ゼロに続く道
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「……、うう……っ」
「……」
「マフィティフ……」
「…………」
日付はとうに変わった深夜。マフィティフの点滴とバイタルチェックの為に寝袋を抜け出したカインは、作業を止めて足元で眠る生徒を見下ろした。
すぅすぅ。落ち着いた寝息を立てていたペパーが、寝袋の中でごそごそと落ち着かない動きを見せ始めて数分経つ。落ち着くかと思っていたのだが、彼はやがて夢の中で昼間の光景を追体験しているのか、苦しげにパートナーを呼び始めた。
その呼びかけに応える様に、それまで何の反応も示さなかったマフィティフの耳がかすかに動く。念の為バイタルを確認したカインは、小さくため息を吐いた。
「……筋肉が収縮しただけか……」
何かしらの反応があるという事は、神経は生きている証明にはなる。まだマフィティフは諦めていない。ならば、カインが諦める訳にはいかなかった。
「……ムシャーナ」
「シャァン」
「彼の悪夢を食べてあげてほしい。安定した睡眠は大切だからね」
「ムシャアン」
「ムーランド。すまないが、彼の代役を頼まれてくれるだろうか」
「ワフッ!」
彼──ペパーのパートナーであるマフィティフと同じ四足歩行で体毛も長いポケモンであるムーランドに目を向けると、ムーランドは心得たとばかりに一声返事をする。うなされているペパーにそっと寄り添った途端に、苦しそうな表情がほんの少し和らいだのを見て、カインはそっと安堵の息を吐く。
(……間違いなく、エリアゼロに降りたのだろう)
見覚えがあるのに見た事の無いポケモンが多く棲息していると噂に聞くエリアゼロ。ポケモンなのかすら疑問がある生き物に襲われて、ペパーとマフィティフは命からがら逃げてきた。
エリアゼロの入口は、普段は厳重に施錠されていたはず。施錠された入口以外は崖に囲まれていて、人の力では登る事は難しいはずだ。マフィティフと一緒に登った可能性も考えたが、野生のマフィティフは崖に棲息している訳では無いため、別段クライミングが得意だとは思えない。
「……ハハコモリ、メモを」
「ハリモ」
「ありがとう」
朝になったら、ペパーに聞かなければならない事が増えた。
まず大怪我をした場所。これは答え合わせになるだろう。
次に侵入経路。どうやって入口を開けたのか。封鎖され、凍結されているはずのラボをどうやって操作したのか。
そして最後に目的。この目的次第では、校則による罰とは別に、ジュンサーさんへ情報を回さなければいけなくなる。
「教室では、こんな無謀をする子には見えなかったんだけど。……願わくば、ただの冒険であって欲しいものだよ」
バイタルの数値を記入しながら一人呟いたカインは、すうすうと穏やかに眠るペパーを見下ろしてため息を吐いた。
*
*
「さて、アカデミーに行く前に仕事を終わらせなければ……」
夜が明ける頃。細切れの仮眠を取りながらマフィティフの様子を見ていたカインは、本格的に動き出した。
他の地方からやってきたポケモン達が、パルデア地方の環境に慣れるまで過ごす牧場の運営。教師でもあるカインの本職だった。
ポケモン達の食事の用意から始まり、それぞれのポケモンが過ごす部屋の温度、体調の確認。問題が無ければパルデアの環境に少しだけ近付ける。それを繰り返して、外でも元気に過ごせる様になったポケモンをトレーナーのボックスへ移送する。
しかし、肝心の牧場を管理するカインは一人。ポケモンの世話も運営も、一人でこなさなければならない。
その為、一度に預かれるポケモンの数には限度がある。パルデア地方にも棲息しているポケモンと棲息域が被っているポケモンは、比較的すぐにパルデア地方に馴染んでくれる為、少し無理を通せば預かる数を増やす事は可能だ。
しかし、その地方の環境に合わせて長い時間を経て変化してきたリージョンフォームのポケモンになると、例え棲息域が被っていても話は別だ。体調の変化など、細心の注意を払う必要がある為、リージョンフォームのポケモンを預かっている時は他のポケモンの受け入れを減らして仕事の量を調整している。
受け入れられないポケモン達は、予約を受け付けたポケモンから順番待ちだ。待ち切れないトレーナーは、予約を取り消してポケモンと共にパルデアへとやって来て……、慣れない環境に体調を崩したポケモンと病院へ駆け込む人も多い。
そんな多忙なカインが担当する【ポケモンとの生活学】の授業があるのは午前、もしくは午後のみになっている。
それでも、クラベル校長先生とオモダカ理事長から是非教師にと請われたのは、アカデミーに入学してから、ようやく初めてポケモンを捕まえる生徒達がいる為だ。
自分だけのポケモン。人間とは違う常識の中で暮らしてきた彼らと上手に付き合っていく為の授業。ポケモンとのコミュニケーションに関わる為、セイジ先生の言語学とセットで授業を選んでいる生徒も多い。
「……全員バイタルに異常は無し……。お寝坊さんな子もいつも通りだね」
軽く身だしなみを整えながら、大まかに午前中の仕事を組み立てる。その中には、ペパーとの朝食と聞き取りが含まれていた。
「……お寝坊なのか、普段はマフィティフに起こしてもらっているのか……。それともまだ体力が……? ……うーん、まぁ良いか。起きるまで寝かせてあげよう」
一晩ペパーに寄り添ってくれていたムーランドを見下ろす。起きたら報せて欲しいと一言頼めば、ムーランドは眠っているペパーを起こさない様に無言で頷いた。
「さて、仕事を始めよう」
その言葉と共に、カインの忙しい一日が始まった。
手早く仕事着に腕を通して、まずは厩舎の掃除を始める。その際、一匹ずつ声を掛けながら、バイタルチェックだけでは分からない細かなチェックをしていく。それは例えばストレス等で表皮に傷が付いていないか、爪などは伸びていないか等。
その確認の後、擬似的に再現した環境に馴染んできたポケモンの中から更に選んで、数匹ずつリアルなパルデアの環境に慣れさせるのがまず一つ目の大きな仕事。
それが終わると消耗品の在庫確認だ。月末にまとめてやる様な時間は取れない為、短時間で終わらせる為に毎日確認する事にしている。
異変が無ければ、その後朝食の用意が始まる。好み等はトレーナーから引き継がれている為、それをベースにして作っていく。その際、カイン自身のポケモン達の食事の用意も済ませている。
預かっているポケモンによっては、ペパーが困惑した大きさの寸胴を二つ使っても足りない時がある為、カインにとってはこれが一番大変な仕事だった。
「……あ、癖でわたしの分まで出してしまった」
今日はペパーと一緒に朝食を摂ろうと決めているが、カイン自身の朝食は、この作業の最中に果物を丸かじりしたり、ゼリー飲料で済ませてしまうのが常だった。いつもの癖で冷蔵庫からゼリー飲料を出した所で気が付いた。開封する前に慌てて冷蔵庫の中に放り投げて片付ける。
ポケモン達の食事が完成したら、ポケモン一匹ずつ適切な量を盛り付けていく。それは種族だったり、体重だったり年齢だったり、性格など。細かい計算から適切な量を計算したものだ。その横に、デザートとして日替わりできのみを添えて朝食の完成だ。
後は、盛り付けたこれらをキッチンワゴンに載せて厩舎に持っていく。待っていましたと朝食を食べるポケモン達を眺めてぽつり。
「……さすがにわたしもお腹が空いたな。ペパーを起こしに行こう」
カインが言葉にすると、胃袋も賛同する様に鳴った。朝の時点では力仕事が無いので問題は無かったが、空腹のままでは仕事に差し支える。
さすがにもう起こさなければ。そう思ったカインがペパーが眠っている部屋に戻ると、すかさずムーランドが寄って来た。彼は起きているだろうか、とペパーが寝ているだろう寝袋に目を向けると……、それは既に空っぽだった。
はて、と首を傾げてペパーを探すと、彼は存外すぐに見付かった。マフィティフが眠る寝台に寄りかかっている。
起きていたのなら教えてくれれば良かったのに。言葉にはしないがそう思ったカインを他所に、ムーランドは鼻を鳴らすと心配そうな声を上げながらペパーの側へと戻って行った。
「……マフィティフ……、うう……、いくらマッサージしても指先ヒエヒエちゃんだぜ……」
「…………」
なるほど、これは側を離れない訳だ。
カインが部屋に入ってきた事も気が付かない様子で、ペパーはマフィティフを呼び続けている。
呼ばれているマフィティフは、穏やかなバイタルを示し続けるだけ。ときおりわずかな反応を見せるが、恐らく昨夜と同じ様に筋肉が反射反応をしているだけだろう。
「ペパー、おはよう」
「……っ、せんせ……! お、おはよう……」
努めて平常通りの声で挨拶をすると、ペパーはようやくカインに気が付いたのか肩を跳ね上げた。
「うん、おはよう。……マフィティフはまだ眠っている様だね?」
「……うん」
「とりあえず、朝の点滴を投与しよう。作業しながらになるけれど、これからの話を聞いてくれるかな?」
「……何だよ」
「わたしは午後からアカデミーに行かなければならない。往診してくれるドクターをお願いする事になるのだけど……、そのドクターから話を聞いて欲しい」
「……えっ。ずっとカイン先生が診てくれるんじゃないのか?」
カインの言葉に、ペパーが意外そうに目を丸くした。その様子に苦笑いを浮かべてカインは首を振る。
「わたしは最低限のポケモン治療の知識があるだけだ。この牧場設備の観点からも、ここで治療を続けるには限度がある。一度ポケモンセンターではなく、大きな病院で診てもらう必要はあると思うけれど?」
「……先生の話、分からない事もねぇけど……」
「人の手で出来る治療と並行して、ポケモンの力を借りて治療出来る方法は無いか探すつもりだよ。その方法を探す方向性を決める為にも、どんな治療が必要なのかを知る必要があるんだ」
「先生は、マフィティフを諦めた訳じゃねぇんだな」
「もちろんだとも。……まさか、ペパーがマフィティフを諦めた、なんて言わないだろう?」
「まさか! マフィティフはぜってー治す! ……そうだ先生っ。オレも何か出来る事は!?」
「あるよ。その話をしようとしていたんだ」
自分もパートナーのマフィティフの為に頑張る。そう鼻息を荒くしているペパーの様子に微笑んで、カインはペパーの手にボイスレコーダーを握らせた。
「午後一番に、牧場に来て欲しいとドクターに連絡を入れる。タクシーが来たら、カインの代理人で、自分はマフィティフのトレーナーであると名乗るんだ。……ここまでは良いかな?」
「……午後にタクシーが来る。お医者さんに、オレは先生の代理人で、マフィティフはオレのポケモンだって伝える」
「グッド! マフィティフはこのままストレッチャーに寝かせておく。案内はムーランドが一緒にやってくれるだろうから、迷う心配はしなくて良いよ」
カインの指示を頷きながら真剣に聞くペパーは、足元で待機しているムーランドを見下ろす。心配無い、とばかりに一声吠えて返事をしたムーランドに安心したのか、ペパーは再びカインに向き直った。
「診察後は、ボイスレコーダーで説明を録音して欲しい。もちろん、診てもらうのは君のポケモンだ。何か気になる事があれば存分に質問してくれて構わないだろう。ただし、ドクターに何か質問を受けたら素直に答える事。嘘が混ざると、正式な診断が出来なくなるからね」
「うぐぐ……」
「マフィティフの為にも、分かったら返事」
「……はい……」
「グッド」
本当は返事をしたくない。そんな空気が声からも表情からも読み取れる。それでも、ちゃんと返事をしたペパーに頷いて、カインは彼を振り返った。
「そうと決まれば、早速朝食の準備をしなければね。忙しい朝になりそうだ」
「…………朝食……。先生はマフィティフの世話を頼んでいいか? ホントはオレがやりたいけど、オレがやるより先生がやった方が確実だろうし」
「そうは言うけれど、ペパーもマフィティフの世話を覚えなければいけないんだよ? このまま教えようと思っていたんだけど……」
「そりゃ教えてもらわなきゃだけど! ……大事なマフィティフの事なんだ。ちゃんと教えてもらいてぇ」
「……分かったよ。その為の時間も作ろう」
「……うん」
ペパーの真剣な言葉に、反論する理由は無い。彼のポケモンの事なのだから、彼の意思を尊重しなくては。
「……それに、先生にメシ任せてたらハラペコちゃんがペコペコに進化しちまう」
「……否定出来ないな……」
自分だけが食べるのならともかく、ペパーにも食べさせるとなればちゃんとした朝食を用意しなくてはいけない。昨夜の手際を見られているし、これもペパーの言う通りだ。
「……ポケモンと同じ食事で良ければすぐに作れるよ?」
せめてもの抵抗にそう言うと、ペパーは少しだけ目を大きくして──、すぐにがっくりと肩を落とした。
「……先生、ポケモン"も"食べられるメシと、ポケモン"の"メシはベツモノちゃんだぜ?」
「…………そうだね……」
ペパーの正論に、カインはもうぐぅの音も出なかった。