに触れる必要がある。触れる事がマフィティフの安心にも繋がるしね。さっき言った様に、その時は忘れずに声を掛けてやる事。今からお手本を見せるけれど、ペパーも練習しなくてはね。練習相手はムーランドにやってもらおう」
「バウっ!!」
カインの言葉に、任せておけとばかりに力強く応えたムーランドを見下ろして、ペパーは僅かな不安を感じた。
マフィティフは重い。下手をしたらペパーよりも重いかも知れない。そんな彼の世話を自分一人でやらなければならないのだ。練習させてくれるとは言え、上手く出来るだろうか。
「ペパー」
「……! ちゃんと聞いてるよ」
「そんなに不安そうな顔をしなくても良いんだ。出来る様になるまで、何回も練習すれば良い。わたし達は治療の為には協力を惜しまないよ。……だから、大人を頼って良いんだ」
「…………困るだろ。大丈夫、一回で覚えるから」
頼って良い、と微笑んで手を差し伸べるカインの言葉に安堵したものの、耳元で低い声が聞こえた。
いい子だから、あまり困らせないでくれ──。
困らせる訳にはいかない。差し出された手を押し返して、ペパーは一歩足を引いた。
その反応に、何故かカインの方が困惑した表情になる。
「え? 困らないよ。こんな事でいちいち困る程仕事を詰め込んでいたら、一人で牧場をやっていない。急に体調を崩す子だっているんだ。その世話が増える場合も想定した仕事量にしているからね」
「……」
「それに、どちらにせよしっかり覚えて貰わないと帰せないよ。何となくのやり方でマフィティフを落としたりしたらどうするんだい? 怪我が悪化してしまう。事故が発生する可能性を低くする為の苦労なんて苦労じゃない。当たり前の事だ」
「でも……、あ、じゃあ代わりに飯を作る。それなら……」
「ペパー」
「っ……!」
ペパーの言葉を遮ったカインは、昨日職員室から無理やり連れ出した時と同じくらい怖い顔をしていた。別に睨まれている訳ではないのに、思わず息を忘れる程に怖い。
「教える事はわたしの仕事であり義務であって、君からの対価は本来発生しない。強いて言うのなら、無事にマフィティフが治る事が対価になる」
「……ごめんなさい……」
「怒っている訳ではないから、謝らなくても良い。……君は生徒なんだから、分からない事があれば先生に存分に聞いてくれ。先生に仕事をさせてくれるね?」
淡々と言葉を紡ぐカインは、話しながらペパーの手を掬い上げた。
教える事が仕事。大人に頼れないのなら、先生に分からない事を聞くだけで良い。教師の仕事をさせて欲しいと言われても、ペパーはしばらく悩んだ。
「わ……、分かった……」
「分かってくれたなら良い。さて、では話を戻そう」
じーっと見つめてくる視線に根負けしたペパーが渋々ながら頷くと、途端にカインの意識はマフィティフに戻った。
「まずは実地で見せる。参考動画や文献も共有した方が良いかな? 時間をくれれば冊子にまとめて渡すけれど……」
「そういうの分かんねぇから、お任せちゃんだぜ……」
「うーん、君に合う教材が分からないから……、全部用意してしまおう。ロトム、必要な物をピックアップしてパソコンに送っておいてくれるかな?」
「ロトー!」
「よし、では特別授業を始めよう」
その言葉と共に、カインは手早くマフィティフの世話に取り掛かった。あまりにも手早すぎて、ペパーには簡単な作業に見える。それを察したカインに手招きされたペパーが怪訝な顔で近付くと、抱き上げたムーランドを渡された。
「どぅわ!?」
「自分で据わりの良い場所に体を動かせるムーランドと違って、マフィティフは君に全身を預ける。弛緩した彼は、片脚一つにしてもムーランドより重いよ。命を預かる責任をしっかり理解するんだ」
「命を預かる責任……」
今腕の中にいるムーランドより重いと言われて、ペパーは自分のやった事を改めて突き付けられた気持ちになった。唇を噛んだペパーを労るように、ムーランドが顔を舐めてくれるが、それに応える余裕は無い。
「……ムーランド、もう良いよ。さて、ペパー……、こうなった理由をそろそろ聞かせてもらわなくてはね」
「ワンッ!」
「…………」
「……先に言っておく。君を叱る役目はわたしじゃない。それは校長先生かも知れないし、セイジ先生かも知れない。わたしの役目は、事実確認だけだ」
「……怒らないって事か?」
「そうだね。わたしは君の話をまとめて報告するだけだから」
書き取りの為のバインダーと、腰を落ち着かせる為の椅子を用意しながらカインは言う。どうやら、怒られるのは避けられない様だ。
「さて、録音もさせてもらうよ。……君とマフィティフは、エリアゼロに降りたね?」
「いきなりちゃんかよ」
「聞くべき事は決まっているからね。……返事は?」
「降りた」
「肯定。……方法は? エリアゼロへの門は厳重な鍵が掛けられていたと記憶しているけれど」
「……父ちゃんが、エリアゼロで研究してて……、鍵は、昔住んでた家に……」
「合鍵を使用……。ん? もしかして門の鍵は今も……」
「タクシーに頼み込んで帰ってきたから……、開いたまま……」
「ワォ。それは良くない。ちょっと待ってて、すぐに閉めてもらわなくては」
カインの目が見開かれたと思うと、すぐにスマホを取り出して誰かに連絡を取り始めた。ちらりと見えたバインダーには、まだいくつか聞かなくてはいけない項目が見える。それを後回しにしてでも、エリアゼロへの道を封鎖しなくてはいけないと判断したのだ。
(……そんだけ危ない所に行っちまったんだな……。父ちゃんはそんな所にずっといるんだ……)
父は何を考えて大穴にいるんだろうか。それを聞く前に、命からがら脱出する事になった訳だが。
「……なぁ、センセは大穴に降りた事ある?」
大慌てで誰かに連絡を入れたカインが戻って来ると、ペパーは恐る恐る尋ねた。
「無いよ。禁足地だし、わたしにはそれを侵す理由が無いからね。理事長は降りた事があるなんて噂を聞いたけれど。……ねぇ、ペパー」
肩を竦めて首を振るカインに、ペパーは思わず肩を落とす。危険だと言うから、てっきりカインも降りた事があるのかと思ったのだ。
「……何だよ」
「……君から見たエリアゼロはどんな世界だった? 恐ろしかった?」
やっぱり怒られると思ったら、カインは意外にも感想を聞いてきた。尋ねられるがまま、ペパーは降り立った大穴の底の風景を思い起こす。
「……静かなとこだった。穴の底にいるはずなのに昼間みてぇに明るくて、風も吹いてて、綺麗なとこだったんだ……。なのにっ……! ううっ……」
「ペパー……」
草原の真ん中に立っているかの様な静けさ。その平和な景色の中で、マフィティフが見た事が無い程大きな炎に焼かれたゾッとする光景がフラッシュバックする。
思わず自分の体を抱き締めて震えるペパーに、カインが宥める様に背中を撫でた。
「振り返った時には、もうマフィティフ、焼かれててっ……、慌てて逃げた先に、ウルガモスもいたんだ。でも、そのウルガモスは殴り掛かってきて……!!」
「……うん」
「慌てて傷薬とか使ったんだけどっ……、治らなくて……。オレのせいでっ……! オレがエリアゼロに行かなきゃ……!!」
「……そうだね」
君のせいじゃないよ、とは言ってくれなかった。
ただ話を聞いて、頷く事しかしてくれないカインの肩を叩く。
「うう、うわあぁー!!」
「…………」
ただ父親に会いたかっただけなのに。
力いっぱいに叩いても、カインは全く離れる様子は無い。ペパーだってそれなりに力がある。痛いはずなのに、呻く事もせずに叩かれるがままになっている彼女は、辛抱強くペパーの背中を撫で続けた。
「マフィティフ、ごめん……っ!」
ずびっ、と鼻をすすりながらも謝罪の言葉を口に出来るまで落ち着いてきた。同時に、落ち着くまでの間ずっとカインにしがみついて泣いていた事に気が付いて、ペパーはそっと彼女を離す。
「良い子だ。よく話してくれたね。その謝罪をマフィティフに言える様に、君はこれから頑張らなくっちゃいけないんだ。分かるね?」
「っ……、うん……」
「グッド。……もう少し話せるかな。どんな攻撃を受けたのか、先に聞いていればドクターに共有しておけば治療に必要な道具もあらかじめ用意出来ると思うのだけれど……」
「……頑張る」
「良い子だ」
そう優しく微笑んで、カインはゆっくりとペパーのペースに寄り添いながらエリアゼロで起きた出来事を記していく。脳内で昨日の体験を追っていたペパーは、聞き取りが終わる頃にはすっかり疲れ果てていた。
「……疲れた……。話すだけなのに……」
「……お疲れ様。もしかしたらドクターにもまた同じ事を聞かれるかも知れないけれど、その時は責任を持って答えてくれ」
「……分かった……」
また聞かれるのか……、とは思ったけれど、マフィティフの為にもここはお医者さんの言う事を聞かなければならない。むぅ、と頬を膨らませたペパーに苦笑いをしながらも、カインは宥める様にペパーの肩を叩く。
「これはわたしの考えなのだけれど」
「……何だよ」
「……良く無事に帰ってきてくれた」
「……どうして? 厄介事抱えて来たのに?」
「どうしてって……、うーん、生徒が行方不明になるなんて大事件だからだよ」
「そうかぁ?」
自分がいなくなったって、別に誰も困らないだろう。
そんな事をちらりと考えてしまって一人ふてくされるペパーに、カインは特に気にした様子も無くペパーの考えを否定する。
「とんでもない大事件だよ。……それにね」
知らない場所で終わりを迎えるなんて寂しいじゃないか。
そう言ったカインは、何故か寂しそうな顔でムーランドに手を伸ばす。ムーランドもトレーナーの様子を察したのか、気遣う様に鼻を鳴らした。
「……わたしはね、昔わたしの決断でパートナーを死なせた事があったんだ。……彼は故郷に帰れなかった。知らない場所で終わりを迎えた」
「…………え」
「だから余計に、君とマフィティフを放っておけないんだよ。……さぁ、お喋りはここまでだ」
ぱん、と一つ手を打ったカインは、そのまま立ち上がると何やら新しいノートとペンの用意を始めた。怪訝に思ったペパーがその様子を眺めていると、カインは当たり前の様な顔をして振り返る。
「定期チェックの時間だ。診るべきポイントはわたしが教えるから、君がやってみよう」
「えっ」
「ほら、マフィティフに声掛け」
「まっ、マフィティフ、今から、えーっと……?」
「脈を測るよ。バイタルは機械で確認出来るけれど、脈と体温は最低一時間毎に記録しよう」
「一時間!?」
「それだけ重傷だからね。容態が安定すれば、朝昼晩の三度で良いとドクターも言うはずだけれど」
「寝不足ちゃん待ったなしだぜ……」
ガックリと肩を落としたペパーに、カインはクスクスと笑った。
「昨日と違って、眠りたいという気持ちが出てきたのは少し安心したからかな?」
「……別に眠りたい訳じゃねぇ」
「そう?」
じゃあ、そういう事にしておこう。そう微笑んだカインに、ペパーはそっぽを向く事で不満を表現してやる事にした。