伝説への路
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『親にでもなったつもりちゃんかよ!』
ペパーにそんな事を言われた翌日。カインの心情を現しているかのように、牧場の周辺は酷い雨が降っていた。
雨に喜んで外ではしゃいでいる水や草タイプのポケモンを宥めて、どうにか屋内へ連れ戻して、身体を綺麗に洗う作業をどうにか終わらせる。カインがこのまま一日見ていられればいいが、今日は午後から見回りのシフトなのだ。さすがに泥で汚れたまま屋内に出入りされると、水や泥が苦手なポケモンとトラブルになりかねない。
大仕事を終わらせたカインは、他にも牧場の警備としてデンリュウやバチュルを残して、昨日とは逆のルートで見回りを開始した。
レインコートを着て、フードまで被っている為に、ほぼ雨音しか聞こえない。これは、昨日よりもムーランドの感覚に頼ることになりそうだ。
「わぁー! 先生だぁー! 助けてー!!」
「どうした? 怪我でもしたのかい?」
「レインコート忘れました!」
「……はぁああ……」
「ロトムが雨が降るって教えてくれたタイミングでポツポツきちゃって……。ホゲータもいるし、急いでピクニックテーブルの下に隠れたんです!!」
「ほぇほぇ」
「うん、なるほど……。咄嗟の判断としては悪くないとは思うけれど……」
そんな雨の中、炎タイプのポケモンと共に雨宿りをする為にピクニックテーブルの下に潜り込んでいる生徒がいた。
確かに、広い草原で雨宿りできる場所はそう多くない。相棒の為に、咄嗟にテーブル下に避難した判断をまず褒めてから、カインは小さく首を傾げた。
「ホゲータをまずボールに入れてあげるべきでは?」
「…………はっ」
言われてようやく気付いた様子で驚いた。そんな反応に、むしろカインの方が驚いた。
そんな生徒に、レインコートの代わりに、とりあえず防水コーティングが施されたテーブルクロスを頭に被せて、ひとまず忘れ物を取りに戻るように言い含める。
「視界が悪い中で手が空いていないと、態勢を崩したときに受け身が取れずに危険だ。宝探しはまだ始まったばかり、準備を整えてからでも遅くはないだろう」
「はいぃ……」
「ほぇ……」
しょんぼりとした様子で項垂れる生徒を見送る。テーブルクロスを半ば引き摺るように歩き出したのを確認して、カインも見回りを再開させた。
雨のせいか、その後テーブルシティに入るまで生徒はいなかったものの、テーブルシティに入ってからは、そもそも目的を決められず、二日目になってもテーブルシティから出ていない生徒がいたり。その先に続くボウルタウンへの道では、迷っている生徒が増えていたり。
初日より多く消費した傷薬を数えて、カインが雨の止まない牧場に帰ってきた頃には、すっかり薄暗くなっていた。
「……誰かいる……?」
違和感に気付いて、頭部を雨から守る為にすっぽり被っていたレインコートのフードを取ったカインは牧場の入り口に目を凝らした。
何故か牧場の敷地手前でデンリュウの尻尾が光っているのが見える。天候のせいもあって暗い視界の中、その光に誘われるように近付くと、そこには雨の中蹲る生徒が一人。
「ペパー……?」
「……カイン先生……」
デンリュウが傘を差し出しているお陰で、肩から上は濡れていないものの。土砂降りの雨の中座り込んでいるものだから、地面に接する腰から下は泥で汚れ始めている。
「……何故ここへ? 突然来てはいけないと言ったはずだけれど」
そもそも、生徒であるペパーが教師であるカインの自宅を軽々に訪れることがおかしいのだが。そのことを指摘するより先に、ペパーが立ち上がる。突然のことだったので、デンリュウが咄嗟に反応できず、持っていた傘に頭をぶつけてよろめいた。
「ペパー!」
よろめくペパーがぬかるみに背中から倒れないように、慌てて手を伸ばす。既のところで間に合ったカインの手がペパーの腕を掴んで、ゆっくりと立ち上がった。
「ずぶ濡れじゃないか……。何故こんなになるまでここにいたんだ?」
「……マフィティフを助けたいんだ……。その為に、どうしたらいいのか教えてほしくてっ……。助けてくれそうな人、カイン先生しか思い付かなくて……。急に来ちゃだめだって言われてたことも思い出したけど……、来ちゃったし……」
「…………」
ペパーの言葉に、カインは眉間を揉む。ペパーをどうするべきか、頭を悩ませているのだ。
午後、牧場を出る時にはペパーの姿は無かった。半日近くここにいた可能性は無いものの、この天気だ。傘を差していたとは言え、濡れたままでは体調を崩しかねない。そしてその場合、マフィティフの介護ができなくなる。
かと言って、昨日のこともある。教師であるカインの自宅に、再びペパーを引き入れるのはどうなのか。教えを請う為にカインの帰宅を待っていたと言う彼をこのまま突き放すのは、良識の観点からどうなのか。
どこで線引きをするべきか。カインが悩んでいる数秒の間に、返事が無いことはつまり困らせているのだと判断したペパーが頭を振った。
「カイン先生もお困りちゃんみたいだし……、オレ、帰るよ!!」
そう言うペパーは笑顔こそ浮かべたものの、その表情を保っていられなかったのか、すぐさまカインに背を向けて走り出した。
「……っ、ペパー!! いけない、その方向は……!」
慌てて呼び止めるが、ペパーの姿が暗がりに見えなくなって数秒後。
「うわぁー!!!」
水に何かが落ちる音と、ペパーの悲鳴が響いた。
日が沈んだ時間帯であることに加えて、雨のせいで更に悪くなった視界のせいで、川があることに気付かなかったのだ。
大急ぎでそちらに駆け出して、デンリュウが灯す光を頼りにペパーを探す。バシャバシャと水の中で藻掻く音が聞こえる方へ近付くと、ペパーが必死に川岸に近付こうとしていた。
「ペパー!」
「がぼっ、せんせっ……! たすけ……」
「喋らなくて良い! 今行く!」
デンリュウ達ポケモンを川岸に残して、カインはペパーから少し離れた場所から川へ飛び込んだ。
知識として溺れている人間を助けようとすれば、助ける側も危険だということは把握していた。ランクルスのサイコキネシスを使えば、わざわざカインが飛び込まなくても、ペパーを確実に助けることができることに思い至った時には、体が動いてしまっていた。
ペパーがいる位置より少し下流に飛び込んで、必死にしがみつこうとするペパーを宥めながら、川岸に合図を送って残してきたデンチュラに糸を出してもらおうと考えていたのだが。
「おっとと……」
カインのポケモン達の方が冷静だったようで、カインがペパーを受け止めたことを確認すると、ふわりと体が浮いた。
ランクルスのサイコキネシスで川岸に引き上げられた二人は、揃ってずぶ濡れになってしまっている。
「くるくるるゔゔゔ」
「りゅゔゔゔゔ……」
「ああ、うん……。驚かせてすまない……。君がいるから、わざわざわたしが行かなくて良かったね……」
陸に上がるなり、ランクルスとデンリュウに挟まれてしまった。突然のことで驚いただろう彼らを宥めるように撫でてやりながら、カインはペパーに目を向ける。
「落ちた拍子に傷を作っていないかい?」
「……分かんねぇ……。ずぶ濡れちゃんで体中冷たいことしか……」
「……少し触るよ。……デンリュウ、灯りを貸してくれるだろうか」
「りゅや」
傷の有無を確認すると、ペパーからはか細い声が返ってきた。許可を取って彼に触れると確かに冷たい。その上、顔色まで悪くなってきている。
下半身がずっと濡れていたことに加えて、川に落ちたことが決定的になって、このまま寮に帰せば間違いなく酷い風邪を引くだろう。
「……仕方が無い」
手を貸してしまったからには、最後まで面倒を見てやらなくては。
できるだけ早く、ペパーを着替えさせなければならないと判断して、カインは立ち上がった。
「何はともかく、君は着替えなければ。あれこれ考えるのはその後だ」
「……うぇ、へ?」
「このままシャワールームへ押し込む」
「え。……ええええ!?!?」
「未成年監禁の容疑者にはなりたくないからね。君の意思で押し込まれてくれると助かるのだけれど」
「かんきん……!?」
「さぁ早く。風邪を引きたくなければわたしの言うことを聞いて欲しいな。デンリュウ、先導を頼みたい」
「でーんりゅ!」
片手を挙げて応えたデンリュウが早速歩き出す。ペパーが展開に困惑している様子を見て、カインは彼に声を掛けた。
「わたしは君の親ではないけれど、君を心配している気持ちは本当だ。思うところはあるだろうけれど、ひとまず先生の言うこととして聞いてもらえないだろうか」
「……分かった……。風邪っ引きちゃんになりたくない……」
再び家に入れることが正解なのかどうかは分からない。
しかしひとまずは素直に歩き出したペパーに、カインはその後ろでホッと胸を撫で下ろした。
✱
✱
「……べっくし!」
「……しっかりタオルドライをして来ないからだろう……」
ペパーをシャワールームに押し込んだ後。着替えはひとまず自分が普段就寝時に使っているスウェットを貸すことにしたものの、彼の下着が無いことに思い当たって特急デリバード便で注文した物を渡した。
普段自分が着ているものをペパーが着ている違和感に苦笑いしながら、カインは彼の頭にタオルを被せる。ポタポタと水滴と共にシャワールームから出てきたペパーは、カインに世話をされるがままだ。
タオルドライの後、しっかりドライヤーで乾かすまでの間、会話は特にしなかった。お互い無言のまま、ペパーの髪の毛がふわふわになってからようやく、ペパーが重い口を開く。
「……どうして今日は助けてくれたんだ?」
「"助けてくれたんですか"、だよ」
「……助けてくれたんですか」
「昨日は君が加害者側だった。今日は……、まぁ、来るのなら事前に言っておくという牧場のルールはともかく、放置しておくのは危険だったからだよ」
「……加害者……」
「そうとも。そして、わたしと君の間で"助ける"という認識に違いがあった」
アオイの側に立ってペパーを糾弾する役目は、彼女の兄がやってくれた。だからカインは、ペパーの側に立って彼の代わりに謝罪したのだ。
……どうやら、それはやり過ぎだったようだが。仲裁程度にしておくべきだったと反省している。
「さて。時間も時間だし、コーヒーなんて飲んでしまうと睡眠に差し障るだろう。お湯しか出せるものは無いけれど……。これを飲んだら帰りなさい」
「…………」
マグカップに一杯分。ポットで沸かしたばかりの湯をペパーの前に置く。無言で湯気を見つめるペパーは、緩慢な動きでマグカップに手を伸ばした。
「やっぱり一人じゃガケガニ倒せなかったんだ……」
両手を温めるようにマグカップを包みながら、ペパーがぽつりと漏らす。
やはり無謀な再挑戦を試みたらしい。昨日はアカデミーに連れて帰ったので、一晩経てば少しは落ち着いてくれるだろうと思ったのだが、カインの予想を裏切って、ペパーは再びガケガニのテリトリーを冒したと言う。
「ホシガリスも言うこと聞いてくれないし、ガケガニにやられた後はボールから出てこなくなったし……」
「…………」
無茶を強行した結果、現状戦える手持ちのポケモンからも愛想を尽かされる一歩手前の状態になってしまっている。今のペパーは、マフィティフを治そうと一生懸命になりすぎて、他が全く見えなくなっている様子だ。
「くそっ……。バトルできねぇアオイがいなくたって、一人で何とかしてやろうって思ったのに……!!」
「落ち着きなさい。一人ではないだろう? 今、君の手持ちはマフィティフの他にもホシガリスがいる」
「……そのホシガリスがっ……」
「まずは聞きなさい。ポケモンと信頼を築かない内に無茶をすれば、指示を聞いてくれないのは当たり前だよ。ペパー自身にも危険が及ぶのはもちろんだけれど、最も危険なのは実際に戦うホシガリスだ。マフィティフの治療の為だと理解していたとしても、今のペパーと危険に飛び込むには動機が薄い」
ホシガリスが指示を聞いてくれないのだ、と言おうとしたペパーを手で制して、カインはホシガリスがペパーの指示をボイコットしている理由をそう推察した。
スパイスの群生地になっているのは、ガケガニの棲家だ。ホシガリスは、タイプ相性の不利を乗り越えようと頑張ったのかもしれない。
「昨日の言動から予想するに、ペパー、君はホシガリスを責めただろう」
「……勝てなきゃスパイスゲットできねぇからな」
「相性が悪い相手に立ち向かう指示をしておきながら、それではホシガリスが報われない。報われないことはやりたくない。だから、ボールから出てきてくれなくなった」
「じゃあどうすればっ……」
「信頼を取り戻すところからだね」
「信頼……。どうやって……」
「そうだな……。まず、ペパーはホシガリスとしっかり向き合ったことはあるかい?」
カインの言葉に、ペパーはしばらく考えるように黙り込んだ。十秒ほど考えて、彼はマグカップを包む手に力を込める。
「……最近は無い、かも……。マフィティフの世話に一生懸命で、ホシガリスには"後でな"って言ってばっかり……」
「その"後で"と言った約束はちゃんと守っているかい?」
「守って、ない……。後回しにして、そのまま……。オレ……、自分がされてイヤなことホシガリスに……」
同時に何やら思い出すことがあった様子で、ぐすっと鼻を鳴らしたペパーに、カインはまた間違えたのかと頬を掻いた。
言葉を探している内に、落ち着こうとしたらしいペパーが音を立ててマグカップの中身を飲む。一口、二口と飲み込んで大きく息を吐いたペパーは、カインに問い掛けた。
「今からでも、間に合うかな……」
「ホシガリスが自分でボールを破壊して野生に戻るという選択をしていない今なら、まだ間に合うとも。ホシガリスとちゃんと向き合って信頼を築く。目を見て会話をするところから始めると良い」
「目を見て……」
「バトルに関してだけれど、わたしよりもキハダ先生を頼りなさい。授業を受けるかどうかは君次第だけれど、アドバイス程度はもらえるはずだ」
「えっ。カイン先生は教えてくれないのか?」
カインに教えてもらうつもりだったのか、ペパーはカインの言葉に驚いたように目を丸くした。
「わたしはバトルが好きではないんだ。そんな人間に教わるよりも、しっかりと教えてくれる人を頼るべきだと思うよ」
「オレもバトル苦手ちゃんなんだけど……」
「苦手でも強くなりたいんだろう? そういった相談も、やはり専門家に頼るべきだよ」
「バトル学……、かぁ……」
憂鬱だと表情で訴えるペパーに気付かない振りをして、カインは自分の分を飲み終えたマグカップを片付けるべくキッチンに向かう。それは同時に、ペパーから相談を受ける時間が間もなく終わるということでもある。
「さて。冷たくなる前に全部飲み切ってしまいなさい」
「あ、まだ残って……。……えーっと、アオイにも謝りたいんだけど……」
「いい判断だ」
「どうやって……」
「それはコミュニケーションに関することだ。わたしよりもセイジ先生に聞くべきだね」
「……これもカイン先生は答え教えてくれないのかよ」
「わたしの専門はポケモンの生態や環境に関わることだからね。答えを持っていないという理由もあるし、逐一答えを教えていたら、課外授業にならないだろう? 君自身が答えを見付けなければいけないんだ」
「…………」
「生物学を嗜んでいる立場からアドバイスをするとしたら、ポケモンのタイプはもちろん、生態を頭に入れておきなさい。立ち回りの参考になるはずだ」
不満そうなペパーを横目に、カインは彼が握り締めているマグカップを没収した。中身はまだ残っていたが、寮の門限が近付いている。時間切れだった。
カインの見立てでは、タイプの相性上、ペパーのホシガリスよりもアオイのクワッスを軸にした方が良い。二人にはバトルをする予定は無かったようだから、その辺りの打ち合わせも何もしていなかったのだろう。
「今できるアドバイスはこのくらいだ。あとは君の頑張り次第という訳だね。……さぁ、寮の門限の時間になる。タクシーを呼んだから、今日はもう帰りなさい」
「……うん……。おやすみなさい……」
「……、ああ、おやすみ」
謹慎の期間中そうしていたように、寝る前の挨拶を無意識に口にしたペパーに少しだけ驚いたが、カインはそれを表面に出さずに彼を送り出した。
傘を持っていないペパーの為に、デンリュウに付き添いを頼んだカインは、ふと窓の外を見る。雨は少しだけ弱くなっていたものの、まだしばらく月は見えそうになかった。